落語「胡椒の悔やみ」の舞台を行く
   

 

 立川談志の噺、「胡椒の悔やみ」(こしょうのくやみ)より


 

 「お前はいつも笑ってばっかりで・・・、外で笑うなバカだと思われる。家に入りな。何がおかしいんだ」、「うふふふ、ははは、昨日、ははは、高見さんのお嬢さんが死んだんだ」、「十六七の綺麗なお嬢さんだった。死んだのがおかしいのか?馬鹿野郎」、「糊屋の婆が八十八で生きてんのに、十六では若いよ」、「バカ、帰れよ。俺までおかしくなる」、「あすこには世話になっているので行かなくてはいけない。イヤミだ」、「悔やみだろう」、「真面目な顔して嘘ついているだろ。ダメなんだ、おかしくなってしまう。良い方法教えてくれよ」、「行っちゃダメだ。ほっぺをツネって口の中で『お亡くなりになってご愁傷様・・・』と、モグモグ言っていれば良いのだ。本当に行くのか。だったら、手を出しな。これを舐めてごらん」。
 「うぁ~、がぁ~、あわわ~」、「これで、今の台詞を言ってごらん」、「げぇっ、ウッ、承りますれば・・・げッげッ、お宅のお嬢さんがお亡くなりになって、うッ、ご愁傷様です」、「上手いじゃ無いか。それで良いんだ」。
 「水を飲みな」、「グァ、あ~驚いた。イヒヒヒ」、「もう笑っていやがる」、「今のは、悔やみの薬かい」、「胡椒だよ。コショウーの粉だよ」、「ははは、それをくれよ」、「そうかそうか、これを持って行くのか」、「そんなチョッとじゃなく全部くれよ。ウフフフ、帰りに戦果を話すよ」。

 「どうぞこちらへ。お座布を当ててください」、「なんて申し上げたら良いのか、こんな事になろうとは神も仏も無いものかと・・・、10日ほど前に伺ったら、『床の上でお三味線をお弾きになっている』なんて聞いて、皆で『良かった、良かった』と言っていたら、(涙声で)今朝になって急にお亡くなりになった・・・、なんて・・・(鳴き声)ご愁傷様としか言いようがありません」。
 「あぁ~、やってらぁ~。ははは、上手いね。この後じゃ、並じゃダメだな。全部舐めちゃえ。わぁ~~ぁ~、ハクション、う~、ハクション、ハクション、うィ~、ハクション、ハクション」、「どうしたのッ」、「ハクション、ハクション、ミズ、ハクション水ッ」、「水を持って来ておやり」、「ハクション、ウハハハ、ハクション。水をもう一杯」、「騒々しいね、大丈夫かぃ」、「(水をたっぷり飲む)ウー、ハクション、ハクション、ハクション、ハクション、ウィー、命がけだぃ、悔やみどころじゃない。あ~、ウフフ、ウフフフ、ハハハ、可笑しい。お宅のお嬢さんハハハお亡くなりになったそうでハハハ、うぃ~、ああイイ気持ちだ」。
 ひどい奴がいたもんです。

 

 談志は腹の底から笑い声を出していますし、クシャミを連発しています。擬音は文字に起こすのが大変に難しく、イメージで書き上げていますので、音と文字は合致しません。(平身低頭)

 



ことば

原話二題
ひとつは、安永2年(1773)正月刊の「聞上手」中の「山椒(さんしょ)」、
 八百屋で、山椒をかじっていた男が、からいので、茶をもらってのんでいるうち、向こうの家で、主人が二階から落ちて大けがという騒ぎ。
男はまだスウスウ言いながら駆けつけ、家人と話しているうちに辛味が消え、
「やれそれは、スウ、ホウ、いい気味(=気分)だ」。

ふたつめは、安永3年(1774)刊「茶の子餅」中の「悔やみ」は、この噺に近くなり、
 山椒のからさで悔やみの演技がよくできたので、思わず「いい気味だ」と口に出る。

別題「悔やみ」;「胡椒の悔やみ」は、別名「悔やみ」とも言いますが、同名の噺が既に有り、全く別の噺なので混同します。それは落語「悔やみ」で、円生が演じています。

胡椒(コショウ);古代からインド地方の主要な輸出品だった。紀元前4世紀の初め頃、古代ギリシアの植物学者テオフラストゥスは『植物誌』の中でコショウと長コショウを考察している。コショウは当時から貴重で、紀元1世紀のローマの歴史家大プリニウスは1ポンド(約500グラム)の長コショウの価値は15デナーリ、白コショウは7デナーリ、黒コショウは4デナーリと記録している。古代の地中海世界では、長コショウが成熟したものが黒コショウになると考えられており、その間違いは、16世紀にガルシア・デ・オルタによって改められるまで続いた。 胡椒は、ピペリン(piperine)による抗菌・防腐・防虫作用が知られており、冷蔵技術が未発達であった中世においては、料理に欠かすことのできないものでもあり、大航海時代に食料を長期保存するためのものとして極めて珍重された。ヨーロッパの様々な料理に使われており、またその影響を受けた様々な料理でも使われている。このため、インドへの航路が見つかるまでは、ヨーロッパでは非常に重宝されていた。十字軍、大航海時代などの目的のひとつが胡椒であったという見方もある。その取引における高値のさまは、1世紀のローマにおいて、銀と胡椒が同重量で交換されたかのような表現もされ、中世ヨーロッパにおいては、香辛料の中で最も高価であり、貨幣の代用として用いられたりもした。輸入をしていたヴェネチアの人々は胡椒をさして「天国の種子」と呼び、価値を高めることもしていたという。
 薬用成分としてアルカロイドに分類されるピペリンが含まれており、薬効を期待した薬膳料理に使用される。効能としては消化不良、嘔吐、下痢、腹痛などの症状に対して、また、抗がん作用、抗酸化作用もあるとされる。ダイエット用などのサプリメント、他の成分の吸収率を高めるなどの効果があるとして健康食品にも使用され、一緒に摂取した医薬品の作用を増強することも報告されている。

 

 黒胡椒のブラックペッパー(左)と白胡椒のホワイトペッパー

胡椒の出て来る落語;『棒鱈』、江戸っ子と薩摩の侍の喧嘩を止めに入った料理人が、胡椒で仲裁。
 『くしゃみ講釈』、講釈師にデートをぶち壊された男が、復讐のため胡椒で講釈場に邪魔しに行くが・・・。

愛知県での 「涙汁」 ;初七日の法要は火葬当日に一緒に行われることが増えており、法要が済んだ後の忌明けとしての精進落としの食事で僧侶や関係者をねぎらいます。愛知県の尾張地方などでは近親者のための簡素な精進料理のことを「出立ちの膳」と言うのですが、出立ちの膳には「故人様との最後に囲むお膳」という意味があります。この出立ちの膳を食べる時に、涙汁という名前で胡椒汁や唐辛子汁などを出す風習があります。そのため涙汁を「こしょう汁」と呼ぶこともあります。桑名などの一部の地域においては、涙汁をかつおだしと胡椒で作る胡椒汁が出されることもあります。
 涙汁という風習の意味合いは、底に胡椒が溜まるほどたっぷりと入れるすまし汁で、作る目的は、亡くなった方の供養の為に涙を出させるという説と、場所によっては1週間も続く葬式の疲れを癒すためとも言われている。
 名古屋で営業している葬儀社さんの解説から。

 故人のために、涙が出ない人もあるでしょうから、その為の補助手段として、胡椒は大事なのでしょう。

糊屋(のりや);糊屋の婆さんは、どの長屋にもいたわけではないが、各町内に一人か二人はいた。とりわけ、花柳界界隈にある長屋には必ずいたもんです。長屋の住人のなかでも、そのしたたかさにかけては三役級で、よい言葉でいえば世話好き、裏返せばおせっかいやき、実は好奇心の塊、金箔付のおしゃべり、とびっきりの金棒引き(おしゃべり家)です。おしゃべりといえば糊屋の婆さんが出てくるほど。亭主を亡くして、一人暮らしなんでしょうか、その名のとおり、表看板に姫糊を売り歩いていました。
 右図、糊屋の看板。大坂では儲からないことを糊屋の看板と言った。
そのこころは、「利(り)が小さい」。大阪ことば事典より
 女性のように柔らかい姫糊は、まず米を洗って粉に挽きます。その粉に水を加えて、弱火でよくかきまぜながら煮て作る。米は屑米を使うこともありました。米を柔らかく煮て、突きつぶして作ることもある。その時、飯粒をヘラでつぶして糊として使いました。そういう固い糊を「そくひ」と言って、飯粒をつぶすヘラを「へらぼう」と言った。これが江戸っ子の「べらぼうめ」の「べらぼう」の語源になった。つまり「穀潰し」というわけです。
 
当時は防腐剤などなかったので、夏場の売れ残りは加熱して腐敗を防いでいた。しかし、作り方はいたって簡単だが長屋の狭いところで作るのは大変なので、たいていは仕入れてきて、決まった得意先を売って回っていました。また、糊屋の婆さんが売り歩くのは、晴れた洗濯日和の日に限られていた。雨の日にはたとえ洗濯したところで、お天道様の恵みなしに乾かすことができないので、洗濯する者などいなかったからです。
 婆さんは、落語ではどんな人生を歩んできたかは不明だが、一人でしっかり生き抜いている逞しさも感じる。

おとぎ話・舌切り雀むかしむかしあるところに心優しいお爺さんと欲張りなお婆さんの老夫婦がいた。ある日、お爺さんは怪我をしていた雀を家に連れ帰って手当てをした。山に帰そうとしたが雀はお爺さんにたいそう懐き、お爺さんも雀に情が移り、名をつけて可愛がることにした。しかし、雀を愛でるお爺さんの様子をお婆さんは面白くなく思っていた。 お爺さんが出掛けたある日、お婆さんが洗濯物につけるつもりでつくっておいた糊を雀は食べてしまった。怒ったお婆さんは「悪さをしたのはこの舌か」と雀の舌をハサミで切ってしまい、どこにでも行ってしまえと外に放ってしまう。そのことを聞いたお爺さんは雀を心配して山に探しに行くと、藪の奥に雀たちのお宿があり、中からあの雀が出てきてお爺さんを招き入れてくれた。 雀は、お婆さんの糊を勝手に食べてしまったことを詫び、怪我をした自分を心配して探しに来てくれたお爺さんの優しさに感謝を伝えた。そして仲間の雀たちとたいへんなご馳走を用意してくれ、歌や踊りで時が経つのを忘れるほどもてなしてくれた。帰りにはお土産として大小二つのつづらが用意されていた。お爺さんは、自分は年寄りなので小さい方のつづらで十分と伝え、小さなつづらを背負わせてもらい雀のお宿をあとにする。家に帰り中を見てみると金や銀、サンゴ、宝珠の玉や小判が詰まっていた。欲張りなお婆さんは、大きなつづらにはもっとたくさん宝物が入っているに違いないと、雀のお宿に押しかけ、大きい方を強引に受け取った。雀たちから「家に着くまでは開けてはならない」と言われたが、待ち切れずに帰り道で開けてみると中から魑魅魍魎(ちみもうりょう)や虫や蛇が溢れるように現れ、お婆さんは腰を抜かし気絶してしまう。その話を聞いたお爺さんは、お婆さんに「無慈悲な行いをしたり、欲張るものではない」と諭した。
右図、葛飾北斎画:『舌切すずめ』

悔やみ(くやみ);人の死を惜しんで弔う。残った人に慰めの言葉をかけること。また、その言葉。「お悔やみ申し上げます」と使います。

お座布(おざぶ);座布団を略した丁寧な話し言葉。

神も仏も無いものか(かみもほとけもないものか);苦痛・辛さの連続で、救ってくれるはずの神も仏も現れない。懸命な努力や忍耐が報われないときのことば。

ご愁傷様(ごしゅうしょうさま);愁傷、うれえいたむこと。嘆き悲しむこと。ご愁傷様、遺族との会話で使う、「お」を付けた丁寧語。



                                                            2018年2月記

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