落語「吉野狐」の舞台を行く 四代目林家染丸の噺、「吉野狐」(よしのぎつね)より
■四代目林家 染丸(はやしや そめまる);(1949年(昭和24年)10月10日 - )は、大阪市西成区天下茶屋出身の落語家。本名は木村 行志(きむら こうし)。出囃子は『正札付』。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会相談役。
■ベースになる噺;葛の葉(くずのは)は、伝説上のキツネの名前。葛の葉狐(くずのはぎつね)、信太妻、信田妻(しのだづま)とも。また葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃および歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまん おおうち かがみ)も通称「葛の葉」として知られる。稲荷大明神(宇迦之御魂神 )の第一の神使であり、安倍晴明の母とされる。 落語「天神山」(上方落語)、「墓見」(江戸落語、「安兵衛狐」「葛の葉」とも)に描かれています。
村上天皇の時代、河内国の人・石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白し、さらに次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。
左、月岡芳年『新形三十六怪撰』より「葛の葉きつね童子にわかるるの図」。童子丸(安倍晴明)に別れを告げる葛の葉と、母にすがる童子丸の姿を描いたもの。 右、『絵本百物語』に描かれた葛の葉。
歌舞伎で演じられる女狐。”恋しくば尋ね来て見よ
和泉なる信太の森のうらみ葛の葉”と、障子に書き残す。裏書きされていたりで楽しい。「歌舞伎はるあき」野口達二著より写真、梅村豊。
■葛葉稲荷神社(くずのは いなりじんじゃ);こちらの神社は正式には「信太森神社」(大阪府和泉市葛の葉町一丁目11番) 通称「葛葉稲荷神社」といいます。 創建は、和銅元年(708年)です。そしてこちらの神社には 安倍保名と葛の葉姫の恋物語が言い伝えられています。 その物語は歌舞伎・文楽において現在も語り継がれています。
上、「信太森神社」。(大阪府和泉市葛の葉町一丁目11番)
通称「葛葉稲荷神社」といいます。
■安倍晴明神社(あべのせいめい じんじゃ);
当神社は、阿倍王子神社が管理する末社。
大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16。
「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)という男が住んでいました。あるとき、和泉(いずみ)の信田明神(しのだみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました」。狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになるのです。晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社の記録としても残っています。安倍晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘四年(1007)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されています。
■石原時計店;
大阪、淀屋橋角で150年の歴史を持つ関西の老舗として有名な石原時計店の大正期の絵葉書です。創業者石原久之助は大阪時計の出資者及び取締役として大阪時計に深く関った人物としてもよく知られています。 明治35年大阪時計製造株式会社の解散後に石原久之助と野田吉兵衛が後を譲り受け、大阪時計製造所として商品名クレセントなどの懐中時計を送り出しましたが、明治38年に石原個人の経営になり、クレセント時計工場から戦後は石原時計精機株式会社として「クレセント」商標の8日巻きの置時計、掛時計を製造しました。 月星印のクレセントは明治から戦後まで一貫して使われた石原ブランドです。
左、大阪朝日、明治42年1月26日、当時の三階建ての店舗に時計塔がそびえている。
■瓦屋橋(かわらやばし);大阪市の東横堀川に架かる橋。
大阪市中央区瓦屋町2丁目と島之内2丁目の間を結んでいる。現在川の上を阪神高速1号環状線が通過している。このあたりは古代より良質の粘土が取れ、江戸時代には大坂市街における瓦生産の中心地だった。
■夜泣きうどん屋(よなき うどんや);夜間、屋台を引くなどして売り歩くうどん屋。また、そのうどん。よなき。江戸では蕎麦屋、上方ではうどん屋が多く、江戸の蕎麦屋は夜鷹蕎麦と言った。落語「時蕎麦」にその情景が解ります。蕎麦の噺には「蕎麦清」、「疝気の虫」、「おすわどん」等が有ります。
■木原(きはら);新町南通二丁目「木原遊楼」。
■木原席(きはらせき);木原遊廓にあった、木原席と言う屋号の見世。
江戸吉原で言う「○○楼」に当たる。
■大和巡り(やまとめぐり);伊勢参りと似たような感覚で流行した大和旅行。
■三千円(3000円);明治の中頃として、数千万円。大金です。吉野さんが持って来た持参金千円もその1/3ですが、やはり大金です。
■勘当(かんどう);主従・親子・師弟の縁を切って追放すること。江戸時代には、不良の子弟を除籍すること。江戸時代、勘当(久離)の届出を町年寄または奉行所で記録しておく帳簿を勘当帳と言った。久離帳。記録しないのは内証勘当という。
■心斎橋筋(しんさいばしすじ);、大阪府大阪市中央区の町名。または船場・島之内を南北に縦断する道路。現行行政地名は心斎橋筋一丁目から二丁目まで。御堂筋のひとつ東側の筋。長堀川に架かっていた心斎橋に由来する。 繁華街で島三郎の実家があったところ。
■養子(ようし);養子縁組によって子となった者。養子縁組は、具体的な血縁関係とは無関係に人為的に親子関係を発生させることをいう。この関係によって設定された親・子を、現代日本語では、それぞれに養親(ようしん)・養子(ようし)という。
■薄利多売(はくりたばい);利潤を少なくして品物を安く大量に売り、全体として利益があがるようにすること。
■持参金(じさんきん);結婚の際、一方の配偶者が、もう一方のために用意する貨幣等の財産のこと。また、その風習のこと。世界中で歴史を通じ、広く見られる。裕福な家庭の女性が貧しい男性の家に嫁入りするときに、持参金を用意する習慣がある。結納が男性側のみの負担であるのに対し、持参金は女性側のみが負担する。女性側が男性側から結納で受け取った金銭をそのまま持参することもある。
■家主(やぬし);長屋の管理を任されている管理人。そのよび名から長屋の持ち主のように思われがちですが、じつは土地・家屋の所有者である地主から、長屋の管理を任されている使用人で、家守(やもり)、大家(おおや)、差配(さはい)ともよばれていました。現代で言う管理人です。豊かな地主は多くの長屋を持ち、それぞれに大家を置いた。
■加薬(かやく);元来、料理に加える香辛料。関西では加薬飯のように料理に入れる具材の意味。ここでは、うどんに入れる具材のこと。
■芝居町の道頓堀;慶長17年(1612)から元和元年(1615)にかけて開削された道頓堀川。寛永3年(1626)、この地に最初の芝居小屋ができて以来、道頓堀と言えば芝居であった。最盛期には歌舞伎6座、浄瑠璃5座、説経7座、からくり1座、舞4座が立ち並んだという。川に面しては芝居茶屋も軒を連ね、江戸時代を通じて大坂随一の遊興の地だった。芝居小屋に浮沈はあり、火災にも見舞われたが、中座・角座・戎(えびす)座・弁天座・朝日座の5座を中心に、明治に入っても道頓堀の芝居の賑わいは続く。「五箇所の劇場年中絶ず興行して大入の札を掲げり。又、落語、新内節(しんないぶし)、女浄瑠璃の席あり。劇場の間々の地及び河岸には芝居茶屋、割烹亭、飲食物舗、諸商家も連絡(つらな)り・・・」(榊原栄吉編『市内漫遊大阪名所図絵』明治23年刊)と描写されたのが明治半ば。その後、新派や喜劇など芝居が多様化し、活動写真という新しい娯楽も出現したが、道頓堀の賑わいの中心には常に芝居があった。
■うどん(饂飩);符丁で”う”。小麦粉を練って長く切った、ある程度の幅と太さを持つ麺またはその料理であり、主に日本で食されているものを指すが、過去の日本の移民政策の影響や食のグローバル化の影響により、関係各国にも近似な料理が散見される。細い物などは「冷麦」「素麺」と分けて称することが一般的ですが、乾麺に関して太さによる規定がある以外は厳密な規定はなく、細い麺であっても「稲庭うどん」の例も存在し、厚みの薄い麺も基準を満たせば、乾麺については「きしめん、ひもかわ」と称してよいと規定があり、これらもうどんの一種類に含まれる。
以上、四絵図、上方のうどん屋。守貞漫稿より
メニュー読み下し、うどん、そば、しっぽく、あんぺい(あんかけ)、けいらん(卵とじ)、小田巻。
■しっぽく(卓袱);符丁で”きや”。元来は長崎料理のしっぽく料理から転じて、うどん汁に、蒲鉾・しんじょう・鶏卵の厚やき・椎茸・葱などを加えたもの。
■おだまき(苧環蒸・小田巻蒸);符丁で”まき”。うどんの入った茶碗蒸し。鶏肉・三つ葉・蒲鉾・椎茸などの具を加え、卵汁をかけて蒸す。おだまき。
■あんかけ(あんかけうどん);吉野葛を使うから符丁で”よしの”。具に葛のあんを絡ませたものを丼のうどんの上に乗せた物。
■きつね(信太);信太の森の白ギツネというから符丁で”しのだ”。かけうどん・かけそばに甘辛く煮た油揚げを乗せたもの。
地方によっては違いがあるが、使用する油揚げは、まず湯で油抜きをし、砂糖・醤油・みりんなどを使用して、しっかりと甘辛く味付ける。麺のダシ(つゆ)は濃口醤油と鰹節主体の強めのものである。熱いつゆばかりでなく、冷やしや鍋物もある。名称は稲荷寿司と同様、油揚げがキツネの好物とされていることに由来する。一説には油揚げの色(きつね色)・形がキツネがうずくまる姿に似ているからだともいう。
■ごはん(ご飯);堂島で米の相場が立っているから符丁で”しま”。白米を炊いた物。
■注文替えの時;お客が注文を替えると、例えばしっぽくがおだまきに変わると、「”きや”が”まき”に替わって~」、と言えば良い。オチに繋がる、奥へ注文の通し方。
■野施行(のせんぎょう);冬の雪野原では動物たちが食べる物が無くて困るであろうと、わざと食事などを食べ残し、または、準備して、撒いて(置いて)くる事。元来はセギョウ。貧民などに物をほどこし与えること。また大盤振舞の意にも使う。
■魔性のものか、化生のものか;魔性:悪魔の持っているような、人をたぶらかし迷わせる性質。化生:ばけること。ばけもの。変化(ヘンゲ)。どちらにしても、人間世界のものでは無い。
■割り木(わりき);縦に割って細くした薪。当時の燃料として大切な物で、まだかまどに入れる前の木。
■大和の国の奈良町;旧国名。今の奈良県の管轄。もと、天理市付近の地名から起る。初め「倭」と書いたが、元明天皇のとき国名に2字を用いることが定められ、「倭」に通じる「和」に「大」の字を冠して大和とし、また「大倭」とも書いた。和州。景行紀「伊勢より―に還りて」。日本国の異称。おおやまと。
■片辺 (かたほとり);片隅。都心から離れたへんぴな所。片いなか。野のあたり。
■無官の狐(むかんのきつね);お稲荷さんの遣わしめではないただの野狐。ごく普通の狐。
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