落語「犬の災難」の舞台を行く
   

 

 古今亭志ん朝の噺、「犬の災難」(いぬのさいなん)より


 

 「(酒が)呑みたいなぁ~。湯から出て来て、暇はあるんだけれど、金がない。呑みたいなぁ~」。

 「表通りの鶏屋なんですが、鶏肉持ってきました。隣のお上さんが湯に行くので、『お隣で預かって欲しい』と言われたんで、お願いします」、「良いよ」。
 「どんな鶏なんだ。見てみよう。おッ、いい鶏だな」。

 「おッ、どうしたぃ」、「ふたりで一緒に一杯やろうと思って来たんだッ」、「すまねぇ~。一杯やれるの・・・」、「ダメだよ。5分(ぶ)ずつ出して呑むんだ」、「じゃ~、おれが肴を持つよ」、「ダメだよ。おれが酒を買いに行ったら、お前は南京豆30粒位だろ。俺が肴を持つから酒を持てよ」、「そこに有る包みを見なよ」、「いい鶏だね。これなら酒を持つよ」、「いい酒を頼むよ」、「行っちゃったよ」。

 「あの~、鶏屋が来ましたでしょうか?」、「そこに有りますよ」、「相済みませんでした。どうも・・・」。
 「持って行っちゃったよ。隣の鶏だからな~。あいつは怒るよ、酒を買ってきても呑まさないよ。どうしよう・・・。そうだッ、猫や犬が持って行っちゃえば良いんだ。『お燗の用意をしていたらガタンと音がして見たら犬がくわえて行っちゃった』。いいね、これで行こう。尻っ端折りをして、向こう鉢巻きをして片肌脱いで出刃包丁を持って、これで良い。来た来た、『もう勘弁できねぇ~、こん・・・』、前のおばさんかよ。今度は本当に来たよ、『さぁー、こん畜生、どこに逃げやがったッ。叩き殺してやるんだッ』」、「オイオイ、どうしたんだ出刃包丁なんか持って。危ないから下ろせよ」、「お前に申し訳がない。犬が入ってきて、さっきの鶏をくわえて持って行っちゃったんだ」、「なんだよう、鶏肉ないの。酒買って来ちゃったじゃないか」。
 「だから止めねぇでくれ、と言うんだ」、「判ったよ。しょうがないな。鶏買ってくるよ」、「すまね~。この恩は一生・・・。行っちゃったよ。上手くいったな」。

 「この酒、良い香りがするね。お毒味をしてあげよう。湯飲みに盛り上がっているよ。(クゥークゥー)良い酒だ(ア~あ~)旨いね。肴に合わせたんだな。旨かった。呑みたいと思っているとこに酒だものな、生き返った。もう半分毒味をしてやるか。やつは呑まない方だから、もうチョット酒入れるか。入りすぎたよ。いいや、呑んじゃおう。(クゥークゥー)酒は良いね~、冷やは良い。(クゥークゥー)旨かった。なにしてんダ、あいつは。チョット呑むと酒がおいでおいでしているんだよ。行こうかしらチョット。遅いな~、俺なんか味噌や塩で5合位やっちゃうのに。あいつは弱いんだから・・・(3杯目を注ぐ。少し酔いが回ってくる)、水でも混ぜておこうかしら・・・。『酒は米の水 水戸様は丸に水 意見するやつは向こう見ず』、『この酒を止めちゃいやだよ 酔わせておくれ まさか素面(しらふ)じゃ言われめ~』。(クゥークゥー)昔の人は良いこと言うね。『外は雨 酔いは回ったし これからは♪貴方の度胸を待つばかり』、あら、(4杯目)無くなっちゃったよ。どうしよう。そうだ、犬が来て徳利倒して行ったんだ。これに決めた。残りを、こうやって撒いて徳利倒して、出刃包丁持って『さぁー、勘弁ならないぞッ!』」。

 「あの野郎、俺が帰ってくると怒鳴っているぞ。どうしたんだぃ、出刃包丁を下ろせ」、「面目ねェ~、犬が徳利倒して逃げて行っちゃたんだ」、「酒が無いから酒を買ってくれば、肴が無くて、買ってくれば酒が無い、どうなっているんだ。・・・オイ、手前(てめい)酔ってるな」、「酔ってるよ」、「おッ、何で酔ってるんだ」、「つまり、こう言う事なんだ。徳利が倒れて畳み一面にこぼれたから、もったいないから、そこに口を付けてチューッと吸ったんだ。呑んだんじゃ無いの、吸ったんだよ。お前の前だけれど酒は呑むより吸った方が酔うな」。

 



ことば

志ん生は碁が出来ないので、石を置く時の手つきや目配りが出来ないからと、「笠碁」を得意な将棋にして「雨の将棋」に改作しましたが、その他にも、もう一つ志ん生は改作したのが、「猫の災難」を「犬の災難」に改作しました。その理由は不明と言う人がいますが、三代、四代、五代目の小さんが演じており、元々は柳家の持ち根多だから、と言う説と、古今亭志ん生は猫が嫌いで犬に変えたとも言われています。
 
 原話は江戸時代の笑話本にある「初鰹」。それが「猫の災難」と云う上方落語になり、三代目 小さんが東京へ移植しました。上方では、初代と二代目の春團治。六代目 松鶴。二代目 露の五郎兵衛が演じ、東京では柳家以外では八代目 可楽が演じています。志ん生が改作した「犬の災難」は志ん生だけしか音源を残していないようですが、古今亭志ん朝や最近では若手の桃月庵白酒や何人かの若手が演じるようになってきました。

■「猫の災難」;三代目 小さんが東京に移植して柳家の噺家さんがやっているバージョンで、猫はどこにも出てこない。上方版は、隣から鯛の頭を貰ったのではなく、魚屋から料理屋に身を届けた後の鯛の頭と尾をもらう。最後に実際に猫が入ってきて、神棚に向かって前足を合わせ「どうぞ、悪事災ニャン(難)をまぬかれますように」。可楽がやっているのは上方版。

マクラで酒の噺を
 お酒の嫌いな人が、酒屋の前を通るのにダメだと思ったが走って通った。「臭いを嗅いだだけで酔っ払ってしまいました」。それを聞いていた人が真っ赤になってしまった。
 深酔いをすると、朝起きて昨夜のことが思い出せないことが有ります。寝る前はハッキリとしているもので、お釣りも違っていたりすると、「10円足り無いよッ」と言ったり、フラフラ歩いていてもドブの近くに行って落ちると思ったらよけて、がっかりすることが有ります。女の子が居ればよって行きますが、お巡りさんが居ると、チャンと避けます。
 広い通りで渡ると危ないところを、ベロンベロンに酔って渡っていきます。ブレーキの音が聞こえますが、渡り終えます。しらふの人が渡ったら跳ねられたと言います。

 私・吟醸の友人で、一滴も飲めない人が居ます。一度の体験だからとビールをなめたら、二日酔いどころか三日酔いになって寝込んでしまいました。その彼が新幹線で大阪から東京に帰るとき隣に座った人がポッケット瓶を出してウイスキーをチビチビやり始めましたが、指定席で席を移ることが出来ず、東京に着いたときには酔ってしまい、トイレで吐いてしまい動けなくなってしまいました。最近は強くなってウーロン茶を飲みながら酒の席に同行してくれます。

三代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう);(1938年3月10日 - 2001年10月1日)は、東京都文京区本駒込出身の落語家。本名、美濃部 強次(みのべ きょうじ)。五代目古今亭志ん生の次男で、十代目金原亭馬生の弟、女優の池波志乃は姪、俳優の中尾彬は義甥にあたる。出囃子は『老松』。定紋は『鬼蔦』。 七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。他に、同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』とも称される。

来歴・人物
 獨協高等学校でドイツ語を学んだ。当初は外交官になるという夢があり、後には毎年弟子を連れて大好きなドイツへ旅行に行った。当初は役者を志しており、噺家になる意志はなかったが志ん生から「歌舞伎役者は親が役者でないと上に行けないが噺家は扇子一本で偉くなれる」と説得され入門した。父の志ん生に入門してから5年目という異例のスピードで真打に昇進し、主に八代目桂文楽の演じ方を基調としながら、のちに六代目笑福亭松鶴に心酔して豪胆さを修学し、名実共に大看板として人気を博した。若い頃はテレビ出演も多く、喜劇俳優としての仕事もあったが、後にはタレント的な活動をセーブして本業の落語家としての活動に注力した。独演会のチケットはすぐに完売するほどの人気であり、古典芸能の住吉踊りを復興させたことでも有名である。
 同業者からの評価も非常に高く、若手の頃の志ん朝を指して八代目桂文楽は「圓朝を襲名出来るのはこの人」と父志ん生に述べた。圓朝は落語界では誰も継げない止め名であり、文楽はそれほどに志ん朝を買っていた。入門から5年目の真打昇進は文楽の鶴の一声によるものだった。志ん朝の晩年に七代目立川談志は「金を払って聞く価値のあるのは志ん朝だけ」と語っている。
 客入りの良くない名古屋の大須演芸場を守る足立席亭の心意気に感じて、1991年から毎年独演会を行った。大阪では道頓堀の角座に初めて出演した時、落語が受けなかったので漫談を高座に掛けて大いに受けた。ところが支配人から「漫談ではなく落語をしてもらうために呼んだのだ」と注意され、以降は落語をきっちり演じるようになった。大阪の客に東京の落語が受け入れられるまで5年かかったが、大阪の街を心から愛するようになったという。大阪の定宿としていた千日前の旧・上方旅館の女将の葬儀で、関西のしきたりで一番重要な“止め焼香”を遺族に懇願されて行ったりもした。現在は旅館を建て替えた建物にトリイホールを設け、上方噺家のみならず、志ん朝一門など東京の噺家も“大阪で定席を打てるホール”として、今も活用されている。もちろん、生前の志ん朝も「死ぬまでここでやる」と、大いに喜んだという。
 二ツ目時代に身の回りに不運が続いたため、信心が足りないと母に言われて谷中の寺に守り本尊としている虚空蔵菩薩へのお参りに出向いたところ、その寺の住職に、虚空蔵菩薩の使いは鰻であるので、菩薩の命日である13日は鰻断ちするよう勧められた。しかし、13日だけなんて勝手な話は無いと、以来40年以上に渡り大好物であった鰻を断った。鰻については、1994年のテレビ朝日「徹子の部屋」出演時、「始めは我慢するのが大変だったが、食べたいと思わなくなった」と語っていたが、晩年「ニュースステーション」「最後の晩餐」コーナーに出演の際には、「鰻を死ぬほど食べてみたい」と語っている。癌による死を前に、食べたいものを聞かれたときも「鰻が食べたい」と語ったというが、それは叶わなかった。
 所属団体は落語協会で、若手時代には将来の落語協会の大幹部候補としても嘱望されたが、後述する落語協会分裂騒動の際の自身の身の振り方の経緯や、騒動以後は高座に専念し協会内部の政治的なことからは比較的距離を置いていたこともあって、58歳から亡くなるまでの5年間副会長職を務めるに留まった。
 父、兄同様に酒を愛したが長年に渡って糖尿病を患い、時折入院加療していた。2001年10月1日、肝臓がんのため、自宅で家族、弟子に見守られる中、死去。63歳没。

志ん朝に影響を与えた落語家
 父である志ん生を尊敬していたが、芸の形を真似しても育った環境も人生経験も全く異なる父の境地に近づく事は不可能と考えていた。八代目桂文楽に注目して噺を丹念に組み立てる方法で自らの芸を構築していった。 六代目三遊亭圓生も敬愛する大先輩であった。1978年5月の落語協会分裂騒動では、志ん朝は一時的に圓生と行動を共にして落語協会脱退を表明している。しかし当初見込みとは異なり、東京都内の落語定席の席亭たちは圓生の新団体に寄席出演を許可しなかった。志ん朝一人だけならば三代目三遊亭金馬のように寄席に出ずに活動することは可能だが、自らの弟子を含む若手の落語家にとって寄席出演は芸を磨くために重要と考え、周囲の説得もあって脱退を撤回した。この時「これからは芸を見てもらう、それしかありません」と決意表明をし、落語協会の会長であった五代目柳家小さんは、新宿末廣亭席亭の北村銀太郎の助言もあり香盤を下げずに志ん朝を含む協会復帰組を受け入れた。
 大阪の落語家との交流の深さは同世代の東京の落語家の中でも群を抜いていた。六代目笑福亭松鶴に心酔し、自身「大阪の角座に出るたびに追っかけまわした」と証言するほどであった。そんな志ん朝を松鶴も可愛がり、その縁から志ん朝は大阪の寄席にも頻繁に出る機会を得て、大阪の客に受け入れられ芸も上達した。志ん朝にとっては松鶴は芸の恩人であり、遊びを教えてくれたよき先輩でもあった。志ん朝自身、上方落語界復興の苦労話を松鶴から夜を徹して聞かされたのが一番感動した事だと述べている。他には三代目桂春團治・三代目笑福亭仁鶴とは二人会を開くなど親交を深めた。特に春團治とは共に親が落語家であったこともあり双方とも格別の思い入れがあった。二人会になると文字通りの真剣勝負で、二人とも気合いの入った高座となった。立川談志との若手時代からのライバル関係は有名であり、志ん朝に真打昇進を追い越されたことが、談志が奮起するきっかけになった。 また落語協会分裂騒動では三遊亭圓生が三遊落語協会の自らの跡目を志ん朝としたことが、談志が土壇場で新団体参加を断念した大きな要因であったとされている。この件を巡り、談志とは激しい口論になった。談志の芸は協会離脱後志ん朝とのライバル関係がなくなったから衰えた、という説を談志の弟子が唱えていた事がある。
 この項、ウイキペディアより

鶏屋(とりや);生きているときはニワトリですが、食肉に加工されたら鶏となります。その鶏肉を商うのが鶏屋です。専門店ですから、さぞ良い鶏を持って来たのでしょうね。

南京豆30粒(なんきんまめ);落花生の別称。草丈は25~50cm。夏に黄色の花を咲かせる。受粉後、数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が下方に伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで地中で結実する(=地下結実性)。 南米原産で東アジアを経由して、江戸時代に日本に持ち込まれたと言われている。日本では主に食用として栽培されている。油として加工される。 花が落ちるようにして(花が受粉して落ちて)地中で実を生むことから「落花生」という名前が付けられた。 俗に殻のままを”落花生”、殻から取り出して豆の状態を”南京豆”、その豆の薄皮をむいてバターでコーチングした物を”ピーナッツ”と言います。
 肴だと言ったって、30粒で酒5合と同じなんて誰でも怒ります。

お燗(おかん);酒を器に入れて適当な温度に温めること。その温め加減。日本酒はお燗することを前提に提供されます。
 酒の燗の温度の種類の一つで、温度によって呼び方が変わります。お燗をする人をお燗番と言います。また、お燗の仕方でも、直接火にかける「じか火燗」、お湯につける「湯せん燗」、これには、水から暖める、熱湯につける、80度くらいの湯につける、と細かに分かれる。それぞれに味わいが変わります。

  日向燗(ひなたかん)   30℃近辺
  人肌燗(ひとはだかん)   35℃近辺
  ぬる燗(ぬるかん)   40℃近辺
  上燗 (じょうかん)   45℃近辺
  あつ燗(あつかん)   50℃近辺
  とびきり燗(とびきりかん)   55℃近辺

犬がくわえて(いぬがくわえて);ドッグフードやキャツフードを食べるようになった犬や猫は、この様な生肉を食べることが有るでしょうか。そのペットフードが市場に出てくる前は、多めに炊いたご飯に味噌汁をかけた物を食べさせることが当たり前だった時期には、猫が狙ったり犬がくわえて行ったりしたでしょう。時代が変わったんですね。

尻っ端折り(しりっぱしょり);和服のすそを外がわに折って、帯の間に挟むこと。しりからげ。裾捌きが楽になって、運動がしやすくなります。

向こう鉢巻き(むこうはちまき);結び目が額の前にくるようにして締めた鉢巻き。いなせな姿とされる。

片肌脱ぐ(かたはだぬぐ);着物の片袖を脱いで一方の肩をあらわす。 勢い込んだり、涼をとったりするために着物の片袖を脱いで一方の肌をあらわす。転じて、人に手を貸して助ける。助勢する。

出刃包丁(でばぼうちょう);刃が厚く広い、先のとがった庖丁。魚や鳥肉のあらぎりに用いる。でば。

お毒味(おどくみ);飲食物を人にすすめる前に、まず自分が食べて毒の有無を確かめること。特に、貴人に食を供する際行われた。転じて、料理の味加減を見ること。この噺では、酒の味見をすることですが、それをこえて酔うほどに呑んでしまった。

水でも混ぜ(みずでもまぜ);日本酒は飲みやすいと感じるまで、蔵元で水を足します。これを加水と言います。しかし、戦前は酒屋でもブレンド、加水をして売りました。当然、加水量が多いのは安価な酒になります。酒のレベルを落語では、道中の茶屋で呑むときの加水レベルですが、村を出るまでほかほかと酔っていられる”村さめ”、店を出るまでほかほかと酔っていられる”店ざめ”、飲むそばから酔いが覚める”直さめ”等と言っています。
 酒に少量の水を足すのはまだ良いとして、水に酒を足したら、酒っぽい水になってしまいます。

■『酒は米の水 水戸様は丸に水 意見するやつは向こう見ず
 都々逸で、水に掛けた模様を言っています。水戸黄門が持つ印籠には徳川家の家系を示す葵の紋が入っていた。双葉葵の葉を3枚合わせたデザインの非常にセンスのある紋です。丸に水と書けば水戸様だと言います。

■『この酒を止めちゃいやだよ 酔わせておくれ まさか素面(しらふ)じゃ言われめ~
 この都々逸は、女性が言っているのですから、最後の”言われめ~”はおかしく、通常は、”言いにくい”でしょう。
志ん朝も人の子で、キズ(間違え)は有ります。『弘法も筆の誤り』、『猿も木から落ちる』でしょうか。

■『外は雨 酔いは回ったし これからは♪貴方の度胸を待つばかり
 良いですね、この心持ち。そうだったんだと、今頃思ってももう遅い。
 都々逸は、主として男女の恋愛を題材として扱ったため、酒が進んでくると自然と口に乗ってきます。

徳利(とっくり);酒屋には徳利か空ビンを持っていって詰めてもらうのが当たり前でした。徳利は酒屋の屋号が入っているのが当たり前で、他に店で浮気は出来ませんでした。その徳利は狸が下げている徳利と同じで、5合徳利です。右図。

酒は呑むより吸った方が酔うな;チュウチュウ吸った経験が無いので何とも言えません。ホントかウソか判りませんが友達が言うには、ビ-ルを呑むときに、直にジョッキから飲むよりストローで呑んだ方が効くと言っていましたが、本当でしょうか。

都々逸もいろいろで、
・白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く
・赤い顔してお酒を飲んで 今朝の勘定で青くなる
・上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花
・色はよけれど深山の紅葉 アキという字が気にかかる
・浮気うぐいす梅をばじらし わざととなりの桃に鳴く
・便りあるかと聞かれる度に 別れましたと言うつらさ
・折々亭主がお世話になると 遠火で焦がさぬ焼き上手
・重くなるとも持つ手は二人 傘に降れ降れ夜の雪
・岡惚れしたのは私が先よ 手出ししたのは主が先
・金の屏風に墨絵の牡丹 中に二人の狂い獅子
・帰しともないお方は帰り 散らしともない花は散る
・およそ世間にせつないものは 惚れた三字に 義理の二字
・義理も人情ももうこの頃は 捨てて逢いたい欲ばかり
・義理や人情が守れるならば 恋は思案の外じゃない
・たった一度の注射が効いて こうも逢いたくなるものか
・おろすわさびと恋路の意見 きけばきくほど涙出る
・積もる思いにいつしか門の 雪が隠した下駄の跡
・つねりゃ紫喰いつきゃ紅よ 色で固めたこの体
・どうせ互いの身は錆び刀 切るに切られぬくされ縁
・春のひと日をつい飲みたおれ 花とふたり寝して戻る
・花は咲いても身は山吹よ ほんに実になる人がない
・一人笑うて暮らそうよりも 二人涙で暮らしたい
・ほれた証拠はお前の癖が いつか私のくせになる
・惚れさせ上手なあなたのくせに あきらめさせるの下手な方
・枕出せとはつれない言葉 そばにある膝知りながら
・もしもこのままこがれて死ねば こわくないよに化けて出る
・昨夜(ゆうべ)玉子をつぶした報い きみをかえせと鶏がなく
・横に寝かせて枕をさせて 指で楽しむ琴の糸
・よその夢見る浮気な主に 貸してくやしい膝まくら
・わけりゃ二つの朝顔なれど 一つにからんで花が咲く


                                                            2018年12月記

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