落語「アキカンの由来」の舞台を行く
   

 

 桂米丸の噺、「アキカンの由来」(あきかんのゆらい)より


 

 世の中には意地悪な人がいて、渡りもしない横断歩道の信号機を押して、そのまま行ってしまう人。「自動車は急いでいるんだからそんなことしたら悪いよ」、「急いでいるから、休ませた」と。

 10階建てのマンションのエレベーターの行き先ボタンを全部押してしまう人。本人は2階で降りて、その後は各駅停車。かといって、10階で乗って、ボタン全部押して9階で降りてしまう。何階の住人だろうと探したら、隣の家のお婆ちゃんだった。「ストレス解消で楽しくて・・・」。

 電車の車内で前は検札が良く来ました。切符持っているのに逃げるお客がいる。車掌も追いかけて切符を拝見というと、「あるよ」、「どうして逃げたんですか」、「隣の車両に友達がいたもんで」。その癖が出て、身体中切符を探したが落としてなかった。次の駅で降りて駅長室で絞られた。この話をすると真似する人が出て来て、全員が次の車両に移動して、「切符あるよ」。

 自動販売機で買った空き缶を塀の上に置く人がいます。「いつもは3本なのに今日は5本も有る」とカン(缶)カンに怒っていました。その犯人を見付けようと隠れて待っていたら、来ないので一服して戻ってきたら、缶が乗っていた。「その人は分かるんでしょうか」、「カン(勘)が良いんでしょう」。
 その自動販売機を見に行ったら、空き缶入れが一杯だった。「オーナーに言っておこう。カン入れが一杯なので、当家の塀に空き缶を置いていく人がいます。空き缶入れを空けておいてください」、対応してくれた娘さんが美人だったので、やっとこれだけ言った、「実は、父親は病で伏せっています。部屋が自動販売機の直ぐ後ろで、昼は良いのですが、夜、空き缶の音がすると寝られないだろうと、空き缶入れをいっぱいにしておくのです」、「そんな事情も分からずに、失礼をしました」、表に出て、飲み残しを呑んだ空の缶を、自分の家の塀に置いてしまった。
 「分かった。皆ここで乗せるんだ。でもどうして家だけなんだ?」、調べると、塀の上が、かまぼこ形だったり、斜めになっていて乗せられない。セメントを買ってきて、上部を”へ”の字に直した。翌朝、見ると空き缶をつぶして、真ん中を折って乗せてあった。

 ここでこの噺は終わりなのですが・・・。

 3日ばかり前に続きが出来たので聞いて貰います。(笑) 「塀をぶち壊してしまえ」と、壊してしまい、針金で左右から空き缶が倒れないようにし、その間に空き缶を並べて貰う。空き缶の塀が出来上がった。カンで出来た塀だから、勘平さんと呼ばれた。お軽勘平道行きです。「勘平さんはいるが、お軽がいないじゃないか」、「お軽は、から缶なので、中身はお軽よ」。

 この噺の続きが有って、(笑) いたずらの子供が棒きれで缶をなぜて行きます、「カラカラカラカラ」、大人も真似をして「カラカラカラカラ」、「ガラガラガラガラ」。近所からうるさいと苦情が出て、ご主人もネ(音)を上げてしまいました。これをもちまして、空き缶三部作でございました。
 これで、缶(完)結編でございます。 

 



ことば

新作落語で、作者は須山 勇氏です。ですが、須山氏の詳細は分かりません。
 放送されたのが、平成5年ですから、約25年前の社会風俗で、現在とは隔世の感が有ります。新作落語は、時代背景のおもしろさを前面に出すとその当座はおもしろいのですが、時代が変わってしまうとおもしろさが伝わってきませんし、陳腐な物になってしまいます。心の奥深さ、心のヒダを作品の中に表現していると、その落語は陳腐にならず、生き続けます。例えば、映画の作品でも、チャップリンの喜劇は心にしみる物があるので、今でも最高佳作として伝わっています。ただ、おかしいだけでは後世に残りません。

 概略ではカットしましたが、携帯電話の出始めの頃の珍談や、レジに並んでバーコードで読み取って、間違いも無いので、そのまま支払いを済ませて通過します。新聞のテレビ欄に数字が入っていました。それをジー(G)コードと言いました。バーコードに、ジーコード、婆と爺の会話です。

 バーコード:縞模様状の線の太さによって数値や文字を表す識別子。数字、文字、記号などの情報を一定の規則に従い一次元のコードに変換し、レジスターなどの機械が読み取りやすいデジタル情報として入出力できるようにしている。
 バーコードは横方向にのみ意味があり、表すデータも数列や文字列でどちらも一次元だが、ドットを縦横に配列し多くの情報を表す、二次元コードも普及してきた。代表的なものにデンソーウェーブのQRコードがあります。

   左がバーコード。右が二次元バーコード。
 
 Gコード:最近は新聞等に載っていません。最近のデジタルレコーダーは内部で自動処理して、毎日か、週事か、不定期でもレコーダーが録画してくれます。時間が変更になっても、延長されても、ひと番組まるまる欠けることがなく録画してくれます。賢くなりました。アナログ時代のGコードが有った時代は、そのコードを入力すると録画の予約が完了しました。大事な暗号コードでした。

車内検札(しゃないけんさつ);これも来なくなりましたね。若い人は知らないかも知れません。今は、改札をカードを使って自動で通過します。降りるときも、自動改札ですから料金不足の時はゲートが開きません。運賃に対しては不正が出来なくなったので、車内検札もなくなったのでしょう。また、キセル等の不正乗車も出来なくなりました。
 でも今でも来るんですよ検札。別料金の急行列車や特急列車に乗ったときと、グリーン車に乗ったときは、列車が発車すると間髪を入れずに来ますね。

駅長室(えきちょうしつ);国土交通省令である鉄道係員職制によれば、「駅長は、運輸長の命を受け、駅務を統括し、構内の秩序を保持し、その所属係員を監督する」鉄道係員が駅長で、駅長が在室するのが駅長室。 右写真:東京駅駅長室。

エレベーターの行き先ボタン;全部押されてしまったときの対応。昭和40年以前のは押したボタンを引き戻せば解除できます。でもこれはエレベーターガールが乗っている旧式のものです。
 最近の物は行き先ボタンを押し間違えたら、そのボタンをダブルクリックすると、点灯が消えてキャンセルされます。ただし最近の物や更新されたエレベーターだけですが、このダブルクリックは相当数のエレベーターで採用されています。メーカーによっては長押し(3~5秒)することで対応できます。これでもキャンセルが効かないときは、キャンセル機能が搭載されていませんので、その階で降りましょう(笑)。
 また、新しいものでは、乗客が乗っていないのに、ボタンが押されている場合は、全てキャンセルされてしまいますので、落語のようなことはありません。
 右写真:1階に降りるエレベーター。

自動販売機(じどうはんばいき);自販機とも。不特定多数の人が代金を機械に投入するか、現金の代替となる電子マネー等を送金できるカードや端末を、押しボタン操作等をする事により、人手を介さずに商品を購入することができる機械(ロボット)。買い手は代金を投入し、機械を操作し商品を受け取り、(釣りを用意する機構が伴う機械では)釣りを受け取ることができる。
 営業の省力化(効率化)や人件費の削減など様々な目的のために導入されている。自動販売機の多くは電気式、もしくは硬貨の重量や購入者による操作による機構で作動する。
 自動販売機の基本的な機能として、投入硬貨の真偽をチェックし貨幣の種類を判別するセレクター(アクセプター(正貨受入)やリジェクター(偽貨排除)ともいう)と投入硬貨の係数や販売信号の発信、釣銭の排出などを行うチェンジャーなどからなる。2000年代に入り、現金(紙幣・硬貨)やクレジットカード、キャッシュカードなどの偽造が増えたため、識別器(紙幣センサー、コインセンサー)の能力の強化が図られている。特に酒や煙草の自動販売機では、年齢認証付きの電子マネー専用とすることで、未成年への販売を防止できる効果もある。

 ちなみに、世界初の自動販売機は、古代エジプトの寺院に設置された聖水を販売するための装置。この装置は完全自動で5ドラクマ硬貨を投入すると、硬貨の重みで栓が開き、蛇口から水が出る構造であった。

 

お軽勘平道行き(おかるかんぺい みちゆき);『仮名手本忠臣蔵』の登場人物。お軽のモデルは特別いないが、勘平のモデルは元禄14年(1701)、浅野長矩の刃傷事件という一大事を赤穂に伝えた使者のひとり萱野三平重実。仇討ちの計画が進行中、父から領主への仕官を勧められたので困り果て、同15年切腹したという。
 芝居では寛延元年(1748)8月大坂竹本座初演「仮名手本忠臣蔵」に、塩冶判官(モデルは浅野長矩)奥方顔世御前の腰元お軽と塩冶家の侍早野勘平重氏として登場し、一途に男を愛する女と、色男であるために道を誤った男として描かれている。塩冶判官が殿中で刃傷事件を起こしたとき、お軽と勘平はそれと知らず密会していたため、ひとまずお軽の故郷に立ち帰る(3段目)。そこで猟師として暮らしていた勘平は、誤って義父与市兵衛を殺したと誤解し自害するが、死に際に潔白が証明され、討ち入りの連判状に加えられる(5・6段目)。祇園の一力茶屋に身売りされていたお軽は、大星由良之助(モデルは大石良雄)に届けられた顔世御前からの密書を覗き見たため、一時は口封じされそうになるが、兄寺岡平右衛門らの誠意によって、不義士斧九太夫を討つことになる(7段目)。
 この作品とは別に「お軽勘平」をクローズアップさせたのは、天保4年(1833)3月江戸河原崎座で付け加えられた清元『道行旅路の花聟』である。鎌倉から落ち行くふたりが桜と菜の花が咲き乱れる戸塚山中で見せる美しく華やかな所作事。『仮名手本忠臣蔵』の三段目「裏門」を戸塚山中に場面を移し、華やかな道行舞踊に仕立てたもので、通称は清元の冒頭の文句「落人も見るかや野辺(のべ)に若草の」に由来する。曲も振付けも優れているので大流行し、『忠臣蔵』の通し上演でも、原作の「裏門」のかわりに出すことが多い。

 

『旅路の花聟』 初代中村福助の早野勘平、四代目尾上菊五郎のこし元おかる。三段目所作事。万延元年(1860年)4月、江戸中村座。三代目歌川豊国画。 



                                                            2019年3月記

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