落語「写経猿」の舞台を行く
   

 

 六代目三遊亭円窓の噺、「写経猿」(しゃきょうざる)より


 

 今昔物語にも載っている噺で、今から千百年前のこと。越後の中条に乙宝寺(おっぽうじ)という寺がありました。そのお寺は現在でも、新潟県北蒲原郡中条町にあります。
 行門(ぎょうもん)和尚が毎朝、本堂で法華経をあげていると、きまって二匹の猿が縁側までやってきて、その経をジーッと、聞き入っております。
 昼過ぎ、檀家の衆が集まってきて、写経を始めると、また、二匹はやってきて、縁に上がってその様子をジーッと見入っております。
 檀家の人たちが写経を始めると、それを見ているので、「法華猿」と呼ぶようになった。どうやら、その二匹は夫婦猿のようで、雨が降ろうが風が吹こうが、毎日やって来ました。
 そのうちに木の皮を持ってきて、写経をねだるようになり、そのつど、和尚が書いてやると嬉しそうに山に帰っていった。

 みんなはそれを木皮経(もくひきょう)、オスを法華(ほけ)、メスを経(きょう)と呼ぶようになった。
 あれから、二ヶ月ほど経ち、法華経の写経も四の巻の終わり、五の巻にかかる頃、冬に入って雪が吹雪に変わった。

と…、ぷっつりと、夫婦猿が姿を現わさなくなった。

 和尚は風邪で寝ていたが枕も取れて、十日ほどして、和尚は檀家の一人、茂十じいさんを伴って、裏山に捜しに行き、穴の奥で法華と経は、木皮経をしっかりと握って抱き合って死んでいた。
 和尚と茂十は二匹の亡骸を抱きかかえて山を下り、丁重に葬って供養をし、和尚が木皮経を握って抱き合った夫婦猿の木像を彫ると、「離れざる」ということで、これが大層な評判となった。

あれから、40年経った、ある日。

 「お写経をさせていただきたく・・・」と、四十歳前後の旅の夫婦連れがやってきて、本堂で木皮経を見て写経を始めた。
 珍念が二人にお茶を運ぼうと、ひょいと見て、驚いた。誰が見ても人間なのに、二匹の猿が写経をしているではないか。これを聞いて駆け付けた和尚もびっくり。和尚は二人に声を掛けて写経を励ました。
 夫婦は毎日必ず来ては写経をして帰ります。四の巻が終わり、五の巻にかかって二人の手がピタッと止まった。二人は抱き合って体を震わせて泣き出した。
 和尚が問うと、夫は昔を語り始めた。

 「われら二人は40年前の夫婦猿でございまして、人間に生まれ変わったのでございます。私は三年前、越後国司に任ぜられ、都より赴任しました。このお寺のことを知り、うかがった次第でござりまする」。「五の巻を続けなさい。私も一緒に写経します」、「それは無理です」。

 「40年前、あの大雪の日、お寺へ行く途中、木から木に移りしとき妻は足を滑らせて、深手を負い、穴に戻り、木皮経を指でなぞりそらんじていましたが、薬草も切れ飢えと寒さのため、木皮経を握ったまま抱き合って息を引き取りました」。

 「それで、今、五の巻で写経の筆も留まったのじゃな。あの折り、抱き合ったあなた方を抱えて山を下りましたのが、わしともう一人。もうあの世に逝ってしまったが、毎日、あなた方の世話をしております、この珍念のじいさんです。あなた方お二人、他の者には人間としか見えませんが、縁あるわしと珍念には昔の夫婦猿に見えたのじゃ。わしも、三宝のありがたさを改めて知りました。あなた方もこの先、法華経の五の巻からのお写経をここでなさいませ」。

 「三年の任期が切れましたので、明日、都へ帰らなければなりません」、「さようか。では都へ戻って続けなされ」。

 本堂を出て参道を歩む二人は振り返り、振り返り、丁寧に何度も何度もお辞儀を繰り返した。そのたびに、本堂から手を振る和尚。珍念が「また来て下さいよ~」。
境内の鳥たちも名残を惜しんだのでしょう。

 境内の高い杉の木の上で、コノハズクが、「ブッポウソー(仏法僧)」。
 「おお。珍念、聞いたか。コノハズクが三宝を唱えて鳴いておる」。
 「和尚さま。向こうの梅の小枝で、ウグイスが・・・」、「ホー、ホケキョウー(法華経)」。

 



ことば

■原典(げんてん);『古今著聞集』にある仏教説話を三遊亭円窓が落語化したもの。 原作は猿が写経を頼み、お礼に果物などを持ってくるが、姿が見えなくなったので探すと、お礼の山芋を掘ろうとして穴に落ちて死んでいるのを見つける。40年後、この地の守(かみ)となった人がその猿の生まれ変わりだとして三千部の経文を書き上げる。 時代は寛平六(894)年 宇多天皇~承平四(934)年 朱雀天皇の時代。
 円窓は今昔物語と話していますが、古今著聞集の間違い。

中条(なかじょう);乙宝寺を舞台とする三遊亭圓窓作の「写経猿」に登場。中条町は合併して、現在は胎内市。中条駅から出ていた乙宝寺行きのバスは廃止されてしまった。そのお寺は現在でも、新潟県北蒲原郡中条町にあります。
 三遊亭圓窓作の「写経猿」に登場。釈尊左眼や猿が写経した木皮経が寺宝として残る。写真のように猿塚もあります。
 「はなしの名どころ」より、写真と文。

古今著聞集(ここんちょもんしゅう);鎌倉時代、13世紀前半の人、伊賀守橘成季によって編纂された世俗説話集。単に『著聞集』ともいう。事実に基づいた古今の説話を集成することで、懐古的な思想を今に伝えようとするもの。20巻30篇726話からなり、『今昔物語集』に次ぐ大部の説話集。建長六年(1254)10月頃に一旦成立し、後年増補がなされた。今昔物語集、宇治拾遺物語とともに日本三大説話集とされる。
 各篇の冒頭には、その篇に収録されている説話に応じた、事の起源や要約的な内容が記され、それに続いて、説話が年代順に記されている。題材を多く王朝社会に仰ぎ、尚古傾向も著しい。

乙宝寺(おっぽうじ);新潟県北蒲原郡中条町。現・新潟県胎内市乙1112番地、真言宗智山派 如意山乙宝寺と言います。インド僧婆羅門(バラモン)僧正は、当寺にお釈迦様の左眼を納めて乙寺と名づけたといわれています。右眼は中国に納められ甲寺と呼ばれました。 平安時代後白河天皇は、左眼を納める金塔を寄進して、乙寺から乙宝寺に改名されたといわれております。右写真:本堂(金色堂)。
 元禄2年(1689年)7月1日、松尾芭蕉は奥の細道で当寺を参拝いたしました。当時より桜の名所となっていたようですが、桜の時期を通り越して残念いっぱいの、芭蕉は、
  『うらやまし浮世の北の山桜』
という句を詠みました。芭蕉の句碑が残されています。

法華経(ほけきょう);正法華経・妙法蓮華経・添品妙法蓮華経をいう。一般に、妙法蓮華経の略称。
 鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されている。現在、日本で広く用いられている智顗(天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科する。迹門とは、出世した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく五百塵点劫という久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。後世の天台宗や法華宗一致派は両門を対等に重んじ、法華宗勝劣派は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。
 仏とはもはや歴史上の釈迦一個人のことではない。ひとたび法華経に縁を結んだひとつの命は流転苦難を経ながらも、やがて信の道に入り、自己の無限の可能性を開いてゆく。その生のありかたそのものを指して仏であると説く。したがってその寿命は、見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものとして理解される。そしてこの世(娑婆世界)は久遠の寿命を持つ仏が常住して永遠に衆生を救済へと導き続けている場所である。それにより“一切の衆生が、いつかは必ず仏に成り得る”という教えも、単なる理屈や理想ではなく、確かな保証を伴った事実であると説く。そして仏とは久遠の寿命を持つ存在である、というこの奥義を聞いた者は、一念信解・初随喜するだけでも大功徳を得ると説かれる。

  「妙法蓮華経」序品第一(上)、方便品第二(下)の出だし部分。

 この妙法蓮華経は仏陀の生涯を描いており、読み下すと素晴らしいストーリーの展開となっている。手塚治虫の漫画『ブッダ』 講談社他で、ほぼその内容が分かります。自性院住職談。

 本堂に飾られた巻物になった妙法蓮華経全巻。

妙法蓮華経二十八品一覧[編集]

    前半14品(迹門)
    • 第1:序品(じょほん)
    • 第2:方便品(ほうべんぼん)
    • 第3:譬喩品(ひゆほん)
    • 第4:信解品(しんげほん)
    • 第5:薬草喩品(やくそうゆほん)
    • 第6:授記品(じゅきほん)
    • 第7:化城喩品(けじょうゆほん)
    • 第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)
    • 第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)
    • 第10:法師品(ほっしほん)
    • 第11:見宝塔品(けんほうとうほん)
    • 第12:提婆達多品(だいばだったほん)
    • 第13:勧持品(かんじほん)
    • 第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)
    後半14品(本門)
    • 第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)
    • 第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
    • 第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)
    • 第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
    • 第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
    • 第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)
    • 第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
    • 第22:嘱累品(ぞくるいほん)
    • 第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
    • 第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
    • 第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)(観音経)
    • 第26:陀羅尼品(だらにほん)
    • 第27:妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)
    • 第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)

 法華経の写本、 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)平安時代。

写経(しゃきょう);供養などのため、経文(キヨウモン)を書写すること。また、その書写した経文。
 『法句経』(ほっくきょう)というお経があり、お釈迦様のお言葉として次の一節があります。

 こころしずかなり。
語(ことば)おだやかなり。
行ないもゆるやかなり。
この人こそ正しきさとりを得、
身と心の安らぎを得たる人なり。

 私たちは普段の生活の中で、大なり小なりいろいろな迷いに悩まされたり、孤独感や不安な気持ちに見舞われることがあります。一方、貪(むさぼ)りの心を起こしてしまったり、物事を自己中心的に考えてしまったり、わがままな心が生じる要因ともなりかねません。こういった心のわだかまりから解放されることは、前向きで健康的な生活のために、とても大切なことではないでしょうか。
 一隅を照らす運動より

木皮経(もくひきょう);木のかわ。樹皮。に書かれた経文。二匹の猿に住職が書いてあげた経文。

檀家(だんか);一定の寺院に属し、これに布施をする俗家。だんけ。檀方。寺や僧を援助する庇護者。
 檀家が、葬祭供養一切をその寺院に任せる代わりに、布施として経済支援を行うことが檀家制度です。 鎌倉時代から使われ出した言葉で、室町時代の末期頃から自然と檀家関係ができたといわれています。所属寺院は檀那寺と呼ばれ、所属する方を檀家と呼びます。

国司(こくし);律令制で、朝廷から諸国に赴任させた地方官。守(カミ)・介(スケ)・掾(ジヨウ)・目(サカン)の四等官と、その下に史生(シジヨウ)があった。その役所を国衙(コクガ)、国衙のある所を国府と称した。くにのつかさ。

三宝(さんぼう);衆生が帰依すべき三つの宝。仏・法(仏の説いた教え)・僧(仏に従う教団)の称。仏の異称。

コノハズクが、「ブッポウソー(仏法僧)」;コノハズクは、フクロウの一種。体長約20cmで、日本のフクロウ類では最小。全体淡黄褐色、頭上には耳羽がある。低地および山地の森林に棲み、夜間「ぶっぽうそう」と鳴くので「声の仏法僧」と呼ぶ(下記ブッポウソウは別種)。日本では夏鳥で、冬、南に渡る。本種に似てやや大形のオオコノハズクもあるが、鳴き声は異なる。
 右写真:コノハズク。この鳥が「ブッポウソウ」と鳴く。

 ブッポウソウの事を三宝鳥とも言う。ブッポウソウ目ブッポウソウ科の鳥。カケスよりもやや大きく、頭・風切羽・尾羽の大部分は黒色、その他は美しい青緑色で、嘴(クチバシ)・脚は赤い。風切羽の中央に青白色の大斑があり、飛翔時に顕著。本州以南に分布し、山地のスギ・ヒノキなどの大木の高所にすむ。冬は南方へ渡る。霊鳥として名高い。鳴声は、飛ぶときは「ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃぎゃぎゃぎゃ」と鳴き、急降下のときは「げっけけけけ」と鳴く。山梨・長野・岐阜・宮崎の各県の生息地では天然記念物。
 上写真:ブッポウソウ。

ウグイスが・・・「ホー、ホケキョウー(法華経)」;ウグイスは、スズメ目ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。大きさはスズメぐらい。背面褐緑色、下面白く、白色の眉斑がある。低山帯から高山帯の低木林に至るまで繁殖し、冬は低地に移り、市街地にも現れる。さえずりの声が殊によい。
 別名、春鳥・春告(ハルツゲ)鳥・花見鳥・歌詠(ウタヨミ)鳥・経読(キヨウヨミ)鳥・匂鳥・人来(ヒトク)鳥・百千(モモチ)鳥などという。
 右写真:ウグイス。広辞苑、各写真も

ウグイスに関した言葉も多く有ります。その中から、
 ○鶯鳴かせたこともある
古木の梅も、花の盛りには、鶯を寄せて鳴かせたものである。かつては男にもてはやされた、色盛りの時もあった。
 うぐいす‐ぬか【鶯糠】
鶯の糞を精製した化粧糠。美顔料として用いた。
 ○鶯の卵(カイゴ)の中のほととぎす
(万葉9「うぐひすのかひごの中にほととぎす独り生れて己が父に似ては鳴かず己が母に似ては鳴かず」から) ホトトギスは、自分で子を育てず、ウグイスの巣に卵を生み、かえさせることから、子であって子でないということ。
 ○鶯の谷渡り
鶯が枝から枝をあちこち飛び渡ること。また、その時の鳴き声。
 うぐいす‐ばり【鶯張り】
廊下などの板を踏めば、鶯の鳴くような音を発するように張った板。京都知恩院のは有名。



                                                            2018年8月記

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