落語「二つ面」の舞台を行く 林家彦六の噺、「二つ面」(ふたつめん)より
■一朝老人(いっちょうろうじん);三遊 一朝(さんゆう いっちょう、1846年ないし1847年(嘉永元年、逆算) - 1930年11月17日)は、武州所沢(現在の埼玉県南部)出身の落語家。本名、倉片 省吾(戸籍上は倉片圓蔵、かつて三代目橘家圓蔵を名乗っていたためか、いつの間にか戸籍の名前まで圓蔵になってしまっていた)。実弟は同じく落語家で弟弟子の三遊亭圓鶴。
■柳亭 左龍(りゅうてい さりゅう);落語の名跡、当代は六代目。
■小幡小平次(こはだ
こへいじ);師匠は役者のコノシロ伝兵衛、その弟子コハダ小平次。どちらも良い魚ではない。小平次、太九郎、太九郎の女房おちか、朝積沼、等については、落語「生きている小平次」で詳細が分かります。この噺「二つ面」は彦六自作自演で昭和38年に芸術祭奨励賞を受賞しています。
小幡小平次の幽霊。
■割(わり);東京の寄席でいう割(わり)は一日毎の客の入りと演者の格に応じて支払われる給金。
志ん生なども、弟子を使って割の分配をして夜ごと袋詰めをしたという。(志ん朝談)。
■松島町(まつしまちょう);江戸橋の東側。現在の中央区日本橋人形町二丁目(元吉原の南側)の地。太九郎の末孫が住んでいた。人形町の骨董屋はこの近くです。
■文明開化(ぶんめいかいか);明治時代の日本に西洋の文明が入ってきて、制度や習慣が大きく変化した現象のことを指す。さらに、「西洋のものなら何でもよい」という考えすら出ていた。
近代化=西欧化そのものは明治時代に於いて一貫した課題であったが、文明開化という言葉は、一般に明治初期に、世相風俗がこれまでの封建社会から大きく変わった時期を指して使われる。
■西町(にしまち);師匠が住んでいたところで、いろいろ有りますので、好みのところをお選び下さい。
■寿司とコハダ;握り寿司は、小さな酢飯の塊に寿司種を載せ、両手で握って馴染ませたものである。飯と種の間にわさびを入れることが多い。手づかみ、あるいは箸を用いて、必要が有れば醤油をつけて食べる。寿司としての歴史は浅く、江戸時代に江戸で考案された。1つを「1かん」と数え、「貫」の文字を当てることが多い。
左、広重描く「寿司」。 中、右、コハダとコハダを含んだ寿司。
コハダ: 江戸前鮨の代名詞は何かと聞かれれば、「コハダ」だと断言する職人は多い。瑞々しく輝くその姿は数ある鮨ダネの中でも特に美しいものだ。このコハダがとりわけ職人たちに愛されている理由は、「鮨になることで初めて旨さの極みに達する」という特性にある。
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