落語「珍品落語集」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「珍品落語集」(ちんぴんらくごしゅう)より。「落語小話集」


 

 誰もやらないような噺は、おもしろくないのです。時代が変わると噺が分からなくなります。

 油屋さんの大屋根の上に化け猫が出ると言う噂が立ちます。主人が夜見張っていると、大きな猫が屋根の上で鳴いている。これを見た主人が石を投げると、猫が体をかわして「あぶらやの~」。

 昔は蚊が多くて蚊帳なしでは寝ることも出来ません。蚊柱が部屋の中にも立って「ワァ~ン」と、うなっています。ある男、蚊帳を質屋に入れて一杯飲んでいると、蚊が男を馬鹿にして「蚊帳ワン~、蚊帳ワ~」、「うるさいな、質屋に置いたわッ」、「フ~ン」。これだけの噺なんですが・・・。

 旅人が道に迷ってやっと見付けた人家に宿を願うと、出て来たのが狐です。「あんた、一晩泊めてくれと人が来たんですが・・・」、「泊めてあげなさい」と主人を見ると、これも狐。小さくなっていると「こんばんは」、と訪ねてきたのも狐。その狐が上がってきて、旅人を見ると、部屋の隅に小さくなっています。「あれは、人間だろ」、「そうだ。道に迷って、一晩泊めてくれと言うんだ」、「そうか。良く馴れているな」。

 日当貰って、こなから(2合5尺)の酒を買って帰ってきた。寝床を敷いていると足を畳に引っかけ徳利をひっくり返し、その酒は畳に吸われてしまった。「わ~。世の中に我ほど不幸せな人間はいないぞ。去年は嬶を死なし」。
 嫁さんを死なせたのと、2合5尺の酒と同等なのが・・・。

 仕草オチというのが有ります。「蛇含草」だとか、「疝気の虫」等があります。しかし、言葉で落とすことも出来ますので、本当の仕草オチというのは、
 「親指にササむけが出来て、袖に触れて痛いんだ」、「好いこと教えてやるよ。中指の上に痛い親指を乗せて、その上に人差し指を乗せるんだ」、「アッ、ほんまに痛くないや」。
 「オーイ、どないしてんや」、さっきの指を見せて「これで苦労してるんや」。
 こー言う噺は、テレビではやれませんなぁ。

 同じ仕方話で、「オイ、顔は縦が長いか、横が長いか判るか。縦が長いと思うが横が長いんだ。計ってみるよ」、(指で計ると、耳から鼻まで一つ、反対の耳まで一つ。縦はあご先から目頭まで一つ、残りが半分、で、顔は横が長い)。
 「おもしろいこと聞いた。友達に教えてこよう」、「顔は縦横どっちが長いか知ってるか」、「人によって違うだろう」、「(指で計って見せて)横の方が長いだろう」、「そんなことは無いぞ。(横は二つ、縦は・・・口を大きく開けて、二つ)な、おんなじだ」、「あ~、こんな手があったか」。
 「お前さっき横が長いと言ったが、同じだぞ。計ってみようか。横は二つだ。縦は(口を閉じて一つ、半の時に口を開けて)アッ、一つ半だ」。
 言葉だけでは、仕草オチですから、上手く伝わりません。

 新婚間もない若夫婦。奥様が一緒に寝ていると奥様オナラが出そうになった。慌てて布団から出ると大きなオナラが出てしまった。亭主を見るとスヤスヤと寝ている。本当に寝ているのかと起こして聞いた、「どうしたんだ」、「今の知らない?」、「何が?」、「地震ッ」、「えッ、地震があったのか。で、屁の前か後か」。
 こんなこと言われたら、嫁さんどう思うことやら。

 地震の話、男が女を夜遅く、親に見つからないように、裏木戸を開けておいて、二階の部屋にしけ込んだ。朝早く裏から帰すつもりだったが、寝過ぎて男だけが下に降りてきて食事を始めた。「夕べ、ガタガタしていたがどうしたんだ」、「地震があったようです」、「そうか、地震か。早く食べな。二階の地震にも食事させな」。

 高野山の便所に入ったら気持ちが良かったんですな。文字通りカワヤ(厠)と言って川に突き出した板が渡され、出たものは下に落ちていくし、風が吹いてきてお尻をなぜます。臭いも無くいたって気持ちが良い。「こんな気持ちの良い便所は無い。家にも作ろう」と帰った。その親父さんの家の脇を通ると、「気をつけろよ。時々ばば(くそ)が降ってくる」。

 飛脚がいた。「明石まで届けて欲しい」、「大阪から明石までどれくらい有ります」、「昔から15里と言うな」、「では、行ってきます。ドッコイサノサ」(下座から韋駄天の囃子が入る・・・)。
 「チョットお尋ね申します。ここは何て言う所です」、「ここは、西宮です」、「恵比寿さんが有るとこですな。大阪から明石まで何里有ります」、「それは15里でっせ」、「さよか、だいぶ走ったと思ったんだが。まだ有るな。ドッコイサノサ」(韋駄天のお囃子が入る)。
 「チョットお尋ね申します。ここは何て言う所です」、「ここは、兵庫でやす」、「だいぶ来たな。大阪から明石まで何里有ります」、「それは15里有りまっせ」、「さよか、だいぶ走ったと思ったんだが。まだ有るな。ドッコイサノサ」(韋駄天のお囃子が入る)。
 「チョットお尋ね申します。ここは何て言う所です」、「ここは、須磨です」、「大阪から明石まで何里有ります」、「それは15里でっせ」、「さよか、だいぶ走ったと思ったんだが。走っても走っても15里。ドッコイサノサ」(韋駄天のお囃子が入る)。
 「チョットお尋ね申します。ここは何て言う所です」、「ここは、舞子の浜です」、「大阪から明石まで15里ですか」、「15里でっせ」、「さよか、だいぶ走ったと思ったんだが。まだ有るな。ドッコイサノサ」(韋駄天のお囃子が入る)。
 フラフラになって明石の町に入ってきて、人丸神社の境内の茶屋にごろっと横になって寝入ってしまった。「もし、店閉めるので、起きてください」、「ここはなんと言う所ですか」、「明石の人丸神社です」、「走るより、寝ている方が早かった」。

 この飛脚が帰り道に、近道を探しながら走った。「ドッコイサノサ」、(韋駄天のお囃子が入る)。催してきた。小便1丁くそ8丁と言って、用を足していればそれだけ遅れるが、我慢できないのでお百姓さんの便所が有ったので入った。懐に入れてあったむすびの包みが下にストンと落ちた、「近道しよった」。

 その飛脚が道に迷い山道を走っていた。その先に胴回りが一抱えもあるウワバミが口を開けて待っていた。そんなことも知らない飛脚が呑まれてしまった。「急に暗くなった。そうかウワバミに呑まれたんだな。先に行ってみよう」、向こうに明かりが見えて、そこからズボッと外に出た。ウワバミが「しまった。フンドシしておけば良かった」。

 別の飛脚が、「堺まで行って貰いたい。相手は朝が早いので、その前に渡して欲しい」、「今、夕方ですが、行きましょう」。
 その当時の堺筋は飛田と言う森があった。森はお仕置き場で人も集まらないので、遊郭にしたら人も集まり賑わった。当時は寂しい所であった。剛胆な男で、提灯一丁で森を抜けていた。小坊主が道にうずくまっていたが、見ると一つ目であった。「狸であろう。そんなことで、驚くわしでは無い、出直せ、出直せッ」、その剣幕に押されて、フッと消えた。大男の三ツ目小僧が現れた。「そんな三ツ目小僧なんか怖くない。古くさいことやってないで、出直せ、出直せッ」、また、フッと消えた。森を抜けると女が道の片隅にしゃがみ込んでいる。声を掛けると口だけののっぺらぼう、「古いことばっかりやっていないで、何か新しいことをやれッ」。
 目的の家の前に来ると未だ戸が閉まっている。「間に合ったか」と、堺の海岸に出て一服。波が押しては引いている。寄せた波の間に大きな鯛が跳ねている。「ありがたい。お土産にすくっていこう」、その鯛が目をむいて「これでも古いかぃ」。

 思い出すままにしゃべらせて貰いました。今日はありがとうございました。

 



ことば

こなから;1升の半分は”なから”と言います。その半分を”こなから”と言い、2合5勺です。1/4升。
 上方では、お妾さんのことも、こなからさんと言います。それは2合半=二号はんです。

仕草オチ;仕草だけでオトす落語。「蛇含草」、「疝気の虫」等が有りますが、これらは言葉で落とすことも出来ますが、仕草だけでオトす噺が有ります。
 この噺の「親指にササむけ」、でのゆびの形。右図。
桂米朝が、こんな指の形を見せるか。自分でも恥じて、テレビでは出来ない、と言っています。

顔の縦横の長さ;指を広げて顔の長さを測ります。

 

 左から、顔の縦を計る、一つと半。 口を開いて、二つだ。 戻ってきてやると一つ半だった。 

奥様の屁;江戸落語の「四宿の屁」の中に、千住の花魁が言うには・・・。
 呼び寄せておきながらチットモ来ないと愚痴っていたが、気配を感じて狸寝入りをしていた。花魁が部屋に入って来るなり枕元で”ぶ~う” 揺り起こしてお客に聞いた「今の知っているでしょ」、「何が」、「知らないの。大きいのが・・・」、「大きいのがって、何が」、「大きい・・・、う~、地震サ」、「地震ッ!、屁の前か後か?」。

高野山(こうやさん);和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の一つ。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
 2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。

 噺の中にも有るように、高野山の厠は気持ちいいと言っているように、世俗では”高野さん=厠”の隠語として使われました。

(かわや);便所。現代の水洗便所。厠は数ある便所の別名の中でも古く、奈良時代から見られる。712年古事記には、水の流れる溝の上に設けられていたという。少し前までは母屋の側の屋外に便所を作るのが一般的で、「側屋(かわや)」とする説もある。

飛脚(ひきゃく);信書や金銭、為替、貨物などを輸送する職業またはその職に従事する人のこと。単純な使い走りとは違い、事業が組織化されているのが特徴。
 江戸時代に入ると、五街道や宿場など交通基盤が整備され、飛脚による輸送・通信制度が整えられた。江戸時代の飛脚は馬と駆け足を交通手段とした。公儀の継飛脚の他、諸藩の大名飛脚、また大名・武家も町人も利用した飛脚屋・飛脚問屋などの制度が発達、当時の日本国内における主要な通信手段の一翼を担ってきた。 右図;東海道五三次「庄野」(別図・部分)広重画。
 明治以降の郵便制度に比較すると費用的に高価で天候にも左右された。毎日配達しないため、近世の書簡は案件をまとめて記されることが多く、費用的に安価であることや儀礼的な理由で飛脚を用いずに私的な使用人を介して伝達されることも多かった。  

明石(あかし);兵庫県の南側かつ淡路島の北側に位置し、淡路島が望める。東西に長く、瀬戸内海(播磨灘)に面している自治体。古代から阪神と播磨を結ぶ陸上交通、本州から淡路島を経て四国に通じる海上交通の重要な拠点になっており、明石海峡大橋開通前は明石フェリーが玄関口であった。近年は神戸市や大阪市、阪神間のベッドタウンとして住宅が造成された。JR明石駅からJR三ノ宮駅(三宮)までの所要時間は新快速で15分、JR大阪駅(梅田)までは37分で行け、飛脚を頼まなくても楽に行ける地になった。
 日本標準時の町として知られる。日本標準時は明治初期は京都伏見を基準地点としたが、明治19年より国際的に地球の経度・360度を24分割する15度の倍数を基準とすることとなり、日本では東経135度が日本標準時子午線と定められ、線上の明石が「子午線のまち」として定着した。

 旧街道・山陽道を通って大坂から明石まで行きます。大坂-尼崎-西宮(-芦屋)-兵庫(神戸)-(須磨-舞子)-明石(人丸神社。行程15里=60km)ですが、後半もう少し細かく説明しています。飛脚が疲れて(?)きたので、寄る所が多くなったのでしょうか。

西宮(にしのみや);兵庫県の南東部にある人口約49万人(2016年6月現在)の市。恵比寿さんと甲子園球場が有るところ。京都から来る西国街道と大坂から来る街道とがここで合流します。恵比寿は毎年1月9日から11日の十日戎で「福男選び」の神事を行うことでも知られる西宮神社。
 大坂より尼崎を通って西宮まで5里。西宮より兵庫まで5里。

 

 上写真;西宮神社。恵比寿さんが祀られているので有名。

兵庫(ひょうご);神戸市兵庫区の中心で、JR山陽線の兵庫駅が有り、その南に平行して国道2号線が走る。
 区南部にあたる地域は有数の規模を誇る港町であり、既に江戸時代には同地域の人口が1万人を突破していた。明治の開港による文明開化と共に、氾濫を繰り返していた旧湊川の兵庫港に向かう流れが途中から埋め立てられ、外国との貿易で栄える神戸と繋がり、多くの人口を抱える繁華街・オフィス街として神戸の中心部が形成された。神戸空港開港にあたり、国内外の主要企業の進出が進み、人口増加率は神戸市内で最も高い。
 兵庫より明石まで 5里。

 

 摂津名所図会より兵庫にあった「兵庫生洲」。生け簀に魚が泳いでいる。

須磨(すま);、神戸市を構成する9区のうちのひとつで、同市の西部に位置する。南部の板宿を中心とする旧市街地、北部の妙法寺や名谷を中心とする新興市街地など様々な街の景色を持つ。 平安時代末期に起きた一ノ谷の戦いの舞台でもある。また、須磨海岸は古来より白砂青松の美しい砂浜を持つ海岸として有名で、近年は京阪神地域随一の海水浴場でもあります。
 落語「須磨の浦風」に写真や詳細があります。

舞子の浜(まいこのはま);神戸市垂水区の南西部にあり、明石市に接する地区である。旧山田村の地域、現在の西舞子・東舞子町の海岸に舞子の浜がある。昭和16年7月に神戸市に合併されるまでは、明石郡山田村に属していた。山陽線・舞子駅が有り、ここから淡路大橋で淡路島と繋がっている。
 名勝「舞子の浜」として古くから知られる。小高い柏山から海と淡路島を望む景色が絶景であるとして有栖川宮熾仁親王は別邸を構えたという歴史もある。1934年には史跡名勝記念物の指定を受ける。 1996年の日本の渚百選に選ばれた小舞子海岸 (石川県白山市湊町) の「小舞子」という名称は、「舞子の浜」から取られたとされている。日本の白砂青松100選に選定された福島県いわき市の新舞子ビーチも「舞子浜」に由来する。

人丸神社(ひとまるじんじゃ);正式には柿本神社(かきのもとじんじゃ)と呼ばれ、柿本人麻呂朝臣を祀る。兵庫県明石市人丸町にある神社。人丸山の頂上に鎮座するが、山名も当神社に因むものである。旧くは「人丸神社」と称し、地元では「人丸さん」とも呼ばれる。
 境内は明石海峡を望む「ほのぼのと」の歌に相応しい景観を提供する地であるが、日本標準時子午線(東経135度)が通るのに因んで社前の山腹に明石市立天文科学館が建てられ、その高塔が聳えているため視界が一部遮られている。

 「天離る 夷の長通ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ」 柿本人麿 万葉集所載

 柿本神社。この神社の境内で飛脚が寝込んでしまった。

小便1丁糞8丁;小便一町糞一里とも。 《小便のときは1町遅れ、大便のときは1里遅れる意から》歩いて旅などをするとき、大小便のために同行者に遅れることをいう。 飛脚として走っているので、もっと遅れる。1丁(町)は、約109m。

(さかい);大阪府泉北地域に位置する政令指定都市。 大阪府による地域区分では泉北地域とされる。大阪府内で人口・面積ともに第2の都市。一方、居住人口に比べて昼間人口の割合が低く、大阪市の衛星都市としての特徴も併せ持っている。
 沖積平野を含みおおむね平坦で、海岸線に沿って南北に通る紀州街道(国道26号~大阪府道204号)・熊野街道(小栗街道。大阪府道30号)に沿って早くから市街化している。元来の市街地である堺区の環濠内は紀州街道を大道と称して南北幹線としており、西区の中心となる鳳は小栗街道に沿う大鳥大社の鳥居前町として発展した。鉄道も両街道に沿うように南海本線・阪堺線・阪和線が通っている。

堺筋の飛田(さかいすじのとびた);堺筋(さかいすじ)は、大阪府大阪市中心部の南北幹線道路。和歌山へ至る紀州街道の一部区間にあたり、江戸時代の船場において堺へ出る道であったことから堺筋と呼ばれ定着した。当時から人通りが多く、南北方向のメインストリートであった。
 大阪市北区の天神橋1交差点から、大阪市中心部の船場・島之内を縦断して、西成区の天下茶屋東1交差点に至る、全長約6.1kmの南北幹線道路。大阪府道102号恵美須南森町線の大部分を占め、ほぼ全線の地下に大阪市営地下鉄堺筋線が通っている。

 飛田遊廓(とびたゆうかく)は、大阪市西成区の山王3丁目一帯に存在した遊廓、赤線。大正時代に築かれた日本最大級の遊廓と言われた。現在もちょんの間が存在し、通称飛田新地(とびたしんち)と呼ばれる。
 江戸時代、ここはお仕置き場であった。飛田の森と言って薄気味悪い所で、誰も住もうという人がいなかったので、遊郭を作って人を集めた。ここに一つ目小僧等の化け物が出た(桂米朝)。1912年(明治45年)1月16日、難波新地乙部遊廓が全焼するミナミの大火が発生。廃業・移転を迫られた業者たちによって阪南土地建物会社が設立され、阿倍野墓地北西の低地に代替地を求め、1916年(大正5年)に築かれた。規模は、22,600坪。1918年(大正7年)には既に100軒あまりの妓楼が並んでいた。妓楼の数は昭和初期には200軒を超える。花街も戦災を免れた唯一の廓である。

 

 現在料亭として営業している「鯛よし百番」は、大正中期に遊廓として建てられた建物を使用しており、2000年に国の登録有形文化財となった。



                                                            2019年1月記

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