落語「宗論」の舞台を行く 十代目柳家小三治の噺、「宗論」(しゅうろん)より
■原作者;この宗論(しゅうろん)は、古典落語の演目の一つ。大正期に益田太郎冠者によって作られた落語。
■宗論はどちら負けても釈迦の恥;大本は釈尊から出ている教えを、各宗派が自分たちの考えを経典にしたり語り継がれてきたものです。その教えを宗派事に違ってくるのも致し方がありません。爺さんの時代にはこうだったが、親の代には少し違って、その子、孫になると、また違ってきます。同じ地方に住んでいても、お隣同士で考えが違ったり、買い物に行くにも歩いて、自転車で、自動車でと変わってきますが、目的は同じ。その道筋で議論しても、元の釈迦が恥をかくだけです。落語的に言いますと、饅頭を二つに分けて、どちらが美味いと、問えば、二つとも同じなのに、左右で喧嘩争論になるって、おかしい。
能では、同名の芝居がありますが、浄土僧と法華僧が宗旨の優劣を争い、題目・念仏を勤めるうちに、互いにとり違えて唱える。
築地本願寺での読経の様子。阿弥陀様という偶像物の本尊を拝んでいます。教会でも同じ。
■浄土真宗(じょうどしんしゅう);大乗仏教の宗派のひとつで、日本最大の仏教宗派として知られ、全国に約2万の寺院があり、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞(しんらん)が、その師である法然(ほうねん)によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教えを継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。後に浄土真宗本願寺派と、真宗大谷派・真宗佛光寺派に分かれます。過去には、「一向宗」、「門徒宗」とも通称された。
左、築地本願寺。 右、東本願寺。 どれもクリックすると大きくなります。
■阿弥陀様(あみださま);全国の寺院の半数以上は本尊阿弥陀如来を安置する。すべての仏は、
阿弥陀如来のお力によって仏のさとりを開かれましたので、
阿弥陀如来は、大宇宙の仏がたの先生なのです。
大日如来も、薬師如来も、釈迦如来も、
阿弥陀如来のお弟子です。
■猫の手も借りたい;非常に忙しいため、誰でもいいから手伝いが欲しいことのたとえ。鼠を捕ること以外は何の役にも立たないような猫であっても、その手を借りたいと思うほど忙しいという意味から。
■牧師様(ぼくしさま);牧師とはプロテスタントにおける聖職者。神父とはカトリックと東方正教会における聖職者のことです。
■偶像仏(ぐうぞうぶつ);木・石・土・金属などでつくった像。
■イエス・キリスト;キリスト教を体系化した人物です。
キリストの生涯に纏わることについて、おさらい。
キリストは、ベツレヘムでこの世に生を受けたとされていますが、キリストは「神が人間になったお方」であり、神が人間の体に宿ってこの世に現れたことを、「受肉」若しくは「藉身」(せきしん)といいます。
また、キリストの誕生を、「降誕」といいます。
「キリスト」とは「油をつけられた人」という意味があり、「香油を注がれた聖人になられた人」ということから、キリストと呼ばれるようになったと言われていて、実際に今でも東方正教会の洗礼儀式では、特別な香油を新たな信者につけ、聖化する、という習慣があります。
キリストはベツレヘムで生まれたあと、ナザレで人生の多くの時間を過ごすことになり、そのことから「キリストはナザレ人」という言い方をする人も出てきました。キリストは全人生を宣教のために捧げたと思われがちですが、実際は30歳になるまで、父親の大工仕事の手伝いをしていました。30歳を過ぎて宣教活動を始め、34歳で処刑されるまで、ナザレが主な活動拠点であったようですが、逮捕されたのはエルサレム、処刑されたのはゴルゴダの丘だと言われています。
■飯炊きの権助(めしたきのごんすけ);落語の世界では、飯炊きは権助と決まっています。地方から出て来て(落語方言を使う)商家等に雇われ、飯炊き専門職です。でも、時によったら深夜ご主人の提灯持ちもしますし、若旦那を吉原まで迎えに行くことも有ります。ぼくとつな人間で正直者、時々正論をはきます。
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