落語「お茶汲み」の舞台を行く
   

 

 柳家小三治の噺、「お茶汲み」(おちゃくみ)


 

 若い者が集まると、女郎買いの話になります。寅ちゃんは仲でモテたというので、皆からその話を聞かせてくれとせがまれた。

 「一昨日の夜は大雨だったが、こんな晩はお客が少ないだろうと思って出掛けた。ところが、普段より込んでいて、人でごった返していた。皆考えることは同じだな」。
 「夕べも行ったが、ものすごくモテた」、「聞かせろよ」、「浅草で活動写真を観ようかと思ったが、気が乗らないし、江川の玉乗りでもないし、自然と吉原に足が向いていた。大門をくぐって冷やかしには早いので揚屋町の銭湯に入った。出て仲を冷かしていると、角町の突き当たり近い店で若い衆に声を掛けられ、上がってしまった。『右から2番目の子』と言うと間もなく引き付けにその女が来たよ。来た途端おばさんがいる前で『キャー』と言って飛び出して行った。あとでその経緯を聞くと『静岡生まれで、親に反対され親の金を盗み出し男と手をつないで、東京に出て、おもしろおかしく遊んでいたが、金が続かず別々の所で働いた。男が商売を始めるというので、吉原に身を沈め、最初は手紙のやりとりをしていたが、その内、音信が不通になった。人に聞くと病気で寝ていると言うが、看病も出来ず、その後亡くなった』。その後は悲しくて悲しくて男を忘れられなかったと、泣いているんだ」、「おい、それはモテたのではなく、女のノロケを聞かされているんじゃないか」。

 「まぁ、聞けよ。そうこうしていると、その男と俺は瓜二つだとビックリして嬌声を発したという。『死んだ人をいつまで思っていても仕方が無いので、年期(ねん)が明けたら私と一緒になって欲しい。一緒になっても、私を置いて浮気などされたら悲しくて』とまた泣き出した。女を慰めていたら、目の下にホクロが出来ていた。泣くたんびに、そのホクロが下がってくるんだ。よく見ると、ワキの湯のみからお茶を付けて泣き真似しているんだ。『冗談じゃネェ。茶殻が付いてるぜ』と啖呵を切っても良かったが、それでは面白くないので、相手に合わせていたら、通ってもらいたいので精一杯サービスしてくれた。朝まで寝かせてくれなかったんだ」。
 「それは良い思いをしたな。で、お前はこれからも行くのか」、「冗談じゃねぇ。茶殻女なんかヤダよ」、「だったら、俺が行っても良いか」、「いいともよ。場所は角町の安大黒、女は小紫、歳は23,4だな。面は額が上がって眼が細く鼻は低いけれど顔は黒いく愛くるしい」、「そういうのは愛くるしいとは言わないぞ」。

 その男は翌日小紫を買った。引き付けで女が嬌声を上げる前に、男の方から「ぎゃ~」と声が上がったが、驚いたのは女の方。部屋に入ると、先程の大きな声を侘びて、その訳を話した。「俺は静岡生まれで、女が出来て、東京に出てきて面白く過ごしたが、金は無くなり奉公に出た。商売をしたいと言ったら、女が吉原に身を沈めてくれた。手紙のやりとりをしていたが、その内、床に伏すようになって病死してしまった。今日、俺は飲んだ勢いで友達と来たが、はぐれてここに上がったら、その女とそっくりだったのでビックリした。付いては頼みがあるんだが、これからも通ってくるからお願いするよ。それから年期が明けたら、俺と所帯を持ってくれないか」、「嬉しいね。私は願ってもないことだし、お願いするよ」、「有り難いね~。俺は出職で何日も家を空けることがある。その間に浮気をされたんじゃ、悔しくて、悲しくて、それを思うと・・・」、話の途中で女は立ち上がったので、「花魁、何処に行くんだよ」、
「チョットお待ちよ。今お茶を汲んできてあげるから」。

 



ことば

吉原の言葉が出てきています。それを掻い摘まんで、

 吉原(よしわら);仲。浅草の北、千束にあり、新吉原と呼ばれ、江戸町1・2丁目、角町、京町1・2丁目の五丁町から出来ていた。揚屋町、伏見町は入らない。古くは元和元年(1617)日本橋近くの葭原(葭町=よしちょう)に有った(元吉原)が、江戸の中心になってしまったので、明暦3年(1657)明暦の大火直前に、この地に移転させられた。『どの町よりか煌びやかで、陰気さは微塵もなく、明るく別天地であったと言われ<さんざめく>との形容が合っている』と、(先代)円楽は言っている。私の子供の頃、300年続いた歴史も、昭和33年3月31日(現実には2月末)に消滅した。江戸文化の一翼をにない、幾多の歴史を刻んだ、吉原だが、今はソープランド中心の性産業のメッカになってしまった。「仲」とも、品川の南に対して「北」とも言う。

 ●引き付け(ひきつけ);見世に上がって最初に通される部屋。おばさんの采配で、ここで相方や料金などの打合せをします。

 ●おばさん遣り手。見世で遊女を取り締まり、万事を切り回す年増女。普通は女郎を卒業した女がなる。

 ●若い衆(わかいしゅう);若い者、妓夫(ぎゅう)太郎、若い衆(わかいし)と呼ばれ客引きからお客の世話までこなした。歳を取っていても”若い衆”と言う。芸者さんでも、どんなに年取っていても、”お姉さん”です。たとえ歯がガタガタ言ってもです。客の支払いが足りないと家まで付いて行って集金までした。
 「宵に格子ですすめた牛(ぎゅう)は、今朝はのこのこ馬になる」と言われた。

 ●花魁(おいらん);人を騙すのが商売だが、尾っぽが無くてもできるので「お(尾)いらん」(志ん生説)。江戸吉原の遊郭で、姉女郎の称。転じて一般に、上位の遊女の称。娼妓。女郎。

 ●大門(おおもん);吉原に入るための唯一の出入り口。江戸から明治の初めまでは黒塗りの「冠木門(かぶきもん)」が有ったが、これに屋根を付けた形をしていた。何回かの焼失後、明治14年4月火事にも強くと時代の先端、鉄製の門柱が建った。ガス灯が上に乗っていたが、その後アーチ型の上に弁天様の様な姿の像が乗った形の門になった。これも明治44年4月9日吉原大火でアーチ部分が焼け落ちて左右の門柱だけが残った。それも大正12年9月1日震災で焼け落ち、それ以後、門は無くなった。
写真:吉原の仲之町を大門跡から見る。

 ●揚屋町(あげやちょう);大門を入るとその中央通りを”仲之町”と言い、二つ目の角を右に曲がると揚屋町。

 ●冷かす(ひやかす);広辞苑では、張見世の遊女を見歩くだけで登楼しないこと。また、その人。素見。とあり、「冷かす」で、(「嬉遊笑覧」によれば、浅草山谷の紙漉業者が紙料の冷えるまで吉原を見物して来たことに出た詞)登楼せずに張見世の遊女を見歩く。と載っています。また、大言海にも同じような説が載っています。
 志ん生は、「冷やかし」の語源を噺の中で説明しています。「近くに紙すき場があり、紙屋の職人が古紙を水に浸して、紙の冷やける間一回り廻ろう、ってんで冷やかしという名前がついたんですな」と。落語の噺なんてまゆつばでしょうと思っていたら、広辞苑にも大言海にもこんなにも堂々と載っているのでは信じるほかありません。客の約七割が冷やかしで有ったと言います。
 私は、「ウインドーショッピング」だと理解しております。

 ●角町(すみちょう);揚屋町から南に下った街。
右写真:現在の角町。揚屋町方向を見る。

 張り見世(はりみせ);角町の先は羅生門河岸と言って、落語「お直し」に描かれる最下等な場所です。その近くにある見世ですから大した所ではありません。遊郭で、娼妓が格子をめぐらした店先に居並んで客を待つこと。また吉原でも格式の低い小見世に限ったもので、三浦屋楼、角海老楼、大文字楼、稲本楼など大見世は、引手茶屋を仲介しないと、あがれない仕組みになっていて、上位花魁は格子内には出ません。

 ●年期(ねんき、年季);詰めて”年(ねん)”と言い、通常16,7で廓に売られ、10年の年季を勤め上げ、26,7歳で年季明けになります。年期奉公が終わると、自由になれます。ただし、借金がかさむと長引くことがあります。

 ●身請(みうけ);花魁に限らないが、客が遊女の身代金や借金を支払って勤めを終えさせること。大見世の花魁、太夫では数千両にものぼったという。

浅草(あさくさ);浅草浅草寺の西側の歓楽街で、そこを浅草六区と言った。映画館や劇場、芝居小屋、見世物小屋、寄席、瓢箪池、12階と言われた凌雲閣(りょううんかく)等がひしめいて、東京で一番の歓楽街であった。
右写真:凌雲閣。12階建てで浅草名物になっていた。江戸東京博物館蔵。

活動写真(かつどうしゃしん);映画館。当時は無声映画であったので、弁士が付いて説明しながらの映画であった。

江川の玉乗り(えがわのたまのり);明治初期から関東大震災前まで東京の浅草六区で興行していた江川作蔵一座の玉乗りの曲芸。浅草六区12階の下辺りに間口15・6mの江川一座の小屋が掛かっていた。ここは玉乗りが主で、少女から大人までの芸人が玉乗りの妙技を見せていた。
右図:江川の玉乗り小屋
 TV映像が残っています
昭和の曲芸師・二代目江川マストン。1984年(昭和59年)のテレビ出演。この時なんと74歳。1998年(平成10年)に88歳で亡くなりました。「江川の玉乗り」として有名。

お茶(おちゃ);小紫のホクロは茶殻だと言います。イイお茶は茶殻や茶柱などは浮いていません。吉原のような縁起商売では、お茶を引くと言って嫌います。

出職(でしょく);職人でも家から出歩いて仕事をする人。大工・左官・屋根職や棒手振り、物売り、屑屋、植木屋、修理屋、駕籠屋など。 反対語=居職。家の中で仕事をすること。その人。

雨の降る日は空いている;私も若いとき寅ちゃんと同じ考えで、当時有ったキャバレーに大雨をかいくぐって出掛けた。すいていてモテたが、沢山の女の子が席について、指名料だけで大変だった。また、野球の日本シリーズでお客はいないだろうと出掛けたが、あに図らんや、込んでいたのに驚いた。何事も裏をかいたと思ったが、考えることは皆同じ。貴方だってあるでしょ。私みたいな普段モテない男はいろいろ考えます。



                                                            2015年3月記

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