落語「利根の渡し」の舞台を行く 林家正蔵(彦六)の噺、「利根の渡し」(とねのわたし)より
■前編;逆恨みによって両目を潰されてしまった男が復讐の機会を待ち続ける恐怖の怪談物語。
座頭が死んだ後の、霖雨立ち込めるある日。
ついに主人であった侍が利根の渡しにやってきた。
侍はなぜか、目を患い、医師にかかる為、利根川を渡ろうとしていたのだ。
船の上で、死んだ座頭の復讐が始まる。
悲鳴をあげる侍。
座頭だ、あの座頭が復讐している。
彼が待っていたのを知っている船頭も、他の客もみな、恐怖に身を低くし、目を閉じていた。
やがて、霖雨はやんだ。
侍の姿はなかった。
目玉の真ん中を貫かれたフナの姿を思い出す。
利根川は何事も無かったように静かになり、船は利根を渡って行った。
■岡本綺堂(おかもときどう);「利根の渡し」の原作者。岡本綺堂は、1872年、東京高輪に生まれ。
綺堂は、幼いころから歌舞伎に親しみ、また、イギリス公使館員だった父の影響で早くから英語も学んでいました。
イギリス公館員に教わったという本場の英語です。やがて綺堂は、18歳で新聞社に入社し、以後24年間を新聞記者として過ごし、その間に、歌舞伎好きの彼はたくさんの戯曲を書いた。
そして、1911年に書いた台本「修善寺物語」が大変な人気を呼び、執筆活動に専念するようになりました。その数年後、英語の原作で、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズを読破した綺堂は、すっかりそのとりこになって、自らも推理小説を書くようになりました。
それが、代表作、「半七捕物帳」のシリーズです。
現代物にすると、ホームズの影響が表れてしまうから、という理由で、舞台を江戸にしたそうです。
戯曲、小説、随筆、そして翻訳、と数多くの作品を残して、綺堂は1939年に亡くなりました。残した作品は、「岡本綺堂全集・全十二巻」にも及びます。
ストーリーの面白さだけではなく、文章の素晴らしさ、格調の高さから、とくに「玄人」から高く評価されている作家です。
■栗橋宿(くりはしじゅく)は、江戸時代に整備された奥州街道・日光街道の江戸・日本橋から数えて7番目の宿場町。当宿と利根川対岸の中田宿は合宿の形態をとっており、両宿を合わせて一宿とする記述も有る。現在の埼玉県久喜市栗橋区域に相当する。
上図、栗橋 中田周辺図 (伊能忠敬測量「大日本沿海輿地全図」 )。 左側が江戸方向で幸手から栗橋に入り、房川の渡しを渡ると古河に出て日光に向かいます。
■房川渡中田関所(ぼうせんのわたし なかたせきしょ);江戸時代に奥州街道・日光街道の利根川渡し河地点に置かれた関所で、江戸への出入りを監視する関所が置かれ、江戸の北方を守る要地であった。利根川筋に設置された関所の一つ。奥州街道・日光街道の栗橋宿から中田宿の間、利根川沿いにあった。房川渡し中田関所名の由来は、房川渡と中田宿の間にあったためと言われていう。通称栗橋関所であった。日光街道から江戸への出入りを監視する関所が置かれ、関宿と並ぶ江戸の北方を守る要地であった。
房川渡場図 『新編武蔵風土記稿. 巻之38 葛飾郡之19』 国立国会図書館のウェブサイトから。
利根川橋梁。川上から下流を見ています。右側の杭があるところに渡しの発着所がありました。2005年までは渡しが有った。
関所番から、栗橋宿馬船水主11人、船頭1人に対する規定について、中田宿には川高札が建てられ、天保9年8月には、 「(1)船頭は二十歳から五十歳までの健康な者に限る、 (2)女・乱心・首・囚人・大きな荷物・夜中通行は差図を受けたうえで渡す、 (3)定船場以外で渡船をせず、見付け次第注進する、 (4)武士からは御定の通り船賃を取らず、町人百姓からは御定の外は船賃を取ってはいけない、 (5)渡船仲間には栗橋宿の船渡町出生の身元確かな者以外は仲間にしない、 (6)船を出すときには往還の人に呼びかける、 (7)渡船仲間の家族の女が中田宿へ耕作に行くときは、関所へ声を掛け、通行のための鑑札を受け取り、帰りは返却することが申しつけ」、られていた。
■古河(こが);茨城県西端の市。室町時代、足利成氏(シゲウジ)がこの地に拠り、江戸時代、土井氏ほかの城下町。日光街道の宿場町で、利根川を渡ると栗橋宿になる。古河藩が設置され古河城が藩庁となった。現在の市域西部を日光街道が南北に貫き、古河城下(元の古河)に古河宿(19宿目)、中田に中田宿(18宿目)が設けられた。一方、市域東部では日光東往還(日光東街道)が縦断し、谷貝宿・仁連宿・諸川宿が設けられた。
■坂東太郎(ばんどうたろう);利根川の異名。群馬県利根郡みなかみ町にある三国山脈の一つ、大水上山(標高1,840m)にその源を発する。前橋市・高崎市付近まではおおむね南へと流れ、伊勢崎市・本庄市付近で烏川に合流後は、東に流路の向きを変えて群馬県・埼玉県境を流れる。江戸川を分流させた後はおおむね茨城県と千葉県の県境を流れ、茨城県神栖市と千葉県銚子市の境において太平洋(鹿島灘)へと注ぐ。江戸時代以前は大落(おおおとし)古利根川が本流の下流路で東京湾に注いだが、江戸で度重なる洪水を出し、河川改修によって現在の流路となった。流路延長は約322kmで信濃川に次いで日本第2位、流域面積は約1万6840km2で日本第1位であり、日本屈指の大河川といってよい。流域は神奈川県を除く関東地方一都五県のほか、烏川流域の一部が長野県佐久市にも架かっている。
■享保(きょうほう);江戸中期、中御門・桜町天皇朝の年号。(1716.6.22~1736.4.28)。
■鱸(スズキ);海岸近くや河川に生息する大型の肉食魚で、食用や釣りの対象魚として人気がある。成長につれて呼び名が変わる出世魚である。秋の季語。関東では1年ものと2年もので全長
20~30cm 程度までのものを「セイゴ」(鮬)、2、3年目以降の魚で全長 40~60cm 程度までを「フッコ」、それ以上の大きさの通常4-5年もの以降程度の成熟魚を「スズキ」と呼んでいる。
■春の彼岸(はるのひがん);春分(2019は3月21日)・秋分の日を中日として、その前後7日間。彼岸会の略。俳諧では特に春の彼岸をいう。この時期、彼岸参りと言って、彼岸会の7日中に寺院や先祖の墓にまいること。また、寺院から檀家に読経に行くこと。ひがんもうで。
■祠堂金(しどうきん);中世・近世、先祖代々の供養のために祠堂修復の名目で寺院に喜捨する金銭。寺院はこれを貸し付けて利殖した。無尽財。長生銭。祠堂銀。祠堂銭。
■懸想(けそう);異性におもいをかけること。恋い慕うこと。求愛すること。けしょう。「人妻に―する」
■小柄(こづか);刀の鞘(サヤ)の鯉口の部分にさしそえる小刀(コガタナ)の柄。その小刀。外側には笄(こうがい)が付きます。
■宇都宮(うつのみや);栃木県中央部の市。県庁所在地。古来奥州街道の17宿目の要衝。江戸初期、奥平氏11万石の城下町として発展。
■船止め(ふなどめ);渡し船が川が荒れて危険な時に船の出航を中止します。また釣りの時、磯の小島までの釣り客の送りを海が荒れると船を出しません。これを船止めと言います。
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