落語「筍」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「」(たけのこ)より。別名「かわいや」。


 

 関西の落語には侍の噺はほんとに少ないですな。変な噺が多いんです、侍の出てくる噺は。

 あんまり強い、偉そな侍は出てきませんわ。情けない侍が出てきましてね、夜中に一人で便所へよ~行かん侍。 奥さんに付いて来てもらうんですな。で、用足すあいだ、さすがに気が引けたとみえて、便所の中から、「これ、そなたそこに一人でいて怖いことはないか?」、「少しも怖いことはございません」、「ん、それでこそ武士の妻じゃ」。
 どついたろかしら、と思うよ~な頼んない侍が出てまいります。

 「こりゃ、可内(べくない)。昼飯の采(さい)は何じゃ?」、「筍でございます」、「筍とは珍味じゃが、いずかたより到来をいたしたか?」、「到来はいたしませんので・・・」、「しからば八百屋にて買い求めたか?」、「買い求めもいたしませんので・・・」、「買い求めもせず、到来もせぬ筍が、ど~して家(うち)にあるな?」、「お隣りの筍が、こっちの庭へ頭出しよりましたんで、それを掘り取りました」、「隣家のものを無断にて掘り取るということはあるものか、たわけめッ。・・・とは言うものの、わしもそ~いうことは好きじゃ」、「あ、ビックリした」、「一応隣家へ行ってまいれ」、「何と言ってまいりますかな?」、「慌ただしゅ~走り込め。『不埒(ふらち)でござる。ご当家様の筍が手前屋敷へ泥脛(どろずね)を踏み込みました。戦国の世ならば間者(かんじゃ)も同様なやつ、召し捕って手討ちにいたしますゆえ、その段ちょっとお断りをいたします』、そ~言うて来い。わしは鰹節のダシを取っておくからな」。

 可内隣家へ、慌ただしゅ~走り込む。「えぇ~、不埒でござる、不埒でござる」、「これは隣家の可内殿、慌ただしゅ~何事じゃ?」、「ご当家様の筍が手前屋敷へ泥脛を踏み込みました。戦国の世ならば間者も同様なやつ、召し捕って手討ちにいたしますゆえ、その段ちょっとお断りをいたします」、「不届きな筍の振る舞い、お手討ちは止むを得ぬ。が・・・、遺骸はこちらへお下げ渡しを願いたい」、「そら何を言うねや、遺骸が要るんやがな、うちの旦那、鰹のダシ炊いて待ってまんねやが」、「何ならば、ダシもろともにても苦しゅ~ない」、「さいなら・・・、向こうのほうが一枚上手やで」。

 「え~、行て来ました」、「何と出あったな?」、「『不届きな筍、お手討ちは止むを得ませんが、遺骸はこちらへ下げ渡してくれ』言うたはりまっせ。『うちの旦那、鰹のダシ炊いて待ってまんねん』言うたら、『ダシもろともにても苦しゅ~ない』言うたはりますが」、「敵もなかなかやるの~。もう一度行ってこい。『不届きな、けしからん筍は既に当方において手討ちにいたしました。遺骸はこちらにて手厚く腹の内へと葬ります。骨(こつ)は明朝、高野(厠)へ納まるでございましょ~。これは筍の形見じゃ』と言って、この竹の皮をばらまいてこい」、「段々オモロなってきたな~」。

 「え~、お隣りの・・・」、「お~、可内殿。鰹のダシは?」、「せやおまへんねん。え~、あの~、『けしからん筍は既に当方において手討ちにいたしました。遺骸はこちらにて手厚く腹の内へと葬ります。骨は明朝、高野へ納まるでございましょ~。これは筍の形見でございます』、(バラバラ、バラバラバラ) 」、「いやはや、お手討ちに相成ったかッ。あ~、可哀(かわい)や、皮~いや」。

 



ことば

原話;享保11年版「軽口初笑」所載の「こぼれさいわい」に有る。元来、上方ばなしで、戦前活躍した四代目円生門下の三遊亭新朝がやった。 この噺は小話で、侍が出てくるマクラに使われるものです。今回も「試し切り」のマクラに使われた噺です。

(たけのこ);竹の子。イネ科タケ亜科タケ類(一部はササ類も含む)の若芽。日本や中国などの温帯から亜熱帯に産するものは食材として食されている。広義には、竹の皮(稈鞘)が稈に付着していて離脱するまでのものであれば地上に現れてから時間が経過して大きく伸びていてもタケノコといえるが、一般には食用とする地上に稈が出現する前後のもののみを指す。夏の季語。
 落語では竹の子と言えば、ヤブ医者にもなっていないような医者で、薮にもなっていないような竹の子だから。

 竹の子医者の小話、
 「竹に花が咲いたので、診て欲しい」、と男がやって来た。「ここは医者だ。植木屋さんのところに行って相談しなさい」、「ここは、竹の子医者だと聞いてきたんですが・・・」。
 右写真:孟宗竹の筍。皇居にて。

筍の所有権
 江戸時代の法は判りませんが、民法233条では、
隣地の竹木の枝が境界線を越えるときは、その竹木の所有者に、その枝を切除させることができる。
隣地の竹木の根が境界線を越えるときは、その根を切り取ることができる。
 これを踏まえれば、竹の子が自分の庭に出て来たら、かまわず成敗してもかまいません。ただし、柿やリンゴのように塀越しに成っているものは、枝を含めて取得してはいけないのです。隣家の承諾があれば別ですが・・・。

 『下屋敷の筍つみ』 二代目豊国画

可内(べくない);芝居では奴の名前に~内と付けるのが型になっているという。(桂米朝談)。

泥脛(どろずね);汚れた足。泥足。

不埒(ふらち);法にはずれていること。道にそむいていること。ふとどき。不法。また、埒のあかないこと。物事の決着のつかないこと。要領を得ないこと。「埒」は馬場の外囲いの意。転じて物事のくぎり、秩序の意。 

間者(かんじゃ);敵方の様子を探る者。間諜(かんちょう)、スパイ。

手討ち(てうち);自分の領地内で起こった裁判事は、幕府の権限が及ばない自藩で裁くことが出来た。死罪の時は、手打ちと言って、藩内で処刑した。別名を無礼討(ち)(ぶれいうち)とも。

 斬り捨て御免は正当防衛的な行為と認識されていた。しかし、それはあくまで建前であり、喧嘩による斬り捨て御免も「無礼討ち」として処理されていた。あくまでも正当防衛の一環であると認識されているため、結果的に相手が死ぬことはあっても、とどめを刺さないのが通例である。また無礼な行為とそれに対する切捨御免は連続している必要があり、以前行われた無礼を蒸し返しての切捨御免は処罰の対象となった。
 無礼討ちには、武士に対する名誉侵害の回復という要素と、その生命を脅かす攻撃から自身の身を守る正当防衛の要素が含まれていた。 
 幕府直轄地である江戸で町民に危害を加えた場合は、江戸幕府への反逆行為とみなされる恐れがあった。このため諸藩は江戸在勤者に対し、直接切捨御免には言及していないものの、「町民と諍いを起こさずにくれぐれも自重すべき」旨の訓令をたびたび発した記録が残っている。このため、簡単には斬れない事情を知っていた町民の中には、粋をてらったり、度胸試しのために故意に武士を挑発する言動をする者もいたという。そのようなトラブルを避けるために江戸中期以降にはこのような芝居小屋・銭湯などの大抵の公共施設では刀を預ける刀架所が下足所の横に設けられた。

高野(こうや);厠(かわや)の異称。便所のことを「高野さん」と、戦前まで使っていた。



                                                            2019年1月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system