落語「突き落とし」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円生の噺、「突き落とし」(つきおとし)より


 

 男の道楽は三道楽と言って、酒・博打・女郎買いです。ご婦人は芝居・唐茄子・芋・蒟蒻で費用は掛かりません。

 男連中が、遊廓の見世の前に立ちますと、「遊んでいってください」と声を掛かけるのが、若い衆(わかいし)です。歳に関係がなく、皆若い衆で、『妓夫(ぎゅう)』とも言います。この妓夫が朝になると金が足りない客について行くと『馬』となります。
 「御案内~」と言う声で二階に上がりますと、取っつきに「おばさんの部屋」がありまして、そこに居るオバさんは女子大を出たのではなく、花魁のなれの果てで、閻魔様の死に損なったのと同じです。このオバさんのことを『遣り手』と言いますが、何もくれず、お金を欲しがります。『仮の名はやりてぇ~ 誠はもらいてぇ~』と、川柳が有ります。『総花に重き枕を遣り手上げ』もあります。
 小見世で遊ぶと、女の子は1円から2円50銭ぐらいのところ、遣り手には50銭から2円位を渡します。源泉徴収のような物です。これを渡さないと、後で意地悪されますが、多く上げるとお世辞が出て来ます。

 「これだけ若いのが集まったんだ。遊びに行くかぃ。吉原にだ」、「行く行く。行く」、「俺も行く」、「銭は無いけど行く」。留めさんも、吉つあんも、金さんも、清公も、隣もず~っと金が無い。で、考えたのが、「俺を親分と呼んでくれ。そして、馴染みのない顔の割れてない見世に行く。若い衆がどうしてもと言うから上がるんだが、そこでドンチャン飲んで騒いで朝になると、書き付けを持って来る。紙入れがない振りをする」、「初めっからねーじゃねーか」、「黙って聞け」、「昨夜は酔っていて紙入れを忘れたか、若いのが持って来たか判らないので、皆をここに集めてくれ」、「集まったところで、皆は知らないと言うが、ここで良い役があるんだが、後ろから割って出て来て・・・。清チャンやるかい」、「やる、やる」、「難しい役なんだ。まず、座頭(ざがしら)という役だな。『私が存じております』と言う。『私が預かった訳ではありませんが、親分が紙入れにお金を入れているとき、オカミサンが、金が有れば有るだけ遊んでくるので、明日は建前だから、お金はどんだけでも持たせるから、取りにおいで。万事飲み込んでおいておくれ。と言われました』そしたらお前の頭をポカ~ンと殴るから」、「殴られるのかぃ」、「『俺に恥をかかせたな。居続けする。何日でも居続けする』とわめくから、みんなで『まあまあ』と止めに入る。『聞いての通だ。これから家に帰っていたのでは時間が無い。誰か一緒に来てくれないか。馬は付けないのは判っているが、姉さんは判った人で、勘定の上にお召しの反物に祝儀を付けてくれる。と言えば欲のツッパタのは付いて来てくるよ。お歯黒ドブに来た辺りで、俺はモテたとか言うと、モテたかどうかはション便をすると判る。江戸っ子の連れションだと皆並んでやるとき、若い衆の背中をポン、とな』」、「ポンとな、って?」、「腰を押すんだ」、「落っこちゃうじゃないか」、「落っこどすんだ。その後逃げてくるんだ」、「まんざら、悪くないな」、良いことではありません。

 「ダメだ、だめだ。今日は親分のお供なんだ。大見世の遊びは知らないと言ったら、何処でも連れて行ってくれると言うんだ。角海老か大文字で遊ばせて貰うんだ」、「手前どもで遊んで欲しいのですが・・・」、「親分に聞いてみようか」、「ね~、親分。イケネ~や、親分焼き芋を食ってら~。親分ね~、見識張った見世で遊ぶより、我々は遠慮無しで遊ぶ方が良いんですがね」、「お前達がイイというならここでも良いよ」、「親分が良いというので、ここに上がらせて貰おう。幸せな見世だね」、「気の毒な見世だ」。
 「どうぞこちらへ」、「皆、馴染みはないんだ。御初回なんだ。酒肴は良いやつで、台の物は器だけ大きいのはダメだよ。女の子にはたっぷり食べさせて、芸者も呼んで・・・」、「へぃ、かしこまりました」。その晩は飲んで食ってドンチャン騒ぎ。おシケになりまして、翌朝。

 「おはようございます」、「おはよう~。昨日はバカッ騒ぎして済まなかったな。勘定書きか。いろいろ書いてあるな。 ん? このお土産のビールって何だぃ」、「へぃ、熊さんが伯父さんの所に使い物に使うからと言って1ダース取りました」、「土産まで頼んだのか。シメは間違っていないな」、「へぃ」、「安いな。タダみたいなものだ」、フトコロをまさぐっても、身体を探しても・・・、「紙入れがないんだ」、「花魁を呼んで・・・」、「いいんだ。ゆんべ、酔ってたから、若いのが気を利かせて家から持って来たと思うんだ。皆をここに呼んでくれ」。
 「親分が呼んでいるってよ。立役者はどうした」、「おはよう。紙入れがね~んだ。誰か預かった奴は居ないか?」、「あっしは知りません」、「あっしも。確か清公が預かったとか・・・。前に出ろッ」、「(殴られるからヤダな)預かったのでは無いのですが・・・」、「ちょっと前に出ろ。どうなっているんだ」、「親分がお金を紙入れに入れているのを姉さんが見て、『あの人は、持って行った金は全部使わないと帰ってこない、明日は建前という大事なことがあるので、紙入れはこちらに預かるからと、・・・』」、「このやろう、お前が付いていながら」、「(バババンと殴られる)イテッ、テェ、そっちはオデキが・・・」、「何で夜の内に言わないんだ。こうなったら居続けするからそう思えッ」、「親分怒ちゃいけね~。こうなったら建前が有るんので、誰か付いて来てくれないか。馬を出さないのは判るが、姉さんは良く出来た人で、支払いを済ませ、反物にご祝儀を付けてくれるんだ。どうだ!」、「では、手前が・・・」、「えッ、この痩せた人」、「じゃ~ぁ、親分気分を直して・・・」。

 若い衆を外に引っ張り出して、「何だと~、モテたってぇ」、「ホントか。小便したら判る。お歯黒ドブに向かって江戸っ子の連れションだ」、「ここでション便しよう。若い衆、お前もここでしなよ」、「ヘヘヘ、イイんです。宅でやって来ました」、「ものは付き合いだよ。ヤレッ」、「では・・・」、若い衆は何も知りませんから、ドブの前に立ちますと、後ろから腰を押され・・・。
 「わぁ~、逃げるんだ。逃げるんだ」、「わ~、重くてしょうが無い。ビールを下げているんだ」。「待てマテ、清公がいないじゃないか」、「清公が腰を押していた?」、「マヌケな奴じゃないか、捕まって一緒に落ちたんだッ。アッ来た来た、何してんだ」、「腰のところを見たらイイ煙草入れが有ったから持って来た」、「それじゃ~、泥棒だ」。
 品川に行ってやり損なうという、お馴染みの”突き落とし”でございました。

 



ことば

廓噺の三大悪
 評論家・飯島友治氏は、この噺「突き落とし」、「居残り佐平次」、「付き馬」を、後味の悪い「廓噺の三大悪」と呼んでいますが、落語に道徳律を持ち込むほど、愚かしいことはありません。 でも、五代目古今亭志ん生は、この噺だけは「あんな、ひどい噺は演れないね」と言って生涯、手掛けませんでした。
 先代の五代目春風亭柳朝、先代柳家小さん、入船亭扇遊、円生の音源は残っています。
 私も、この噺は知っていましたが取り上げることをしませんでした。こんな後味の悪い噺しは、何も落語という笑いの中に登場させることも無いと思っていましたが、落語のライブラリー的要素を含んでくると、取り上げざるを得なくなってきます。で、今回遅ればせながら登場です。

禁演落語(きんえんらくご);落語五十三種を、戦時中の昭和16年10月30日、時局柄にふさわしくないと見なされて、浅草寿町(現台東区寿2-9)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬られて自粛対象とした、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目のこと。当然この「突き落とし」も入っています。戦後の昭和21年9月30日、「禁演落語復活祭」によって解除。
 禁演落語53演目は、107話・落語「つるつる」に有ります。
 右写真:本法寺境内にあるはなし塚。

男の三道楽(おとこのさんどうらく);飲む、打つ、買う。飲む=酒を飲むこと。打つ=博打を打つこと。買う=遊所で女を買うこと。志ん生はこの中で一番偉いのが、打つだと言います。それは博打に親分が有って、他の道楽は一番になっても親分は居ません。今回の”突き落とし”は吉原を舞台にしていますから、当然買うです。金が無いのに遊びに行きたくなるのは男のツネです。落語には吉原の噺が沢山有ります。花魁に騙される噺、花魁を騙す噺、心中を持ちかけられたり持ちかけたり、深入りしすぎて勘当になったり、世間から爪弾きされたりロクな事は有りません。「紺屋高尾」のようにハッピーエンドになる例は少ないようです。

お鉄漿溝(おはぐろどぶ);
 最後に若い衆が突き落とされるドブですが、吉原遊廓の外回りを囲むよう掘られた幅二間(約3.6m)の堀というかドブです。 通説では、遊女の逃亡を防ぐため掘られたといいます。また、遊廓の廓は城廓の廓と同じ意味で堀を巡らせた地という意味です。この吉原は土地が低くて水の流れが無く、よどんだ水だったのです。 女郎が、歯を染めた鉄漿(かね)の残りを捨てたので、水が真っ黒になったのが名前の由来ともいいます。
 落語「首ったけ」をご覧下さい。

若い衆(わかいし);通常は”わかいしゅう”と読みますが、江戸訛りで”わかいし”と発音します。粋に聞こえるでしょ。妓夫(ぎゅう)。牛太郎。客引き。客引きの若い衆。遊廓の若い衆(使用人)。小見世では客引きなどをする見世番。歳を取っていても”若い衆”と言う。

オバさん;遣り手。お客と見世との間に立って料金、花魁等の組み合わせの世話をします。川柳にも、
 『仮の名はやりてぇ~ 誠はもらいてぇ~』
 『総花に重き枕を遣り手上げ』 総花とは見世中の全員にチップが来ます。余命幾ばくもない遣り手でも布団の中から手を出すのです。
 遣り手は花魁のなれの果てで、閻魔様の死に損なったのと同じ。遣り手にはチップ、心付けを渡しますが、源泉徴収のようなもので、渡さなくてはなりません。(円生)
 ケチって少ないと、女郎が来なかったり、センベイ布団になったり、後で意地悪をされます。

書き付け(かきつけ);勘定書き。

紙入れ(かみいれ);紙幣などを入れて持ちあるく入れもの。財布。落語「紙入れ」に、そのものズバリで詳細があります。

座頭(ざがしら);芝居その他演芸一座の頭。座長。特に、人形浄瑠璃・歌舞伎などの一座の主席役者。立役者。

建前(たてまえ);むねあげ。上棟式。殿堂・家屋の棟木を上げたさいに、大工、左官、鳶の職人頭等が集まって、建築主と即席のいすテーブルを作って、神を祀って酒肴で行う儀式。

居続け(いつづけ);遊所などで、晩に遊ぶだけではなく、翌日も一日中帰らずに遊ぶこと。費用が掛かるのは当然、仕事をしないのでその内に遊ぶ金が不足してきます。

(うま);雷門近くの松並木で馬子さんが客待ちしていた。その馬に乗って客は吉原に通った。その道を”馬道”と言い今でも”馬道通り”と呼ばれているが、この道の名前は吉原が出来る前から有ったので、噺家の説には直ぐには信じられない。又帰りの客を大門前で待っていた。遊びすぎて勘定の足りなくなった客を見世側はその馬子さんに頼んで勘定の取り立てを依頼した。馬に乗せて帰り、その家の前に馬を繋いで集金できるまで待っていた。回り近所ではその様子から「”馬”を連れて帰ってきた」と、勘定が足りないことが一目瞭然に判ってしまった。その後、馬子さんでは不都合があるので、自分の見世の者が付いて行き取り立てた。と志ん朝も談志も小三治も他の落語家も言っているが、落語だから”まゆつば”と思っていたら、本当らしい。
 不足または不払いの遊興費などを受け取るために遊客に付いてゆく人。つけうま。うま。東海道中膝栗毛3「馬をつれてかへりさへすりやア、いくらでも貸してよこしやす」(広辞苑)と言うように”馬”と言った。広辞苑も以外と柔らかい言葉もしっかりと解説しているのには驚きです。 落語「付き馬」より孫引き

江戸っ子の連れション;関東の連れション。仲間同士横に並んで公衆便所などで男が小用を足すこと。

大見世の遊び(おおみせのあそび);先ず大見世に上がるには、茶屋(引き手茶屋)を通さないと登楼が出来なかった。支払いの費用一式を茶屋が連帯保証人になって、見世側に保証した。茶屋からの依頼書で花魁が空いているかを確認し、空いていれば見世に同道した。見世に上がっても初回では相手にされず、裏を返して初めて花魁の挨拶を受けた。二日間は通常通りの費用が掛かります。そして、三日目、馴染みとなって初めて名入りの箸袋が用意されます。でも、花魁が気に入らなければ、枕を共にすることが出来ません。花魁に気に入られて初めて夫婦と同じように遊ぶことが出来ました。三回とも祝儀を置かなけらばならず、別に床に納まるときも、床花という祝儀を花魁に渡します。
 職人風情で、先ず茶屋に入ることも出来ません。初回からは遊べませんし、馬も付いて来ませんから突き落としも出来ません。時代が下がるにしたがい、いろいろと手続きを経るより、安直に遊べる形態にだんだん変化して、茶屋も少なくなり、初回から遊ばせてくれる見世が増えるようになりました。

角海老(かどえび);角海老楼、吉原遊廓・京町一丁目に存在した超一級の妓楼。明治17年「角海老楼」という当時は珍しい洋風の建物で、木造三階建ての大楼を建てた。その大きな時計台がシンボルの妓楼であった。当時の「角海老楼」は総籬の高級見世で、一般大衆が遊べるような見世では無かった。歴代の大臣が遊びに来るような格式のある見世であったという。 昭和33年公娼制度が廃止になると、見世も運命を共にした。

 

 時計台を乗せた洋式の遊廓「角海老楼」。絵葉書より

大文字(だいもんじ);大文字楼。吉原遊廓・江戸町一丁目に存在した超一級の妓楼。関東大震災を最後に見世を閉めてしまった。現在の吉原公園の所に有った。大文字楼は江戸時代から、京都の島原遊廓風情を真似ていた妓楼でもあり、花魁衆の着物の着方や帯の結びなども、京都の島原太夫と同じようにしていました。 歌舞伎役者、中村芝鶴の母が経営していた妓楼だったので、お正月などには、よく余興があって、アーティスト達が集うサロン的な存在でもあったのでしょう。 歌舞伎役者、芸人、歌人、作家などが集い楽しめた格式高い大見世でもありました。

 

 

 大文字楼とその中庭。絵葉書より

御初回(ごしょかい);遊廓では、初めてのお客を「初会」、二回目(二会目)を「裏を返す」、三回目(三会目)になって初めて「馴染み」と呼ばれる。
 格式のある大見世では馴染みにならないと、帯を解いてくれなかった。小見世ではこのような事も有ったのでしょう。初回から遊んでくれました。

台の物(だいのもの);台屋(だいや)の料理。吉原の遊廓では料理は通常作らなかった、その為外部から出前を取った。その出前をする仕出し屋。料理屋、菓子屋、弁当屋、鰻屋、・・・等々、今のデリバリー屋。料金は高かったのに、容器が大きく飾り物が多く、料理そのものは少なかったが、見た目は豪華であった。

女の子(おんなのこ);女郎。花魁(おいらん)。吉原の娼妓。岡場所では飯盛り女。
花魁の語源;妹分の女郎や禿(かむろ)などが姉女郎をさして「おいら(己等)が」といって呼んだのに基づくという。
江戸吉原の遊廓で、姉女郎の称。転じて一般に、上位の遊女の称。 
落語家は、花魁は客を騙すから狐狸のようだと言います。でも尻尾がないから、「お_いらん」だと。

芸者(げいしゃ);歌舞や三味線などで酒席に興を添えるのを業とする女性。芸妓(ゲイギ)。芸子(ゲイコ)。
 男では、たいこもち。幇間(ホウカン)。男芸者。
 吉原の芸者を指して、江戸一番の芸者だと言いました。床を取るのは花魁で、芸者は純粋に芸だけ磨けば良かったので、その様になっていきました。芸者は床の上では遊んでくれません。

おシケ;円生の江戸訛りで正確には、お引け(おひけ)と言います。遊廓では即寝床に向かう事はなく、酒盛りをするか、芸者、幇間をあげて飲みあかします。ま、どちらにしても、酒を飲んで遊んでから個室に向かいます。お酒を切り上げたその時、または、その時間を言います。例外として超安い女を買うと、それだけの事もあります。これを無粋といいます。
 また、遊廓にはお終いの時間が決められていた。吉原では、お引けが午後10時、中引けが午前0時、大引けが午前2時です。それ以後は大戸を閉めて客は取りません。

姉さん(あねさん);自分より上司のオカミサンに尊敬を込めて言う称。回りでは言うが本人は言わない。

品川 (しながわ);江戸四宿のひとつで、東海道五三次の最初の宿駅。女郎(飯盛女)が多くいて、宿場と言うより遊所として栄えた。海が見えて風光明媚な所でしたが、ここには吉原のように外周にお歯黒ドブが無く、何処に突き落とせば良かったのでしょうか。

 

 「品川青楼遊興」(三枚続き)豊国画 寛政年間 東京国立博物館蔵



                                                            2018年4月記

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