落語「将門」の舞台を行く
   

 

 二代目三遊亭円歌の噺、「将門」(まさかど)より。 別名、圓朝作「相馬義景 月の夜話」。


 

 忍術は色々な術が有ります。印を結んで消えたり、現れたり、ガマになったり、同一人物の七人の影武者が現れて、惑わしている内に自分は逃げてしまう、等の術が有ります。
歌舞伎の方でも、錦絵でも「雪月花」を表すものが多く有ります。

 雪と言えば、『いざさらば雪見に転ぶところまで』。風流でございます。

 「権助ッ、権助ッ」、何回呼んでも返事がありません。寒いから布団を被って横になっています。「良く雪が降っているが、何寸位積もった?」、「1尺7~8寸積もった。が、横幅は分からない」。
 「晩飯の支度はしているのか?」、「晩飯は抜きでございます。ご飯粒ひとつもねぇ~で」、「追い炊きすれば良いだろう」、「お前様は、来る人ごとに『ママ食え、飯食え』と言って食べさせるから無くなるダ」、「では、私は外で食べてくる。が、お前が困るだろう」、「おらがの分は、茶碗に四つ取ってある。旦那様の分が無いから、それでは、味噌雑炊にすべ~」、「では、裏の畑に行って根深を取ってきなさい。芯から温まってイイものだ」、「ひとつ仕事が増えてしまった」。グチを言いながら権助は裏の畑へ。

 修行僧がやって来て、一夜の宿を請うてきた。「宿屋でないので泊めること出来ません。アンタみたいに太っている方はどれだけ食べるか分からない」、「どなたですか」、「修行僧で、泊めてくれと言うから断りました。追い炊きせねばならなくなります」、「どうして、追い炊きがやなのだ。では、私は外で食べる。その分を修行僧に与えれば・・・」、「それは良い。では坊様上らっしゃい。どうぞ」。

 「食事は権助が作っていますから」、「いえ、私は立場で済ませています」。「先祖の命日がありますので、ご供養を・・・」、「では、仏間へ」。この村には不釣り合いの程立派な仏壇。位牌を覗くと、「俗名・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)。さてはこの屋は俵(俵藤太)の一族・・・」、ここから芝居がかりになって、三味線が入ります。修行僧は、実は平将門の子孫だという。障子に七人の影武者が映った。主人が「さては将門の妖術を継たるか」。
 これを見た権助が驚いた。「こ~、人数が増えたひには、追い炊きをせねばなるまい」。 

 



ことば

藤原秀郷(ふじわらのひでさと);別名=俵藤太、田原藤太(通称)。 室町時代に「俵藤太絵巻」が完成し、近江三上山の百足退治の伝説で有名。もとは下野掾であったが、平将門追討の功により従四位下に昇り、下野・武蔵二ヶ国の国司と鎮守府将軍に叙せられ、勢力を拡大。死後、正二位を追贈された。源氏・平氏と並ぶ武家の棟梁として多くの家系を輩出した。
 天慶2年(939)、平将門が兵を挙げて関東8か国を征圧する(天慶の乱)と、甥である平貞盛・藤原為憲と連合し、翌天慶3年(940)2月、将門の本拠地である下総国猿島郡を襲い乱を平定。この時、秀郷は宇都宮大明神(現・宇都宮二荒山神社)で授かった霊剣をもって将門を討ったと言われている。また、この時に秀郷が着用したとの伝承がある兜「三十八間星兜」(国の重要美術品に認定)が現在宇都宮二荒山神社に伝わっている。 複数の歴史学者は、平定直前に下野掾兼押領使に任ぜられたと推察している。 この功により同年3月、従四位下に叙され、11月に下野守に任じられた。さらに武蔵守、鎮守府将軍も兼任するようになった。
 将門を討つという大功を挙げながらも、それ以降は史料にほとんど名前が見られなくなり、没年も不詳。

 

 大ムカデと戦う俵藤太を描いた「俵藤太物語絵巻」(静岡県立博物館所蔵)。落語「矢橋船」にも図有り。

 百足を退治伝説。秀郷は平安前期の鎮守府将軍で下野押領使(しもつけおうりょうし)のときに、平貞盛(さだもり)と協力して平将門(まさかど)の乱(935~940)に将門を倒し東国を平定したことで有名。その伝説である三上(みかみ)山の百足(むかで)退治のことは『俵藤太物語』でも知られる。彼が琵琶(びわ)湖の勢多(せた)の唐橋(からはし)を渡る際に、橋下に住む竜神の要請をいれて、三上山(もしくは比良(ひら)山)から襲来する百足を退治した、という伝えである。彼はその功により釣鐘、刀、鎧(よろい)などを贈られたといわれ、また山海の珍味の尽きぬ鍋(なべ)と、織っても尽きぬ絹、食べても尽きぬ米俵(俵の名の由来というが、本来は田原庄(しょう)の庄園名から)なども与えられたという。この伝説は『太平記』巻15にみえ、『俵藤太物語』でさらに発展し、謡曲『百足』にもなっている。しかし、早く粟津冠者(あわつかじゃ)伝説として『古事談』にあり、園城寺(おんじょうじ)の鐘の発祥の伝説にもなっている。彼の武門の功により、のちに彼の後裔(こうえい)を称する者も少なくなかった。

  

左、「藤原秀郷龍宮城蜈蚣(むかで)射るの図」月岡芳年画。竜宮城の乙姫様の依頼でムカデを射る。   
右、戦功により朱雀天皇から鎮守府将軍に任ぜられる藤原秀郷 月岡芳年画『大日本名将鑑』より。

 百目鬼伝説 秀郷が下野国宇都宮大曾あたりを通りかかると老人が現れ「ここから北西に行った兎田に百の目を持つ鬼が出る」と告げる。 言葉通り兎田に向かうと両腕に百の目、全身から刃のような毛を生やした、身の丈10尺(約3m)もの大鬼・百目鬼が現れた。 秀郷は鬼の急所に矢を射るが、百目鬼は明神山(臼が峰)へ逃走。翌朝明神山に行くと、百目鬼は致命傷を負いながらも生命力の高さから死に切れず、炎と毒ガスを吐いてのた打ち回っていた。 秀郷が困り果てていると智徳上人という僧侶が通りかかる。上人が経文を唱えると百目鬼は鬼から人の姿になったため秀郷はそれを丁重に埋葬した。 以来その周辺は「百目鬼」の地名で呼ばれ、現在も明神山の西には「百目鬼通り」が存在する。

平将門(たいらのまさかど);平安時代中期の関東の豪族。 平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。第五十代桓武天皇の五世子孫。 下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰(いんやく。官印と官庁の倉庫のかぎ)を奪い、京都の朝廷・朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。 しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。 死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使した。

 

 神田明神と呼ばれる、神田神社。ここに平将門が祀られています。

忍術(にんじゅつ);密偵術の一種。武家時代に、間諜・暗殺などの目的で、忍者が変装・隠形(オンギヨウ)・詭計などを利用し、人の虚につけこんで大胆・機敏に行動した術策。隠形の術に金遁・木遁・水遁・火遁・土遁の5道があり、甲賀流・伊賀流などが最も有名。遁形の術。忍びの術。
  萬川集海、正忍記等の忍術書においては、情報収集のため相手方へ忍び込むための技術などが記述されている。室町幕府と戦った甲賀流や、徳川家康の家来服部半蔵の伊賀流が有名である。 忍術は戦闘技術も含んでおり、忍具、忍器と呼ばれる独自の用具(武器)を使用する武器術もある。ただし、記録に残る限り忍術に専門的な武器術や体術が含まれていたとすることには疑問点が多く、実際の所、特に江戸時代以降は心得や簡単な武器使用法のみで、本格的な武術は武術流派から学んでいた可能性が高い。
  忍法とは同義語となるが、忍法はフィクションの世界においては、妖術、仙術や気功にも似た人間技とは思えない数多くの術を意味する場合もある。しかし、忍術はあまりこの意味を含まない。

七人の影武者が現れ;これも忍術のひとつ。同じような話しでは、西遊記の孫悟空が自分の毛をフ~ッと吹くと分身の術で孫悟空が沢山現れる。
 影武者=敵をあざむくため、または身替りにするため、主将などと同じ装束をさせた武者。

雪月花(せつげっか);雪と月と花。四季おりおりの好いながめ。つきゆきはな。芝居にも浮世絵にも度々登場します。
 白居易の詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」による語。雪・月・花という自然の美しい景物を指す語である。 殷協律は白居易が江南にいたときの部下であり、長安からこの詩を贈った。この詩における「雪月花の時」は、それぞれの景物の美しいとき、すなわち四季折々を指す語であった。そうした折々に、遠く江南にいる殷協律を思うというのである。 「雪月花」は、日本の芸術・美術の特質の一つとしても捉えられており、日本においては、この語句が詩歌だけでなく、含みを持つ語として使われるようになった。

 左図:貞明皇后の御用命を受けて以降、完成まで実に20年以上を要した、女流画家・上村松園の畢生の力作である。画題は、雪・月・花にこと寄せた平安期の宮廷での雅やかな女性風俗。宮内庁蔵

■『いざさらば雪見に転ぶところまで』;長命寺(墨田区向島5-4)の境内には、芭蕉の句碑が有ります。
  この句を読んでだから何だ、と言ってしまえば身も蓋もありません。江戸時代の人達も同じ事を考えたのでしょう。この句をぶちかましてしまう様な川柳を創っています。二句とも川柳集「柳多留拾遺」より。
 『いざさらば居酒屋のある所まで』
 『雪見には馬鹿と気がつく所まで』

 喜多川歌麿 「深川の雪」(部分) 江戸時代 享和2-文化3年(1802-06)頃 岡田美術館蔵。

1尺7~8寸積もった;約52~54cm。ヒザが潜るほどの大雪です。権助が言っています、『1尺7~8寸積もったが、横幅は分からない』。

追い炊き(おいだき);炊いた飯が足りないとき、追加して炊くこと。また、その飯。
権助さん、屁理屈を並べて、冷たい水で米とぎと、かまどの前に立つのを嫌さに、米焚きをスルーしたが・・・。

味噌雑炊(みそぞうすい);味噌仕立てのネギ汁(ネギの味噌汁=根深汁)に冷や飯を入れて煮込んだ雑炊。身体が温まって旨そうです。

根深(ねぶか);長葱(ネギ)の異称。葱を実として仕立てた味噌汁を根深汁と言った。

立場(たてば);江戸時代、街道などで人夫が駕籠などをとめて休息する所。宿場と宿場の中程に有る休息所。明治以後は人力車や馬車などの発着所、または休憩所。

修行僧(しゅぎょうそう);修行者。仏道を修行する人。諸国を托鉢・行脚する人。

命日(めいにち);故人が死んだ日に当る毎月または毎年のその日。忌日。

仏間(ぶつま);仏像や位牌を安置してある部屋。

仏壇(ぶつだん);仏像や位牌を安置して礼拝するための壇。

位牌(いはい);死者の俗名や戒名を記した木の札。

俗名(ぞくみょう);僧となる前の俗世間での名。また、在家仏教徒の、生前の名。 俗名↔法名↔戒名。

妖術(ようじゅつ);あやしいわざ。魔法。幻術。
 呪術とはまじないによって克己心を起こす(マインドセット)、錯覚を起こさせるようなトリックやフェイクを用いて目前の敵方を混乱させる、物理的に大威力のある兵器(火薬を用いた罠や兵器など)をこっそりと敵方に判り難いように用い殲滅する、など。また、古来から信じられている迷信的な呪術も意味する。



                                                            2018年5月記

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