落語「表札」の舞台を行く
   

 

 五代目古今亭今輔の噺、「表札」(ひょうさつ)より


 

 『子を持って知る親の恩』などと言います。自分の子供は可愛いものです。

 「先生大変ですッ」、「どうした?」、「親父が上京してくるんです」、「親が来れば小遣いが貰えるだろう」、「私は4年間大学を落第していることになっているんです。ですから、結婚したことも、子供が出来たことも知らないんです」、「それにしても、4年間に5人も良く出来ましたね」、「卒業証書を貰ったときに最初の子が生まれ、年子で4人出来たんです。初任給3万5千円で、仕送りが切れると大変だから、黙っていたんです。何か良い方法無いですかね~」、「表札入れ替えて、君に留守番頼むよ。これから釣りに行ってくるから、釣った魚は置いていくよ。泊まるようなことがあれば、友達のところに行くし、私は独身だから家財道具も女物も子供の物も無い」。「表札打ち直しましたよ」。
 「先生の家は『男やもめにウジがわく』と言うが、汚いな。でも、座布団が4枚有るよ。座布団が続いていると思ったら布団を畳んで座布団にしているんだ。童謡作家だから童話、童謡の本はいっぱい有るな」。

 「利夫(としお)かい」、「お父さんですね」、「帽子とコートは向こうに置いてくれ。家で取れたいろいろな野菜だ、故郷の香りがするから持ってきた。気は遣わなくても良いから、お茶入れてくれ」、「お茶ですか・・・」、「汽車で飲んでいる人が居たので、聞いたら20円だそうだ。もったいないから洗面所で水飲んじゃった。まだ茶筒見つからないか。健忘症じゃないか。隣の家ならどこに何があるか皆分かるんだが・・・」。
 「来たばっかりで意見するんじゃ無いが、いつになったら大学卒業するんだッ。4年間も落第するなんて・・・」、「物価が高いですからな~」、「仕送りも並大抵の事じゃ無いよ。いつになったら卒業するんだぃ。もう卒業しなくてもいいから高卒で就職しろ。初任給で足らない分は仕送りする」、「友達に紹介されて、会社は明日からでも行けるんです」、「就職が決まったのなら次は嫁だな。東京の空気は違うな、上野に着いたらつくずく思ったよ。東京で嫁を探せ」、「探したら、良い娘が居たので、隣に来ています」、「女の子にはすばしっこいな~。俺の子だからな・・・」。
 「お父さん、”富子”です」、「頭を上げてください。縁が有ったら夫婦になってくれませんかね。東京に出てきて、東京の空気でバカになってしまいましたが、良いやつで、体も丈夫ですから。どうでしょう、一緒になってくれませんか」。
 「あ~ぁ、これで肩の荷が下りた。お前より富子さんの方が頭が良さそうだ。内助の功で成功するぞ。富子さんよろしくお願いします。こうなれば、孫の顔が見たいな」、「そんなに孫の顔を見たいですか」、「もう1年もすると、孫の顔が見られるな~」、「見たいですか」、「とんとんと進むと1日でも早く見たいな」、「見せましょうか」、「利夫、そんなに急ぐことは無いよ」、「見たいでしょう。一人だけこしらえておきました」、「連れて来い。あ~、孫だッ。よく似ているな。お前の赤ん坊の時とそっくりだ。バ-、ベロベロ。名前、何て言うんだ”テイ坊”かッ、良い名前だ、村では堤防は大事だからな~。自分の孫は、にじみ出る可愛さだな。うれし涙があふれてくるよ。これで一年でも経てば歩くようになるし、二年もすると、腰にまとわりついて、『おじいちゃん、お小遣いくれ』なんて言うようになると、可愛かんべ~なぁ~」。
 「そんなにおじいさんと言わせたいですか」、「顔を見たら『おじいちゃん』と言わせてみたくなったな~」、「言わせましょうか・・・」、「利夫、スピード時代だって飴細工じゃないからな。おじいちゃんとは言わないだろう」、「言いますよ」。
 「皆こっちにお入り」、孫たちがおじいちゃんと叫びながら抱きついてきた。「利夫、頭がおかしくなっちゃったよ。ここに来て、まだ30分ぐらいしか経たない。4~5年居るような気持ちになってきた。どの子も、お前に瓜二つだ。5人も孫があったんだ~。お袋も喜ぶことだろう。この孫たちがすくすく大きくなって、結婚するともなればどんなに可愛かろうな。あ~ぁ、おっかね~、おっかね~、うっかりした事は言わね~。桑原くわばらッ」、「父さん、何をそんなに急に怖がってるんだぃ」、「うっかり言ったら、今度はどんなに大きなヤツが現れるかもしれねぇから・・・」。

 



ことば

出典;この噺は、当然新作落語で、鈴木みちを原作で、日本文芸社「新作艶笑落語」 昭和42年 (1967)出版の中に有る「表札」からです。

五代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ);(1898年(明治31年)6月12日 - 1976年(昭和51年)12月10日)は、群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名は、鈴木 五郎(すずき ごろう)(旧姓:斎藤)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。出囃子は『野毛山』。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。実子は曲芸師の鏡味健二郎。
 『お婆さん三代姿』『青空お婆さん』『ラーメン屋』『葛湯』といった新作がほとんどであるが、古典怪談噺は本格派で『江島家騒動』『もう半分』『藁人形』『死神』などを得意とした他、『ねぎまの殿様』『囃子長屋』などの珍品や芝居噺の『もうせん芝居』、三遊亭圓朝作の長編人情話『塩原多助一代記』など。 小山三時代までは素噺の達人と評されたが、上州訛りに苦労した末に新作派に転向した。 米丸時代からSPレコードを吹き込み、戦後も多くの録音を残している。

 「古典落語も、できたときは新作落語です」というのが口癖で、新作落語の創作と普及に努めた。弟子たちに稽古をつける際も、最初の口慣らしに初心者向きの『バスガール』などのネタからつけていた。だが、もともとは古典落語から落語家人生をスタートしていることもあって、高座では古典もよく演じており、一朝や前師匠小さんに仕込まれただけあって高いレベルの出来であった。特に『塩原太助一代記』は、自身が上州生まれだったこともあり人一倍愛着が強く、晩年は全編を通しで演じていた。 

表札(ひょうさつ);居住者の氏名を戸口・門などに標示するふだ。門標。

初任給3万5千円;2018年の転職人気企業ランキングでは1位が「トヨタ自動車」(月給206,000円~)、2位が「グーグル」、3位が「ソニー」(月給218,000円~)という結果に。1位から4位「全日本空輸(ANA)」までの4社の順位は前年と変わりませんでした。
5位以下、 楽天(年収550万円-700万円)、パナソニック(35歳:800万円)、ソフトバンク、Apple Japan、日本航空(JAL)、ヤフー(月給26万円以上 + 賞与など年収例:425万円~)、本田技研工業(Honda)(25万5403円(月21日勤務))、東日本旅客鉄道(JR東日本)、リクルートホールディングス、アマゾン ジャパン(年俸430万円~800万円)、任天堂。 
給料表示が無いところは、現在募集が無い会社。
(求人情報・転職サイトDODA(デューダ)調べ)。

 厚生労働省の統計調査によると、平成29年度の都道府県別の賃金は、東京がトップの377.5千円、次いで神奈川の329.88千円となっています。その他、全体平均である304.3千円を上回ったのは千葉県、愛知県、京都府、大阪府となり、関東圏および地方都市が軒並み給与が高いことが見て取れます。

  

 厚生労働省の賃金構造基本統計調査から、大卒初任給の年次推移。データ:賃金構造基本統計調査より。
 調査が始まった1968年の大卒初任給は月給3万600円。その後も右肩上がりに増え続けた大卒初任給は90年代以降、20万円前後で頭打ちとなっている。

 この噺が出来たのは、昭和42年 (1967)で利夫さんの初任給は当時の平均から比べると、決して低くは有りません。賃金では、初任給(基本給)の他に残業料+扶養手当+住宅手当等が付くでしょうから、生活できないほど困窮する事も無いと思います。

健忘症(けんぼうしょう);記憶が著しく障害される症候。見聞きしたことを記銘できず、すぐに忘れてしまうもの(前進性健忘)や、ある時からさかのぼって過去の記憶をなくすもの(逆行性健忘)がある。物事を忘れ易い性質。歳を取ると誰しも大なり小なり、この症状が出てきます。

上野(うえの);台東区西部地区の駅名。1883年(明治16)9月開業。JRの東北線、上信越線等の東京の終着駅。新幹線も上野終着だったが、現在は東京まで延伸され、途中駅の一つになってしまいました。
 上野駅は、日本の鉄道黎明期に日本初の私鉄である日本鉄道が、上野 - 熊谷間の第一区線(現在の高崎線)開業時に合わせて、東京下町北端の山下町に東京方の起点駅として開業した歴史ある駅である。以来、日本を代表するターミナル駅として栄えてきた。 現在、上野駅には北関東と東京を結ぶJR各線の中距離電車と東京都区部を走る各通勤電車(JR東日本・東京メトロ)各線が結節し、また東北、上信越方面の各新幹線、その他在来線各線の優等列車が発着するなど、東京の「北の玄関口」として機能している。
   

桑原(くわばら);雷鳴の時、落雷を避ける呪文として用いる語。また、一般に忌わしいことを避けるためにも言う。雷神があやまって農家の井戸に落ちた時、農夫は蓋をして天に帰らせなかった。雷神は、自分は桑樹を嫌うから、桑原桑原と唱えるならば再び落ちまいと答えたとの伝説に基づくという。また、死して雷となったと伝える菅公の領地桑原には古来落雷した例がないのに因むともいう。

汽車のお茶;20円。駅弁にお茶は付き物。駅売り弁当の歴史は、そのまま駅売り緑茶の歴史でもあります。その販売は永らく、汽車土瓶入り緑茶の立売という形態でしたが、駅弁立売と同様の理由で立売が、ポリ茶瓶の登場で汽車土瓶が駆逐され、それとて後の缶入り緑茶やペットボトル入り緑茶の登場で、最近はほとんど見ることがなくなりました。



                                                            2018年11月記

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