落語「幽霊そば」の舞台を行く
   

 

 三代目柳家権太楼の噺、「幽霊そば」(ゆうれいそば)より


 

 「起きてくんないかな」、「うるさいねッ。お前さんかぃ」、「そうだよ」、「お前さんは三月前に死んだんだよ。腐ったはんぺん食べて、皆笑っていたよ」、「それを食わせたのはお前だろ」。
 「何で出てきたの」、「四十九日の法事もやってくれないだろ。次に行けないんだ。法事やってないから、返されてきたんだ」、「そんなこと言ったって、お金無いよ」、「みんなが香典持って来ただろ」、「あれはダメ。着物買っちゃったもの。無いわよ。しようが無いじゃないの。働きな」、「俺は幽霊だよ。どうやって働くんだぃ」、「夜、働けばいいんだよ。屋台借りておくから、そばを売りな。それで法事出してあげる。働きな。自分のことは自分でしな」、「働くから、頼むから法事出してくれよ」。

 「いらっしゃいませ」、「人通りの無い変なところに店出したな」、「花巻にしっぽく、何でも出来ます」、「そば屋ってもっと威勢がいいんだろ・・・。屋号何て言うの」、「『うらめしや』って言うんです」、「何でもいいから早くして・・・。どうでもいいが、元気無いな」、「私、幽霊ですから。見ます足下」、「幽霊は手をこう下げているだろう」、「追い返されたので、まだ出来ないんです」、「どうして、そば屋なんかやってるんだ」、「法事済んでいないので、追い返されたら、かかぁは自分の着物を買ってしまい、『自分のことは自分でしろ』と言うから・・・。私を見て怖くないですか?」、「女の幽霊は怖いけれど、お前みたいな、ごっつい顔の幽霊は怖くない。芸協の鯉昇みたいだな」。
 「ハイッ、出来ました」、「(ズルズル)旨いじゃないか。竹輪入っているのか。本当か」、「それ、『時そば』でしょ」、「幽霊のそばを食ったのは初めてだから、そば代の他に祝儀をあげるよ。あッ不祝儀か。友達連れてくるよ」、「がんばります」、「死ぬ気で頑張れッ」、「ありがとうございます」。

 「おっかぁ。あれだけ働いてお金渡したのに、まだ法事やってないじゃないか」、「おみつぁん連れて田原町に仏壇買いに行こうと思ったら、上野池之端でウナギを食べちゃったのよ。『伊豆栄』のウナギが旨かったのよ、で、お金は無いのよ。ね、働いてッ、道具はそろっているから」。

 「いらっしゃいませ」、「えッ、まだ居るの。どうしたんだぃ」、「売り上げでウナギを食っちまって、法事があげられないので、また働いているんです。お友達連れて来てください」、「分かった、分かった」。
 「友達連れてきたよ。こいつ幽霊。何かやれッ、そばだけじゃ金は貯まらないだろ」、「何を・・・」、「皿数えろッ」、「『お菊の皿』ですか、よく分かりませんが・・・。一枚、二枚、三枚、四枚」、「もっとまじめにやれッ」、「八枚、九枚、十枚」、「馬鹿野郎、九枚でやめろ。お前は何かあるか?」、「私は、『カランコロン』と言うのをやってください」、「牡丹灯籠のお露さんかッ」、「やります」。

 「おっかぁ、どうして出してくれないんだよ」、「仏壇買いに行ったら、もう少し足を伸ばして、『大黒家』で天丼食べちゃったのよ。美味しくって長屋中に配っちゃったのよ。働いておくれよ」、「いい加減にしろよッ」。

 「と言うわけで、また働いているんです」、「しょうが無い女で、ダメな女だなッ」、「食い物ばかりで・・・、食い道楽なんでしょうかね」、「お前んとこのかかぁは食い道楽では無く、ゲテモノ食いだぜ~」、「ウナギや天丼はゲテモノに入るんですか」、「そうじゃないよ、お前という人を食っている」。

 



ことば

四十九日の法事(49日のほうじ);四十九日(七七忌)とは、故人が亡くなってから49日までの間のことです。死後の世界では亡くなってから7日ごとに7回、あの世で生前の罪状などを裁く審判が行われると考えられており、それがすべて終わるのが49日目とされています。この間を中有(ちゅうう)または、中陰(ちゅういん)ともいいます。49日目は中陰が満ちる日、すなわち満中陰といい、すべての審判を終えた魂は家を離れて極楽へと旅立つと考えられています。遺族にとっても49日は、この日を境に日常生活に戻る「忌明け(きあけ)」の日です。親せきや生前故人が親しかった友人や知人を招いて法要(法事)を営みます。これが四十九日法要です。
 四十九日法要以外にも、初七日(しょなのか)の法要や三十五日法要など法要を営む機会はありますが、近年では葬儀当日後に初七日の法要まで済ませることも増えている中、四十九日法要が、葬儀の後に行う最初の大きな法要という場合も多くなっています。 浄土真宗では、臨終と同時に仏になると考えているため、追善供養ではなく、阿弥陀如来のお心に触れ、仏恩報謝の懇念を深めるために行います。

香典(こうでん);死者の霊に供する香に代える金銭。仏式等の葬儀で、死者の霊前等に供える金品をいう。香料ともいう。「香」の字が用いられるのは、香・線香の代わりに供えるという意味であり、「奠」とは霊前に供える金品の意味である。通例、香典は、香典袋(不祝儀袋)に入れて葬儀(通夜あるいは告別式)の際に遺族に対して手渡される。

屋台のそば屋(やたいの そばや);屋根が付いていて、移動可能で、飲食物などを売る店舗。 屋台の形態は国や地域によって様々なものがあるが、初期の形態としては、天秤棒で担いで売り歩いた形態があったが商品を多く運べないのが欠点。リヤカーのように可動式の店舗部分を人力、自転車、オートバイで牽引するものや、テントのように組み立て型の骨組みをもとに店舗を設置する場合もある。またトラックの荷台の部分を改造したものもある。
 握り寿司や蕎麦切り、天ぷらといったすぐに提供できる食べ物が屋台で提供された。その後に、おでん、焼き鳥店も出現し、軽食やおやつの外食が広がった。 屋台は寺社の門前、大店の立ち並ぶ通りなど、人の集まりやすい場所に出現した。江戸の各所に設定されていた広小路や火除地には、床店と呼ばれる移動可能な店舗や屋台が密集し賑わっていた。
右:リヤカーに積まれたソバ屋

花巻にしっぽく(はなまきに しっぽく);花巻とはかけそばに細かく切り刻んだ海苔を掛けたもの。ざるそばの暖かい丼ものの蕎麦。

(広辞苑)によると、しっぽくとは【卓袱】(唐音)
(1)中国で食卓の被いのこと。転じて、その食卓の称。卓袱台。
(2)そば・うどんの種(タネ)に蒲鉾・松茸・椎茸・野菜などを用いた料理。
しっぽく‐りょうり【卓袱料理】 江戸時代、長崎地方から流行し始めた中華料理の日本化したもの。主として肉・魚介類を用い、各種の器に料理を盛って卓袱台の上に置き、各人取り分けて食う。長崎料理。

 元来は長崎料理のしっぽく料理から転じて、蒲鉾やキノコ、野菜を乗せた蕎麦を言うようになったと思われる。しかし、現代では花巻もしっぽくも絶滅したか、それに近いようで、ヤンバルクイナか佐渡の朱鷺かと言う状態である。気の置けない店で聞いても、「知らない」と言う返事がどこでも返ってくるだけである。”しっぽこ”とは、江戸なまり。
 しっぽくも落語では竹輪(または、まがいの竹輪麩)が1枚入っているのみの、温かいどんぶり蕎麦です。


幽霊(ゆうれい);死者が成仏し得ないで、この世に姿を現したもの。亡者(モウジヤ)。

芸協の鯉昇(げいきょうの りしょう);春風亭鯉昇→瀧川 鯉昇(本名:山下 秀雄(やました ひでお)、1953年2月11日 - )は、静岡県浜松市生まれ。浜松市立広沢小学校、浜松市立蜆塚中学校、静岡県立浜松西高等学校、明治大学農学部卒業。落語芸術協会所属で、同協会監事。出囃子は「鯉」。
 NHK新人落語コンクール 最優秀賞(1983年)。 国立演芸場花形若手落語会 金賞(1984年)。 第5回国立演芸場若手落語会金賞銀賞の集い 大賞(1985年)。 にっかん飛切落語会 若手落語家奨励賞(1988年)(1989年)の二回。 51回文化庁芸術祭 優秀賞(1996年)。
右写真:瀧川 鯉昇。(鯉昇ホームページより)

時そば(ときそば);落語「時そば」よりのパロディ。
 「それから竹輪をこんなに厚く切っても良いのかィ。それに本物じゃネェーか、竹輪麩なんかまがいもんで病人が食うもんだ」。と言うのを聞いて、頭のネジが1本緩んだ江戸っ子がまねをしたが、竹輪は名人芸のようにカンナで削ったように薄く、病人が食う竹輪麩。その竹輪麩はあまりの薄さでどんぶりの内側にへばりついていて、見つけるのに苦労した。

不祝儀(ぶしゅうぎ);不吉な出来事。凶事。ふしゅうぎ。特に(婚礼に対して)葬式。その時に出す、心付け。

田原町に仏壇買いに(たわらまちに ぶつだんかいに);台東区の浅草通りに面して神仏具店が並んでいます。田原町とは、浅草・渋谷間を走る地下鉄銀座線田原町駅のことです。現在は田原町という町名は有りませんが、上野から東上野、元浅草、寿と町が並んでいて、この交差点を寿四丁目と言います。この先が地下鉄浅草終点です。下写真:田原町の地下鉄出口が有り、上野方向に仏壇屋が並んでいます。

 

上野池之端(いけのはた);台東区上野二丁目。不忍池に面した南側の町。その池之端側から不忍池を望んでいます。今は蓮が満開で緑の葉の中にピンクの花がビッシリと咲いています。下:写真。

 

伊豆栄(いずえい);東京都台東区上野二丁目12-22。不忍池のほとり上野池之端に有る鰻割烹料理店。
 徳川八代将軍吉宗公の頃に、町中のささやかな商いから始まった。現在伊豆栄は、昭和五十九年に改築して面目一新した池の端本店のほかに、不忍亭、梅川亭、永田町店、佐渡天の川荘と、四カ所に支店を出し、それぞれ格別のごひいきにあずかっております。基本的には鰻料理を中心として、ほぼ同じ御献立を出させていただいております。
 鰻のポイントは、「鰻そのもの。そしてタレ、ごはんのよしあし」。
「裂き」「串」「焼き」が重大三要素といえ、その三要素の中でもとくに決定的なのが「焼き」です。
俗に「裂き三年、串八年、焼き一生」。
(伊豆栄のホームページより)

お菊の皿(おきくのさら);落語「お菊の皿」(皿屋敷)をモチーフにしています。
 「お菊さんに10枚組の葵の皿を預けた。1枚だけ隠して、組み皿を持ってこさせたが、何回数えても1枚足りない。お菊さんを井戸に吊しせっかんしたが、元より知らない事、返事が出来ない事をイイ事に斬り殺して、そのまま井戸に投げ込んだ。その後、お菊さんの幽霊が出て 『1枚、2枚・・・・9枚』と皿を数えた。そして鉄山は気が触れて自決した」。

牡丹灯籠のお露さん(ぼたんどうろうの おつゆさん);落語「牡丹灯籠・お札はがし」をご覧ください。
 お露と女中のお米の幽霊が恋煩いの相手信三郎の家にやって来る。夜になると「 カランコロン、カランコロン」という駒下駄の音。お米が持つ牡丹柄の灯籠。

 大黒家(だいこくや);東京都 台東区 浅草一丁目38-10 。創業明治二十年。浅草名物、天丼の店です。
 大黒家といえば天丼。 ご飯が見えないくらい大きくどんぶりからはみ出た海老天丼が人気です。 ごま油だけを使って、キツネ色に揚げた天ぷら。 ちょっと辛めで濃厚なタレは一度食べたら忘れられない懐かしい味がします。大黒家天麩羅は明治二十年(1887)、浅草 伝法院通りに、そば屋としてはじまりました。現在の本店所在地と同じ伝法院通りは、人通りが多く、賑やかで繁盛してはいたものの、忙しい割には儲かりませんでした。でも天ぷらそばがたくさん出た日には売り上げが上がります。そこで明治の末にそば屋から天ぷら屋になりました。屋号が「大黒屋」から『大黒家』に変わり店主は四代目となった今も、昔の味をずっと守り続けています。
 天丼は、明治二十年天丼は三銭、大正八年には二十五銭、昭和十二年では四十銭だったといいます。
(大黒家ホームページより)

食い道楽(くいどうらく);うまい物や珍しい物を賞味する道楽。また、その道楽を持つ人。

ゲテモノ(げてもの);一般から風変りと見られるもの。
 とくに、食の分野で、一般的に食べることを躊躇するような食材。犬・猫の肉や爬虫類、両棲類など。奇食、悪食(あくじき)、下手食(げてぐ)い、いかもの食いなどとも言う。
 交際とゲテモノ:食品におけるゲテモノの概念の延長で「普通なら食べない」という意味合いから、奇矯な愛好心を指してゲテモノないしゲテモノ趣味と称する場合もある。例えば性的な関係を結ぶことを、俗語の範疇では片側の主観において「食う」ともいうが、この延長で「不細工な容姿をしている」などの要素をもつものとあえて関係を結ぶ者を指して「ゲテモノ食い」と表現する場合もある。 ただし恋愛は当事者同士の価値観の問題なので、傍目に奇妙な取り合わせ(「美男と醜女」とか「美女と醜男」とか「極端な年の差カップル」だとか)でも、当人らが満足しているなら別の話である。



                                                            2018年9月記

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