落語「胡椒の悔やみ」の舞台を行く 立川談志の噺、「胡椒の悔やみ」(こしょうのくやみ)より
■原話二題 ふたつめは、安永3年(1774)刊「茶の子餅」中の「悔やみ」は、この噺に近くなり、 ■別題「悔やみ」;「胡椒の悔やみ」は、別名「悔やみ」とも言いますが、同名の噺が既に有り、全く別の噺なので混同します。それは落語「悔やみ」で、円生が演じています。
■胡椒(コショウ);古代からインド地方の主要な輸出品だった。紀元前4世紀の初め頃、古代ギリシアの植物学者テオフラストゥスは『植物誌』の中でコショウと長コショウを考察している。コショウは当時から貴重で、紀元1世紀のローマの歴史家大プリニウスは1ポンド(約500グラム)の長コショウの価値は15デナーリ、白コショウは7デナーリ、黒コショウは4デナーリと記録している。古代の地中海世界では、長コショウが成熟したものが黒コショウになると考えられており、その間違いは、16世紀にガルシア・デ・オルタによって改められるまで続いた。
胡椒は、ピペリン(piperine)による抗菌・防腐・防虫作用が知られており、冷蔵技術が未発達であった中世においては、料理に欠かすことのできないものでもあり、大航海時代に食料を長期保存するためのものとして極めて珍重された。ヨーロッパの様々な料理に使われており、またその影響を受けた様々な料理でも使われている。このため、インドへの航路が見つかるまでは、ヨーロッパでは非常に重宝されていた。十字軍、大航海時代などの目的のひとつが胡椒であったという見方もある。その取引における高値のさまは、1世紀のローマにおいて、銀と胡椒が同重量で交換されたかのような表現もされ、中世ヨーロッパにおいては、香辛料の中で最も高価であり、貨幣の代用として用いられたりもした。輸入をしていたヴェネチアの人々は胡椒をさして「天国の種子」と呼び、価値を高めることもしていたという。
黒胡椒のブラックペッパー(左)と白胡椒のホワイトペッパー
■胡椒の出て来る落語;『棒鱈』、江戸っ子と薩摩の侍の喧嘩を止めに入った料理人が、胡椒で仲裁。
■愛知県での
「涙汁」 ;初七日の法要は火葬当日に一緒に行われることが増えており、法要が済んだ後の忌明けとしての精進落としの食事で僧侶や関係者をねぎらいます。愛知県の尾張地方などでは近親者のための簡素な精進料理のことを「出立ちの膳」と言うのですが、出立ちの膳には「故人様との最後に囲むお膳」という意味があります。この出立ちの膳を食べる時に、涙汁という名前で胡椒汁や唐辛子汁などを出す風習があります。そのため涙汁を「こしょう汁」と呼ぶこともあります。桑名などの一部の地域においては、涙汁をかつおだしと胡椒で作る胡椒汁が出されることもあります。
故人のために、涙が出ない人もあるでしょうから、その為の補助手段として、胡椒は大事なのでしょう。
■糊屋(のりや);糊屋の婆さんは、どの長屋にもいたわけではないが、各町内に一人か二人はいた。とりわけ、花柳界界隈にある長屋には必ずいたもんです。長屋の住人のなかでも、そのしたたかさにかけては三役級で、よい言葉でいえば世話好き、裏返せばおせっかいやき、実は好奇心の塊、金箔付のおしゃべり、とびっきりの金棒引き(おしゃべり家)です。おしゃべりといえば糊屋の婆さんが出てくるほど。亭主を亡くして、一人暮らしなんでしょうか、その名のとおり、表看板に姫糊を売り歩いていました。
おとぎ話・舌切り雀:むかしむかしあるところに心優しいお爺さんと欲張りなお婆さんの老夫婦がいた。ある日、お爺さんは怪我をしていた雀を家に連れ帰って手当てをした。山に帰そうとしたが雀はお爺さんにたいそう懐き、お爺さんも雀に情が移り、名をつけて可愛がることにした。しかし、雀を愛でるお爺さんの様子をお婆さんは面白くなく思っていた。
お爺さんが出掛けたある日、お婆さんが洗濯物につけるつもりでつくっておいた糊を雀は食べてしまった。怒ったお婆さんは「悪さをしたのはこの舌か」と雀の舌をハサミで切ってしまい、どこにでも行ってしまえと外に放ってしまう。そのことを聞いたお爺さんは雀を心配して山に探しに行くと、藪の奥に雀たちのお宿があり、中からあの雀が出てきてお爺さんを招き入れてくれた。
雀は、お婆さんの糊を勝手に食べてしまったことを詫び、怪我をした自分を心配して探しに来てくれたお爺さんの優しさに感謝を伝えた。そして仲間の雀たちとたいへんなご馳走を用意してくれ、歌や踊りで時が経つのを忘れるほどもてなしてくれた。帰りにはお土産として大小二つのつづらが用意されていた。お爺さんは、自分は年寄りなので小さい方のつづらで十分と伝え、小さなつづらを背負わせてもらい雀のお宿をあとにする。家に帰り中を見てみると金や銀、サンゴ、宝珠の玉や小判が詰まっていた。欲張りなお婆さんは、大きなつづらにはもっとたくさん宝物が入っているに違いないと、雀のお宿に押しかけ、大きい方を強引に受け取った。雀たちから「家に着くまでは開けてはならない」と言われたが、待ち切れずに帰り道で開けてみると中から魑魅魍魎(ちみもうりょう)や虫や蛇が溢れるように現れ、お婆さんは腰を抜かし気絶してしまう。その話を聞いたお爺さんは、お婆さんに「無慈悲な行いをしたり、欲張るものではない」と諭した。
■悔やみ(くやみ);人の死を惜しんで弔う。残った人に慰めの言葉をかけること。また、その言葉。「お悔やみ申し上げます」と使います。
■お座布(おざぶ);座布団を略した丁寧な話し言葉。
■神も仏も無いものか(かみもほとけもないものか);苦痛・辛さの連続で、救ってくれるはずの神も仏も現れない。懸命な努力や忍耐が報われないときのことば。
■ご愁傷様(ごしゅうしょうさま);愁傷、うれえいたむこと。嘆き悲しむこと。ご愁傷様、遺族との会話で使う、「お」を付けた丁寧語。
2018年2月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |