■この作品は、私の手元では「我孫子の宿」というクレジットが着いています。今は、いつの間にか”の”が取れて「我孫子宿」に成っています。この噺、最初の収録年は昭和63年(1988)2月、TBS・ビアホール名人会でのもので、そこから概略を書いています。平成元年はTBS、平成6年には東京落語会(イイノホール)の様子をNHKが放送したテープが残っています。どれも「我孫子の宿」と成っています。
■この噺「我孫子宿」は、長谷川伸作「一本刀土俵入り」のパロディです。
あの「一本刀土俵入り」の世界を知らなければ、もう、さっぱりわからない落語です。 「日本の話芸」はイイノホールでの「東京落語会」の中継録画ですから 「東京落語会」の観客は通の人が多いですから、この噺に実によく笑っておられました。今や「一本刀土俵入り」自体、歌舞伎座でもたまに勘三郎や幸四郎主演でかかるぐらいしかありませんから 「一本刀土俵入り」を知らない人が圧倒的に多い今日、寄席で急にこの「我孫子宿」が演じられても観客は唖然としてしまうことでしょう。円歌の最近の録音で聞くと、「約40年ぶりにこの噺を演じる」と言う理由もなんとなくわかります。
■我孫子(あびこ);千葉県北西部の東葛地域に位置する人口約13万人の市。利根川と手賀沼に挟まれた、茨城県取手との境に位置する。JR常磐線と成田線、国道6号と国道356号が分岐する交通の要衝。水戸街道・我孫子宿(しゅく)及び布佐の市街地を除き、概ね農業地域であったが、1970年代からはベッドタウンとして一部区画が開発され、人口が増加した。利根川沿い・手賀沼沿いを中心とした稲作、台地上での野菜の生産が盛んに行われています。
■一本刀土俵入( いっぽんがたなどひょういり);
長谷川伸(はせがわ しん)の戯曲。2幕5場。昭和6年(1931)『中央公論』6月号に発表。同年7月東京劇場で六世尾上(おのえ)菊五郎の茂兵衛(もへえ)、五世中村福助のお蔦(つた)などで初演。また、ドラマや映画になって公開された。
今では飴売りをして娘のお君と細々と、まともに暮らしているお蔦。そこへ儀十と子分たちが辰三郎を探して乗り込んできたので、お蔦は何年も行方知れずだった夫辰三郎がまだ生きていて、追われる身だと知る。
夜更に辰三郎が戻ってきて、親子は再会を喜び合う。辰三郎は少しでも金を持って帰ろうとしてイカサマに手を出したことを悔やむ。
そんなところへお君の歌う「小原節」にひかれるように茂兵衛が訪ねてくる。そして十年前の恩返しにと金を渡すが、お蔦は茂兵衛を覚えていない。
長谷川伸の追悼記念番組『日曜劇場』として放送された「一本刀土俵入り」は、長谷川の戯曲を孫弟子に当たる平岩弓枝がテレビドラマ用に執筆したもの。キャストは、中村勘三郎、池内淳子、中谷昇、伊志井寛など。昭和44年(1969)TBS制作
プロデューサー:石井ふく子。
■長谷川伸(はせがわ しん);(1884年(明治17年)3月15日 - 1963年(昭和38年)6月11日)は小説家、劇作家。本名は長谷川 伸二郎(はせがわ しんじろう)。右写真。
■格子戸(こうしど)と二階の手すり;格子を組み込んだ戸。格子遣戸の用い方は、隔ての機能を果たしながら、採光や通風を得ることができる。機能としては、明かり障子の前身ともいうべきもの。
■刑事さん(けいじさん);主として犯罪の捜査活動に従事する私服の警察官。法律上の職名ではなく、法的身分は巡査または巡査部長。デカ。良いんですか、職務中に酒なんか飲んで・・・。
■詐欺師(さぎし);巧みに人をあざむいて財物をかたりとる人。詐欺を常習とする者。かたり。
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