落語「お茶汲み」の舞台を行く 柳家小三治の噺、「お茶汲み」(おちゃくみ)
■吉原の言葉が出てきています。それを掻い摘まんで、
●吉原(よしわら);仲。浅草の北、千束にあり、新吉原と呼ばれ、江戸町1・2丁目、角町、京町1・2丁目の五丁町から出来ていた。揚屋町、伏見町は入らない。古くは元和元年(1617)日本橋近くの葭原(葭町=よしちょう)に有った(元吉原)が、江戸の中心になってしまったので、明暦3年(1657)明暦の大火直前に、この地に移転させられた。『どの町よりか煌びやかで、陰気さは微塵もなく、明るく別天地であったと言われ<さんざめく>との形容が合っている』と、(先代)円楽は言っている。私の子供の頃、300年続いた歴史も、昭和33年3月31日(現実には2月末)に消滅した。江戸文化の一翼をにない、幾多の歴史を刻んだ、吉原だが、今はソープランド中心の性産業のメッカになってしまった。「仲」とも、品川の南に対して「北」とも言う。
●引き付け(ひきつけ);見世に上がって最初に通される部屋。おばさんの采配で、ここで相方や料金などの打合せをします。
●おばさん;遣り手。見世で遊女を取り締まり、万事を切り回す年増女。普通は女郎を卒業した女がなる。
●若い衆(わかいし);若い者、妓夫(ぎゅう)太郎、若い衆(わかいし)と呼ばれ客引きからお客の世話までこなした。歳を取っていても”若い衆”と言う。芸者さんでも、どんなに年取っていても、”お姉さん”です。たとえ歯がガタガタ言ってもです。客の支払いが足りないと家まで付いて行って集金までした。
●花魁(おいらん);人を騙すのが商売だが、尾っぽが無くてもできるので「お(尾)いらん」(志ん生説)。江戸吉原の遊郭で、姉女郎の称。転じて一般に、上位の遊女の称。娼妓。女郎。
●大門(おおもん);吉原に入るための唯一の出入り口。江戸から明治の初めまでは黒塗りの「冠木門(かぶきもん)」が有ったが、これに屋根を付けた形をしていた。何回かの焼失後、明治14年4月火事にも強くと時代の先端、鉄製の門柱が建った。ガス灯が上に乗っていたが、その後アーチ型の上に弁天様の様な姿の像が乗った形の門になった。これも明治44年4月9日吉原大火でアーチ部分が焼け落ちて左右の門柱だけが残った。それも大正12年9月1日震災で焼け落ち、それ以後、門は無くなった。
●揚屋町(あげやちょう);大門を入るとその中央通りを”仲之町”と言い、二つ目の角を右に曲がると揚屋町。
●冷かす(ひやかす);広辞苑では、張見世の遊女を見歩くだけで登楼しないこと。また、その人。素見。とあり、「冷かす」で、(「嬉遊笑覧」によれば、浅草山谷の紙漉業者が紙料の冷えるまで吉原を見物して来たことに出た詞)登楼せずに張見世の遊女を見歩く。と載っています。また、大言海にも同じような説が載っています。
●角町(すみちょう);揚屋町から南に下った街。
●張り見世(はりみせ);角町の先は羅生門河岸と言って、落語「お直し」に描かれる最下等な場所です。その近くにある見世ですから大した所ではありません。遊郭で、娼妓が格子をめぐらした店先に居並んで客を待つこと。また吉原でも格式の低い小見世に限ったもので、三浦屋楼、角海老楼、大文字楼、稲本楼など大見世は、引手茶屋を仲介しないと、あがれない仕組みになっていて、上位花魁は格子内には出ません。
●年期(ねんき、年季);詰めて”年(ねん)”と言い、通常16,7で廓に売られ、10年の年季を勤め上げ、26,7歳で年季明けになります。年期奉公が終わると、自由になれます。ただし、借金がかさむと長引くことがあります。
●身請(みうけ);花魁に限らないが、客が遊女の身代金や借金を支払って勤めを終えさせること。大見世の花魁、太夫では数千両にものぼったという。
■浅草(あさくさ);浅草浅草寺の西側の歓楽街で、そこを浅草六区と言った。映画館や劇場、芝居小屋、見世物小屋、寄席、瓢箪池、12階と言われた凌雲閣(りょううんかく)等がひしめいて、東京で一番の歓楽街であった。
■活動写真(かつどうしゃしん);映画館。当時は無声映画であったので、弁士が付いて説明しながらの映画であった。
■江川の玉乗り(えがわのたまのり);明治初期から関東大震災前まで東京の浅草六区で興行していた江川作蔵一座の玉乗りの曲芸。浅草六区12階の下辺りに間口15・6mの江川一座の小屋が掛かっていた。ここは玉乗りが主で、少女から大人までの芸人が玉乗りの妙技を見せていた。
■お茶(おちゃ);小紫のホクロは茶殻だと言います。イイお茶は茶殻や茶柱などは浮いていません。吉原のような縁起商売では、お茶を引くと言って嫌います。
■出職(でしょく);職人でも家から出歩いて仕事をする人。大工・左官・屋根職や棒手振り、物売り、屑屋、植木屋、修理屋、駕籠屋など。 反対語=居職。家の中で仕事をすること。その人。
■雨の降る日は空いている;私も若いとき寅ちゃんと同じ考えで、当時有ったキャバレーに大雨をかいくぐって出掛けた。すいていてモテたが、沢山の女の子が席について、指名料だけで大変だった。また、野球の日本シリーズでお客はいないだろうと出掛けたが、あに図らんや、込んでいたのに驚いた。何事も裏をかいたと思ったが、考えることは皆同じ。貴方だってあるでしょ。私みたいな普段モテない男はいろいろ考えます。
2015年3月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |