落語「おはぎ大好き」の舞台を行く
   

 

 六代目三遊亭円窓の噺、「おはぎ大好き」(おはぎだいすき)より


 

 「ごめんなんしょう。婆さま、いねぇかの。隣の虎んべ~ぃでごぜぇます」、「はいはい、ご無沙汰しております。隣同士でご無沙汰じゃぁ、面目ねぇがの。お上がりなせぇ」、「いや、上がってはいられませんで。うちの死んだ爺さんの命日でごぜぇまして」、「もう一年経つかの」、「爺さん、おはぎが大好きで・・・」、「わしも子供の頃からおはぎは大好きでの。爺さんも小せぇ時分からおはぎが大好きで、二人でおはぎの食いっこをしたもんだ。人からはよく『あんたらは茶飲み友達ではねぇの~。おはぎ友達だの~』なんて言われたもんだ。ちょうど一年前じゃた。爺さんがうちへ来てのぉ。『婆さんよ。久し振りにおはぎの食いっこすべえか』って。『やるべぇ、やるべぇ』って。おはぎを取り寄せて食べたの、食べねぇのって。爺さんが食べながら、『ここまで長生きさせてもらったで、もう欲もねぇが、一つだけあるだ』。わしゃ、なんじゃと聞いただ。すると爺さんは『おはぎを腹いっぺい食いながら、それを喉へつかえさせて死ねれば本望じゃ』って、その通りになっちまっただよ」。
 「今日は朝から家中でおはぎを拵えましての~」、「婆さまにも召し上がっていただきてぇと思いやして、それに、今度、息子どんのところへ来た嫁っこもえかくおはぎが大好き、と聞いておりますので二人でどうぞ・・・」、「ありがとうさんで。嫁は今、裏の畑で草をむしっているだ。帰ってきたら大喜びでしょう。あとで、お線香を上げに行きますだよ」。

 「旨え、旨え、嫁になんか食わしたくねぇ~。嫁も大好きだから、わしの食べる分が減ってしまう。困ったもんだよ。よく気を遣うし、よく働くし、ええ嫁には違ぇねぇが、おはぎが好きだってぇのは玉に傷だの~。こないだも嫁を連れて挨拶に行っただよ。帰りにおはぎをお土産で貰ったが、嫁ッ子うれしくて、『おはぎだ、おはぎだ』と言って振り回して帰って来たら、重箱の蓋をとって『あれ、婆さまの言った通りだ。あんこが崩れておる。こうだにあんこの崩れているのは婆さまに差し上げるわけにはいかねぇ』って、自分一人で食べやがった。おはぎ大好きは玉に瑕だ。そうだ呪(まじな)いすべ~、死んだ嬶様から聞いた呪いだ、”おはぎよ、おはぎ、嫁が帰ってきて蓋を取ったれば蛙になるだぞ、ええな” これで良し」、お婆さん安心して隣に出掛けました。

 ところが、嫁さんはとうに家へ帰ってきてまして、隣の部屋からお婆さんの様子をジーッと見ていた。「なんて食ら意地の張った婆さまだんべぇの。嫁には一つもやりたくねぇってんで、呪ぃまでして。そんな呪ぃ効くもんか。その手は食わねぇぞ。その手は食わねぇが、おはぎは食うだぞ。(おはぎを食べると)まぁ~、旨ぇの~。おら、畑で草をむしっておっただよ。そしたら、腹具合ぇが悪くなってよ。下っ腹がゴロゴロゴロゴロって。あわてて家へ戻ってきて、はばかりに入ってだだよ。戻ってきてよかったよ。婆は隣でおはぎ食べすぎて、往生すれば良いんだ。このおはぎ残らず食ったって、かまわねぇ。あとで、蛙を入れておけばいいだから。腹一杯皆食べてしまったから、蛙捕まえに行くべ~」。
 嫁さんは空の重箱を抱えると、田圃に行って、嫌がる蛙を片っ端から捕まえると、重箱の中に無理矢理に入れて、蓋をして、戻ってくると、棚の上に置いて、また、裏の畑へ出掛けてしまった。

 婆さん隣から帰ってきて、「線香も上げたし、残りのおはぎを食うべぇ~。あら、なんじゃい、呪い効き過ぎたかな。これッ、わしじゃ、婆じゃ。呪いをかけた婆じゃ。あのな~。嫁が蓋をあけたら、蛙になればええだぞ。わしだから、元のおはぎに戻りなせぇ。元のおはぎに戻るだよッ」、あまりにも大きな声を出したもんで、中の蛙がびっくりしたんでしょう。ピョン、ピョン、ピョン、ピョン。「これ、これッ。そう跳ねるな。アンコが落ちるから」。

 



ことば

原典;熊本県菊池郡の民話。円窓五百噺より。

おはぎとぼた餅;「ぼたもち」は「牡丹餅」と書いて牡丹の花の咲く頃春に食べるもの、「おはぎ」は「お萩」と書いて萩の花のきれいなとき秋に食べるもの。どちらも彼岸頃に食べる物。ものは同じでも言葉が違うなんて、季節感があって素晴らしい。
 以前は、小豆の収穫が秋であることから、あんこにちがいがありました。 秋に食べる「おはぎ」のあんは、小豆の皮が柔らかいために粒あん。 対して春に食べる「ぼたもち」は、秋に収穫した小豆であんを作るため硬い皮を取り除くので、こしあんを使用していました。 ところが今は品種改良などが進み、春になっても皮が柔らかい小豆が出回るようになり、季節によるこしあんと粒あんの違いはなくなったようです。
 この噺は『おはぎ』と言っていますので、秋の噺です。

 こんな噺が有ります。半殺し・皆殺し・手打ちとは・・・。
 『遠方からのお客様を迎えたある宿屋の夫婦が、もてなしのために相談をしていました。 「明日は半殺しにしようか?」、「いいえ、皆殺しが良いでしょう」 その会話を盗み聞ぎしてしまった客人は慌てふためき、逃げ出してしまった』。
 半殺しはご飯のぶつぶつが残るように作られた「おはぎ」。 皆殺しはご飯のつぶつぶがないくらいつぶされた「おはぎ」。お餅の搗き方も同じような言い方をします。あッ、手打ちは・・・、そばの手打ちで、これもヒソヒソと言われたら江戸時代だったら恐いでしょうね。

マクラから。これも新潟の民話から取ったと言います。
 京ヶ瀬村の金淵(かねぶち)と言うところに、昔、善照寺というお寺がありました。そこに変わった釣鐘があって、いい音を出す立派な鐘です。ところが住職が鐘を突かなくても、鳴り出すようになった。「福島潟に行こう~~」。毎日なので住職が怒って、「そんなに鐘淵が嫌なら、福島潟に行けッ」と怒鳴った。すると鐘が落ちて、下の部分をねじって歩き出した。その跡が駒林と言う川になった。鐘は川ッ淵に出て一休みしていたら寝てしまった。その隣では、若い母親が生まれた男の子のオシメを洗っていた。干すところを探したら、隣の鐘を見付け、洗ったオシメを鐘に貼り付けた。オシメに包まれた鐘を置いて母親は家に帰って行った。
 鐘はオシメを着けたまま、福島潟につくと、そのまま福島潟に沈んだ。天気が良いと、オシメを着けたまま浮き上がってきます。日が落ちると沈んでしまいます。評判になって見物人が集まるようになった、その中にオシメを洗っていた母親が居て、「息子のオシメに包まれて~~」、その言葉を聞いた釣鐘が、「チ~ン」。

* 親鸞聖人の従弟善照御坊が、金淵に善照寺を1263年に創立し、その後十一代住職の時水原城主に招かれ水原の山口に移転し手厚く保護されました。 古くから沈鎮伝説として語り継がれてきました。
 浄土真宗八房山 善照寺  阿賀野市山口町1-1-2。
 京ヶ瀬村=新潟県阿賀野市北蒲原郡京ヶ瀬村 JR奥羽線京ヶ瀬駅があります。
 福島潟=新潟市 北区前新田、福島潟、水の公園になっています。

 

 福島潟。国の天然記念物であり旧豊栄市の鳥でもあるオオヒシクイをはじめとする220種類以上の渡り鳥が飛来するため、国指定福島潟鳥獣保護区(集団渡来地)に指定されている(面積163ha)。また、多くの水生・湿性植物などが450種類以上確認されているほか、オニバス、ミズアオイ、ミクリなど全国的にも希少となっている植物の北限の地としても確認されている。このように、多くの自然が残されているため、福島潟は環境省の「日本の重要湿地500」「重要里地里山」、朝日新聞の「21世紀に残したい日本の自然百選」、新潟日報の「にいがた景勝100選」などに選ばれており、さらに「福島潟の草いきれ」として環境省の「かおり風景100選」にも選ばれている。

命日(めいにち);故人が死んだ日に当る毎月または毎年のその日。忌日。

玉に傷(たまにきず);完全で立派な物事の中に、わずかな欠点があること。白璧(ハクヘキ)の微瑕(ビカ)。

呪い(まじない);(多く迷信として) 神秘的なものの威力を借りて、災いを除いたり起したりする術。禁厭。厭勝。符呪。”のろい”と読むと意味が重くなってしまいます。

重箱(じゅうばこ);食物を盛る箱形の容器で、二重・三重・五重に積み重ねられるようにしたもの。多くは漆塗りで、精巧なものは蒔絵(マキエ)・螺鈿(ラデン)などをほどこす。

本望(ほんもう);本来ののぞみ。もとからの志。本懐。望みがかなって満足であること。



                                                            2019年9月記

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