落語「五月幟」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円窓の噺、「五月幟」(ごがつのぼり。さつきのぼり)より


 

 「ちょっと、お前(おまい)さん、起きておくれよ。酒飲んで帰ってきたら、寝ちゃってさ」、「酔い醒めの水を・・・」、「今日は端午の節句で、初めて出来た子が初節句だから、酒ばかり飲んで無くて、子供に何かしておくれよ」、「してあげたいが、銭が無いんだ」、「持ってるお金全部吞んじゃうウンだから。私はアンタを頼りにしてないから、ちょっと出掛けてくるよ」、「おい、何処行くんだ。起こしておいて・・・」、「うるさいね。さっき伯父さんが来たんだ。『祝いの物がダブったってしょうが無い』と言ってお金置いて行ったんだ。で、人形買ってくるから・・・」、「男の節句だから、男の俺が行ってくる。それこちらに回しな」、「ダメだよ。伯父さんに言われたんだ。『渡すと、皆吞んじゃうから渡すな』とキツく言われているんだ」、「この子供の顔を見たら呑めないだろう」、「じゃ~、頼んだよ。呑むんじゃ無いよ」。

 「今日は人形買って、女房を驚かせてやろうかな」。
 「兄ぃ、丁度今、熊兄ぃが下を通りますよ」、「熊兄ィ、熊兄ィ、ちょっと、二階までお付き合いしていただけませんか」、「今はダメなんだ。野暮用があるんだ」、「そんな事言わないで。(弟分に)捕まえてこい。引っ張り上げてこい」、「大勢出て来て・・・。では、面(つら)だけ出すよ」。
 「実は、喧嘩の手打ちなんです」、「穏やかじゃ無いな」、「へぃ、この二人が髪結床で将棋のことで喧嘩になりまして・・・、ここで手打ちをさせているところなのです。でも、小言の言い手が無いので。熊兄ぃに来て貰ったんです」、「だらしがない喧嘩をするな。では、俺は帰るから」、「チョット待って下さい。これは喧嘩の手打ちですから、一杯やって帰ってください」、「俺はさっきも言ったとおり、野暮用があるんだ」、「おい、おい、早く酒の支度をしろ」、「やるのか?野暮用があるから、形だけだよ。え?こんな大きな物でやるのか」、「何時も兄貴がやる器です」、「小さいのは無いのか。仕方が無いな、チョッとだけ注げ。オットット、山になってしまった。勿体ないな。(グイグイ)一っ垂らしも残らずやっちゃったよ。じゃ~、これで・・・」、「待って下さいよ。未だ皆やっていないんですよ。皆そろったらお願いします」、「分かった。そろったか?野暮用があるんだ。あ~ぁ、またこんなに注いじゃった。(グイグイ)ハァ~。本来だったら、これだけ旨い物を吞ませて貰ったんだから、俺が勘定しなければならないんだが・・・」、「そんな事は良いんです」、「ま、聞いてくれ。懐が秋の風でだらしがないんだ。今日はゴチになるからな」、「兄貴、手を上げて下さい」、「銭が無いのは悲しいネ。(懐に手を突っ込んで)、ねー物は・・・。(カミさんが渡した財布を取り出してしまった)、ん?出て来た。これで勘定してくれ」、「兄貴、それはいけません」、「俺の金ではダメか。燃やしてしまうぞ」、「分かりました、皆お礼を良いな」、「では野暮用に行くゾ」。

 「『姉御によろしく』だって、気分が良いね。(ハッと気が付き、懐や着物をまさぐったが財布が無い)、あッ、人形吞んじゃった。カカァの言うとおりになっちゃった。どうしようかな。家に帰ろう」。
 「今帰ったぞ」、「どんな人形?アラ臭い。吞んできたね。子供の祝いを吞んじゃって・・・。伯父さんが帰りにどんな人形か見に来るって・・・」、「二階で寝てるよ」、「まぁ、何て言う人なんでしょ」。
 「ゴメンよ。人形買ったかィ。どうした泣いて・・・。熊がその金で飲んで帰ってきたのか。とんでもない奴だ。子供にやった金だ。今どこに居る」、「二階で寝ています」、「今日という今日はガマンが出来ねぇ」、「熊公ッ、熊公」、「伯父さんですか。今日はありがとうございます。買ってきた物をズラ~ッと並べました」、「私も見させて貰うぞ」、「気を付けてお上がり下さい」、「思った通りだ。お前がそこに寝ているだけだ」、「見えませんか?ではお見せしましょう。さっき(五月)から伯父さんが来るだろうと待ってたんだ。二階にお上りお登り(幟)。酒の勢いでフーッと吹き流し。まだ飾ってある。あっしは熊で顔が赤いのは金太郎、酔いが醒めれば正気(鍾馗)になるよ」、「もうよさないか」、「伯父さんお腹空いてませんか。ご馳走しましょう。私が煎餅布団に丸まって柏餅だ」、「この野郎はパアパア言って、話しをしても分からないな。二度とお前の家の、面倒を見ないからな。(大きな声で)バカヤロー!」、「大きな声(鯉)まで貰った」。

 



ことば

五月(ごがつ);ふつうは「さつき」と読むところなのですが、この噺では「ごがつ」と読みます。

酔い醒めの(よいざめのみず);『酔い醒めの水は甘露の味』、酔いざめの渇きに飲む水の味のうまいことをいう。

端午の節句(たんごのせっく);(「端」は初めの意。もと中国で月の初めの午の日、のち「午」は「5」と音通などにより五月5日をいう)五節句の一。5月5日の節句。古来、邪気を払うため菖蒲(シヨウブ)や蓬(ヨモギ)を軒に挿し(右写真)、粽(チマキ)や柏餅を食べる。菖蒲と尚武の音通もあって、近世以降は男子の節句とされ、甲冑・武者人形などを飾り、庭前に幟旗や鯉幟(コイノボリ)を立てて男子の成長を祝う。第二次大戦後は「こどもの日」として国民の祝日の一。あやめの節句。重五(チヨウゴ)。端陽。
 江戸時代に入り、勢力の中心が貴族から武家に移るとともに、「菖蒲(しょうぶ)」の音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じであることから、「端午の節句」は、「尚武(しょうぶ)」の節句として、武家の間で盛んに祝われるようになりました。この節句は、家の後継ぎとして生れた男の子が、無事成長していくことを祈り、一族の繁栄を願う重要な行事となったのです。3月3日のひなまつりが、女の子のための節句として花開いていくのに呼応するように、5月5日の端午の節句は、男の子のための節句として定着していきました。五月人形・鯉のぼりが飾られ、男の子が健やかに立派に成長するよう願いを込めて祝われます。

初節句(はつぜっく);生れた子が初めて迎える5月5日(男)または3月3日(女)の節句。特に男子の初めての節句。はつのせっく。
 五節句・節供、節日で人日(1月7日)・上巳(3月3日雛祭り)・端午(5月5日こどもの日)・七夕(7月7日)・重陽(9月9日菊の節句)などの式日。

さつき人形(さつきにんぎょう);5月の節句に飾られる、男の子向きの人形。

喧嘩の手打ち(けんかのてうち);喧嘩の和解が成立すること。 喧嘩の和解。以前は手打ち式をしたが、今はほとんどない。この噺にもあるように仲裁人が出て、二人を仲直りさせ、酒を酌み交わし手締めをするものと言います。この時は別の料理屋や部屋を借りて集合していますので、費用は中に入った仲裁人が持つのが普通です。で、彼も手ぶらで帰ることも出くず、困ってしまうのですが、仲間連中もスポンサーが通るので二階に上げるのに必死です。落語「三軒長屋」にもこの光景が出て来ます。

髪結床(かみいどこ);落語「浮世床」をご覧下さい。

(のぼり);(「昇り旗」の略) 丈が長く幅の狭い布の横に、多くの乳(チ)をつけ竿に通し、立てて標識とするもの。戦陣・祭典・儀式などに用いる。また、端午の節句に男子の出生を祝って立てる幟。
右写真:国技館の相撲幟。

吹き流し(ふきながし);鯉のぼりの一番上に飾られる旗の一種。幾条かの長い絹を半月形または円形の枠に取りつけ、長い竿の端に結びつけて風になびかせるもの。戦陣に用いた。
 
鯉のぼりは「登龍門」の故事に由来しています。 中国黄河の上流の急な流れを鯉が登り切ると龍になるという伝説から、鯉は出世魚と考えられ、江戸時代からは、子供の立身出世を願って、その姿をつくった鯉のぼりが盛んに立てられるようになりました。
 下写真:上端のところに吹き流しを飾った鯉のぼり。

金太郎(きんたろう);以前は五月人形の代名詞のように言われた桃太郎や金太郎、神武天皇や鍾馗。
 金太郎は、源頼光の四天王の一人坂田金時(または公時)の幼名。また、それにまつわる怪童伝説の主人公。相模の足柄山(アシガラヤマ)に住んだ山姥(ヤマウバ)の子といい、全身赤くて肥満し、怪力を有し、熊・鹿・猿などを友とし、常に鉞(マサカリ)を担ぎ、腹掛をかけ、角力(スモウ)・乗馬を好んだ。歌舞伎では怪童丸という。

  

左、金太郎人形。 中、鍾馗。 右、五月人形飾り

鍾馗(しょうき);これも最近では人気が無く、兜などが人気です。
 (唐の玄宗の夢の中に、終南山の人で、進士試験に落第して自殺した鍾馗が出て来て魔を祓い病を癒したという故事から) 疫鬼を退け魔を除くという神。巨眼・多髯で、黒冠をつけ、長靴を穿き、右手に剣を執り、小鬼をつかむ。日本でも謡曲に作られ、その像を五月幟(ノボリ)に描き、五月人形に作り、また朱で描いたものは疱瘡除(ホウソウヨケ)になるとされる。鍾馗大臣。



                                                            2018年3月記

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