落語「悋気の見本」の舞台を行く
   

 

 八代目 三笑亭可楽の噺、「悋気の見本」(りんきのみほん)より


 

 女性と言うものは好いものですね。中には嫌いだと、とんでもないことを言う者がいますが、お宅に行きますと5~6人お子様が遊んでいて、聞くとみんな自分の子だという。「女は大嫌いだと言いましたね」、「女房は大好きです」。
 女性を馬鹿にしたことを言いまして、『三界に家なし』、『外面如菩薩内心如夜叉』、『女の人は幼に親に従い、嫁して夫に従い、老いては子に従い』のべつ従っています。『悋気は去るべし』、これは焼きもちです。家を空けるとリンゴのようにほっぺたを膨らませて女房は待っています。暗剣殺のような所に帰ってきます。

 これは、ある会社の重役さん、器量よしの奥さんです。この奥さん全く焼きもちの気がありません。男は我が儘ですから、グズグズ言われるのも何ですが、焼かないのも物足りないものです。友達に言うと今晩家に行って奥さんを扇動しようとなった。
 「奥さん、花柳界に行ったらご主人持てていました。気をつけなければいけませんよ」、これを聞いて怒るかと思ったら、にこにこ笑っているばかり。「親のしつけが良いんだな。外泊をしてみよう」、1泊してみたが奥様ケロッとしている。
 1泊ではダメだから箱根に行って1週間家を空けた。「ただいま」、「お帰りなさい。仕事で外泊、お疲れ様。何かあれば会社から連絡がありますから安心です」、「そうだが、寂しかっただろう」、「旦那様がいらっしゃると、下女も書生もいますが遠慮してこの部屋に入ってきません。お留守の時は皆が集まってカルタ等をやって保養させていただきました」、「悋気は知らないのかッ」、「では、お教えください」。
 「益田君の細君を知っているだろう」、「大変おしとやかな方でいらっしゃいます」、「彼と昨晩会って、築地で一杯やって泊まってきたんだ。彼は家内がうるさいからと言って、2時頃車で帰ったんだ。今頃起きたはずだ、悋気の状況を見に行こう。油を絞られるところが見られるぞ」、「どうぞ、お連れください」。

 「ご主人は?」、「帰りが遅かったので、ただいまお目覚めです」、「奥様、御重役がおいでです」、「こんな早くから困りましたね。掃除が出来ている広間の方にお通しして・・・」。
 「昨日も2時過ぎに帰ってきて、今起きたばっかりなのです。不行儀にあきれていますのッ」、「聞いたかい。語尾がキューッと上がったの。彼が起きてきて、奥さんにやられるのを聞いておきなッ」。
 「昨夜遅かったもので・・・。奥様にアイスクリームを出したら」、「昨夜お帰りになった時間を覚えていますかッ」、「来客があるよ」、「私に言えないような所に行って・・・、大方分かりますよ」、「そんなことばっかり言うから、夜寝てないんだ。これ以上はやめなさい」。そこに女性から手紙が届いた。「この文面をご覧なさい、いやらしい。この女性は知っていますよ。歌舞伎を見に行ったら廊下でコソコソ話しているから、『どちらの方ですか』と言ったら、『関係ない』とごまかした方でしょ」。
 「奥さん、映画が好きでしょ。行きませんか」、「貴方は第三者、ここに立ち入らないでください。主婦として尋ねなければならない責任があるのですから。今日という今日は私辛抱できかねますので、この女性の所に行って・・・」、「やめなさいッ」。
 「洋子、分かったかぃ」、「おかげさまで良~く分かりましたの」、「これほど焼かなくても好いよ」。

 



ことば

八代目 三笑亭可楽(さんしょうてい からく);江戸時代よりその名が続く名跡。名の由来は「山椒は小粒でひりりと辛い」から「山生亭花楽」とし後に松戸の贔屓客から「虎渓三笑」の故事に因んで「三笑亭可楽」とした。 毎年4月上旬に、当代可楽一門よって「可楽まつり」が行われる。
 八代目三笑亭 可楽(1897年〈明治30年〉1月5日 - 1964年〈昭和39年〉8月23日)は、東京市下谷区(現:台東区)出身の落語家。本名、麹池 元吉(きくち もときち)。出囃子は『勧進帳』。所属は日本芸術協会。文化放送専属。精選落語会レギュラー。
 1946年5月に八代目可楽を襲名。師匠と名前を度々変えていることからも窺える通り、長く不遇であった。これは可楽が他の噺家のように他人に媚びへつらうことが出来ず、不平不満や愚痴がすぐ口をつく性格が災いしたと言われる。また人気が出た晩年も、日本芸術協会会長六代目柳橋との衝突から長期休業したり、報われなかった。芸風は極めて地味で動作が少なく、一般大衆受けする華やかなものではなかった。しかし、可楽には少数ながら熱烈な愛好者がおり「可楽が死んだらもう落語は聞かない」とまで語る者もいた。
 上方六代目松鶴から直接移された『らくだ』、『今戸焼』が絶品。
 いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、意外にも女性にはよくもてたという。それまで日蔭の世界の芸人だったが、1962年に内幸町イイノホールで開催された、八代目桂文楽、六代目三遊亭圓生、五代目柳家小さん、八代目林家正蔵(後の林家彦六)出演の精選落語会のレギュラーのひとりに抜擢され、やっとスポットライトを浴びた矢先、翌年、1963年の暮れに体調不良を訴えて入院、胃の手術を受けるも1964年に食道癌で死去。
享年67。

新作落語;八代目文楽の「かんしゃく」や今でも演じられる「堪忍袋」と同じ益田太郎冠者の新作です。他愛のない噺ですが、売れる前の志ん生も演って、その速記が戦前、雑誌に掲載されたのが落語で生活が出来るきっかけになったと言う。
 益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ、1875年(明治8年)9月25日 - 1953年(昭和28年)5月18日)は、日本の実業家・劇作家・音楽家。貴族院議員。男爵。東京都出身。本名、益田太郎=右写真。 三井物産の創始者・男爵 益田孝の次男であり、自らも台湾製糖、千代田火災、森永製菓など、有名企業の重役を歴任した実業家であった。一方、青年時代のヨーロッパ留学中に本場のオペレッタ、コントに親しみ、その経験から帰国後、自らの文芸趣味を生かしてユーモアに富んだ喜劇脚本を多く執筆した。帝国劇場の役員となり、森律子をはじめとする帝劇女優を起用した軽喜劇を明治末から大正時代にかけて上演した。
 コロッケ責めの新婚生活を嘆いたコミックソング「コロッケー」(通称「コロッケの唄」)、落語「宗論」、「堪忍袋」、「かんしゃく」、この噺「悋気の見本」は特に有名。 板倉勝全子爵の娘、貞との間に五男二女があり、息子に洋画家の益田義信。葭町の芸者だった岩崎登里という妾のほか、森律子とも噂があり、晩年は律子が毎日通ったという。本業は形だけで、もっぱら演劇人として幅広く活躍する。晩年は小田原で悠々自適の生活を送った。

悋気(りんき);ねたむこと。特に情事に関する嫉妬。やきもち。臨機(りんき)応変なら良いのですがね~。
 落語にも、この悋気に対する噺があります。「悋気の火の玉」、「悋気の独楽」、「権助魚」等々、第三者が聞くとおもしろいのですが、当事者は額から冷汗を流すほど大変です。

三界に家なし(さんがいにいえなし);どこにも安住すべき家がない意。『三階に家なし』ではありません。
 三界:昔、蘇陀夷(そだい)という子がいた。七才のとき、「おまえの家はどこにあるのか」と、仏陀がおたずねになった。蘇陀夷は「三界に家なし」と即座に答えた。仏陀はこの答えに喜び、まだその年齢に達していないのに受戒させて僧伽(さんが)に加えられた。 三界とは、欲界(よっかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)の三つをいう。欲望につながれて苦しみ迷うものを欲界の衆生といい、美しい形にとらわれているものを色界の衆生といい、美しさへのとらわれは超えているが、なお迷っているものを無色界の衆生という。老いも若きも、まして男であれ女であれ、みな本当に安らぐことのできる場所は、三界を超えたところにこそ求めよと言うこと。

外面如菩薩内心如夜叉(げめんにょぼさつ ないしんにょやしゃ);女性の顔は美しく柔和に見えるが、その心根は険悪で恐るべきである。外面似菩薩(ジボサツ)内心如夜叉(ニヨヤシヤ)とも言う。
 女性の顔はいかにもやさしくおとなしい菩薩のように見えるが、心の中は悪魔のように険悪で恐ろしいところがあるということ。 『華厳経』に「外面菩薩に似、内心夜叉の如し」とあるのに基づく。 仏教の経文から出たもので、女性は仏道修行の妨げになることを戒めていったもの。 「菩薩」とは、仏の慈悲の心で衆生を導く者のこと。 「夜叉」とは、残忍な鬼神のこと。
類義:あの声でトカゲ食らうか時鳥(ホトトギス)/顔と心は裏表/顔と心は雪と墨/顔に似ぬ心/人面獣心。

女の人は、幼に親に従い、嫁して夫に従い、老いては子に従い;中国で、古来用いられた婦人の生涯に対する箴言 (しんげん) 。『礼記』や『儀礼』などにもみえる。女性は「幼にしては父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫死しては (老いては) 子に従う」ものとされ、家庭のなかにおける婦人の従属性を示す言葉。男性中心の儒教道徳から生れた女性道徳の原則。三従 (さんじゅう)。

悋気は去るべし;一度嫁しては、其の家を出ざるを、女の道とすること。若し女の道にそむき、去るゝ時は、一生の恥なり。されば 婦人に七去とて、悪きこと七あり。
 一には舅姑に従わざる女は去るべし。
 二には子なき女は去るべし。これ妻をめとるは子孫相続のためなればなり。されども婦人の心正しく、行儀よくして妬む心なければ、去らずとも同姓の子を養うべし。
 三には淫乱なれば去る。
 四には悋気深ければ去る。
 五には癩病(らいびょう)などの悪き病気あれば去る。
 六には口まめにて慎みなく、物言いすぎるは親類とも仲悪くなり、家が乱れるものなれば去るべし。
 七には物を盗む心あるは去る。
此の七去は、皆聖人の教なり。女は一度嫁して、其の家をだされては、仮令ふたゝび富貴なる夫に嫁すとも、女の道にたがひて、大なる辱なり。(女大学より。貝原益軒作?)

暗剣殺(あんけんさつ);九星で、その年の五黄土星と相対する方位。最も慎まなければならない大凶の方位という。
 九星気学では災いをもたらす方位の名前。運が悪ければ、最悪の結果になるとも言われています。暗剣殺は方位だけではなく、その宮に入った九星にも災いをもたらすのです。 ほとんどが他から受ける災いなうえ、その災いは繰り返し起こります。暗闇でバッサリ他人から切られるかのように、災いは素早く現れるのが暗剣殺の特徴です。

不行儀(ふぎょうぎ);(ブギョウギとも) 行儀がわるいこと。無行儀(ブギヨウギ)。

箱根(はこね);神奈川県南西部の一角、箱根カルデラ近辺の一帯を指す地名。

  

  地図の上では、行政区画としての箱根町におおむね重なる。 古来東海道の要衝であり、「天下の険」と謳われた難所箱根峠のふもとには宿場や関所が置かれた。近代以降は保養地・観光地として発展。各所に湧く温泉や、芦ノ湖、大涌谷、仙石原などがとりわけ有名である。1936年に「富士箱根国立公園」(現・富士箱根伊豆国立公園)に指定されている。地図・芦ノ湖の写真は箱根観光協会より

  

 芦ノ湖は約40万年前、箱根火山のカルデラ(くぼ地)にできた湖です。南岸の杉並木街道から眺める逆さ富士などの景勝地として有名ですが、古くから漁業でも栄えてきました。現在でもニジマス、ワカサギなどが多く、絶好の釣り場となっています。特にワカサギは毎年10月1日に漁が解禁されると、その初漁の魚は箱根神社に奉納され、さらに宮内庁に献上されるのが恒例です。ワカサギを漢字で「公魚」と書くのは、そのことに由来すると言われます。

下女(げじょ);炊事や雑事に召し使われる女性。女中。

書生(しょせい);他人の家に世話になり、家事を手伝いながら学問する者。



                                                            2018年11月記

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