=落語亀田鵬斎原文=

「鵬斎とおでん屋」 藤田本草堂作

 江戸時代は文化年間のことであります。下谷金杉に亀田鵬斎という学者がささやかな塾を開いておりまし
た。この先生、詩人としても一家をなしておりましたが、一方大変な能書家でして、大名旗木が競って、そ
の揮毫を求めたそうでございます。その鵬斎先生、金杉では貧乏募らしだったそうで、お弟子の門下生とい
えば近くの農家の子供や小商人とか職人ですので束脩(そしゅう)、つまり授業料が多くどれないからです。
 貪乏なんだから評判の書を大名や旗本に売って裕福な暮らしをすればよさそうなものですが、そこは貧乏
でも反骨らい落の鵬斎のこと、自分が気に入らなければ、誰がどんなに大金を積んでも注文に応じません。
こうなりますと鵬斎の書というものが、いやでも市価が高くなります。高くなればなったで、欲しい人は逆に
増えますから、巷に彼の真筆がころかっている訳もない。欲しい者は血眼になる。
 亀田鵬斎という学者、元は江戸市中で大きな塾を開いておりまして、武家の子弟が沢山門弟として名を連
ねていた。大名の子息もかなり居たそうですから羽振りもよかったでしょう。
 しかし松平定信の寛政の改革で、公儀から朱子学以外の学問は一切、異学として禁じられたんてす。鵬斎
の学問は同じ儒学の内には違いはないが、朱子学ではなかった。そのため江戸市中に私塾を開くことも禁止
されて、場末の金杉の方へ追いやられたんです。
 それだけじゃない、それまでは鵬斎塾で学んだ武士は幕臣、藩士を問わず大体、よりよい地位に登用され
て出世をしておったんですが、鵬斎の所で学んだ者は今後一切登用しないという事にされ、そこで武士の子
弟が一斉に鵬斎塾を去ってしまった。そりゃそうでしょう。今でも一流大学に絶対入れない学習塾というも
のが、はじめから判っていれば、そんな所に受験生か集まるわけがありません。それと同じことで鵬斎先生、
江戸市中にいられなくなってしまった訳です。
 金杉に引きこもりまして、主に近所の子供を相手に読み書きを教えて、僅かに糊口をしのぐという事にな
つた。ですから鵬斎先生、いくらひもじくても権力者、つまり武士に対して盾をつくようになったんですな。
 武家社会全休が気に入らないんですから、大名が揮毫を大金で注文しても応じようとしない。これですか
ら、彼の書はますます貴重、高価となるという次第です。

 「これ、ぼんよ、いいか、そこで皆と一緒に遊んでおいで、おじいさんは、ちょいと手が離せんのでな、外
所(そと)へ行ってはいかんよ」
 ある年の三月上旬のことです。鵬斎の住居に四歳になる信吉(しんきち)という孫が預けられておりました
が、彼はこの孫を大変可愛かりました。孫の父親、鵬斎の息子ですが、この人は駿河台の御茶の水で塾
を開いてまして、これは幕府も朱子学と認めておりましたんで、弾圧される事もありません。しかも門弟が
多くて忙しいので、鵬斎の方から云い出して孫を預かって可愛がっていた。
 ところがその日、鵬斎は五、六人勉強に来ていたお弟子に自習をさせ、自分は書斎に入って大事な手紙を
四、五本急いで書いていた。でも途中でハッとして筆をおいた。つい今しがたまで庭から聞えてきた子供達
のはしゃぎ声がない。静かです。慌てて書斎をとび出して庭を見たが人影がない。大声で孫の名を呼びます
が返事がない。庭に飛び出して周辺を探しますが、七、八人からいた近所の子供の姿も見えない。何処へ行っ
ちまったんだろう……こりや大変だ、誰かうちの孫を見た者はいないかと、通り掛りの人に尋ねますと、
 「そう云えば、先程小さな子供が七、八人田圃道を吉原の方へ歩いて行きましたよ」
 「エッ、吉原の方へ……とんでもない、わしの孫は四歳だぞ、女郎をひやかしに行くのはまだ十年以上早
い。今から吉原だなんて、いかんいかん」
 すぐ細君を呼ぶのですが、鵬斎の用事で外出していて家にいません。そこで急いで、先生、お弟子の内で
も年かさの者や、近所の人を頼んで孫を探させます。しかし吉原田圃一帯を手分けして探しても信吉がみつ
からない。次第に夕暮も近くなり、探しに散っていた人達が、もしや家に帰っているのじゃないかと、めいめ
い疲れはてて戻ってきますが、信吉は帰っていない。その内に細君が帰ってきまして、実はこういう事にな
っていると知らされて真蒼になり、倒れ掛かって、口もきけない。
 「おい、しっかりしろ、まだ孫がかどわかしに遭ったのでも死んだのでもないんだ。お前が先に倒れてどう
する、しっかりするんだ。いずれ、すぐ戻るから、安心しろ」
 「もし万一、孫の信吉が行方不明になったり、死んだりしたら、息子夫婦になんと云って申しひらきをする
つもりですか」
 「その場合はやむを得ぬ、切腹して詫びる」
 「なにおっしやるんです」
 「どうも、先生、お気の毒でございます、今迄探しましたが、近所の子供達は皆家に帰っております。お孫
さんだけが、姿がどこにも見当たりませんので、こうなりましたら、その筋にお届けして、お上の力で探し
出してもらうしかありません」
 「そのような事になったら、私の恥を晒すばかり。こうなったからには、おめおめ生きておられようか。息
子夫婦には死んで詫びる。その前に遺書を書かねば」
 「貴方、まだそのような御決断は……」
 「お前は黙っておれ」
 と孫を探しに出た人達に礼を云って引きとらせ、自分は書斎にとじこもって、遺書を書きはじめた。奥方
はがっくりきて、そのまま床に臥してしまいます。

 「ごめん下さいまし、あの、鵬斎先生のお宅はこちらでしょうか」
 「うるさい奴だ、今頃何者だ。この一大事の折りに」
 「ごめんなさい、鵬斎先生は御在宅でございますか」
 「おい、奥、誰か来たぞ、今日は誰にも逢わぬから追返せ、いないのか……。どなたかな」
 「ア、先生、お孫さんをお連れいたしました」
 「エッ」
 孫と聞いて先生、飛び出して行きます。
 「信吉、信吉は何処におる、無事か?」
 「へ、私の背中でよく眠っておいでになります、ごらん下さい」
 「おゝ、信吉か……お〜い、信吉が戻ったぞ」
 細君もそれを聞いて飛び起きます。
 「孫は何処です、信吉は無事に戻りましたか」
 「へ、奥方様でいらっしゃいますか、お孫さんは、私の背中で、よくお休みになっておられます。静かにお
渡ししますよ、いいですか」
 「はい、どうもどうも、お手数かけました(孫を抱き取り)さあ、貴方様、なにを突っ立っておいでなさい
ます、早くこちら様にお礼を申して下さいまし、なんです、手に持っているものは」
 「ア、これは遺書、こんなもの(引きちぎって捨て)これはこれはどなた様かは存じませぬが、孫を連れ戻
していただいて、かたじけない」
 「いや、鵬斎先生に頭を下げられたのでは恐れいるでございます。では手前はこれで」
 「ちとお待ち下さい。うちの孫は一体何処をほつき歩いていたのでしょう。して貴方様は何処のどなたで…
 …」
 「私は何処の誰というほどの者じゃありません。吉原田圃の北のはしに住んでおります、けちな男でござい
ますが、昼八ツ(2〜3時頃)過ぎ、うちの庭先で子供達が何人かで大はしゃぎに遊んでいたようでしたが、その内に静かになったと思いましたら、次に子供の泣きじゃくる声、誰か一人がいじめにあっているのかと、庭を見ましたら、四、五歳の男の児が一人切りで泣いておりやした。どうしたんだと訊くと家へ帰れなくなったとおっしゃいます。家は何処かと尋ねましたら知らないと云いますし、親御様の名はと尋ねても知らぬという。困っていたら、おじいちゃんは亀田鵬斎だと申しますんで、それでは送ってさしあげるから、安心して少しおまちなさいと家にあげて、干し芋などさし上げております内に、遊び疲れたんでございましょう、その場に眠っておしまいになって、私どもの用事も一段落ついてからお送りすることにしました。でも出てくる時にも、よくお休みでしたんで、おんぶしてお連れしたというわけで、もっと早く来ようと思いましたが、つい遅くなりまして申し訳ありません」
 「とんでもない、申し訳ないのは、こちらの台詞。ちょいとお待ち下さい……あの、これはほんの酒手代
り、私の気持ちです、お受けとり下さい」
 「いや、先生とんでもない、そりゃいただけません。先生が貧乏なさっている事は、この辺の人間なら誰で
も知っております。その先生から礼金をとったなんて事になったら、私はこの辺の若い者に袋叩きの上に簀
巻(すまき)にされてしまいます。じゃ、私はこれで……」
 「あ、ちと、失礼じゃが、お名前と生業をよろしければおきかせ願いたいが……」
 「それが改めて名のるほどの者じゃありませんが、名は平次と申します。竜泉寺町(吉原の北)に私の兄がおりまして、田圃(吉原の南)の中に兄の持物の空地があり、そこに掘立小屋を建て、夫婦でくらしておりま
す。生業といえば朝方は兄の仕事の豆腐屋を手伝い、夕方からは吉原往き来の客を相手に、おでんに爛酒を商っております。私も本来なら豆腐屋でして、三年前まで四谷の忍町(おしちょう=四谷三丁目交差点際)で商をしておりましたが、火事で焼け出されて、すっからかん、兄をたよったものの、今だにこんな具合でして」
 「そうですか、朝な夕なに大変でござるな、これから商を?」
 「ヘイ、私がお孫さんを背負いまして、商売道具は女房にかつがせて、お宅の前まで来ております」
 「そうですか、その商売道具というのは……ちと見せていただけぬか」
 「いや、先生にお見せするような代物じゃあ……」
 鵬斎が玄関から表に出てみると、そこに棒てふりの屋台がおいてある。リンゴ箱をタテにしたようなもの
を二つ、その上に仕切りがあって、更に上に屋形がついていて棒が渡してある。それをかついで辻々に出て
商をする。売るものといえば、お酒と味噌おでんというごく素朴なもの。屋台だって車屋台じやありません
から小さなもので、しかも世辞にもきれいとはいえない。箱屋台の上の方は障子張りで、その紙に味噌が飛
び散ったりして薄汚れていて、今なら保健所が営業を許可しそうもないというやつです。
 鵬斎先生、その汚い屋台を見ていたが「うん」と一声発したと思うと、その内の一枚の障子を外して、
 「平次殿、しばらくこれをおかし下さい」
 と云ってツカツカ家の中へ入ってしまった。屋台の障子は三方にはめてありまして中に、ローソクとか灯
油で燈りをつける。でも三方の内一枚でも外すと風が通って炎が消えてしまうから、平次は商売に行けない。
でも、すぐに鵬斎が戻ってきまして、その手にきれいに張り替えた障子がある。
 「お待たせした」
 と元の通り障子をはめてやる。もう辺りは暗くなっておりますので、小さなローソクでも火をつけると、
くっきり、「おでん 爛酒」と鵬斎の手でしたためた美事な字が浮かび上がります。しかも脇に「平次殿」と
あって、下に小さく「鵬斎」として朱あざやかに落款がある。
 「先生、これは……」
 「私からのせめてものお礼じゃ、お金は受け取らんだろうから、これで我幔して下さい」
 「ハ、ハァー、こ、これは有難うございます。これは外して風呂敷に包んで、家に持ち帰って大事にしまっ
ておきます」
 「いやいや、そんなつもりで書いたのじゃない。そのまま、それで今夜は仕事をして下さい」
 と云う事で、お互いお礼の言葉を交わして、その場を分かれます。

 「これ、おでん屋、熱いのを一つ頼むぞ」
 風体のあまりよくない御家人風の侍に呼び止められ
 「へ、只今。桜もそろそろおしまいだというのに夜はまだ少々冷えますなあ(渋団扇をパタパタさせ)おで
んはいかがです?」
 「おでんなどいらん、早く熱爛を出せ」
 「ハイ、只今」
 この侍、すでに多少酒が入っているんですが、フト目の前にある障子の字を見た。
 「これは親父の手か」
 「エツ、何でございます?」
 「お前の手なのかと訊いておるのだ」
 「へ、手前の手はこれです。こちらが右手で指が五本、こっちが左手で指が五本、生まれてこの方、一本の
指も損じてませんで合わせて十本」
 「何を馬鹿な、この障子の『おでん 爛酒』とあるのはお前が書いたのか」
 「エッ、それですか、私が? とんでもない、私がそんなに上手に書けるはずがありません」
 「そうだろう、そうだろう」
 「その字が目にとまりましたか、内証の話ですが、それは亀田鵬斎先生に、ついさっき書いてもらったもの
なんですよ」
 「なに、亀田鵬斎が……でたらめを申すな」
 「でたらめじやありませんよ、下の方に署名と落款があります、どうです」
 「なに……これは贋物(にせもの)だ、人を馬鹿にするな。十万石の大名が百両百貫つんだとて首をタテに
は振らぬ鵬斎が、フン、おでん屋ごときに」
 「いや、そうはおっしやいますが、これはちょいとした訳がありましてね、実は……お耳を……」
 「ナニ、それは真(まこと)か」
 その侍、真剣な顔つきになり障子に手をかけて、強引に外して、眼近にじっと眺める。
 「あゝ、お侍さん、それを外しちや困るんです」
 「ウム、そういう事か、なる程鵬斎の手だ」
 「お侍さま、それを元に戻して下さいまし」
 「やかましい、こういうものを、おでん屋が持っていても世のため人のためにならぬ。拙者がもらって行く
ぞ」
 「あゝ、困ります、それがないと風がきて、中の灯が消えちゃいます」
 「うるさい、ただとは云わぬ一両で納得せい」
 と障子を抱えて侍さっさと何処かへ行ってしまう。あとに一両小判が残る。

 「あの、ごめん下さい、鵬斎先生は御在宅で」
 「おゝ、昨日のおでん屋平次さん、さあ、お上がりなさい」
 「先生、それどこじやねえんです。お詫びに参上しましたわけで、それがその、昨夜せっかく書いていただ
いた、看板とも云うべき障子を風態のよくない侍が、アッという間に持って行っちまいました」
 「そうか、その侍酒代にいくら置いて行った?」
 「はい、一両……これがその一両です。どうぞお受け取り下さい」
 「どうしてそれを、わしが受け取るのだ?」
 「あれは先生の字が一両に売れたんですから、先生のものなんです」
 「いや、あれは平次殿に書いてさし上げたもの、それを誰かが買えば代金は貴方のものだ」
 「それでは私共夫婦が先生の書を売って金儲けしているように思われちゃいます」
 「いいじやないか、わしはなんとも思わんよ。なに新しい障子を取り付けたと、どれ見せてごらん……
ウワ一、これは下手な字だ、酒がまずくなってしまう。どれ、もって来なさい、もう一度書きなおしてやる」
 改めて鵬斎『おでん 爛酒』と書いて、落款も施してやる。
 「どうも、あいすみません。今度は大事にいたします。これはすぐに家に持ち帰って何処かに隠しておきま
す」
 「あゝ、そんなことしないで、また奪られたら何度でも書いてやる、安心して、それで商いをして下さい。
それにしても一両は安いな」
 おでん屋平次、恐縮し放しで、その場を去ります。

それから四、五日して
 「先生、いらっしゃいますか」
 「おゝ、平次さん、どうなったい」
 「あ、あの、またやられました。今度はなりのいい立派なお侍が、酒を注文したとたんに、先生の字に目を
つけましてね、今度は、何も云わずにとぼけてましたが、じっと先生の字をみつめて、間違いないとか云いま
すので、これはまずいと思い、おでんでもいかがです、と気を外そうとしたんですが、おでんなど要らん、と
云うなり障子を外して、五両で我慢しておけと、小判をおいて、障子を抱えて行ってしまいました。この五
両は先生のものです、お納め下さい」
 「いや、その金はわしのものじゃない、平次さん、貴方のものだ。あれは貴方のために書いてやったのだか
ら貴方のもの、それでいいではないか」
 「この間の一両もいただいちまして、また今日もでは、恐れ多いです」
 「いいんだよ、何度でも書いてやると云ったではないか、遠慮することはない」 

  一方、おでん屋から、五両で鵬斎の『おでん 爛酒』の書を手に入れた侍というのが、太川(ふとかわ)
越中守の家来でして、これをきれいにはがしまして、江戸家老の前田三太夫を通して主君に献上しました。
越中守も大変喜ばれて、褒美として金十五両をその家臣がちょうだいして、皆を羨ましがらせました。
越中守の下屋敷では、その『おでん 爛酒』の書を立派な一軸に仕立てまして、床の間に飾ります。
 「のう三太夫、いくら鵬斎といえ『おでん 爛酒』はちと無粋じゃのう、せめて李白、社甫の詩を揮毫させ
たいものだが」
 「殿、何を仰せられまする。李白、社甫の詩など珍しいものではありませぬ。あの反骨、剛気な鵬斎が『お
でん 爛酒』と書いたればこそ値打ちがあるというものではありませぬか」
 「なる程、左様か、うーん」
 「申し上げます、只今、後田加賀守様の御重役、田中四(よ)太夫様、火急の用件にて御家老に面談いたし
たき御様子」
 「左様か、すぐまいる……やあ、これは田中四太夫殿、火急の用件とは何事でござるな」


 「さらば単刀直入に申し上げるが、御当家では亀田鵬斎の書、入手と聞及ぶ。我が主君日頃より、殊の外鵬
斎の書を愛しておる事、貴殿も承知の事でござろう。さればでござる、御当家で入手したる「おでん 爛酒」
の書、手前どもにおゆずり願いたい。火急の用件とはこの事でござる」
 「その儀おことわり申す」
 「元より、ただとは申さぬ、五十両にておゆずり願いたい」
 「おことわり申す」
 「では百両にて承知願いたい」
 「いや、いくら金をつまれても、この儀ばかりは了承いたさぬ」
 「されば聖武天皇御宸筆(しんぴつ)の大仏建立のための勧進帳一巻とおとり替え願いたい」
 「聖武天皇御宸筆の大仏建立のための勧進帳一巻、当藩にもござる」
 「しからば神武天皇、東征の折りの檄文の宸翰(しんかん=天子の直筆)一巻とおとり替え願いたい」
 「なに神武天皇、東征の折りの檄文の宸翰(しんかん)、まったく同じもの当藩にもござる」
 「しからば、王義之の直筆の遺言状と、おとり替え願いたい」
 「なに王義之の直筆の遺言状、まったく同じもの当藩にござる、皆珍しくもなし。たとえ田中氏の申し立て
にて、何千、何万両をつまれても『おでん 爛酒』の書ゆずる事あいなりませぬ」
 「これほどお願い申しても」
 「くどい事を、何度手をついて頼まれても、いっかな叶う事ではござらぬ、諦められい」
 そうまで云われては仕方がない。田中四太夫、憤然と席をけって退出します。

 こちらは、おでん屋の平次です。三度も鵬斎に、『おでん 爛酒』と書いてもらいましたが商に出れば
すぐに侍にもって行かれる恐れがあるというので、夜の仕事を五日ほど休みまして六日目に鵬斎の書をはめ
て、恐る恐る流してみましたら幸い誰も気付きません。
それでも用心深く、毎晩同じ場所で商をしたら危ないというので次の日は根岸から車坂の方へ向かった。ま
だ明るい内に屋台をかついできまして、下谷と浅草の境にあります幡随院近くの人通り少ない路地へと入り
まして、まるで隠れるようにして商売の準備をします。
 七輪に火をおこし、風呂敷に包んできました『おでん爛酒』の障子を屋台に、あたりの様子をみながら、恐
る恐るはめます。それから蒟蒻と芋を煮るために、団扇を使ってパタパタ煽っております。
 それを近くの武家屋敷の築地塀のかげからじっと様子を見ている男がいる。田中四太夫です。
 「これ、甚八、あのおでん屋か鵬斎と昵懇というのは、もう一度よく確かめてまいれ、この頃はおでん屋平
次の偽物が多くて、当方も翻弄されておる、間違えるでないぞ」
 「ヘイ……ちょいとお待ち下さい……ヘイ、あの男に間違いありません」
 「左様か、御苦労であった、気付かれなかったろうな」
 「ヘイ、大丈夫です」
 「ソレッ」
 という四太夫の号令を合図に、股立ちをとり襷(たすき)がけの侍六、七人が走り出て、おでん屋を取り囲む。
 「ヘイ、いらっしゃいまし、え、何人様でございましょう。ちょいとお待ち下さい、今おでんがあたたまり
ますから、なにしろ口開けだもんで、へ、今味噌もあたためます」
 そこへあとから四太夫がやってきて、
 「おでんなどいらん。ウーム、これだ、間違いない。者共、これを屋台ごと下屋敷へかつぎ込め、おでん屋
許せよ」
 「あゝ、あ、困ります、な、なにをなさいます、その中には酒が四升、芋や蒟蒻も入っているんですよ、ち
ょっと」
 「構わん、早く行け!」
 あっと云う間に屋台が消えてしまった。
 「親仁、手あらな事してすまぬ。二十五両、少ないだろうが、当藩にも予算があってな、これで納得してく
れ」
 「エツ、これは二十五両、ウワー、二十五両なら、私ごとさしあげますんで、何処へなりと運んで行ってお
くんなさい」
 「お前はいらん、その代わり、おでん屋をやめて、その金を元手に何か別な商売をいたせ。それから、二度
と鵬斎におかしなものを書かすでないぞ」
 「へ、ヘイ」
 「今の事、一切他言無用じゃ、よいな」

 「アハハハ……そうかい、今度は二十五両になったか、そうかい……なんだい、この金は、こりゃ平次さ
ん、貴方のものだ、私がもらう筋のものじゃない。まあまあ、納めておいてくれ、私はこうなるのを予測して
いたのさ。私からの贈物と思って下さい。これまでのを合わせて、どうだい、何処かで豆腐屋をやり直し
ちゃ、裏店でよければ、どうにかなるだろう」
 「そりゃ三十両からのもとでがあれば、手頃な店を借りて……でも、それじゃあんまり勝手すぎて罰が当た
ります。三十一両のせめて半分でも先生にお返ししたいんです」
 しかし磊落(らいらく)無欲な鵬斎、金をそっくり平次に持たせてやります。それから二十日ばかりした昼
下がりです。
 「先生おいでですか」
 「おヽ平次さんか、元気でやっとるかな」
 「ヘイ、おかげ様で、赤坂の一ツ木町(赤坂四丁目東側)で手頃な貸店を見つけましてね、それが三軒長屋
の真中ですが、そこで豆腐屋を始める事にしました。三年以上白分の店を持てないでいましたが腕はちっとも
鈍っちゃいませんや」
 「そうか、場所もいいし商売をするにはもってこいだ、よかったなあ。開店の祝いに金一封進呈したいが、
今手もとに、なにがまるでないのだ」
 「とんでもない、これ以上、先生に厄介かけたら、それこそ本当に罰が当たり目が潰れます」
 「なにを大げさな事を云う……と云っても、でも、なにかお祝いをしてやりたいなあ……うん、いい事があ
る。お前さんの店の軒に掛ける看板を書いてやろうじやないか」
 「エッ、先生が私の店の看板を書いてくれますか、そうしていただければ、鬼に鉄棒、商売繁昌間違いなし
だ。先生お願いします」
 「うん、書いてやるぞ」
 「みごとでしょうな……いや、でも、それだけは先生、せっかくですが御辞退いたします」
 「どうしたい、急に、遠慮するな、なにも平次さんから揮毫料をとろうなんて考えちゃいねえよ」
 「でもね、まずいんですよ」
 「どうしてまずいんだ」
 「そんな事してもらったら、三軒つづきの長屋があぶない」

<完> 

『本草堂 江戸噺』 相模書房より 

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