落語「年枝の怪談」の舞台を行く 八代目林家正蔵(彦六)の噺、「年枝の怪談」(ねんしのかいだん)より
■初代春風亭年枝(しゅんぷうてい ねんし);(1843年(天保14年)2月 - 1901年(明治34年)4月11日)本名は村岡 唯吉。享年五十九。相州鎌倉村岡神社の宮司の子として生まれ、幼少のころに江戸に出て紺屋に丁稚奉公し、18歳の1860年ころに二代目七昇亭花山文の門に入り花玉の名で初舞台を踏んだ。その後明治3年28歳の頃、初代五明楼松玉門に転じ松橋と改名。さらに三代目春風亭柳枝の門で年枝を名乗った。明治元年で25歳になっています。
■師匠の二代目春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし);正蔵の噺では師匠だというが・・・。(文政5年(1822年)(逆算) - 明治7年(1874年10月12日)。本名不詳。俳名を箕森庵二柳。
弘化時代に初代柳枝の門で春風亭栄枝という、一旦廃業したが、文久初年(または文久2年)に師匠柳枝がトリを勤めていた吾妻橋際の東橋亭に出演し、その時に名も春風亭柳朝と改めている。明治元年に二代目春風亭柳枝を襲名する。
俳人としても秀でており安政の大地震が起きた時も
■師匠の三代目春風亭 柳枝(しゅんぷうてい
りゅうし);ウイキペディアによると師匠だという。(嘉永5年9月23日(1852年11月4日) - 明治33年(1900年)11月14日)。本名:鈴木 文吉。俗に当時の住まいと大酒飲みだったことから「蔵前の柳枝」「蔵前の大虎」。
一時期妻は四代目都々逸坊扇歌(志沢たけ)。
出身は東京、父は幼いころに亡くなっている。1871年5月、柳亭燕枝(後の初代談洲楼燕枝)の門下で燕花、明治5年ころに二代目柳亭燕寿となりその後1873年に真打で初代柳亭燕路となり1878年に三代目柳枝の看板を挙げた。
長年柳派の頭取を務めたが四代目麗々亭柳橋に譲ったが、まもなく柳橋が1900年7月に腸胃病で体調を崩し引退。翌月病死。仕方なくまた頭取に戻ったがその直後に自身も死去した。
■真景累ケ淵・宗悦の長屋(しんけいかさねがふち そうえつのながや);落語「真景累ケ淵・宗悦の長屋」で、詳しく解説しています。大真打ちと言われた三遊亭圓朝の創作『真景累ケ淵』は、旗本が金貸しで鍼医の皆川宗悦を切り殺したことを発端に両者の子孫が次々と不幸に陥っていく話と、後半名主の妻への横恋慕を発端とする敵討ちの話を組み合わせています。全97章から成る長編怪談。全編通しで演じると一ヶ月以上かかります。安政6年(1859)の作で21歳円朝の処女作と言われています。当初の演目は「累ヶ淵後日の怪談」。明治20年(1887)から21年にかけて、小相英太郎による速記録がやまと新聞に掲載。題名も「真景累ケ淵」とし明治21年に単行本が出版された。真景=神経を掛けています。
序の幕開けは、
■横浜市(よこはまし);関東地方南部、神奈川県の東部に位置する同県の県庁所在地。政令指定都市の一つであり、18区の行政区を持つ。現在の総人口は日本の市町村では最も多く、四国地方に匹敵するおおよそ374万人であり、1府37県の人口を上回る。人口集中地区人口は東京23区(東京特別区)に次ぐ。神奈川県内の市町村では、面積が最も広い。市域の過半は旧武蔵国で、南西部は旧相模国(戸塚区、泉区、栄区、瀬谷区の全域と港南区の一部)。
■神奈川(かながわ);横浜市を構成する18区のうちのひとつ。横浜市で初めにできた区の一つで、9番目に大きい区です。
東海道の宿場町、「神奈川宿」から県名も区名も取られた。旧東海道沿いには寺社や旧跡が多く点在し、往時をしのばせる。
■按摩(あんま);身体をもんで筋肉を調整し、血液の循環をよくする療法。もみりょうじ。マッサージ。また、それを業とする人。(あんまが盲人の業だったことから)
俗に、盲人。
■柔術(じゅうじゅつ);日本独特の武道の一。武器を使用せず、相手の攻撃力に順応して相手を投げ倒し、または抑え、もしくは当て身などの攻撃・防御の技を行い、同時に身体の鍛錬と精神修養とを目的とする術。その起源は相撲とともに極めて古く、流派の生じたのは戦国時代で、柔術・やわらと総称され、江戸時代、武士階級の武道の一として盛んになった。明治に入って嘉納治五郎により、各流派を統合して講道館柔道が大成され、第二次大戦後にはスポーツとして世界的に普及。オリンピックの種目にも選ばれている。
■絞め技(しめわざ);柔道で相手の首を絞める技。送り襟絞め・裸絞めなど。絞め技で失神することを落ちるという。
頚動脈洞を圧迫されて失神した者は絞めるのを止めるとすぐに脳への血流が再開するため問題はないが、気管を圧迫されて失神した者は放置しておくと危険なため、直ぐに蘇生のため応急処置が必要である。絞め技も関節技や投げ技と同じく独特に高度に洗練された技術である。実戦で有効なものにするためには、かなりの稽古量を必要とする。
■神経病(しんけいびょう);19世紀以前において、脳や体に何も異常がないのに精神(神経)が冒されたようになる状態をそう呼んでいた。神経症にあたるドイツ語はノイローゼ(Neurose)であり、日本でも神経症の意味で使うこともある。ただし、一般の人が「ノイローゼ」と言う場合はもっと広い意味に使われる傾向が強いので注意が必要である。例えば「気分が落ち込んだ」とか「あることに悩んでばかりいる」状態をこの言葉で表現する。
■菩提を弔う(ぼだいをとむらう);死者の冥福 (めいふく) を祈って供養を行う。
■別院(べついん);本寺のほかに別に建てられた本寺所属の支院。
■新潟(にいがた);新潟県中部の市。県庁所在地。信濃川河口に位する港湾都市で、寛文
(1661~1673)年間に河村瑞軒により西廻り航路の寄港地と定められて以来発展、1858年(安政5)の日米修好通商条約により日本海沿岸唯一の開港場となった。天然ガスを産し、化学・機械工業が盛ん。人口48万3千。
■小屋を訪ね(こやをたずね);地方巡業で宿代などを倹約し、宿に泊まらず公演している小屋(演芸場)で宿泊すること。そこに年枝は師匠を訪ねて行った。
■還俗(げんぞく);一度、出家したものが、再び俗人にかえること。復飾。法師がえり。
2019年7月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |