落語「明日ありと」の舞台を行く 六代目三遊亭円窓の噺、「明日ありと」(あすありと)より
■「明日ありと思う心の徒桜 夜半(よわ)に嵐(あらし)の吹かぬものかは」。「親鸞上人絵詞伝」より
■親鸞上人(しんらん
しょうにん);(1173~1262)。鎌倉初期の僧(右図)。浄土真宗の開祖。皇太后宮大進日野有範の長子。綽空・善信とも称した。慈円、のちに法然の弟子となる。1207年(承元1)念仏弾圧により越後に流され、この間、愚禿と自称して非僧非俗の生活に入る。のちの恵信尼を妻にしたのはこの頃とされる。11年(建暦1)赦免され、晩年に帰京するまで久しく常陸国稲田郷など関東にあって信心為本などの教義を以て伝道布教を行う。著「教行信証」、「唯信鈔文意」、「浄土文類聚抄」、「愚禿鈔」など。諡号(シゴウ)は見真大師。
たんにしょう【歎異抄・歎異鈔】、親鸞の語録。1巻。弟子唯円の編といわれる。親鸞没後に起ってきた異義に対し、師の真意を伝えようとしたもの。蓮如によって禁書とされたが、明治以後広く読まれるようになった。
きょうぎょうしんしょう【教行信証】、浄土真宗の教義の根本を述べた書。親鸞の撰。教・行・信・証・真仏土・仮身土の6巻から成る。浄土真宗で、仏陀の言教である「教」と、その言教に基づいた修行すなわち「行」と、その修行の功徳利益を信ずる「信」と、行と信とによって得る証果すなわち「証」をもって、四法という。1224年(元仁1)頃、初稿が成立。詳しくは「顕浄土真実教行証文類」。
■落語とお寺の相違点(類似点)、と言うよりお寺から出た言葉が多く残っています。その例をマクラより、
■浅草の通覚寺(つうかくじ);真宗大谷派寺院の通覚寺。創建年代等は、数度の火災で書類を焼失してしまい不詳だといいますが、現存する寺院。台東区西浅草一丁目6-6で、東本願寺の東隣です。
■真宗(しんしゅう);浄土真宗。親鸞が著した浄土真宗の根本聖典である『教行信証』の冒頭に釈尊の出世本懐の経である『大無量寿経』 が「真実の教」であるとし、阿弥陀如来(以降「如来」)の本願(四十八願)と、本願によって与えられる名号「南無阿弥陀佛」(なむあみだぶつ、なもあみだぶつ〈本願寺派〉)を浄土門の真実の教え「浄土真宗」であると示した。
親鸞は名号を「疑いなく(至心)我をたのみ(信楽)我が国に生まれんと思え(欲生)」という阿弥陀仏からの呼びかけ(本願招喚の勅命)と理解し、この呼びかけを聞いて信じ順う心が発った時に往生が定まると説いた。そして往生が定まった後の称名念仏は、「我が名を称えよ」という阿弥陀仏の願い(第十八願)、「阿弥陀仏の名を称えて往生せよ」という諸仏の願い(第十七願)に応じ、願いに報いる「報恩の行」であると説く。そのことを「信心正因 称名報恩」という。
■得度(とくど);剃髪して仏門に入ること。出家すること。
親鸞得度の時の様子。
■京都の青蓮院(しょうれいいん);京都市東山区粟田口三条坊町。 治承5年(1181)9歳、叔父である日野範綱に伴われて京都青蓮院に入り、後の天台座主・慈円(慈鎮和尚)のもと得度して「範宴」(はんねん)と称する。
■慈円僧正(じえんそうじょう);(久寿2年4月15日(1155年5月17日) - 嘉禄元年9月25日(1225年10月28日))、平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。歴史書『愚管抄』を記したことで知られる。諡号は慈鎮和尚(じちん かしょう)、通称に吉水僧正(よしみず そうじょう)、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円(さきの だいそうじょう じえん)と紹介されている。
父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀、摂政関白・九条兼実は同母兄にあたる。
右:重要文化財 「慈円筆 懐紙」 奈良国立博物館蔵
■法然上人(ほうねん しょうにん);出家後は叡山(比叡山延暦寺)に登り、慈円が検校(けんぎょう)を勤める横川の首楞厳院(しゅりょうごんいん)の常行堂において、天台宗の堂僧として不断念仏の修行をしたとされる。叡山において20年に渡り厳しい修行を積むが、自力修行の限界を感じるようになる。
■道歌(どうか);道徳・訓誡の意を、わかりやすく詠んだ短歌。仏教や心学の精神を詠んだ教訓歌。
■法話帳(ほうわちょう);仏法に関する話。説教。法談。を書いた冊子。
■トロロ芋(とろろいも);(薯蕷芋・薯蕷藷)とろろ汁にするいもで、ヤマノイモ・ナガイモ・ツクネイモなど。とろろ汁は、ヤマノイモやツクネイモをすり、調味した汁を加えまぜたもの。東海道丸子宿(マリコノシユク)のものが古来有名。とろろ汁をかけためしを、多く麦飯を用いて「麦とろ」という。
■小腹(こばら);〔「こ」は接頭語〕
腹。また、腹に関するちょっとしたことにいう。 「 -がすく」 =ちょっと空腹になる。
■麦飯(むぎめし);米に麦をまぜ、また、麦だけを炊いた飯。ばくはん。むぎいい。これにとろろ汁を掛けたものが麦とろ。
2018年8月記
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