落語「寄合酒」の舞台を行く
   

 

 三笑亭夢楽の十八番、「寄合酒」(よりあいざけ)より


 

 江戸っ子の職人連中が集まると、いろいろ面白い話がございます。

 「みんな集まったら、懐具合を聞いておこう。昨日、特級酒を二本貰ったんだ。みんなで飲もうと思うんだけれど、この間みたいに、飲んだ後で銭が足りないなんて事に成といけないから、先に洗っておこう。懐具合だ。持っているかぃ」、「持ってないよ」。集まった連中、誰も持っていなかった。
 「みんなは町内で顔が広いんだ、一品ずつ持ち寄って飲もうじゃ無いか」、与太郎さんまで駆け出して行った。残った連中は準備に取りかかった。

 「帰って来たな。数の子だ。酒の肴には結構だが、裸で持っているが、買ってきたのか?」、「そんな事はどうでも良いよ。数の子がここに有れば・・・。みんなで罪を分かち合おう」、「どうしたんだよ」。「角の乾物屋で、『道楽で、カジカ1匹飼っているんですが、生きた蝿しか食べません。見ていると数の子の上を蝿が飛んでいるので2~3匹もらえませんか』と言うと、『どうぞ』と言うから、1匹捕まえたね。乾物屋の親父、眼鏡越しにこっちを見ていたが、本当に蝿を捕っているなと見ると『どうぞ、ごゆっくり』と言うから、この気を逃さず、蝿を捕る振りをして数の子を懐にしまって来た」、「それでは泥棒だ」。

 「私はカツ節2本です」、「また乾物屋だな。よせよ」、「あの近所に行くと、子供達が鬼ごっこしていた。『おじさんが鬼になってあげるから』、乾物屋の子供に『カツ節2本内緒で持って来な。鬼の角にするから』。子供は正直だ、持って来たよ。角のように手拭いで頭に巻いて、『鬼だぞッ』、『恐いよう~~』、3度目に大きな声で、『鬼だぞッ』、『恐いよう~』、と言って、誰もいなくなった。だから、鰹節2本」、「およしよ。泥棒だよ」。

 「与太郎はどうした」、「ナガイモ持って来ちゃった。隣から」、「火事場が近くなってきた」、「断って持って来たよ。お芋に・・・」。

 「だれか、追いかけて来ないかッ」、「どうしたぃ」、「見てくれ、この鯛」、「一番立派だ。高かっただろう」、「えぇ、高いだろう・・・な。ここを出ると魚金の盤台が有るんだ。金さんが来るんで『猫が魚をくわえて路地の奥に逃げていったよ』と言うと、『ありがとう』といって、天秤担いで走って行ったよ。盤台の中を覗くと、鯛が入っていたから、金さん帰てきて『有るじゃないか』と言われると、ウソを付いたようでイヤだから持って来た。この鯛」。

 「乾物屋と魚金には後から払うとして、準備は出来ているか。七輪を扇いでいるが口が向こうを向いているんじゃないか」、「チャンとこっちを向いているよ。炭も入れたし」、「火種は入れたか」、「それはまだだ」、「隣のおばさんのところから火種貰って湯を沸かして・・・。そしたら、源ちゃんお燗番だよ」。

 「金チャン、数の子どうした」、「なかなか柔らかくならないよ」、「柔らかく?」、「煮ているんだけれど、柔らかくならないよ」、「台所に有ったネギはどうした」、「塩で揉んでいます」、「あべこべだよ」。

 「カツ節の出汁(だし)は取ったかい」、「取れました。ザルに一杯」、「なんだ?ザル持って来てみろ。これは出し殻じゃないか。お湯が有っただろう。お湯はどうしたぃ」、「お湯って・・・、あれいるの」、「よせよ、あれが出汁だ。どうした」、「金だらいに取っておいたら、達チャンが来て、温かくて勿体ないと言って足洗っちゃった。残りはフンドシ浸けちゃった。搾って持って来ようか」。

 「鯛はどうしてる」、「今さばいている。シッ、シッ。犬がいるんだ。犬が恐いんだ」、「それじゃ、ポンポンと尻尾を食らわしてヤレ」、「尻尾を食らわすのか」、「行っちゃっただろう」、「喜んでいる」、「それじゃ~、頭のところをポンポンと食らわしてヤレ」、「まだいるよ」、「図々しい犬だな」、「構うことは無い、胴中をポンポンと食らわしてヤレ」、「胴中? 食らわしても良いんですか?」、「早く食らわせろッ」、「食らわせたら行っちゃった」、「鯛はどうした?」、「はぁ?鯛は何処かにまだ有るんですか」、「お前がさばいていた鯛はどうした」、「みんな犬にあげました」。

 「与太郎、長芋どうした」、「いま、チャンとヌカ味噌に入れた」、「しょうが無いな」。

 「料理が台無しだ。ヌタでも作ろう」、「すり鉢が有るだろう、すりこ木は直に入れちゃ駄目だ。頭を濡らして・・・。お前の頭じゃない。お燗番の源ちゃん、どうしたぃ」、「お~~、こんばん(燗番)は~」、「赤い顔して飲んじゃったな」、「ははは、2升じゃ足んないぞぉ」、「あッ、みんな飲んじゃった」。

 



ことば

三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年〈大正14年〉1月5日 - 2005年〈平成17年〉10月28日)は、岐阜県岐阜市出身。生前は落語芸術協会に所属。本名、渋谷 滉(しぶや ひろし)。肺不全のため死去。
 永井荷風を通じて正岡容を知り、その紹介で、1949年3月に五代目古今亭今輔に入門する。前座名は「今夫」。しかし、当の本人は新作落語、古典落語の概念をあまり知らずとりあえず今輔から提供を受けた新作の台本をやっていたが、ある日柳家金語楼から渡された新作の台本を「八っつぁん」「熊さん」に書き換えたことで今輔から叱責され古典路線の道に転向。1951年4月に新作中心の今輔門下から八代目三笑亭可楽門下へ円満移籍。翌5月、二つ目に昇進し「夢楽」と改名。1958年9月、真打に昇進。肺不全のため死去。80歳没。

以下の状況から、二代目とも称される。
 本名里見晋兵衛(しんべえ)。麻布一口坂に生まれ、質屋奉公ののち、豊竹宮戸太夫門下になり、戸志太夫という浄瑠璃語りになった。1803年(享和3)、初代三笑亭可楽に入門し、流俗亭玖蝶(きゆうちよう)から三笑亭夢楽(むらく)となり、自作の人情噺で人気を得たが、無断で夢羅久と改名して師匠と不和になって朝寝坊と号した。のち烏亭焉馬(うていえんば)門に入り、笑語楼(しようごろう)夢羅久と称した。長物語人情噺の祖といわれる。この朝寝坊むらくの名は九代目まで続いたが、大阪出身で三代三遊亭円馬を襲名した七代むらくがもっとも優れ、明治末から大正初めに東京で活躍した。

特級酒(とっきゅうしゅ);日本酒級別制度は、1940年(昭和15年)から1992年(平成4年)まで、日本において長らく存在した、日本酒の酒税法上、ならびに一般的な分類体系であった。
 1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発すると、戦場の兵士へ送る米や酒の供給ゆえに米市場が混乱した。政府は、1940年(昭和15年)酒市場の建て直しを図るため、市場に流通する酒を政府が監査し、含有するアルコール度数と酒質などから「特級」「一級」「二級」「三級」「四級」「五級」に分類した。この分類の表示が、商品である酒にとっては市販流通させてよいという認可証の役割を負った。
 第二次世界大戦の敗戦後、1949年(昭和24年)に配給制が解かれ酒類販売の自由化がなされた。その後の級別制度は実質的に「特級」「一級」「二級」の三段階に落ち着いていき、それぞれの級によって課せられる酒税の割合が定められた。このシステムが、日本酒の品質の良し悪しと対応していないなどの理由で、蔵元のなかには、「無鑑査の二級酒」として、市場に流通させるところも現れた。また、普通酒の級別制度による特級、一級、二級のランク付けを引き継ぐ、特撰、上撰、佳撰 の名称を付ける蔵元(月桂冠等)も現れています。
 1990年(平成2年)から、精米歩合により「普通酒」「特定名称酒(吟醸酒・純米吟醸酒・本醸造酒・純米酒等)」など9種類の名称からなる現行の分類体系を導入した。制度が完全廃止された1993年(平成5年)以降、現在の制度に落ち着きました。

 特級酒という名称は上記の通り、1993年(平成5年)以降廃止されました。落語の中に出て来る「特級酒」は当時の言葉ですが、普段二級酒しか飲んでいない職人達にすれば、値段も高く憧れの酒だったのです。

カジカ(河鹿蛙・金襖子);カエルの一種。谷川の岩間にすむ。体色は暗褐色で四肢の各指端に吸盤がある。雄は美声を発するので飼養される。広辞苑、右図も。
 ペットとして飼育されることもあり、江戸時代には専用の籠(河鹿籠)による飼育がされた。食性は動物食で、昆虫、クモなどを食べる。幼生(おたまじゃくし)は藻類を食べる。
 同名の清流魚で体は一見ハゼ型で細長く、暗灰色で、背部に雲形斑紋がある。河川の清冽な水を好む魚とは違います。

長芋(ながいも);ヤマノイモ科の蔓性多年草。栽培上は一年生。中国原産で、日本の山野に自生化し、また多くは田畑に栽培する。蔓は左巻、三角心形の葉を対生。葉腋に「むかご」を生ずる。雌雄異株。塊根は円柱状で約1mに達し、秋に収穫、「とろろ」などにして食用。
 長芋は水分が多く、粘り気は少なめで淡白な味わいです。すりおろして「とろろ」にする料理が代表的ですが、長芋は、生で食べられる世界でも珍しい芋。消化酵素であるジアスターゼを含んでいて、でんぷんの一部が分解されるため、生で食べても胃にもたれないのです。長芋は水分が多いので、すりおろすのはもちろん、切ってサラダや和えものに入れると、サクサクとした食感がアクセントになります。長芋は火の入れ方によってサクサクからコリコリ、ホクホクと、食感が変わっていき、旨味もプラスされます。輪切りにしてソテーや炒め煮にするほか、ステーキなどの焼き料理に。でも、与太郎さんみたいに、ヌカ漬けにはしないで下さい。

盤台/板台(はんだい);魚屋が用いる、浅くて大きい楕円形のたらい。ばんだい。棒手振りの魚屋は、盤台を両側にして天秤棒で担ぐぎ、行商をする。

お燗番(おかんばん);料理屋などで酒の燗の世話をする人。ここでは、徳さんの仕事。だったのだが・・・。

数の子(かずのこ);(「鰊(カド)の子=ニシンをカドと呼んでいた名残」の意) ニシンの卵巣を乾燥または塩漬にした食品。水に浸して戻し、醤油などをかけて食する。基本的に価格が高く、また、見た目が黄金色(こがね色)をしている事から、「黄色いダイヤ」の異称を持っている。カズノコを子孫繁昌の意にとって、新年・婚礼等の祝儀に用いる。
 塩蔵数の子よりも干し数の子の方が高級なものとして取り扱われている。干し数の子や塩蔵数の子は通常そのままで食べるのでは無く、水戻しまたは塩抜きをしてから食用とする。 食通で知られる北大路魯山人は、「数の子は塩漬けや生よりも一旦干した物を水で戻したものが美味い、数の子に他の味を染込ませてはならない」と書き記している。また、「数の子は音を食うもの」とも言っている。イクラ、タラコといった他の魚卵の塊と比較すると非常に硬い事から、その味の他に歯ごたえや咀嚼時のプチプチという音も楽しめる。

数の子の食べ方。キッコーマンの料理ページから。
http://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00003214/index.html 

  1. 数の子を水につけ、薄い膜を取り除く。塩を加えたたっぷりの水に半日漬けて塩抜きをする。
  2. 赤唐辛子と醤油・味醂・ダシを合わせて煮立て、よく冷ます。
  3. 水気をきった数の子を(2)に一晩漬ける。
  4. 食べやすく切って器に盛りつけ、かつお節を天盛りにする。

ヌタ(饅和え);魚介や野菜などを酢味噌で和えた食品。ぬたあえ。ぬたなます。
 ネギ、ワケギなどの野菜類、マグロ、イカなどの魚類、青柳などの貝類、ワカメなどの海藻類を、酢味噌やからし酢味噌で和えた料理。また、赤貝のぬたは絶品です。
 酢味噌は、みそ 大さじ1/2 本みりん 大さじ1/4 砂糖 大さじ1/4 酢 大さじ1/4 溶き辛子 少々。を合わせ、それをソースとして魚介類や野菜にまぶして食します。
右写真:ネギぬた



                                                            2018年7月記

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