落語「壺」の舞台を行く
   

 

 二代目三遊亭円歌の噺、「」(つぼ)より、別名「壺の幽霊」


 

 ローンなどで家などを建てると大変です。ある橋の下の親子「お父っつあん、今消防車が通ったがどこかで火事でもあるのかな」、「火事か」、「お父っつあん、どこで火事があっても家も道具も無いから、この方がノンキだな」、「そうよ。これも親のお陰だ」。これはそんなに威張れません。

 工場の近くに家を探しています独り者。
 「この裏に貸家が有りますが、こちらが大家さんですか」、「どうぞ入りなさい」、「で、権利はいかほどですか」、「権利ですか・・・、ま、よがしょ。要りません」、「家賃は」、「いくらなら払える。800円ぐらいでどうだ」、「結構です。敷金はいくらです」、「三つでも貰っておこうか、敷金はいつでも良いが、あすこは出るんだよ。二日か三日で入居者は逃げ出すんだ。出るというのはこれ(両手を下げて)」、「幽霊ですか?」、「強がり言ったってダメだよ」、「”百物語”や”お化け屋敷”なんて好きなんです」、「本当なら入って下さいよ。詳しく話をしよう。山崎という屑鉄拾いが住んでたんだ。金を貯めるのが生きがいで、出すものも出さないで風呂も入らず、1円を10円にして、それを100円になったら千円札にしようと頑張る。千円札になると壺に入れて、縁の下に・・・。泥棒が心配で大家の私の所にカギを預けていた。『大家さん、喜んで下さい。30枚千円札が貯まりました』」、「それは3万円ですね」。
 「カギは婆さんにも預けないで、責任があるからしっかり持っていた。雨の晩、山崎が飛んできて、『戸締まりはしっかりしているのに泥棒が入ってお札を持って行かれた』と言うんだ。壺の蓋を刃物のような物でこじ開け一枚残らず盗まれた。それで首を吊ってしまった」、「それが幽霊になって出るんですね」、「警察に届けたが分からない。調べてくれと幽霊になって出るんだ。身より便りが無いので、家で葬儀を出して、家の墓に入れてあるんだ」、「偉いな~。そのことを知っているのは本人と大家さんだけですよね。本人が盗むことは無い、だったら後は誰でしょうね」、「やな事を言うな」、「では、明日引っ越してきます」。

 「住めば都と言うが良いもんだ。オイ幽太出るなら出ろよ、顔つなぎしておきたい。おッ、青い火を燃やしたな。あすこから出るんだな。待ってましたッ。早く出ろ、出遅れた競馬なんか買わないぞッ。出たッ(ヒュ~ドロドロの下座が入る)」、「うらめしや~」、「お前から恨まれることは無いぞッ」、「ただ何となくウラメシイ~」、「大家から聞いてるんだ。お前はバカだ。バカは死ななきゃ直らないと言うが、死んでもバカだ。大べらぼうだ」、「大べらぼうとは何だッ」、「幽霊のくせにトンガってやがら。どうしてか教えてやる。3万円の金が有ったら、銀行や郵便局なんかに預ければ利息が付く。他に回せば皆が喜ぶ。だからお金は”おアシ”と言うんだ。壺なんかに入れて、お金を回さないと・・・、そこが分からないと大べらぼうなんだ」、「そうかしら~」。
 「カギはお前と大家しか持っていない。泥棒がどっから入ったか分からないのなら、その壺見せてみろ」、「座っている下だ」、「火鉢をどけて、畳を上げて・・・、壺が出て来たがよく見えない。暗いから、さっきの青い火を燃やせ」、「あれは配給で・・・」、「マッチが2本有るからこれで・・・、有った。蓋が刃物で削ったと聞いたが、ネズミの歯形が付いている。これは千円札で巣を作ったんじゃないか」、「言われてみれば天井裏がゴトゴト音がしていました」、「見てやる。天井裏までお前は着いて来るな」、「ネズミが犯人だとしたら、もう青い火は要らないので全部使ってしまおう」、「おい、火事になるといけね~。少しずつだよ。蛍光灯みたいだ。・・・有った、千円札だ」、「見覚えの千円札だ。1枚、2枚、3枚~」、「うるせいな。全部で何枚有る」、「・・・29枚有りました。もう1枚」、「1枚だな。もっと燃やせ。有った、小便でカチカチになってた。全部あの世に持って行け」、「持って行っても意味が無い。アンタにあげます」、「もらったってしょうがないが、お前は大家さんの墓に入っていると聞いたが・・・」、「骨身の狭い思いがします」、「それは肩身の狭いと言うんだ。その金で法事をしてやろう。余ったら墓を建ててやろう。それでも余ったら、”赤い羽根”や”緑の羽根”に募金をしよう。それで初めてお前の金が生きるんだぞ」、「親方、金は生きてもしようが無い、肝心の私が死んでいます」。

 



ことば

二代目 三遊亭 円歌(さんゆうてい えんか);(1890年4月28日 - 1964年8月25日)
 本名は田中 利助(たなか りすけ)。円歌は、落語「花色木綿(出来心)」で表札に書かれていた名前に今なお使用されることがある。
 北海道に移り住んだ後は旅回りの一座に入り、勝手に「東京落語の重鎮・三遊亭柳喬」と名乗っていたが、北海道小樽市で巡業中の二代目三遊亭小圓朝に見つかり、それがきっかけとなって、1914年4月に東京の初代三遊亭圓歌に入門、歌寿美と名乗る。1917年、二つ目に昇進して三遊亭歌奴を名乗る。1920年4月、真打昇進。1934年10月、二代目三遊亭円歌を襲名。非常な努力の末、新潟訛りと吃音を克服、普段の会話では吃り癖が残っていたが、高座に上がると弁舌さわやかに切り替わる名人ぶりを見せた。ただし高座の最中、不意に吃りが出ると扇子が痛むほど床で調子を取っていた。 モダンで明るく艶っぽい芸風で、女性描写は絶品であった。艶笑小噺もよく演じた。残された音源では放送禁止用語が連発されているものの、嫌らしくは聞こえないなど、かなりの力量を持った噺家であった。また高座では手拭いではなくハンカチを使い、腕時計を女性のように内側に向けて着けたまま演じていた。余芸で手品の披露をしたこともある。自身稽古をつけてもらった経験のある七代目立川談志によれば、演目の仕舞いに、自ら茶々を入れながら踊りを見せたりすることもあったという。大の歌舞伎ファンでもあった。
 エピソード
・ 寄席の出で、舞台を歩いているとき客席に向かって軽く笑顔の会釈をします。その時から客席に、円歌の雰囲気が伝わって、自分の世界を創ってしまう。演出では無く”地”なんです。普段からオーラが漂っていました。
・ せっかちと言えば、汽車に乗っても車内を歩いて行って、先頭車両に行ってしまう。聞いたら「一番最初に着く」からだと言います。
・ 楽屋で帰るときに外套を着ているのにその上から他人の外套をもう一枚羽織って帰ってしまった。
・ 興津要さんが言うには、出演料を貰って車で帰るとき、封を切って中のお札を取り出して、封筒を窓から捨てようと思ったら、札をばら撒いてしまった。直ぐ車を止めたかったが、円歌さん吃音ですから言葉が出ず、行きすぎてしまった。高座では吃音は出なかったのに・・・。 

初代林家正楽(一柳金次郎)、この噺「壷」の作者。
 林家 正楽(1896年11月18日 - 1966年(昭和41年)4月15日)。長野県出身。本名は一柳 金次郎(いちやなぎ きんじろう)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。1917年?四代目五明楼春輔(後の六代目林家正蔵)を訪ねる。正福と名乗ってセミプロとなる。 1919年1月に睦会が設立騒動時に下地ありと認められ二つ目となり「睦」の字に因んで四代目睦月家林蔵(むつきや りんぞう)を名乗る。1920年12月に六代目桂才賀襲名。この当時は噺家不足と大量真打昇進がきっかけであったため、2年で準真打昇進だった。 噺家としては出身地であった信州の訛りが直らずうまくいかなかった。紙切りを披露するにいたったのは睦会の忘年会であった。それが好評となり、1923年の関東大震災もあり紙切り師になるにいたった。1925年に正楽を名乗り真打となった。 マッカーサー、スカルノ、昭和天皇の前で芸を披露したこともある 新作落語の『峠の茶屋』『さんま火事』『壷』は初代正楽の作。享年70。弟子に林家今丸がいる。
 以上ウイキペディアペディアより
 紙切りの林家正楽も、以前は桂才賀という落語家だった。趣味ではじめた紙切りが今は本職となり、余技と本芸とは入れ替ってしまった。過去四十年間に切った紙は実に三十五、六万枚に及ぶという。今はまったく名人の域に達し、海外にまでその名が響いている。鋏で紙を切ることは昔も吉田小広などという人がいたがそれは文字を切ったもので、又おもちゃという紙切りもあったが、注文の通りに絵を切るようになったのは正楽がはじめてであった。現在では三遊亭円雀ら二、三の人がいるが、その技術は正楽に遠く及ばない。
 寄席で紙を切るようになったのはこの二ツ目時代で、四谷の喜よし亭で、暮れのある日珍芸会が催されて、皆歌ったり、踊ったり、ふだんやらない芸をやったとき正楽は、あいにく隠し芸が何もないので、紙切りをやって見せた。それが大好評で、「そんなに立派な芸があるのに、なぜやらなかった。これから毎晩やれ」といわれて、その後は落語のあとで、二、三枚ずつ切っていた。当時大家(たいか)が大勢そろっていたから、なかなか深いところへなぞはあがれなかったが、色物だから大家の間に挟まってかけもちをして歩いた。やがて先代文楽、後のやまとから、桂才賀という名をもらい、大正13年に林家正楽となった。一柳金次郎の名で新作落語を多く書いているが、落語家の上りだけにコツを知っているから、あの人の書くものはやりよいと皆がいう。傑作には『壺』『案山子』『さんま火事』などがある。
 今村信雄著『落語の世界』(平凡社ライブラリー)

(つぼ);主として、食糧の貯蔵や水や酒などの飲料の運搬という用途に用いられる器である。焼き物が多いが、ステンレス鋼製(医療用などに)やプラスチック製もある。人間が1人で運搬可能な大きさの器のことを壺と呼ぶ。それより大きいのを瓶(かめ)甕(かめ)と言います。 口が細くつぼまり胴のまるくふくらんだ形の容器。また、膳部に用いる椀形の小さく深いうつわ。梅干しを漬ける壺。茶壺。ぬか漬けの壺。インク壺。

 

 上、壺。左のような口が開いた壺に紙で蓋をして隠したのでしょう。 右のように重い蓋だったらネズミの被害に遇わなかったでしょう。常滑焼の、梅干しや塩を入れる壺。首も吊らずに済んだのに・・・。

貸家(かしや);家賃を取って貸している家のことで、貸す側、すなわち所有者(大家)から見た言い方です。入居者側から見ると借家と言います。
 右図:軽口恵方の若水より「手代の一作」。
 悪ガキが貸家札をはがして困る。それではと手代が厚板に書き付けて柱に釘で打ち付ける。「これで14、5年は持つ」と喜んだが、その間家賃が入らないことで・・・、貸家なのに。

大家(おおや);大屋とも書き、家守(やもり)、家主(やぬし)ともよばれた。江戸の貸地、貸家の管理人で、地主、家持(いえもち)にかわって地代、店賃(たなちん)などを取り立てた代理人、差配(さはい)人のこと。彼らの多くは、地主のもっている長屋の別棟か、地主所有の家屋を与えられ、地代、店賃の徴収のほか、五人組の構成員として公用や町用を行った。また「たなこ(店子)と言えば子も同然」といわれたように、借家人(店子)には、子に対する親のような責任と権利をもっていた。
 現代では、貸家の持ち主。家主。のこと。

■権利(けんり);権利金。借地契約・借家契約の際に、慣行として、賃借人の側から地主・家主に支払われる賃料・敷金以外の金銭。契約が終了しても返還されない。礼金、みやげ金ともいわれる。権利金は、借地、借家の需給関係のアンバランスを背景にして生まれてきた。限られた供給に対して、需要が多い場合、賃貸人側は、貸す権利の設定そのものに対価を要求し、借りる側も、借りる権利の設定に多少対価を払っても借りたいということになる。

家賃(やちん);賃貸物件の使用者(入居者)から貸主に支払われる賃貸料金のこと。賃貸マンションやアパート等住居系物件の賃料を「家賃」と呼ぶ。通常、1ヶ月ごとの金額で設定・表示される。住居系の家賃に対しては、消費税は非課税となる。一方、事務所、店舗、工場、倉庫、駐車場など住居系以外の賃料は課税対象となる。通常、賃貸借契約後、入居当月の家賃(入居日から月末までの日割り家賃)と次月の家賃を払うことになる。これを前家賃制という。

敷金(しききん);不動産の賃貸借の際、賃料その他賃貸借契約上の債務を担保する目的で賃借人が賃貸人に交付する停止条件付返還債務を伴う金銭である。 賃貸借契約が終了する場合には、賃借人に債務不履行がなければ明け渡し時に全額返還され、法律では個人に対する敷金は家賃の1ヶ月分以上請求してはならず、本来預り金的性格を有する前払金である。ただし、近畿地方以西の西日本では権利金(礼金)の性質を持ち、一部(賃料の1ヶ月分)が返還されないことが多い。これを敷引と呼ぶ。敷引等は「権利金」「礼金」と同様の「賃料の前払的性格」を有する。

百物語(ひゃくものがたり);日本の伝統的な怪談会のスタイルのひとつ。怪談を100話語り終えると、本物の”物の怪”が現れるとされる。起源は不明だが、主君に近侍して話し相手を務めた中世の御伽衆に由来するとも、武家の肝試しに始まったとも言われている。こうした怪談を集めた本も多く刊行されており、延宝5年(1677)の『諸国百物語』、宝永3年(1706)の『御伽百物語』、享保17年(1732)の『太平百物語』などが知られている。怪談文学と称され、室町時代に始まり、江戸時代に一種のブームになったという。
 ここで語られる怪談は、現在でいう幽霊や妖怪が登場する怪談ではなく、いわゆる不思議話・因縁話などでよい。 これを続け、100話目を語り終え、灯心がすべて引き抜かれて真の闇が訪れたときに、なんらかの本物の怪が現れるとされる。
右図:
 歌麿画「百物語」情景。

 以下の5枚は葛飾北斎の真筆と認定されている。タイトルから100枚を作る予定と見られるが、この5枚以外は確認されていない。画工は職人で、依頼された絵を描くのであって、通常自分の描きたい絵を創ることは、版元から出版されないので描くことはない。「富嶽三十六景」を描いた北斎から見ると信じられないだろうが、ウエットのとんだ北斎である。  

 上左より、「百物語ーさらやしき」  おなじみ歌舞伎で知られた番町皿屋敷、有名なお菊さんの幽霊です。蛇をイメージしたのだろう蛇の胴体に皿が巻き付いている。皿は蛇の模様のようだ。お菊さんは若い美人が演じるが、北斎は垂れ目のおばさんにしてしまった。反逆の北斎、面目躍如である。東京国立博物館蔵

「百物語ー笑いはんにゃ」  国籍不明の般若である、角と牙を持ち幽霊と言うより妖怪か、絵の感じでは中国的です。水滸伝的な匂いがする。東京国立博物館蔵 

「百物語ーお岩さん」  歌舞伎の怪談物では一番知られている「四谷怪談」のお岩さん。ほとんどの作者が、お岩さんを目が潰れ、腫れ上がった顔を描くのに北斎は目を大きく開き後頭部が提灯というユーモラスな絵にしている。東京国立博物館蔵 

 

 同じく左より、「百物語ーこはだ小平次」  江戸の歌舞伎役者である木幡小平次は、売れない役者であった、やっと貰った役が幽霊。しかし、旅先で妻の密通相手に殺されてしまう。絵は妻と密通相手の所に蚊帳から顔を出したところ。何となくか弱い子供のような幽霊である。山東京伝作「復習奇談安積沼(あさかぬま)」 東京国立博物館蔵。 落語「生きている小平次」に語られる。

「百物語ーしうねん」  不思議な絵である。位牌の戒名は北斎の機知か、戒名(ももじい)の上の梵字は女の横顔になっている。また、線香台の卍は日蓮宗の印である。三方に載っているのは何か、何を意味しているのか。東京国立博物館蔵   

屑鉄拾い(くずてつひろい);路上に落ちている屑鉄を拾い集め、または、川などに落ちている屑鉄を拾い集め(ガタロ=落語「代書屋」)古鉄屋さんに買い取って貰い、生計を立てること。私の子供時分には、折れ釘やアキ缶などが結構落ちていて、拾い集めると子供の小遣いにはほどよい収入になった。最近はアルミ缶を専門に集めている大人達がいます。小遣い銭以上にはなるのでしょう。

縁の下(えんのした);日本家屋で、1階畳の床と地面との空間。台所には上げ板があって、その下には地面までの空間を利用して、ぬか漬けの樽や酒瓶、炭等を入れておいた。居室の床下は入るところが有りませんので、隠した本人がいなくなると、そのままで埋没したりして、時代が変わって掘り出されることも有ります。

住めば都(すめばみやこ);住みなれれば、どんなに貧しく不便な環境であってもそれなりに住みよく思われるものだ。

幽太(ゆうた);幽霊のことを、見下した呼びかけ語としています。私の友人に、文字は違いますが同じ名前の人がいます。

青い火(あおいひ);幽霊が出るとき、または、幽霊と共に出る陰火。芝居などではアルコールをワタにしませて糸の先に吊し火を点けて、その状態をみせます。アルコールの代わりに樟脳玉を使うこともあります。

バカは死ななきゃ直らない;愚かであるという性質は治そうとしても治しようがない、バカを治療する手立てはない、馬鹿者であることは手の施しようがない、などの意味の表現。
 講談や浪花節の世界で有名な、清水次郎長一家の子分遠州・森の石松が言ったとかで世間でよく使われる台詞。「江戸っ子だってね~、寿司喰いねえ~」も森の石松の言葉。

べらぼう;1 程度がひどいこと。はなはだしいこと。また、そのさま。「今日はべらぼうに寒い」「べらぼうな値上がり」。
 2 普通では考えられないようなばかげていること。また、そのさま。「そんなべらぼうな要求はのめない」。
 3 人をののしっていう語。たわけ。ばか。「何をぬかすか、このべらぼうが」。
 「篦棒」は当て字。寛文年間(1661~73)に、全身が黒くて頭がとがり、目が赤く猿に似たあごをもつ「便乱坊(べらんぼう)」と言う奇人が見世物に出されました(一説には、この奇人は南方より輸入されたオランウータンではないかと推測)。この「便乱坊」と言う奇人は、動きが緩慢で、のろのろしていたため、人を罵る言葉に用いられ、「べんらぼう」が、威勢よく聞こえる様に「ん」の発音が省略され、「べらぼう」になったというものです。
 4 元々は「べらぼうめ」と言う言葉で、これが江戸っ子の巻き舌、早口で言うと「べらぼうめ」が「べらんめぇ」となるのです。では、この相手を罵る「べらぼう」の語源ですが、「箆(へら=竹・木・象牙・金属などを細長く平らに削り、先端をやや尖らせた道具)の棒」と言う意味。お前なんかは、穀潰し(ごくつぶし=食べるだけで何の役にも立たない者)だ、ヘラの棒みたいな野郎だ、と言う意味です。けど、相手を罵るのに「へらぼう」では締まらないので、いつしか威勢よく聞こえる様に濁点が付き「べらぼう」になったと言うものです。

  川柳川柳師匠と五街道雲助師匠の会話から「べらぼうめッ」。雲助師のホームページより
 ちょっと以前にかの川柳川柳大兄と楽屋でこの話をしていた時に、大兄曰く・・・・ 、「オレのがきの時分に、ウチの方でね(因みに川柳師は秩父の山間の生まれ育ちです)あの便所のさァ、もちろんその頃だから汲み取りのやつでさ、あれ糞が溜まってくると、した後にお釣りがはね返って来るんだよ。雲ちゃんなんざ知らないだろうけどさ。だからその防止ってほどのもんじゃないけど、甕の上に縦に棒が渡してあるんだよ。つまり糞がこの棒に一旦当たってそれからズルリッと下に落ちるから、はねないわけなんだよ。わかるだろ。でね、この棒のことをべらぼうと言ってたよ。ウチのほうじゃ」。これを聞いたあたしは、持った湯呑みをバッタと落としましたね。 これだったんですよ。 「べらぼう」は「便乱棒」が訛ったものだったんですよ。関東一帯で使われていた言葉が秩父に残っていたとしても不思議はありません。便乱坊の見世物が転じてべらぼうになったのではなくて、便乱棒に糞が積もったような姿の生き物の見世物だから便乱坊だったんです。たぶん。(^^;;  「糞ッたれ」だの「小便たれ」だの「犬の糞で仇」だのとスカトロ系の罵倒語の好きな江戸っ子にしてみれば、これ以上の罵倒語はありますまい。
  「糞でも食らってやがれ、このべらぼうめッ」。

肩身の狭い(かたみがせまい);世間に対して面目が立たない。世間をはばかる気持である。大家の墓に入れられているからって、”骨身が狭い”ではない。

法事(ほうじ);死者の追善供養のため、四十九日まで7日ごとに行う仏事や、年忌に営む仏事。

赤い羽根や緑の羽根(あかいはねや みどりのはね);募金活動のため、募金した人に渡す羽根。
 赤い羽根=社会福祉のための寄付金の公募。スイスの山村の牧師が路傍に木箱(チェスト)を置いてこれに「与えよ取れよ」と書き、富者は金を入れ貧者はこれを引き出すようにしたのが起源。日本では1947年以来、毎年10月に社会福祉法人である共同募金会が行う事業となって、寄付者には赤い羽根が渡される。
 緑の羽根=濫伐された山林資源の復旧や都市の緑化を目的とする、 国土緑化運動の一環として緑の週間(4月23~29日の1週間)に行われる募金運動。また、その献金者に協力のしるしとして渡す、緑に染めた羽根。



                                                            2019年8月記

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