落語「釣堀にて」の舞台を行く 三代目三遊亭金馬の噺、「釣堀にて」(つりぼりにて)より
■新作人情噺;久保田万太郎原作の落語。
左、台東区雷門一丁目15番に有る生誕の地の碑。『ふるさとの月のつゆけさ仰ぎけり』。
■三代目三遊亭金馬(さんゆうていきんば);「日曜を釣りをするバカに 釣らぬバカ」(三代目金馬)。自著「浮世断語(うきよだんご)」の中でこの様に言っています。釣りをする側からみれば、釣りをしないなんて・・・。釣りは童心に返ると言い、水辺に住んでいた人は蛙釣りをしたり、トンボ釣りをした経験があると、その本に書かれています。
金馬は存命中、ラジオや有線放送、レコードなどを通じて老若男女問わず国民的な人気があった。それにも関わらず、読書家で故事風俗・古典にも通じた博識を煙たがられたためか、久保田万太郎やその弟子安藤鶴夫などの評論家とは不仲で、不当に低く評価された。俳人・劇作家で評論家の久保田万太郎は、第三次落語研究会の会長にも就任したが、爆笑落語や新作落語を嫌い、落語を「鑑賞」する芸術としてみずからの高邁な価値観を押し付けようとしたところがあった。落語研究会の発起人の1人でもあった金馬を「話芸における幅と深みに欠ける」と一方的に断じ、決して評価しなかった。また、博識で権威に媚びない金馬を毛嫌いし、エッセイの一節に、寄席で金馬一門の出演の際にはトリの金馬が出てくる前に帰ったとまで書いている。
三代目三遊亭 金馬(さんゆうてい きんば、1894年10月25日 - 1964年11月8日)は東京府東京市本所(現・東京都墨田区本所)生まれの落語家。大正・昭和時代に活躍した名人の一人。本名は加藤 専太郎(かとう・せんたろう)。出囃子は「本調子カッコ」。
初代三遊亭圓歌の門下だが、名人と呼ばれた初代柳家小せんや、橋本川柳(後の三代目三遊亭圓馬)にも多くを学んだ。読書家で博学。持ちネタの幅が広く、発音や人物の描き別けが明瞭で、だれにでもわかりやすい落語に定評があった。
当初は落語協会に所属、のちに東宝に所属したが、実質的にフリーであった。70歳没。
■歳の市(としのいち);12月17~19日に浅草浅草寺(観音様)で開かれる歳の市。別名羽子板市とも言われます。本堂前に20軒近くの小屋が建ち、羽子板や羽を売ります。
■釣堀(つりぼり);人工的に設営された区画の中に魚を放流し、お客が料金を支払った上で釣りが体験できる施設のことを言います。釣った魚はすぐさま放流しなおさなければいけない場所、持ち帰ることができる場所、その場で調理してもらうことができる場所と施設によって異なります。また、放流している魚もコイやフナ、ニジマスなど施設によって異なります。
釣り堀では釣り竿やエサはその場でレンタルすることができるため、手ぶらで気軽に釣りが楽しめることが特徴です。
・ 弁慶フィッシングクラブ:東京都赤坂弁慶橋の釣り堀です。ここでは、コイ・フナ・へらぶな・ブラックバス・ブルーギル・雷魚・ニジマス・ウグイなど様々な魚を釣ることができます。
レンタルボートに乗って釣りが体験できるのもここならではの体験です。
・ 清水池公園釣り堀:目黒区目黒本町2丁目。目黒区の憩いの場として用意されている清水公園内に隣接している釣り堀で、ここでは無料でへら鮒釣りを楽しむことができます。
ただし、貸竿はなく、釣った魚を持ち帰ることもできません。
・ つり堀 曳舟園:葛飾区にある創業50年以上の老舗釣り堀です。
釣り堀内にはコイやフナを中心にナマズ、金魚などが泳いでおり、1時間750円で道具はすべてレンタルでき手軽に釣りが楽しむことができます。
・ 隅田公園魚釣り場:言問橋東詰めに有る、区営の釣堀。道具は持参でいつも込んでいます。1回 2時間・30円(見学者は無料)。道具は持参で針は返しのないもので持ち帰りは不可。
・豊住魚釣り場:江東区仙台堀川公園の一部、豊住橋際にある区営の釣堀。へらぶな釣り場で、釣り堀なみの魚影と設備ながら料金は無料。下写真。
■戯曲(ぎきょく);上演する目的で書いた演劇の脚本。台本。また、台本の形式で書いた文学。劇文学。
■芸者屋(げいしゃや);芸者を抱えていて、求めに応じて茶屋・料亭などに差し向けることを業とする店。
■銀座(ぎんざ);東京都中央区の地名。現行行政地名は銀座一丁目から銀座八丁目。地域ブランドとしても知られている。
■里親(さとおや);日本において里親の制度は平安時代からあったが、制度の当初は戦争により親を失ったものが多く、一時は里親登録数が2万人里子は9千人以上に達した。2016年現在では、通常の親権を有さずに児童を養育する者は、個人間の同意の下で児童を養育する「私的里親」と、児童福祉法に定める里親制度の下で、自治体などから委託された児童を養育する「養育里親」「専門里親」などがある。
■幇間(ほうかん);太鼓持ち。男芸者。宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる職業。歴史的には男性の職業。
専業の幇間は元禄の頃(1688 - 1704年)に始まり、揚代を得て職業的に確立するのは宝暦(1751-
64年)の頃とされる。江戸時代では吉原に属した幇間を一流としていた。現在では絶滅寸前の職業とまで言われ、後継者の減少から伝承されてきた「お座敷芸」が途切れつつある。古典落語では多くの噺に登場し、その雰囲気をうかがい知ることができる。浅草寺の鎮護堂には昭和38年(1963)に建立された幇間塚がある。幇間の第一人者としては悠玄亭玉介(ゆうげんてい_たますけ。本名、直井厳、1907年5月11日
- 1994年5月4日。右絵;山藤章二画)が挙げられる。
■オマツリ;魚釣りで、釣っている人どうしの釣糸がからみ合うこと。一匹しか付いていない時は、どちらが釣ったか解らなくなります。噺の中では、「仏説では”縁(えにし)の糸”と申します」。
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