落語「すきやき兄妹」の舞台を行く
   
 

 春風亭柳昇の噺、「すきやき兄妹」(すきやききょうだい)より


 

 新聞の投稿欄にあった『金策に応えてやれぬ妹に 昨夜釣りたるイワナ持たせる』と言う短歌から噺を作ったのがこの落語です。

 「こんにちは、お兄さ~ん」。妹の松子さんがお兄さんの家に尋ねてきた。「日曜日に家に居るなんて・・・」、「私は遊びを知らないから、家で時々匍匐(ほふく)前進をするんだよ」、「戦争じゃないのに匍匐前進?」、「今にオリンピックの種目になるよ」。
 「お姉さんは?」、「家の奴はカルチャーセンターに行っているんだよ」、「お稽古は?」、「お茶や、お花や、七宝、来週は落語だそうだ。私に用とはなんだぃ」、「実は竹雄のことで相談に来たの。来年の3月高校を卒業するの」、「早いな~、こないだピカピカの一年生だと思ったらもう卒業か。あと2~3年もすると還暦だな。卒業したらどうしたいんだぃ」、「大学に行きたいんだって」、「あの子は頭が良いんだよ、大学入れてあげなよ」、「兄さん、お金が掛かるのよ。家の人が生きていたら何とかなったんだけど、早死にしたでしょ」、「出してあげたいけれど、我が家の娘が来年の春に結婚するんだ。そのお金で精一杯なんだ」、「もうちょと待っていないか。家の奴が帰ってきたら、イイ知恵が出るかも知れない」。
 「私、姉さんに、そんな相談できないわ。私小姑(こじゅうと)で、姉さんをいじめたんだもの」、「女同士は強かったな。大東亜戦争に女が行っていたら勝っていただろうな」、「私も結婚して行ったら、向こうに凄い小姑が居てやり合ったの。たまらず実家に帰ってきたら、お父さんが『家の嫁は、お前と良くやり合ったが、一回も実家には帰らなかったよ』と言われて直ぐ戻ったの。それからは何を言われても腹が立たなくなったの。私が姉さんに言ってたことと同じ事を言うの。順送りね」。
 「私もお前には悪い事をしたと思っているよ」、「何で?」、「お前が居ると、家の奴と争いが絶えないから早く結婚させようと思ってな、良い人だったんだが身体が弱かったのを承知で結婚させた。お前を早く未亡人にさせてしまった。悪かったと思う」、「私、承知して行ったんだから、悔やまない。では、帰る」、「そうか、竹ボーに良く言ってな」。
 「チョッと待ちな。今晩のすき焼き用に肉買ってきたんだ。娘は出張で帰らないし、家内はカルチャーセンターの友達と夕食するんだ。無駄になったんだから、竹ボーに持って帰りな」、「ありがとう。ここのお肉美味しいんだもの」、「気を付けて帰りな」。

 「ただいまぁ~」、「早かったんだな」、「お豆腐屋で美味しそうなお豆腐が有ったので買ってきた。ネギもあるから、お肉は?」、「買いに行ったんだよ。何を買うのか忘れて・・・、消しゴム買ってきた。そうか、牛肉だったか」。
 「貴方、松子さんが来たんでしょう。松子さんの後ろ姿バス停で見たわよ。いつものお肉屋さんの包み持って・・・」、「悪い。竹ボーの事が気になってあげちゃったんだ」、「竹チャンがどうかしたの」、「来年の春に卒業なんだ」、「早いわね~、こないだピカピカの一年生だと思ったらもう卒業なの。あと2~3年もすると還暦だわね。卒業したらどうしたいんだろう」、「大学に行きたいんだって」、「入れてあげたら、頭良いんだから」、「お金が掛かるんだよ」、「貴方が付いているんでしょ。伯父さんなんでしょ。私が帰るまで、もう少し待ちなと言わなかったの」、「言ったけれど、嫁・小姑のことがあっただろ」、「まだ覚えているの。私は忘れちゃったわよ。あの人結婚したら、もっと凄い小姑が向こうに居たんでしょ。おあいこよ。私も悪いのよ、身体が弱いのを知ってて行かしたんだから・・・、だから早く未亡人にさせてしまった。何か有ったら面倒を見てあげたいと思っていたの。お金出してあげましょうよ」、「そんな金有るのかぃ」、「通帳見せるから・・・」、「凄い金額だね。これだけ有れば入学金どころか大学が買えるよ」、「貴方もお酒を止めたから・・・」、「大久保先生に『このまま酒飲むと2年で寿命が尽きる』と言われ止めたんだ」、「それは私がお願いしたの。私も倹約しているの。貸してあげましょうよ」、「良いのかい?」、「有るとき払いの催促無し、出世払いで良いの。早く電話してあげなさいよ」。
 「もしもし、さっきの話し、出してあげられるんだ。お金有るの。来年銀行を出そうかと思うんだ。竹ボーどうしている。竹ボーか、勉強するんだよ。今何しているんだぃ。えッ、すき焼き食べている。そうか、美味しいか」。
 「家もすき焼きにしようか」、「お肉がないでしょ。お豆腐焼きにしましょう」。
「妹に牛肉取られて豆腐焼」。

 こんな兄妹が有ったら良いなと言うお話でした。 

 



ことば

イワナ;岩魚。サケ科の硬骨魚。暗緑色の地に淡色斑点と小朱点があり、本州河川の最上流にすむ陸封魚。全長約30cm。夏の渓流釣りの代表的釣魚。美味。東北地方以北には小朱点のない同種のアメマスがおり、多く降海する。中国山地のものは特にゴギともいう。広辞苑
 柳昇が言うには、「私は釣りをしないのですが、友人に聞いたら熊が出るような山の奥に行かないと、釣れなくて、一日がかりで釣ってくる貴重な魚だと言います」。そんな貴重な魚を妹に持たせる兄の心境は・・・。

匍匐前進(ほふく_ぜんしん);はらばうこと。はうこと。地に伏して手と足とではい前進すること。
 軍隊においては、匍匐前進と呼ばれる移動方法がある。これらは、隠密性や遮蔽性の効果があり、敵に発見されにくく、また、飛来してくる銃弾の被害を抑える。歩兵に求められる基本的な技術の1つである。 直立状態や中腰に比べて移動速度は遅くなるが、物陰に隠れやすく、前方投影面積が減るため被弾率は格段に減少する。大抵の軍隊では移動速度重視の高姿勢での匍匐や隠蔽重視の低姿勢での匍匐など、複数パターンの匍匐を使用している。

カルチャーセンター;;(和製語culture center)
 文化施設が集中していて、地域の文化の中心になるところ。主に社会人を対象とした教養講座。
 特に新聞社や放送局などマスメディアが提供する講座が規模が大きく、教室の数も多い。代表的なものは、産経新聞社の協力で開講した日本初のカルチャーセンター「産経学園」(1955年3月12日開講)をはじめ、毎日新聞社系列の「毎日文化センター」(旧毎日文化教室、1958年3月開講)、朝日新聞社系列の「朝日カルチャーセンター」(1973年11月開講)、NHKの関連企業である「NHK文化センター」(1979年4月開講)、読売新聞グループの「読売文化センターユニオン」(1981年4月開講)などがある。こうした大規模に運営されているものは、講師も大学教授や評判の高い専門家などが多く、生徒数も多い。他にもマスメディア以外の企業(小売業や鉄道会社のグループ企業・団体など)や生活協同組合によるもの、カルチャーセンターを専門に手がける企業によるものなどもある。 内容は主に文化史・文学・歴史などの教養、外国語、書道・手芸・生花・絵画・陶芸などの美術、音楽、ダンスやヨーガなどの運動が挙げられる。大学や専門学校と違い、就業年限にとらわれず好きなものを短期で学べることが特徴。また世間で評判の話題もいち早くコースのテーマに取り入れられるなど、時代のニーズに対応して、カリキュラムを編成することが出来る。

七宝焼(しっぽうやき);(七宝をちりばめたように美しい焼物の意) 金属などにガラス質の釉を焼きつける、装飾工芸の一。銅のほか金・銀・青銅などの表面にくぼみをつくり、そこに酸化鉛・酸化コバルトなどを含む種々の色のエナメルを埋め、熱して熔着させ、花鳥・人物など種々の模様を表し出す技法。模様の輪郭に針金を用いたものと用いないものとがあり、前者を有線七宝、後者を無線七宝という。日本には奈良・平安時代に伝わり、一時中絶したが、慶長(1596~1615)年中、平田道仁が朝鮮人から製法を伝え、代々将軍家の七宝師として世襲し
た。天保年間、尾張の梶常吉がオランダ七宝の技法を学び、明治以降、並河靖之・濤川(ナミカワ)惣助らにより精巧なものが作り出された。中国で琺瑯(ホウロウ)、西洋でエマーユ(エナメル)という。

還暦(かんれき);(60年で再び生れた年の干支に還るからいう) 数え年61歳の称。華甲。本卦還(ホンケガエリ)。

小姑(こじゅうと);(「小姑」は正しくはコジュウトメ) 配偶者の姉妹。ふつう婚家における場合をいう。
 小姑一人は鬼千匹にむかう:小姑が嫁をいじめて悩ますことの甚だしいたとえ。

大東亜戦争(だいとうあせんそう);太平洋戦争の日本側での当時の公称。
 第二次世界大戦のうち、主として東南アジア‐太平洋方面における日本とアメリカ・イギリス・オランダ・中国等の連合国軍との戦争。十五年戦争の第3段階で、中国戦線をも含む。日中戦争の長期化と日本の南方進出が連合国との摩擦を深め、種々外交交渉が続けられたが、1941年12月8日、日本のハワイ真珠湾攻撃によって開戦。戦争初期、日本軍は優勢であったが、42年後半から連合軍が反攻に転じ、ミッドウェー・ガダルカナル・サイパン・硫黄島・沖縄本島等において日本軍は致命的打撃を受け、本土空襲、原子爆弾投下、ソ連参戦に及び、45年8月14日連合国のポツダム宣言を受諾、9月2日無条件降伏文書に調印。戦争中日本では大東亜戦争と公称。中国や東南アジアなどアジア諸国を戦域に含む戦争であったことから、アジア太平洋戦争とも称。
 柳昇は、太平洋戦争中は陸軍に召集され、歩兵として中国大陸に渡ったが、敵機の機銃掃射で手の指を数本失っている。利き手をやられたため、元の職場に復職することもできず途方に暮れていたところ、戦友に六代目春風亭柳橋の息子がおり、その縁で生活のために柳橋に入門して落語界入り。手を使った表現が多い古典落語では成功はおぼつかないと考え、新作落語一本に絞って活動して成功を収めた。

未亡人(みぼうじん);(まだ死なずにいる人の意で、本来は自称の語) 夫と死別した女性。寡婦。ごけ。

入学金(にゅうがくきん);入学に際して、授業料以外に納付する金。柳昇は話しの中で150万円だと言っています。大学に入るには通常、月謝の前納、入学金、各種の寄付金等がかかり、個人的には地方に住んでいれば下宿代、食費、衣服費、通学代、などが掛かります。

出世払い(しゅっせばらい);借金の返済期限を借主が将来出世した時と定めること。

 

すき焼き(すきやき);薄切りにした牛肉が用いられ、ネギ、ハクサイ、シュンギク、シイタケ、焼き豆腐、シラタキ、麩などの具材(ザクと呼ぶ)が添えられる。味付けは醤油と砂糖が基本である。溶いた生の鶏卵をからめて食べることが多い。
 東京や横浜などでは、明治時代に流行した「牛鍋」がベースになっており、肉を焼くのではなく出汁に醤油・砂糖・みりん・酒などの調味料を混ぜた割下をあらかじめ鍋に張り、この中で牛肉を煮る。当初は、鹿・猪・馬の肉を使う紅葉・牡丹・桜鍋のアレンジ料理であり、肉質も悪かったことから味噌で味付けされたが、牛肉の質が改善されるにつれて醤油味に変わり、また関西のすき焼きの影響を受けて豆腐や白滝などの具材が追加されていった。東京には下町を中心として現在でも古いスタイルを守る「鳥すき」「桜鍋」「しし鍋」など各種の鍋屋があり、浅草には高級すき焼き屋が多数あるなど、新旧入りまじり多種多様である。



                                                            2018年4月記

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