落語「雉子政談」の舞台を行く
   

 

 柳家喬太郎の噺、「雉子政談」(きじせいだん)より


 

 里山の百姓、亭主は畑仕事をし、女房は機(はた)を織って、穏やかな年月を暮している。
 ある晩、女房がぐっすり寝込んでいると・・・。「おい、お光ッ」、「何ですね、お父っつあんじゃございませんか。三年ぶり、元気ですか」、「死んでるからな。元気ってことはない」、「何で、化けて出たんです?」、「化けてはいない。夢ん中だ、お前さんに頼みがある。私は近々、恐ろしい目に遭う。その時、助けてくれ。頼んだよ、お光」。
 「あんた、そういう夢を見たんですよ」、「実の倅の方に、出ればいいのにな~」、「気にしていて下さい。いいですね」。

 お光が機を織っていると、遠くからケーーンと、雉子の鳴く声がした。バサッバサッと、家の中に入ってくると、くるっと回って、お光の前で止まって、ケーー ン、ケーー ン。「右の目がつぶれているね、お父っつあんだ。お父っつあんじゃないの」、「(そうだそうだと)キュッ、キュッ、キュッ、キュッ」、「本当に夢の中に出たんですね」。
 「雉子は茂十の家に入ったようだぞ」、お光は、雉子を空の米櫃(こめびつ)の中に隠す。「ちょっくらご免、雉子を撃とうと思ってな、雉子、入ってこなかったけッ」、「来ませんでしたよ」、「ネコババしてはなんねえ、家探しさせてもらう」、とみんなで探したが、米櫃の中までは探さなかった。「裏から抜けたんだろう。お光さん、すまねえことをしたな。みんな、行くべえぃ」。
 夕暮れ、亭主が帰って来る。「夢の話、本当にお父っつあんが来たんですよ」。米櫃から雉子を出して亭主に見せる。「確かに右の目がつぶれている。お父っつあんかィ?」、「(そうだそうだ)キュッ、キュ ッ、キュッ」、「親父だな。村の衆に追われて、撃たれちゃうところだった。こっちに貸してくれ。お父っつあんかい、久しいな。親父の心が、わかる気がする。よかったな、生き延びて。このまま野に放てば、また、猟師に撃たれるか。せっかく、雉子になったんなら、伜夫婦に食われたいか」。
 雉子の首を無造作にねじり殺す。「お光、ごっつおうだぜ」、「何をするんです、お父っつあんですよ、恐ろしい目に遭うって、このことなんですね」、「雉子だ、雉子だ、つまんねえことで、くよくよするな」。
 「お前さんが、恐いよ。親を殺した」。

 お光は、土地の地頭の所へ泣きながら駆け込む。地頭は人間味のある方で、「お前の亭主がそんなことをしたのか」と、家来をやって、亭主は後ろ手に縛られ、連れて来られた。三日留められて、お白洲へ引き出された。

 「茂十、顔を上げろ。親殺しの罪だ」、「雉子ですョ」、「女房が舅(しゅうと)の夢を見て、夢の通りに現れた。その女房の前で、首を絞めた。かようなことが出来るのはな、近郷近在で、霞の清兵衛と称し、家々に忍び込み、金品を奪い、娘を犯し女子供まで殺す、霞の清兵衛とは、お前のことじゃ~ないのか」、「何をおっしゃっているのですか」。
 捕縛の翌日、白洲へ出さなかったのは、手下の一匹でも捕まえられればと、思ったからだ。「一匹捕まえたら、親方が捕らえられて、簡単に吐きおった。家々に忍び込み、金品を奪い、女子供まで殺す、霞の清兵衛、観念せんかッ」、「あらわれちゃあしょうがない、戸締りもしないで、寝ている奴が悪いんだ。霞の清兵衛だったらどうするんだィ」、「即刻、打ち首だッ」、「上等だよ、お光がつまらねえことで、駆け込みやがって・・・。後々まで、祟ってやる。ここにいる奴、全部顔を覚えたから、七生の後までも。恨み、祟ってやら~。首になっても、動いて見せるはッ」、「そんなことが、出来るのか」、「やってやら~。生首になって、飛び石に食いついてやる。俺に出来ねえことはない、やってやる。後々まで、祟ってやる」。
 「ソレッ、打ち首ッ」。首が落ちたが首だけになって、はって行って飛び石に噛み付いた。周りの連中は恐れおののき「後々祟られます」、「大丈夫だ、心配するな、これで終わりじゃ」、「しかし、動きました」、「それだけを念じて、死んだ。全て果たして死んだから、成仏することだろう。心配するな」。
 「これ、お光」、「お裁き、有難うぞんじます」、「そちには、よき亭主を持たせてやろう。心配するな」、「ありがとうございます。せめて形見を、最期の着物、私の縫ったものでございます」、「血が付いてるぞ」、「構いません。あの着物、悪いことばかりじゃなかったので、形見に・・・」、「そちはキジを大事にするのう」。

 



ことば

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談「雉子政談」を落語化;
 尾州の国、遠山の里のお話でございます。その山深い村に百姓夫婦が暮らしていました。妻は、ある夜、亡き舅(しゅうと)の夢を見ます。夢枕に立った舅は嫁に語りかけてきます。「明日、わしは危険な事態に追い込まれる、助けておくれ」。
 翌朝、夫は畑仕事に出かけます。家の外では、地頭の一行が狩りをしていました。農家に逃げ込んできたのが、一羽の雉子でした。嫁は、昨夜の夢を思い出し、雉子を米びつの中に隠します。雉子は暴れず大人しく従います。そこに多数の従者たちが乱入してきます。「この家の中に雉子が逃げ込んだのは見ている。家の中を検(あらた)めさせてもらおう」、家中を調べ尽くしましたが、雉子は見つかりませんでした。まさか米びつの中に隠しているとは思いつかなかったのです。従者たちは帰っていきます・・・。
 夕方に夫が帰ってくると、妻は朝方の出来事を話します。雉子をまだ逃がしていませんでした。夫は喜び勇んで、「右目が潰れていて、これはおとうに間違いがない。それは、おとうが他人ではなく、わしに食ってもらいたくて逃げ込んで来たんだ」と言い、雉子の首をひねった。
 怒った妻は、泣きながら町の地頭に訴え出ます。地頭は、雉子を殺した男を捕らえ「余程の悪人で無ければ出来ないこと。この村の人間は善良な人間ばかりで、邪悪な人間をこの村に置くことは出来ない。村に立ち戻ったら死刑だ」と所払いとし、妻には新田と後に新たな夫を与えた。

「小泉八雲怪談集」より雉子政談。

小泉八雲 (コイズミ・ヤクモ); (1850-1904)本名ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)。ギリシア生れ。父親はアイルランド出身のイギリス陸軍軍医。イギリスとフランスで教育を受け、1869年に渡米し、各地で新聞記者を務めた。1890年「ハーパー」誌特派員として来日。松江中学教師に転じ、小泉セツ(1868年2月4日 - 1932年2月18日)と結婚。熊本の五高に転任後、神戸に移り執筆に専心する。1895年日本に帰化し、小泉八雲と改名する。その後、東京帝国大学(後任には夏目漱石)、早稲田大学の講師として英文学を教え、精力的に日本紹介の筆をとった。出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは松江の島根県立中学校への赴任を命ずる辞令に、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したもの。ただ、妻のセツには「ハーン」と読むことを教えたことがある。
 右写真、小泉八雲の肖像写真。

雉子(きじ);キジ目キジ科の鳥。全長は、雄が尾が長いので80~100cm、雌が50~60cm。雄は暗緑色を主とする多彩な色で、目の周りに赤い肉垂れがある。雌は全体に褐色。北海道を除く日本各地の明るい林や草原にすみ、地上で餌をとる。雄はケンケーンと大きな声で鳴く。日本の国鳥。にほんきじ。きぎし。きぎす。
 キジやコウライキジは、世界中で主要な狩猟鳥となっている。キジ肉は食用とされている。
 山地から平地の林、農耕地、河川敷などの明るい草地に生息している。地上を歩き、主に草の種子、芽、葉などの植物性のものを食べるが、昆虫やクモなども食べる。繁殖期のオスは赤い肉腫が肥大し、縄張り争いのために赤いものに対して攻撃的になり、「ケーン」と大声で鳴き縄張り宣言をする。その後両翼を広げて胴体に打ちつけてブルブル羽音を立てる動作が、「母衣打ち(ほろうち)」と呼ばれる。メスは「チョッチョッ」と鳴く。子育てはメスだけが行い、地面を浅く掘って枯れ草を敷いた巣を作る。4~7月に6~12個の卵を産む。オスが縄張りを持ち、メスは複数のオスの縄張りに出入りするので乱婚の可能性が高い。非繁殖期には雌雄別々に行動する。夜間に樹の上で寝る。 飛ぶのは苦手だが、走るのは速い。スピードガン測定では時速32km/hを記録した。人体で知覚できない地震の初期微動を知覚できるため、人間より数秒速く地震を察知することができる
 日本では北海道と対馬を除く本州、四国、九州に留鳥として分布している。日本には、東北地方に生息するキタキジ、本州・四国の大部分に生息するトウカイキジ、紀伊半島などに局地的に生息するシマキジ、九州に生息するキュウシュウキジの4亜種が自然分布していた。ユーラシア大陸が原産地であるコウライキジが、もともとキジが生息していなかった北海道、対馬、南西諸島などに狩猟目的で放鳥され、野生化している。

 

 写真左、雉子の雄。 右、雉子のツガイ。

 慣用句、「キジも鳴かずば、撃たれまいに」、「雉の草隠れ」がある。

 『父母のしきりに恋ひし雉子の声』  芭蕉 「笈の小文」
 『ひばりなく中の拍子や雉子の声』  芭蕉 「猿蓑」
 『蛇くふときけばおそろし雉の声』  芭蕉 「花摘」
 『うつくしき顔かく雉の距(けづめ)かな』  其角 「其袋」

里山(さとやま);集落、人里に隣接した結果、人間の影響を受けた生態系が存在する山をいう。深山(みやま)の対義語。

 写真:日本の最近の里山によく見られる杉檜林。

(はた);織物をつくる手動の機械。織機(シヨツキ)。機で織った布は服と書く。広辞苑
 糸を織物に織りあげる機械のことで、経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を交互に組み合わせる「製織」工程(=織り)を機能的に行う機械の総称。 仕組みは、縦糸を並べておいてぴんと張り、そこに横糸を繰り返し通すという単純なものであるため、全世界で広く織機は存在する。その大きさや種類は手で持てるサイズの小さなものや、腰で固定するものから、大きな固定式の機や機械式の織機までさまざまである。 織機は一般に、縦糸が床に対して水平に張られる水平織機(水平機、すいへいばた)と、縦糸が床に対して垂直に張られる垂直織機(竪機、たてばた)にわけられる。また人力で織る手織り機(手機(てばた))と、機械の動力で織る力織機(りきしょっき)がある。

 右画:19世紀前半の日本の機織りの様子 (柳川重信画)。 

地頭(じとう);江戸時代、幕府の旗本が知行として給与された土地=知行所を持つ領主。旗本や、各藩で知行地に徴租の権を有した家臣などをいう。また、主として東北地方で、名子(ナゴ=一般農民より下位に置かれ、主家に隷属して賦役を提供した農民)を使役した地主。
中世、荘園において荘官または地頭が本所(領主)に一定額の年貢を上納することを請け負い、代りに荘園の管理を一切任される制度。

お白洲(おしらす);(礫が敷いてあったからいう) 訴訟を裁断し、または罪人を取り調べる場所。転じて、奉行所。法廷。おしらす。

祟る(たたる);神仏・怨霊・もののけなどが禍いをする。罰をあたえる。害をなす。また、したことが悪い結果をもたらす。

形見(かたみ);死んだ人または別れた人を思い出す種となる遺品。



                                                            2018年8月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system