落語「茶漬け閻魔」の舞台を行く
   

  

 小佐田定雄原作
 桂枝雀の噺、「茶漬け閻魔」(ちゃづけえんま)より


 

 「あんた誰ですか」、「閻魔ですが、お茶漬け食べたらおかしいですか」、「閻魔さんですか。そんな事はありませんが」、「昨夜集まりがあってキリストと酒飲んだが、酒癖悪いぞ。しらふの時、自分を抑えているから酒飲むと出るんだな~。パン食べていると『肉食え』とうるさいんだが不味くてな~。知ってるか?釈迦。精進料理食べさせてくれると思ったら、インドだろう、カレー食わしよる~。とうとう悪酔いして、今お茶漬け食べているんだ」。

 「一緒に行って閻魔の庁で仕事するんだ。行くか?」、「一緒に行きます」、「お父さん生ゴミ出してくれます」、「お客がいるときは勘弁してくれ」、「着替えてきたら背広ですか?中国の道服に笏持って行かないんですか?」、「最近は皆これだね~」、「浄玻璃(じょうはり)の鏡や閻魔帳、見る目嗅鼻等がいるんでしょ」、「古いな~、今は博物館に行かないと見られないよ」、「亡者達もうるさくなって再審だとか上告だとか言うねん。今までは世襲だったのが国家試験制度に変わったんだ。三遍落ちてダメなところ血筋も有るというので合格となったんだ。今は閻魔が決めるのでは無く自主申告なんだ」、「誤魔化して皆極楽に行くんでは・・・」、「数点の差で行く奴もいるが。大部分は正直に『地獄』と書きよる」。
 「極楽なんて面白くも何ともないよ」、「地獄は針の山や血の池が有って鬼に追い回されると言われますよ」、「極楽は静かすぎる。蓮池で蓮が咲くと、グワ~ンと鳴り響くほど静かなんだ」、「そんな静かなら聖人君子がいるんでしょうね」、「そうだね。キリスト、釈迦、老子、孟子、孔子、マホメット、道元、日蓮、法然、親鸞、良寛、一休さんなんかが暮らしているな~」。
 「静かですね。私はどちらです」、「庁に着いたので、並ばなくても書類を出しなさい。ここには閻魔帳が有るからそれで調べます。ホホー、大工さんでしたか。アッ、汚点が有りますな『子守の時、子供にあげる乳ボーロをみんな食べてしまった。風呂屋で女湯を覗いた』、結構減点対象になりますよ。計算したら極楽です。行ってらっしゃい」。

 目の前が明るくなって、階段を上ると入り口に『極楽浄土』としてあります。「暑くも無く寒くも無い。あすこに池が有る。釣れますか」、「最近は釣れませんな」、「餌は無いですな」、「糸は?」、「蜘蛛の糸です。亡者を釣っています」、「お釈迦様ですね」、「よく分かったな。カレーの残りを食べないか? この下は血の池地獄で、亡者達が上がってくる。九分九厘まで上がると糸が切れて、血の池に落ちる。何回も上がってきては切れる。それを見ているのが楽しい」、「ホンマにお釈迦様ですか?」、「自業自得でしょうが無い。血の池は浄化されて、針の山はゴルフ場になって、金の有る奴は茶屋遊びで楽しんでおる」、「私はそれが好きなんです。コリャコリャ」、「踊ってはいけない。それ見ろ、足を踏み外して血の池に落ちてしまった」。
 「キリストさんですか。今の男を助けてやりたいと思うが・・・」、「縄ばしごで降りて・・・」、半分まで降りたところで縄ばしごが古くて切れて、二人は血の池にドボ~ン。
 「赤鬼さん、誰にもこのことは言わないで下さいね。私の蜘蛛の糸が有りますからそれで極楽に・・・」、「キリストさん、私とあんたは罪が無いから糸が切れませんが、あの男は罪が有るので糸が切れます。キリストさん、早くその男を足で蹴落としなはれ」、お釈迦様も大変な事を言ってしまいました。その影響でまたまた糸が切れて3人は血の池地獄に真っ逆さま。「赤鬼さんすいません。また落ちてしまいました。あの男がいる間中は我々は極楽に帰る事が出来ません」、「ア~ァ、神も仏も無いものかッ」。

 



ことば

小佐田定雄(おさださだお);(1952年2月26日 - )この噺の原作者。日本の演芸研究家、演芸作家、落語作家、狂言作家。関西演芸作家協会会員。本名、中平定雄。大阪府大阪市生まれ。1974年に関西学院大学法学部卒業。妻は、弟子のくまざわあかね。
  1977年に桂枝雀に宛てて新作落語「幽霊の辻」を郵送したことで認められ、落語作家デビュー。1987年退社し本格的に落語作家に転進。以後上方の新作や滅びた古典落語などの復活、改作や江戸落語の上方化などを手掛ける。 現在は狂言などの研究や大学での講師としても活躍している。 1988年に上方お笑い大賞秋田実賞、1989年度咲くやこの花賞文芸その他部門受賞。1995年に第1回大阪舞台芸術賞奨励賞受賞。
 作品は多く、「幽霊の辻」、「雨乞い源兵衛」、「貧乏神」、「産湯狐」(稲荷車)、この噺「茶漬け閻魔」等々多数。

閻魔(えんま);〔仏〕(梵語Yama) 地獄に堕ちる人間の生前の善悪を審判・懲罰するという地獄の主神、冥界の総司。地蔵菩薩の化身ともいう。像容は、冠・道服を着けて忿怒の相をなす。もとインドのヴェーダ神話に見える神で、最初の死者として天上の楽土に住して祖霊を支配し、後に下界を支配する死の神、地獄の王となった。地蔵信仰などと共に中国に伝わって道教と習合し、十王の一となる。焔摩。閻羅。閻魔王。閻魔大王。閻魔法王。閻魔羅闍(エンマラジヤ)。
 右写真:深川閻魔堂(法乗院)(ふかがわ えんまどう) の閻魔。

キリスト(きりすと);[前4ころ~30ころ]キリスト教の始祖。30歳ごろに洗礼者ヨハネから洗礼を受け、以来、当時のユダヤ教に対し改革的な運動をし始め、ペテロ(シモン)をはじめ多くの弟子と信者の信仰を得た。ちなみに30歳以前にどう過ごしていたのかは聖書には明記されていないため不明。だが父親が大工だったことや他人から「あの人は大工ではないか」と呼ばれる節があることなどから、おそらく大工だったのではないかと推測されることが多い。 おもに道徳的な指導、つまり説教をし、とくに当時社会的に低い位置にある人々(奴隷、娼婦、etc)の心を掴むのが得意だったようである。「(精神的に)貧しいものは幸いである。神の国は彼らのものである」といい、「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」と述べた他、「明日のことで思い悩むな」と語った。しばしば病人や奴隷、娼婦に対し他の人々と同等かそれ以上に扱い、そしてその多くを心身ともに救済したことから、弱者の味方として多くの信者を抱えたとされる。彼の思想は愛や相互の思いやりに根差したものが多かった。
 34歳で処刑されるまで、ナザレが主な活動拠点であったようですが、逮捕されたのはエルサレム、処刑されたのはゴルゴダの丘だと言われています。

釈迦(しゃか);紀元前5世紀前後の北インドの、仏教の開祖。
 釈迦の父であるガウタマ氏のシュッドーダナは、コーサラ国の属国であるシャーキャのラージャで、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤー。母のマーヤーは、出産のための里帰りの旅行中に、カピラヴァストゥ郊外のルンビ二で子を産んだ。マーヤーはこの子を出産した7日後に産褥熱(さんじょくねつ)で死んだ。この子はシッダールタと名付けられた。シャーキャの都カピラヴァストゥにて、シッダールタはマーヤーの妹マハープラージャーパティによって育てられた。 シッダールタはシュッドーダナらの期待を一身に集め、二つの専用宮殿や贅沢な衣服・世話係・教師などを与えられ、教養と体力を身につけた、多感でしかも聡明な立派な青年として育った。16歳または19歳で母方の従妹のヤショーダラーと結婚し、一子ラーフラ をもうけた。
  シッダールタは王族としての安逸な生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家した。ピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、悟りに達して仏陀となった(成道)。
 最後はカクッター河で沐浴して、最後の歩みをマッラ国のクシナガラに向け、その近くのヒランニャバッティ河のほとりに行き、サーラの林に横たわり、そこで死んだ。80歳の2月15日入滅。仏教ではこの死を入滅、釈迦の入滅を仏滅と言う。

精進料理(しょうじんりょうり);精進料理の特徴は、野菜・豆類など、植物性の食材を調理して食べることにある。サラダのように一品の料理として野菜を生のまま食べるという概念が中国や日本の食文化に定着するまでは、野菜・豆類は基本的に加熱調理する必要があった。これらを使う精進料理は、あく抜きや水煮といった時間と手間のかかる下処理を必要とすることが多いのが、特徴のひとつである。これらの複雑な調理技術や使用する食材に対する概念は、多くの料理人や料理研究家に影響を与え、料理分野全体の水準向上に貢献してきた。単純な食材を、多くの制約がある中で調理するため、さまざまな一次・二次加工が施されてきたことも特徴のひとつである。
 例として、大豆は栄養価が高く、菜食で不足しがちなタンパク質を豊富に持つこともあり、精進料理に積極的に取り入れられたが、生食は困難である。このため、風味を向上させ、長期保存し、食べる者を飽きさせないといった目的も含めて、豆豉(とうち= 蒸した大豆を塩漬けにして発酵させ、干したもの。中国料理で調味料として使う)、味噌、醤油、豆乳、湯葉、豆腐、油揚げ、納豆などが生み出された、こうした技術は、精進料理を必要とする寺院と宮廷を含むその周辺の人々によって、研究・開発され、蓄積されてきた。

カレー(かれー);黄褐色で粉末状の、辛味の強い混合香辛料。ウコン・コエンドロ・コショウ・ショウガ・トウガラシ・カラシ・オールスパイス・チョウジなど多種の香辛料を配合して作る。インドが主産地。カレー。カリー。
 上記カレー粉を用いてつくった料理。特にカレー‐ライスのソース。

お茶漬け(おちゃづけ);主に米飯に茶をかけた料理のこと。茶をかける御飯の食べ方を指していることもある。お茶漬けと丁寧に呼ばれる場合もある。場合によっては白湯をかけた場合でも茶漬けと呼ぶことがあるものの、白湯をかけた場合は一般に湯漬けと呼んで区別される。 炊き干しされた一般的な飯に白湯やスープ(出汁など)を合わせ食べさせ方は米食の慣習がある地域で広く見られる。茶粥としては大和国の寺院で古くから食べられていたとされる。 レシピによっては、茶ではなく出汁をかけた料理や、出汁に限らず何らかのスープをかけた料理を「茶漬け」と呼ぶ場合があり、呼称には幅がある。

  

 「お茶漬け」、永谷園のお茶漬けと、豪勢に盛ったお茶漬け。落語「茶漬け間男」より

閻魔の庁(えんまのちょう);閻魔王が亡者の生前の罪悪を取り調べる所。

見る目嗅鼻(みるめかぐはな);閻魔の庁にあるという、男女の人頭を幢(ハタホコ)の上にのせたもの。よく亡者の善悪を判別するという。地獄の閻魔(えんま)の庁の人頭幢(にんずどう)。これは幢(はたほこ=法会などで寺の庭に立てる小さい旗を先につけたほこ)の上に男女の首をのせたもので、亡者の善悪を判断するという。男(見目)は凝視し、女(嗅鼻)は嗅ぐ相を示す。これによって、亡者の善悪を判断するといわれる。

亡者(もうじゃ);死んだ人。成仏(ジヨウブツ)しない死者の魂魄が冥途に迷っているもの。

地獄(じごく);〔仏〕(梵語 naraka 奈落、 niraya 泥梨の訳) 六道の一。現世に悪業(アクゴウ)をなした者がその報いとして死後に苦果を受ける所。贍部洲(センブシユウ)の地下にあり、閻魔(エンマ)が主宰し、鬼類が罪人を呵責(カシヤク)するという。八大地獄・八寒地獄など、多くの種類がある。 反対語:極楽。

右図:葛飾北斎画「北斎漫画・地獄」より。
上部正面に閻魔。その左に亡者の善悪を判別するという見る目嗅ぐ鼻。その左に『浄玻璃鏡』(じょうはりのかがみ)という特殊な鏡が装備されている。この魔鏡はすべての亡者の生前の行為をのこらず記録し、裁きの場でスクリーンに上映する機能を持つ。そのため、裁かれる亡者が閻魔王の尋問に嘘をついても、たちまち見破られるという。司録と司命(しみょう)という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐している。

閻魔帳(えんまちょう);1 閻魔王が死者の生前の行為や罪悪を書きつけておくという帳簿。
 2 教師が受け持ちの生徒の成績や出欠などを記入しておく手帳の俗称。
 3 警察官がもっている手帳。

極楽(ごくらく);〔仏〕(梵語Sukh vat )
 阿弥陀仏の居所である浄土。西方十万億土を経た所にあり、全く苦患(クゲン)のない安楽な世界で、阿弥陀仏が常に説法している。念仏行者は死後ここに生れるという。極楽浄土・安養浄土・西方浄土・安楽世界・浄土など、多くの異称がある。反対語:地獄。

老子(ろうし);中国、春秋戦国時代の思想家。道教の三尊の一で、道家の祖。史記によれば、姓は李、名は耳、字は(タン)または伯陽。楚の苦県(コケン=河南省)の人。周の守蔵室(図書室)の書記官。乱世を逃れて関(函谷関または散関)に至った時、関守の尹喜(インキ)が道を求めたので、以下を説いたという。
 この著書。2巻。宇宙の本体を大または道といい、現象界のものは相対的で、道は絶対的であるとし、清静・恬淡(テンタン)・無為・自然に帰すれば乱離なしと説く。編纂は孟子以後と考えられ、前漢初には現行本に近いものが成立していた。老子道徳経。

孟子(もうし);中国、戦国時代の思想家。山東鄒(スウ)の人。名は軻、字は子車・子輿。学を孔子の孫の子思の門人に受け、王道主義を以て諸国に遊説したが用いられず、退いて弟子万章らと詩書を序し、孔子の意を祖述して「孟子」7編を作る。その倫理説は性善説に根拠を置き、仁義礼智の徳を発揮するにありとした。(372~289)。

孔子(こうし);(呉音はクジ) 中国、春秋時代の学者・思想家。儒家の祖。名は丘。字は仲尼(チユウジ)。魯の昌平郷陬邑(スウユウ=山東省曲阜)に出生。尭・舜・文王・武王・周公らを尊崇し、古来の思想を大成、仁を理想の道徳とし、孝悌と忠恕とを以て理想を達成する根底とした。魯に仕えたが容れられず、諸国を歴遊して治国の道を説くこと十余年、用いられず、時世の非なるを見て教育と著述とに専念。その面目は言行録「論語」に窺われる。後世、文宣王・至聖文宣王と諡(オクリナ)する。(551~479)。

マホメット(まほめっと);マホメット教、イスラム教の開祖。
 世界的大宗教の一。610~632年頃、ムハンマド(マホメット)が創始、アラビア半島から東西に広がり、中東から西へは大西洋に至る北アフリカ、東へはイラン・インド・中央アジアから中国・東南アジア、南へはサハラ以南のアフリカ諸国に、民族を超えて広がる。サウジ‐アラビア・イラン・エジプト・モロッコ・パキスタンなどでは国教となっている。ユダヤ教・キリスト教と同系の一神教で、唯一神アッラーと預言者ムハンマドを認めることを根本教義とす
る。聖典はコーラン。信仰行為は五行、信仰箇条は六信にまとめられる。その教えは、シャリーア(イスラム法)として体系化され、教徒の日常生活や人間関係のあり方、種々の社会制度から国家の統治までを規定。法学・神学上の違いから、スンニー派とシーア派とに大別される。中世には、オリエント文明やヘレニズム文化を吸収した独自の文明が成立、哲学・医学・天文学・地理学などが発達し、近代ヨーロッパ文化の誕生にも寄与した。三大聖地はメッカ・メディナ・エルサレム。回教。マホメット教。

道元(どうげん);鎌倉初期の禅僧。日本曹洞(ソウトウ)宗の開祖。京都の人。内大臣久我(土御門)通親の子。号は希玄。比叡山で学び、のち栄西の法嗣に師事。1223年(貞応2)入宋、如浄より法を受け、27年(安貞1)帰朝後、京都深草の興聖寺を開いて法を弘めた。44年(寛元2)越前に曹洞禅の専修道場永平寺を開く。著「正法眼蔵」「永平広録」など。諡号(シゴウ)は承陽大師。(1200~1253)。
 右、(重要美術品)「道元霊場記」 伝・孤雲懐奘(こうんえじょう)筆。建長3年(1251)「不思議鐘声」、宝治2年(1248)「僧堂芳香瑞相」などの霊験譚抜き書きしたもの。道元が日頃大衆に語った法語を『正法眼蔵随聞記』として著した事で知られる。

日蓮(にちれん);鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。初め蓮長。安房国小湊の人。初め天台宗を学び高野山・南都等で修行、仏法の真髄を法華経に見出し、1253年(建長5)清澄山で日蓮宗を開いた。辻説法を行なって他宗を攻撃し、「立正安国論」の筆禍により伊豆に流された。赦免後も言動を改めず、佐渡に流される。74年(文永11)赦されて鎌倉に帰り、身延山を開く。武蔵国池上に寂。著「観心本尊抄」「開目抄」など。(1222~1282)。

法然(ほうねん);鎌倉時代初期の僧である親鸞(しんらん)のその師。浄土宗の開祖。諱(イミナ)は源空。美作(ミマサカ)の人。父の遺言で出家。比叡山に入り、皇円・叡空に師事。43歳のとき専修念仏に帰し、東山吉水(ヨシミズ)で浄土法門を説く。また、大原で南都北嶺の僧徒と法門を論じた(大原問答)。1207年(承元1)弟子の住蓮・安楽の死罪事件を契機として讃岐に流罪となったが、同年末には許される。著「選択(センチヤク)本願念仏集」など。諡号(シゴウ)は円光大師など。黒谷上人。吉水上人。(1133~1212)。

親鸞(しんらん);鎌倉初期の僧。浄土真宗の開祖。皇太后宮大進日野有範の長子。綽空・善信とも称した。慈円、のちに法然の弟子となる。1207年(承元1)念仏弾圧により越後に流され、この間、愚禿と自称して非僧非俗の生活に入る。のちの恵信尼を妻にしたのはこの頃とされる。11年(建暦1)赦免され、晩年に帰京するまで久しく常陸国稲田郷など関東にあって信心為本などの教義を以て伝道布教を行う。著「教行信証」「唯信鈔文意」「浄土文類聚抄」「愚禿鈔」など。諡号(シゴウ)は見真大師。本願寺を建立。(1173~1262)。

良寛(りょうかん);江戸後期の禅僧・歌人。号は大愚。越後の人。諸国を行脚の後、帰郷して国上山(クガミヤマ)の五合庵などに住し、村童を友とする脱俗生活を送る。書・漢詩・和歌にすぐれた。弟子貞心尼編の歌集「蓮(ハチス)の露」などがある。(1758~1831)。

 「寛に親しむ」良寛記念館蔵。

一休(いっきゅう);室町中期の臨済宗の僧。諱(イミナ)は宗純、号は狂雲。一休は字(アザナ)。後小松天皇の落胤(らくいん)といわれる。京都大徳寺の住持。詩・狂詩に巧みで書画をよくする。禅院の腐敗に抗し、奇行が多かった。詩集「狂雲集」。一休諸国咄などに伝説化され、小説・戯曲に描かれる。(1394~1481)。
 右、一行書「教外別伝不立文字(きょうげべつでんふりゅうもんじ)」一休宗純筆 東京国立博物館蔵

乳ボーロ(ちちぼーろ);大阪前田 乳ボーロ。原材料、ばれいしょでん粉、砂糖、鶏卵、ぶどう糖、麦芽糖水飴、寒梅粉、脱脂粉乳、卵殻カルシウム、等で作られた一口菓子。
 一般的にはカリッとした軽い歯ざわりと口中でさらりと溶ける食感が特徴。なお小粒のボーロは離乳食として用いられることもあり、「衛生ボーロ」という商品名もつけられている。

蜘蛛の糸(くものいと);芥川龍之介の児童向け短編小説。芥川龍之介のはじめての児童文学作品で、1918年に発表された。
 釈迦はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見た。罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけた。カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成したことがあった。それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことだ。それを思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。 暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸を登れば地獄から出られる」と考え、糸につかまって昇り始めた。ところが途中で疲れてふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。このままでは重みで糸が切れてしまうと思ったカンダタは、下に向かって「この糸は俺のものだ。下りろ。」と喚いた。すると蜘蛛の糸がカンダタの真上の部分で切れ、カンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。 無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈迦は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。

血の池(ちのいけ);地獄にあり、血をたたえているという池。

自業自得(じごうじとく);仏教用語。みずから行なった善悪の行為によって、本人自身がその報いを受けること。よい行為によってよい結果がその本人に生じ、悪い行為によって悪い結果がその本人に生じること。転じて、自分のしたことだから悪い報いを得てもやむをえないということ。

茶屋遊び(ちゃやあそび);京坂地方でこの形式が発達し、大坂の堀江、曾根崎などの遊所は茶屋株での営業であり、これを色茶屋といった。〈茶屋遊び〉といえば遊所への出入りを意味した。遊郭が認められない場合に茶屋として営業する例は多く、地方都市で茶屋町といえば私娼(ししよう)街のことであった。

針の山(はりのやま);地獄にあるという、針の植えてある山。罪人を追い込んで苦しめる所。転じて、苦痛に責めさいなまれる場所のたとえ。

赤鬼さん(あかおにさん);赤い色をした鬼。生前に貪欲だった者は、死後に餓鬼道に落ち、餓鬼になるとされている。また、青鬼と対になって地獄で閻魔の配下として、鬼が獄卒の役を務めているとされる。

浄玻璃の鏡(じょうはりの かがみ);閻魔が亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する地獄に存在するとされる鏡。 閻魔王庁に置かれており、この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるため、いかなる隠し事もできない。おもに亡者が生前に犯した罪の様子がはっきりと映し出される。もしこれで嘘をついていることが判明した場合、舌を抜かれてしまうという。また、これで映し出されるのは亡者自身の人生のみならず、その人生が他人にどんな影響を及ぼしたか、またその者のことを他人がどんな風に考えていたか、といったことまでがわかるともいう。また、浄玻璃鏡は水晶製であると言われている。

再審(さいしん);確定した有罪判決に重大な誤りがある場合に、裁判をやり直す手続き。判決を受けた人や検察側などが確定判決を言い渡した裁判所に請求する。裁判所は(1)確定判決の根拠となった証拠が虚偽だった(2)無罪とすべき新証拠が見つかった。などと判断すれば、再審開始を決定する。

上告(じょうこく);民事訴訟・刑事訴訟の裁判過程における上訴の一つ。日本において、
(1)第二審の終局判決若しくは高等裁判所が第一審としていた終局判決(原判決)に対して不服があるとき又は
(2)飛越上告の合意がある場合において第一審のした終局判決に対して不服があるときに、上級の裁判所に対し、原判決の取消し又は変更を求める申立てをいう。

国家試験制度(こっかしけんせいど); 国家資格とは、法律に基づいて国や国から委託を受けた機関が実施する資格です。 有資格者は、知識や技術が一定水準以上に達していることを国によって認定されます。 弁護士などの資格習得が業務遂行のための必須条件となっている業務独占資格や、中小企業診断士などの有資格者だけが名乗ることを認められている名称独占資格、特定の事業を行う際に法律で義務づけられている設置義務資格(宅建など)があります。取得は困難ですが、国から職業的な地位を保障され、社会的な信用度も高い資格です。 227種の資格制度が有ります。

世襲(せしゅう);身分・財産・職業などを、嫡系の子孫が代々受け継いでいくこと。江戸時代では当たり前の事で有ったが、実力を求める・奉行職や大老などは実力を重んじられ、幕府では世襲とはいかなかった。
 
今でも世襲が行われているところは、歌舞伎・生け花・能・芸能等に見られる。(何代目○○、等)。また、議員にも多く見られる。



                                                            2019年4月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system