落語「風邪の神送り」の舞台を行く
   

 

 三代目桂米朝の噺、「風邪の神送り」(かぜのかみおくり)より


 

 「親っさん、いてなはるか」、「若いもんがぎょ~さん揃ろて。ま~、とにかくこっち入れ」、「悪い風邪が流行ってまんな~」、「よその町内みなやってまんねん、やらんのうちだけや。大阪中の風邪の神がうち~、逃げて来るよ~な気がしまんねん。で、風邪の神送りをやろかっちゅうて」、「結構なこっちゃが、積み金でもあるのんかい」、「何もあらしまへんねや」、「何ぼか町内回って集めたろ。さッ『覚え帳』できたらこっちかせ」、「みなも付き合えよ、わしが口きぃたるけど、お前らが集めんねやさかいな」。

 「え~、お邪魔をいたします。悪い風邪が流行っとりまっしゃろ。で、町内の若い連中が風邪の神送りをやろ~と言ってくれましたんでな。お志だけ付けていただきます」、「些少ながら、天保五枚だけ付かしてもらいまひょ」、「おい、帳面方『黒田屋様、天保十枚』と書いとけ。初筆はサクラでぎょ~さん書いとくねや。さッ、隣行こ」。

 「えぇ~、ごめんを」、「はい、はい」、「悪い風邪邪が流行っとりまっしゃろ。風邪の神送りをするのに、お志だけお願いいたしま」、「黒田屋さんが、天保十枚でやすか。わたしとこは天保三枚で」、「おおきありがと」。
 「親っさん」、「何じゃい」、「姐貴がな、親っさん見たら『お人が見えてるんでじきに家帰ってもらいたい』ちゅうてはったで」、「わしゃいっぺん家去(い)んでくるさかい、用事が片付いたらまた戻って来るさかいな、細こう軒並みに回っとけよ」、「親っさん、なるべく早よ帰って来てや」。

 「ほな次行こか」、「ここは止めといたり」、「何でや」、「ここ、タケノコ医者の家や。近所の者はみな知ってるさかい、命の惜しいもんは誰もこんな先生にかかれへん。この頃、風邪が流行ってるやろ、知らんやつがちょいちょいここへ来んねや。で、やっと風邪のお陰でな、親子三人お粥(かい)さんすすったはるっちゅう家や。そこへみんなして風邪の神送ったりするちゅな、口の端(はた)のママ粒かき落したるよ~な、そんな殺生なこと止めとき」、「抜かすわけに、いけへんやないか。遠慮せんと入ったらえぇ、入ったらえぇねん。え~、お邪魔をいたします」、「お越しなされ」、「ひとつお志だけお願いをいたしたいと思いまして」、「お付き合いで止むを得ません。ではま~、些少ながら、波銭三枚だけ付かしてもらいます」、「ど~も、おおきありがとはんで」、「おい、何ぼくれよった」、「十二文や」、「清水の舞台から飛んだつもりで出しよったんや。気の毒な」。

 「ここは空家と違うか」、「何でや」、「人が出入いりしてるとこ見たことないがな」、「有名な『おてかけはん』やがな」、「そぉか、 別嬪さんか」、「こんだけの女ごおらんぞ。前な~、キタから出てはったんや。よ~売れた芸妓やがな。えぇ旦那が付いて、引き祝いも立派にして、一軒住まわすについては何じゃかんじゃで一箱かかってるちゅう代物(しろもん)やがな」、「一箱?寿司か」、「押し寿司と違う。千両かかったぁるちゅうねや」、「せッ、千両ッ」、「昔からな『女ごは生え下がりの長いのんを美女』と言うやろ」。
 「え~、お邪魔をいたします」、「はいはい」、「風邪の神送りをやりたいと、お志だけ付いて」、「わたくしどもは女ごばっかりで勝手が分かりませんので、ど~ぞひとつこれでよろしゅ~お願い申します」、「さよか。おおきありがとはんで」。「一分やでおい、金一分様と書け」。

 「次行こ」、「ちょっと止めとき」、「お前はゴジャゴジャ言うねやな~」、「お前、十一屋ちゅな、こんなとこ行たらムカつくだけやで。こんなケチな家あらへんねや」、「有名な『十一屋の握り屋』ちゅなものは。も~出すのは舌出すのも嫌いやちゅうねや、もらうもんなら元日の葬礼(そうれん)でももらおかちゅうやっちゃ。も~こんなとこ行たらムカつくだけやさかい、止めとき」、「軒並みに回ってんのに飛ばすわけにいけへんがな」。
 「お邪魔をいたします」、「はい」、「風邪の神送りをやろっちゅうことになりましたんで」、「うちは誰も風邪は引いておりませんがな」、「ひとつお志だけ付いていただきますよ~にお願いにまいりましたんやが」、「これも町内の付き合いじゃ、持って行きなはれ」、「何ぼくれはってん」、「二文。べた銭二文や」、「タケノコ医者でも十二文出したんやないか馬鹿にしやがって、こらどない思てくさんねん、こんだけ若いもんが顔揃えて来てんのに、二文や三文の端金(はしたがね)ならこっちからくれてやるわい」。 
 「おのれ、誰や、誰や? 離せッ」、「待てッちゅうねん」、「あッ、親っさんか」、「罰当たり『二文や三文の端金』ちゅて叩き付けたな。天下通用のお宝じゃい、一文の銭でも。そんな料簡ではお前、出世でけへんぞ。引っ込んでぇッ」。
 「若い連中の顔も立ちませんのでな、この二文の銭は無事に風邪の神送りを済ますまで、そちらへお預けいたしますので、ど~ぞお預かりを願います。おいッ、銭だけ預けんねやないで、喧嘩もついでに預けとくんじゃッ、町内の若いもん、どない思てくさんねん、えッ。これだけ雁首揃ろぉて、お願いに来てるのに、二文の銭で、大きな顔しやがったなぁ。若いもん、どない思てんねんッ。そんなこっては十一屋の身代に疵(きず)がつくで」、「親っさん。よぉ言ぅてくれた」。

 残りをざ~っと回りまして、空き家へ立てこもるんですなぁ。そこへみな集まりまして、それから竹を買いに行く、ワラを買いに行く、縄を買いに行く、紙を買いに行く。筆や墨を用意いたしましてな。で、こ~張りぼての人形をこしらえまして、それにこ~顔を書いたりしてな、風邪の神と言うことにいたします。
 さ~、お供えもんを買~てこないかん、餅を買~てくる、酒を買~てくる。 お供えを風邪の神の人形の前に積み上げまして、みな「ど~ぞ風邪の神さん、ご退散を願います」と、お祈りをいたします。
 日が暮れになりますと言うと、大勢でこれ川に流しに行く。鉦(かね)やら太鼓やら三味線やら持ち出しまして、この木の上に乗ってます風邪の神の人形を、先頭に立ったやつが担いで、囃したてて流していきます。
 ♪か~ぜの神送ろ ♪か~ぜの神送ろ ♪か~ぜの神送ろ (楽屋に控えている噺家さんたちも一緒になって囃し立てます)♪か~ぜの神送ろ  「さぁ、ここへ放り込め」っちゅうわけで、ポ~~ンと放り込みますと、あとも見ずにサ~ッと逃げて帰ります。風邪の神の人形は川下へ川下へと流れて行くんですが、それからズ~ッと川下のほー。も~、とっぷりと真っ暗に日が暮れてます。そこへ、船を出しまして四つ手網で魚を受けてる人がございます。

  「こ~やってると、ズシッと重たいもんがかかる」、「あれッ? 船頭はん、ちょっと手ぇ貸して、動かんよ~なってもたがな」、「ゴモクでやすか」、「ゴモクにしてはえらい大きいんじゃがなぁ、何やろ?」。
 大勢の人の気持ちが集まったものか、網の中にかかっておりましたその風邪の神の人形ですが、精が入って、それへさしてズズ~ッ、「何じゃい、お前は」、「わしは風邪の神じゃ」、「あ~、それで夜網(弱み)につけ込んだか」。

 



ことば

三代目桂 米朝(かつら べいちょう;(1925年(大正14年)11月6日 - 2015年(平成27年)3月19日)、満州・大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家。本名、中川 清(なかがわ きよし)。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。俳号は「八十八」(やそはち)。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から『上方落語中興の祖』と言われた。1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。
 1979年(昭和54年)に帝塚山学院大学の非常勤講師を務めた。所属は米朝事務所。尼崎市に住んだ。
 後に師匠となる四代目桂米團治に教えを請う機会が生じた。この時に「高津の富」を教わる。 やがて、師・正岡容の「いまや伝統ある上方落語は消滅の危機にある。復興に貴公の生命をかけろ」との言葉を受け、本格的に落語家を志すようになり、1947年9月に会社勤めをしながら米團治に入門。三代目桂米朝を名乗る。一旦勤めを辞めて米團治宅の内弟子となるものの親戚から叱責を受け、姫路市内の広畑郵便局員として1年ほど勤務した。その後、師・米團治の死に遭い、落語のみに精進する事を決意する。
 上方落語四天王と讃えられた六代目笑福亭松鶴、三代目桂小文枝(後の五代目桂文枝)、三代目桂春団治らと東奔西走して尽力した。現在の上方落語の隆盛は米朝・松鶴らの功績であるというのが衆目の一致する処である。

風邪の神送り;むかしは風邪でも、この頃の言葉で言ぅたらインフルエンザなんと言うよ~な、あ~言うちょっと寝て休んだぐらいでは治らんよ~な風邪が流行りますと大変ですわな~、大阪の町じゅ~大騒ぎになります。そ~言う時にこの、風邪の神送りてなことをやったんやそ~で、ま~何んでも送るんですな~、虫送りやとか、疱瘡(ほぉそ)の神さん送ろとか、すぐ送りまんねん。風邪の神送りなんか言うのも風邪の神の人形こしらえましてな、お供え物をして「ど~ぞ風邪の神さん、ご退散を願います」と言って、それからそれをみなで川へ運んで行て、バァ~ンと放り込んであとも見ずに帰って来る。と言うよ~なことをやった。あっちの町内でやる、こっちの町内でやる、大阪の川も風邪の神さんが充満 してたやろと思いますが、それがみな大阪湾へ流れ込んだ。こ~言うよ~な風習がよ~あったんですなぁ。米朝マクラより

風邪の神;風邪をはやらせる疫病神です。江戸のころ、悪性のインフルエンザによる死亡率は、特に幼児や老人等の抵抗力の弱い者にとって、コレラ・赤痢・ジフテリアに劣らぬ高さだったので、個人による祈禱や魔除けのまじない、落語「勉強(清書無筆)」のほかに、この噺のような町内単位の行事が行われたのは、無理もないところでした。「武江年表」の「風邪」を見れば、幕末の嘉永3、4年、安政元年、4年、万延元年、慶応3年と、立て続けに流行の記事が見えます。この際、幕府から「お助け米」が出ていますが、明治には廃れてしまった行事です。
 「風邪の神送り」のならわしは、本来は物乞いを雇って、灰墨を顔に塗って風邪の神に見立てたり、鬼や人形を作って町中で練り歩き、鉦太鼓でにぎやかに「風邪の神送れ」(上方では「送ろ」)と隣の町内に追い払うもの。そうして、順送りにし、最後は川に流してしまうわけです。
 右写真:江戸の後期、お
染め風邪が流行って、各住戸の入り口に「久松留守」と、張り紙をした。有名な芝居『お染久松』の相方、「久松は留守ですから、お染めさん入ってきてはいけませんよ」との張り紙です。現代にも引き継がれた風習。浅草にて。

 耳袋では、江戸時代、非人や人形に風邪の神の扮装をさせて送る儀礼を紹介している。同書によれば、風邪が大流行したある初夏、大阪で、風邪の神送りをしていたところ、ある「風邪の神(の扮装をした非人)」が送る者によって空堀に投げ入れられたので、そのままの格好で帰り、家々の戸を叩きながら「風邪の神、帰りました」と言って回ったという。地方によって、咳気の神送り、オイヤレ、ヤウカオクリ、コトノカミオクリ、と言い、咳気神、カゼノカミは病気全般をつかさどるとされた。

風邪(かぜ);感冒ともいう。鼻、のど、気管支などの粘膜に起る炎症性の病気の総称。風邪症候群と呼ぶほうが正しい。ウイルスの上気道感染によるものが多いが、一般にインフルエンザとは区別されている。多くは、疲労、寒冷などのストレス刺激が関係しており、頭痛、微熱、不快感、上気道炎、鼻炎、各種のアレルギー症状、ときには胃腸障害などの症状もあるが、二次感染がなければ安静だけで軽快する。

ヤブ医者;風に騒ぐちゅうところでヤブと言うよ~な名前が付いたらしぃんです。米朝のマクラ。
 その藪にまで成長していない医者を、タケノコ医者と呼んだ。当時は医師の国家資格も無い時代、「医者だ」と言ったものは医者になれたが、タケノコは実力の差で自然淘汰された。

疱瘡(ほうそう);天然痘の俗称。また、種痘やそのあとについてもいう。
 天然痘(てんねんとう、smallpox)は、天然痘ウイルス(Variola virus)を病原体とする感染症の一つ。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。医学界では一般に痘瘡の語が用いられた。疱瘡の語は平安時代、痘瘡の語は室町時代、天然痘の語は1830年の大村藩の医師の文書が初出である。非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率が平均で約20~50%と非常に高い。仮に治癒しても瘢痕(はんこん=一般的にあばたと呼ぶ)を残す。天然痘は世界で初めて撲滅に成功した感染症である。
 右図:さるぼぼ。色が赤いのはもともとは天然痘除けのため

覚え帳(おぼえちょう);奉加帳。勧進に応じて奉加する財物の目録や寄進者の氏名を記入する帳面。寄進帳。転じて、一般の寄付の場合にもいう。

■志(こころざし);好意・謝意などの気持ちを表す贈り物。

初筆(しょふで);初めに書きしるすこと。最初の一筆。しょひつ。最初の人の寄付金が多いと、それにつられて多くなることが多い。落語「五貫裁き」(別名「一文惜しみ」)にも登場の初筆。

天保銭(てんぽうせん);天保通宝(右写真)と呼ばれ、天保6年(1835)に創鋳された。楕円形をした大型の穴あき銅銭。表面に「天保通宝」裏面に「當(当)百」という文字と花押が刻印してあり銭百文と等価とされたが、一文銭4~5枚を使い密鋳されたものが多く出回ったことから、実際には80文で取引された。それで、少し足らない人間を「天保銭」とからかったという。いずれにしても質量的に額面(寛永通宝100枚分)の価値は全くない貨幣。

1両=4分=4千文=4貫文(江戸初期)、1両が8万円として1分は2万円、1文=20円。

波銭(なみせん);形状は、円形で中心部に正方形の穴が開けられ、表面には「寛永通寳」の文字が上下右左の順に刻印されている。材質は、銅製の他、鉄、精鉄、真鍮製のものがあった。貨幣価値は、裏面に波形が刻まれているものが4文(右写真)、刻まれていないものが1文として通用した。当時1文銭96文を銭サシに通してまとめると100文として通用し、通し100文と呼ばれていた。小判や丁銀は日常生活には大変高額であり財布に入れて使用される様なことはまず無かったが、銭は庶民の日常生活に愛用されて広く流通した。一分判や小玉銀(豆板銀)でさえ、両替屋で銭に両替して使われた。

代物(しろもん);遊女のこと。年頃の美しい女性(売り物になるものの意から)。

箱寿司(はこずし);大阪寿司のひとつ、木箱で押す押し寿司。現在の箱寿司のスタイルが完成したのは明治の中ごろという。

 

 左、一箱と言われた千両箱。頑張れば子供でも持てる重さです。 右、押し寿司の箱。

生え下がり;もみあげ。「鬢」(びん)といい、 「耳ぎわの髪の毛」を示している。子供などは耳の前に髪の毛を垂らし、リボンなどで飾り付けました。

灰吹き(はいふき);灰吹(はいふき=右図)は、煙草盆の中に組み込み、煙草を煙管で吸い終えたとき火皿に残った灰を落とすための器です。 灰吹は、茶席では通常竹が用いられ、正式には径一寸五六分の青竹を高さ四寸から四寸五分に切り、一回ごとに新しいものと取り替えますが、油抜きした白竹を用いることもあります。 また、一度使った青竹をそのまま保存して名残の席に使うこともします。 灰吹は、使うときに水洗いをしてから、中に少量の水を入れます。 灰吹は、「煙壷」、「吐月峰」ともいいます。 吐月峰(とげっぽう)は、静岡市にある山の名で、連歌師 宗長(そうちょう:1448~1532)がここに吐月峰柴屋軒を開き自ら移植した竹を使い竹細工をし、灰吹に吐月峰の焼印をして売られたため、吐月峰と書いて灰吹と読むほどになったといいます。

身代(しんだい);1 一身に属する財産。資産。身上 (しんしょう) 。「身代を築く」「身代を持ち崩す」。
2 暮らし向き。生計。身の上。 「―ぼろぼろになり、裏町のかなしきすまひ」〈ひとりね・上〉。
3 身分。地位。 「村芝与十郎といへる舟改め、―は軽けれども」〈浮・伝来記・五〉。

十一屋(じゅういちや);十日で一割の利子を取る高利貸を「といち」と言います。日本中に多くの十一屋さんが有って、飲食店、不動産屋、クリーニング店、等多くの業界がありますが、噺では、「といち」に掛けてじゅういち屋、と言ったのでしょう。

シワイ;吝い:ケチ。吝嗇家。

ベタ銭(べたせん);ベベタ、ベベチャ、ベタクソ、ベッタは一番しまい、最終、順番の一番あとの意。貨幣単位の一番最後の意か、鐚銭(びたせん)の転訛か? 鐚銭は粗悪な銭。特に室町時代の永楽銭以外の私鋳銭(贋造銭)。江戸時代は寛永通宝鋳造後の鉄銭をいった。鐚一文の成句で「鐚一文たりとも」の意。

顔が立つ;名誉が保たれる。面が立つ。面目が立つ。

四つ手網(よつであみ);敷網の一種。正方形の網の四隅を十文字に渡した竹などで張り、その交点に、ひも、または差し出し棒をつけたもの。水底に沈めておき、引き上げて魚をすくい取る。四つ手。
 江戸では、江戸時代の隅田川は水が清く、白魚(シラウオ)の名所でした。『守貞謾稿』(1853)にも「白魚は江戸隅田川の名物とす。細かき網をもってすくひとる。夜は篝(かがり)してこれを漁(すなど)る。」とあります。白魚は白色透明で、全長10cmほどの細長い優美な姿の魚で、サケ目シラウオ科に分類されます。白魚はシロウオとも読み、これはスズキ目ハゼ科の魚で別種のものですが、よく混同されています。

 歌麿の「屋根船四手網」。東京国立博物館蔵

ゴモク;くず。ごみ。塵芥。ゴミ置くの約まった語との説もあるが。五目、種々の物の意。

 


                                                            2018年11月記

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