落語「宗論」の舞台を行く
   

 

 十代目柳家小三治の噺、「宗論」(しゅうろん)より


 

 昔から”宗論はどちら負けても釈迦の恥”、どの道を行くも花の香と言いました。道は色々ありますが、行き着く所は一つのようです。

 「番頭さん、チョット来ておくれよ」、「ハイ、何か・・・」、「伜の事なんだが、猫の手も借りたいという忙しい時に出掛けて。行き先は分かっているんだ、東海道だとか教会堂だかに行ってるんだ。あんな情けないことは無いと思っている」、「若旦那様は、お金を湯水のごとく使って博打や女狂いをしているのでは無いので・・・、これは宗旨なので・・・」、「とがめているのでは無いが、昔から浄土真宗というありがたい御宗旨が伝わっているんだ。伜は、阿弥陀様を拝んでくれないんだ。呼んだのは、今日はみっちり小言を言うから止めないで欲しい。店の者にも言っといて下さい」。

 「誰だィ、そこに来たのは、(怒り心頭に発し、大声で)曾太郎か、こっちに入りなさい」、「(冷静に)お父様、ただいま帰りました」、「握手の手など出さないで、そこに座ってお辞儀をしなさい。(だんだん声がまた大きくなる)猫の手も借りたいという忙しい時に、どこに行ってたんだッ」、「無断で出掛けたことは深くお詫びします。本日は関西よりピース様という牧師様がお見えになりました」、「何だ、そのピースーと言う、臭そうなのを拝んでいるのか。阿弥陀様というありがたい仏様を何で拝んでくれないのだ」、「私も今までは真の神のあることを知らず、お父様のごとく偶像仏を信じていたであります」、「偶像仏とは何だ。阿弥陀様とは・・・(懇々と説話が始まる)、亡くなった後には阿弥陀様のお側に行けるんだ。こんなありがたいことは無い。ナンマンダブ、ナンマンダブ。お前の神はどこが偉いんだ」。
 「我が天の神は私の造り主であります」、「馬鹿言っちゃいけないよ。お前を作ったのは、あたしと死んだ婆さんの二人だけだ。誰にも手伝って貰ったことは無いんだ」、「肉体を作ったのは両親ですが、知力、能力、魂を造られましたのは天の神様であります」、「それならお前は、あたしと、婆さんと、キリストが三角関係だったというのか」、「お父様、そんなに興奮されては困ります。そもそも、イエ~ス・キリストと言えるお方は遠きユダヤの国、処女の腹に宿られ馬小屋において産声をあげられました。時の人民はこれぞ真の神であると・・・(延々と説話が続く)。お父様、信じてください。信ずるものはみな救われるのであります。お父様目覚めてください」、「目覚めているよッ」、「(賛美歌を歌い始める)♪十字架に架かりて・・・」、「このバカッ(拳骨が飛んできた)」。

 飯炊きの権助が間に飛び込んで来た。「旦那さん、若旦那さん、番頭さんから間に入ってはいけないと言われてましたが、仲裁します。昔から”宗論はどちら負けても釈迦の恥”といいやす。今日のところはこの飯炊きの権助に免じて勘弁してやっておくれやし」、「ナンマンダブ、ナンマンダブ、権助、その教えは私も知らないことは無い。お前もその教えを知っているところを見ると、お前も浄土真宗だな」、「何でがすか?」、「お前も真宗(信州)だろう」、「な~に、おらは仙台だから奥州でがす」。

 



ことば

原作者;この宗論(しゅうろん)は、古典落語の演目の一つ。大正期に益田太郎冠者によって作られた落語。
 益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ、1875年(明治8年)9月25日 - 1953年(昭和28年)5月18日)は、日本の実業家・劇作家・音楽家。貴族院議員。男爵。東京都出身。本名、太郎。 三井物産の創始者・男爵 益田孝の次男であり、自らも台湾製糖、千代田火災、森永製菓など、有名企業の重役を歴任した実業家であった。一方、青年時代のヨーロッパ留学中に本場のオペレッタ、コントに親しみ、その経験から帰国後、自らの文芸趣味を生かしてユーモアに富んだ喜劇脚本を多く執筆した。帝国劇場の役員となり、森律子をはじめとする帝劇女優を起用した軽喜劇を明治末から大正時代にかけて上演した。コロッケ責めの新婚生活を嘆いたコミックソング「コロッケー」(通称「コロッケの唄」)、落語「宗論」、「堪忍袋」、「かんしゃく」、「悋気の見本」は有名です。 板倉勝全子爵の娘、貞との間に五男二女があり、息子に洋画家の益田義信。葭町の芸者だった岩崎登里という妾のほか、森律子とも噂があり、晩年は律子が毎日通ったという。本業は形だけで、もっぱら演劇人として幅広く活躍する。晩年は小田原で悠々自適の生活を送った。 78歳。

宗論はどちら負けても釈迦の恥;大本は釈尊から出ている教えを、各宗派が自分たちの考えを経典にしたり語り継がれてきたものです。その教えを宗派事に違ってくるのも致し方がありません。爺さんの時代にはこうだったが、親の代には少し違って、その子、孫になると、また違ってきます。同じ地方に住んでいても、お隣同士で考えが違ったり、買い物に行くにも歩いて、自転車で、自動車でと変わってきますが、目的は同じ。その道筋で議論しても、元の釈迦が恥をかくだけです。落語的に言いますと、饅頭を二つに分けて、どちらが美味いと、問えば、二つとも同じなのに、左右で喧嘩争論になるって、おかしい。

 能では、同名の芝居がありますが、浄土僧と法華僧が宗旨の優劣を争い、題目・念仏を勤めるうちに、互いにとり違えて唱える。

 

 築地本願寺での読経の様子。阿弥陀様という偶像物の本尊を拝んでいます。教会でも同じ。

浄土真宗(じょうどしんしゅう);大乗仏教の宗派のひとつで、日本最大の仏教宗派として知られ、全国に約2万の寺院があり、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞(しんらん)が、その師である法然(ほうねん)によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教えを継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。後に浄土真宗本願寺派と、真宗大谷派・真宗佛光寺派に分かれます。過去には、「一向宗」、「門徒宗」とも通称された。
 親鸞が著した浄土真宗の根本聖典である『教行信証』の冒頭に、釈尊の出世本懐の経である『大無量寿経』が「真実の教」であるとし、阿弥陀如来(以降「如来」)の本願(四十八願)と、本願によって与えられる名号「南無阿弥陀佛」(略して、ナンマンダブ)を浄土門の真実の教え「浄土真宗」であると示し、この教えが「本願を信じ念仏申さば仏になる」という歎異抄の一節で端的に示された。
 他宗と比べて浄土真宗の最大の違いは、僧侶に肉食妻帯が許される点である(明治まで、表立って妻帯の許される仏教宗派は真宗のみであった)。そもそもは、「一般の僧侶という概念(世間との縁を断って出家し修行する人々)や、世間内で生活する仏教徒(在家)としての規範からはみ出さざるを得ない人々を救済するのが本願念仏である」と、師法然から継承した親鸞が、公式に妻帯し子をもうけたことに由来する。そのため、浄土真宗には血縁関係による血脈と、師弟関係による法脈の二つの系譜が存在する。与えられる名前も戒名ではなく、法名と言う。東本願寺と西本願寺は兄弟で宗旨の違いで仲違いをして分かれてしまったものです。
 ウイキペディアより加筆

 

左、築地本願寺。 右、東本願寺。 どれもクリックすると大きくなります。

阿弥陀様(あみださま);全国の寺院の半数以上は本尊阿弥陀如来を安置する。すべての仏は、 阿弥陀如来のお力によって仏のさとりを開かれましたので、 阿弥陀如来は、大宇宙の仏がたの先生なのです。 大日如来も、薬師如来も、釈迦如来も、 阿弥陀如来のお弟子です。
「阿弥陀如来」は「釈迦」によって発見され、紹介された仏様。
「阿弥陀如来」と「釈迦」の関係は、師匠と弟子。「阿弥陀如来」は大宇宙最高の仏様。
弟子である「釈迦」が、先生である「阿弥陀如来の本願」一つを生涯かけて説かれたのが仏教。
 浄土真宗まるわかり本より
右写真:東本願寺の阿弥陀様。

猫の手も借りたい;非常に忙しいため、誰でもいいから手伝いが欲しいことのたとえ。鼠を捕ること以外は何の役にも立たないような猫であっても、その手を借りたいと思うほど忙しいという意味から。
 故事ことわざ辞典より

牧師様(ぼくしさま);牧師とはプロテスタントにおける聖職者。神父とはカトリックと東方正教会における聖職者のことです。
 カトリックに牧師さんはいません。神父には序列社会があり、牧師にはありません。 牧師とは聖職者ではあるが、一般信徒と差異はないという立場を取っています。 自分の立場は他信徒と同じであるという意味合いで「牧師」という言葉が使われています。
  一方、神父の社会は、ある意味会社組織と似ていて、カトリックではローマ教皇がトップにいるということからもわかると思います。カトリックや東方正教会の聖職者には、それぞれ大主教、長司祭、司祭、輔祭、等の序列があります。そして、そのトップにいる聖職者には婚姻は認められていない、という 厳格なルールもあります。

偶像仏(ぐうぞうぶつ);木・石・土・金属などでつくった像。
 信仰の対象とされるもの。神仏にかたどってつくった像。
 伝統的または絶対的な権威として崇拝・盲信の対象とされるもの。
 以上から偶像または偶像的なものを宗教的対象として崇拝・尊重すること。

イエス・キリスト;キリスト教を体系化した人物です。 キリストの生涯に纏わることについて、おさらい。 キリストは、ベツレヘムでこの世に生を受けたとされていますが、キリストは「神が人間になったお方」であり、神が人間の体に宿ってこの世に現れたことを、「受肉」若しくは「藉身」(せきしん)といいます。 また、キリストの誕生を、「降誕」といいます。 「キリスト」とは「油をつけられた人」という意味があり、「香油を注がれた聖人になられた人」ということから、キリストと呼ばれるようになったと言われていて、実際に今でも東方正教会の洗礼儀式では、特別な香油を新たな信者につけ、聖化する、という習慣があります。 キリストはベツレヘムで生まれたあと、ナザレで人生の多くの時間を過ごすことになり、そのことから「キリストはナザレ人」という言い方をする人も出てきました。キリストは全人生を宣教のために捧げたと思われがちですが、実際は30歳になるまで、父親の大工仕事の手伝いをしていました。30歳を過ぎて宣教活動を始め、34歳で処刑されるまで、ナザレが主な活動拠点であったようですが、逮捕されたのはエルサレム、処刑されたのはゴルゴダの丘だと言われています。

飯炊きの権助(めしたきのごんすけ);落語の世界では、飯炊きは権助と決まっています。地方から出て来て(落語方言を使う)商家等に雇われ、飯炊き専門職です。でも、時によったら深夜ご主人の提灯持ちもしますし、若旦那を吉原まで迎えに行くことも有ります。ぼくとつな人間で正直者、時々正論をはきます。



                                                            2019年2月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system