落語「骨違い」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円生の噺、「骨違い」(ほねちがい)より


 

 流行(はやり)言葉で、古くから有った言葉に「殺す」または「ぶち殺す」と言うのが有りました。質屋に入れることで、入れてしまったら殺したも同然、自由に出来ません。

 「何処をのたくてるんだぃ」、「目が出ないんだ。ツイて居るときと、ツイて居ないときとが有るんだ。これから出るんだ。お前の着ている物を伊勢屋に持って行ってぶち殺すんだ」、「何時、請け出すんだぃ」、「要らね~や」。「チェ、これから出るというのに・・・。お袋よ、着ている物貸して欲しいんだが」、「俺を裸にしてどうするんだ」、「伊勢屋に持って行ってぶち殺すんだ」、「何時、請けて返(けえ)す」、「じゃ~、イイよ。要らね~よ」。「おい、金坊、イイ羽織着ているね」、「お婆ちゃんにこさえて貰ったの」、「イイ子だから、脱いでチャンに貸してくれないか」、「どうするの」、「伊勢屋に持って行ってぶち殺すんだ」、「何時、請けて返(けえ)す」、「いいーぃ、借りね~ッ」。中っ腹になって家を飛び出ると、犬の尻尾を踏んだ。「ワンワンワン」、「ぶち殺すぜ」、犬が振り返って「何時、請けて返(けえ)す」。

 ことわざに『七人の子をなすとも女には肌を許すな』と言います。ま、心を許すなと言うことでしょう。
 「源ちゃん、針仕事をしているの?」、「慣れたからもう良いんだ」、「おっ母さんはどうしてるの」、「奥で寝てるよ」、「昼間から寝ていて・・・、源ちゃんの前のおっ母さんは良かったね。惜しまれる人は早く死ぬと言うがね。お前さんだって大人しすぎるよ、十七に成ったんだろう」、奥で寝ていた母親は怒るまいことか。「源ちゃん、家へおいで」、「怪我してるじゃないか」、「お父っつあんが、今日は仕事で帰らないんだ。帰るといじめられるから、泊めておくれよ」、「いいとも、ゆっくり泊まっておいで。今日は家の人も帰らないから泊まっておいで」。
 「仕事が早く終わって、一杯やったら気分が良いな。帰らないと言ったが、早く帰ったらあいつは喜ぶだろうな。弟分の吉太郎から散々『七人の子をなすとも女には肌を許すな』と言われたが、カカアは俺に惚れているからな~。誰か居るな、聞き耳を立てると、(初めっから聞いていれば良かったんですが)『ゆっくり泊まっておいで。今日は家の人も帰らないから泊まっておいで』。友達はそれとは無しに教えてくれたんだ。どうしてくれようか」、薪だっぽうを一本引っこ抜いて、戸を開けるなり、向こうを向いている源治郎の頭を思いっ切り叩いた。はずみというのは恐ろしいもので、ウ~ンと言って絶命した。「どうしたんだぃ」、「間男して・・・」、「良く見なよ。源ちゃんだよ」、「棟梁の源ちゃんか」。いろいろ介抱したがダメであった。だんだん冷たくなってきた。「お前さん、どうするんだよ」、「済まね~」、「このままだったら、お前さんの首は繋がっていないよ。・・・、風呂敷に包んで大川に捨てに行くんだ」。

 昔の時間で九つ、今の時間で深夜12時。夫婦揃って達磨横丁を出まして、大川に行く途中に弟分の吉太郎に合った。「どうしたんだ、兄ぃ。そんな包み持ってどうしたんだ」、「(熊さん口ごもるだけで、何も話せない。女房が代わりに)」、「長屋のアカという犬が居るだろう。家の人にふざけたので、ぶったら死んだんだ。長屋中で可愛がっていたから、ウルサくなるので内々で捨てに来たんだ」、「犬かい。風呂敷から出ているのは犬の足じゃ無いぜ。そんな物担いでいたら、人に見付かるとウルサいから、家に来な」。
 「この子は棟梁の源ちゃんなんだ」、「あの源ちゃんか。よくこんな仕事したな」、「お前が悪いんだ。『七人の子をなすとも女には肌を許すな』と言っただろ。家に帰ったら男が寝ていたので、間男だと思って、頭をポカッと」、「それより、この始末を・・・」、「大川に」、「人に見られたら拙い。両隣は空き家だから縁の下に埋めてしまおう。その方が間違いがない」。縁の下に埋めてしまいます。吉太郎からは博打で負けたので金を・・・と言われ断り切れません。
 「家中の物を質に入れて、作った金だ。これで融通してくれ」、「分かった。今後言わないが、万一話しが出たときは、お前さんは口べただから、『吉がみんな知っています』と言いなよ」。

 源ちゃんは行方不明になり、そのうち女房は男を作っていなくなり、棟梁は風邪が元でコロリと死んでしまった。仲間から次の棟梁に推されたのが熊五郎。もともと腕はいいものですから、顧客もつき、金も貯まります。そうなりますと、道楽の方も楽しくなります。嫉妬したのがカミサンでした。
 派手な夫婦喧嘩になります。「出て行け」、「何を言うか。私の一言で首が無くなるクセに。棟梁の源ちゃんを殺したのは」、「シッ、言ってはいけないことだ」、「源ちゃんを殺した」。こうなると女は始末に負えません。たまたま同心が表を通りかかると『源ちゃんを殺した』と、聞こえたので、夫婦供に捕縛され、奉行所へ連行。女房はコウコウだと話しをしますが、熊は存じません、知りません。吉太郎が全て知っていると言うので、吉太郎が引き出され、「町内で可愛がっていたアカという犬を殺したので、熊五郎はどうしようと青くなって来ました。その犬を床下に埋めたことは有りますが、人を殺したなどと言うことはありません」。
 早速調べると犬の骨が出て来ました。察する所、女房があらぬ事を口走ったのだろう。無罪放免。

 「兄貴、良かったね」、「今度という今度は、本当に命拾いをしたよ。でも、犬の骨になっていたのはどうしてだ」、「これは拙いなと思って、見計らって源ちゃんの骨は大川に流し、犬の骨を埋めておいたんだ。『七人の子をなすとも女には肌を許すな』という意味が分かっただろ」、「分かった。気分直しに一杯やろうや」。
 路地を曲がる途端大きなむく犬が足元から「ワンワンワン」、「こんちくしょうめ、ぶち殺すぞ」、ひょいと向こうに逃げて「人間にはされたくね~」。

 



ことば

ぶち殺す/殺す;質に入れること。

七人の子をなすとも女には肌を許すな;「ななたりの~」とも読む。七人の子どもまでもうけた夫婦仲でも、女というものには気を許してはならない。「~肌(身)を許すな」とも言うが同じ意味。(故事俗信ことわざ大辞典)。
 肌を許す”という言い回しを、“肉体関係を持つ” ことでなく、“気を許す”という意味に用いる。
 決して、間男の注意ではありません。

中っ腹(ちゅうぱら);気が短く直ぐに腹を立てること。江戸名物として「武士鰹大名小路広小路、茶店紫火消錦絵、火事に喧嘩に中っ腹」なんて言われた。

間男(まおとこ);夫のある女が他の男と密通すること。また、その男。密夫。情夫。情夫を持つこと。男女が私通すること。間男は二つに重ねて四つに切ってイイとなったが、それでは幾ら命があっても足りない(?)ので、和解金で済ませるようになった。その金額7両2分。

棟梁(とうりょう);特に、大工のかしら。江戸訛りで、”とうりゅう”と言った。

大川(おおかわ);東京都内を流れる隅田川の浅草寺付近から下流の異称。浅草寺近辺を、宮戸川と言った。

 

 江戸時代の、両国橋西側の大川と両国広小路。江戸東京博物館蔵。

 

左、浅草寺がある、吾妻橋。ここら辺から下流を大川と言った。 右、大川を下って両国橋をくぐる屋形船。

九つ(ここのつ);今の時間で深夜12時。兄貴と食べたときは九つであったが、翌日、早くやりたかったので、12時前に出掛けてきて、うどん屋を捕まえてしまった。まだ四つ(10~11時。12時前)であった。
刻の数え方は落語「時蕎麦」参照。

達磨横丁(だるまよこちょう);落語「唐茄子屋政談」、「文七元結」に出てくる地名。詳しくは地図も掲載していますので、そちらをご覧下さい。唐茄子屋政談では、苦労人の伯父さんが住んでいました。
 右写真:現在の区画整理後の達磨横丁辺り。前方に吾妻橋を渡ったアサヒビールが見える。
 場所は、古地図で言うと、浅草から吾妻橋を渡り南側”南本所馬場(ばんば)町、または馬場町”と”北本所表町”の間を南北に走る横丁。北はT字路で突き当たり(裏側、最勝寺)。現在の墨田区東駒形1丁目、本所1丁目の清洲通り東側を南北に平行に走っている道。駒形橋と厩橋間の東側。この名称は俗名、または通称で正式地名ではないので、切り絵図などには載っていないのです。位置確定には「江戸府内町名俚俗名等切図集覧」より見つける事が出来ました。
 「文七元結」でも出てくる左官の長兵衛もここ達磨横丁に住んでいます。達磨を作っている人が多いからとか、達磨(下等な売春婦)がいたからとか、いろいろな説があります。現在は区画整理が進み道路が方眼状になったので、正確な達磨横丁は見いだせません。

縁の下(えんのした);部屋の中の畳を上げてネタ板を剥がした地面。金持ちはここに金の入った壺を埋めた。が、彼らは死体を埋めた。

夫婦喧嘩(ふうふげんか);夫と妻とがいさかうこと。
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」=夫婦間の争いは多く一時的で、やがて和合するものだから、他人はその仲裁などに入るものではない。

同心(どうしん);江戸幕府の諸奉行・所司代・城代・大番頭・書院番頭などの配下に属し、与力(ヨリキ)の下にあって庶務・警察の事をつかさどった下級の役人。

奉行所(ぶぎょうしょ);武家の職名。江戸時代では勘定奉行・寺社奉行・町奉行など。
町奉行所=戦国時代末ごろからの武家の職名。江戸幕府では旗本から登用し、老中の支配下に、江戸・京都・大坂・駿府・奈良・堺・長崎などに置き、行政・司法・警察等をつかさどり、特に町政を管轄し訴訟を聴断した。単に町奉行といえば江戸町奉行を指す。
町与力=町奉行の支配下にある与力。同心を指揮して犯罪者の逮捕・裁判、判例調査、牢屋・町火消の監督・指揮、市中の警戒など市政全般を担当。定員は南北両町奉行所各25名で御家人または奉行の家臣より選ばれ、八丁堀の組屋敷に住んだ。

  

 現在の南奉行所跡。有楽町-新橋駅の間、マリオンの裏側イトシアから新幹線下までがその跡です。当時の様子は何処にも見当たりません。


                                                            2018年4月記

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