落語「おらが火事」の舞台を行く
   

 

 古城一兵作
 五代目古今亭今輔の噺、「おらが火事」(おらがかじ)より


 

 若い方は旅行ブームだそうでございます。お年寄りや子供衆は観光バスで行きます。

 「宿屋を決めなければ日が暮れちゃうぞ」、「この宿でどうだ」、「玄関が大きいな」、「”山師の玄関”と言って我々の方が懐が良いかもしれないよ」、「長老から『旅行の心得』を借りてきたから、それ見て交渉だ」、「清さんに任したよ」。
 「番頭さん、何だ顔を見てッ、そして全身見て。ひとの品定めをしているな。心得を見ると”履き物を見る”と書いてある。番頭さん、靴見てくれや、本革で新しいんだ」、「好い靴をお履きで。ところで、ご予算の方は・・・」、「待ってくれよ、込み込みで1800円でどうだろう」、「『込み込みと』言うところは旅慣れていますな~。どうぞお入りください。御案内します」。
 「3階の梅の間です。滑りますのでご注意ください。エレベータでどうぞ。こちらです。貴重品はこの袋の中に、宿帳もお書きください。お茶をお持ちしますからごゆっくりどうぞ」、「肌身離さないものでも”入れ歯”はだめだ、夕飯食べられないぞ」、「そうかッ」。
 「お待ちどおさまです。お茶をお持ちしました。どうぞごゆっくり」、「ちょっと、姉~ちゃん待った。非常口は何処だね」、「あいすいません。私の方から言う規則になっていますのに。お廊下に出ていただきまして、右に突き当たっていただきます。そこはお手洗いですから右に曲がって、突き当たったら左に曲がって、その先が大広間、宴会場になりますから、横切って廊下に出て左に曲がり、突き当たりを右に曲がって左に曲がると、非常階段があります。どうぞごゆっくり」。
 「初めて来た宿で道順が分からない。誰か分かったのはいるか? 誰も分からないか。火事になったらどうするぅ~。そうだ”避難訓練”するか。火事だ~、と言えば、誰か来るから手を引いて貰って非常階段を降りて下に着いたら、避難訓練でしたと言えば冗談になるべ~」、「それは良い。訓練やるべ~」、「いや、せっかく温泉にきたんだ、湯に入って、一杯飲んで、飯食って、それからやるべ~」、「一昨年になるか、宿屋が大火事で13人の婦人団体がそっくり骨壺に入ったことが有った。火事は何時起こるか分からない。5人とも骨壺に入って帰るか」、「縁起の悪いこと言うでない」、「一寸先は闇だ、清さんの言うようにやろう」、「終わったら、湯に入って楽しもう。寝た真似して、それからだ」、「火事だ、火事だ、火事だ~」。

 新婚夫婦も宿に着いて、やっとほっとしています。「これからは、どんなことが有っても放さないよ」、「何か騒々しいですよ。『火事だ』と言ってますよ」、「待って下さい、貴方だけ先に逃げちゃ~、私を連れて行って~」。

 「おいおいおい、火事だぞ。麻雀してる場合じゃないぞ。逃げろッ」、「良い手が出来たんだ。待てよ」、「そんな事より逃げろ~」。

 「池田君親切だな~。火事だというのに掛け軸を丸める事無いじゃ無いか。速く逃げろッ」、「ぼ、僕はね、驚くと何か盗みたくなるんだ」、「火事場泥棒みたいなことはするな。逃げろ、逃げろ~」。

 「押さないで下さいよ。非常階段は狭いんです」、「落ち着いて、急いで下さいよ」、「押さないで下さい。将棋倒しになってしまいます」。
 「大変なことになったぞ~。お前が『火事だ~』と怒鳴ったらみんな裸足で逃げ出したぞ。ウソがばれたら、袋叩きになるぞ」、「心配するな。がなったのは俺なんだから。警察でも行くよ。俺が責任取るから心配するな」。
 「おじさん、大丈夫ですか?何処も怪我してませんか?」、「大丈夫だッ」、「怪我もなくて良かったです。『火事だ~』の声は聞こえましたが、火事は何処でしょうね。おじさん、火の元は何処でしょうね」、「火元は俺だ」、「違いますよ。火事は何処でしょうね。おじさん、気を確かに持って下さいよ」。

 「みなさん、私は当家の支配人です。こんな騒ぎになって、本当に申し訳ありません。お詫びを申し上げます。お詫びの印にこれからのお酒は当方が持ちます、ごゆっくり過ごして下さい。誰ひとり怪我人が出ませんでした、これも皆様のお陰です。お礼申し上げます。ところで、『火事だ、火事だ~』とお声を掛けてくれたのはどちら様でしょうか」、「俺だよ、最初にがなっただよ。警察でも行くよ」、「いずれ警察から感謝があるでしょう」、「えぇッ、有り難いというのは・・・」、「調理場からボヤを出しまして、日頃からの訓練で部署に着いた時には、皆様避難が終わっていました。ひとりの怪我人も出さなくて、これもあなた様のお陰です」、「俺が、火事だ火事だ~、とがなったのが役に立ったんだな」、「役に立ったどころではありません。大恩人です。のち程、旦那と私がお部屋の方にお礼に参ります。本当にありがとうございます」、「俺ががなったのが役に立ったのか、そ~言われると恥ずかしいな。顔から火が出るな」、「いいえ、火を出したのは調理場です」。

 



ことば

古城一兵(こじょういっぺい);この噺「おらが火事」の作者。昭和38年NHK落語台本懸賞募集に入選。それ以後、数多くの落語を書き下ろしています。「おらが火事」は昭和41年NHK演芸台本研究会で発表されたものです。まもなく五代目古今亭今輔さんに演じてもらったもの。
 当時、水上温泉で大きな火事(下記説明)があって、多くの死傷者が出た。その話を基に古城一兵が経験も含めて創られた創作落語です。

菊富士ホテル火災(きくふじホテルかさい);1966年(昭和41年)3月11日未明、群馬県の水上温泉にあった菊富士ホテルで発生した火災。
 出火時刻は1966年(昭和41年)3月11日、午前3時半頃。鉄筋コンクリート造、地上3階・地下1階建ての菊富士ホテル新館1階にあった警備室が火元となった。室内で仮眠をとっていた警備員が誤って石油ストーブを転倒。目を覚ました警備員が火災に気付き、消火器を使っての消火を試みるも失敗。部屋を出た警備員はホテルのフロントで火災報知機を作動させ、火事を知らせに別棟の従業員宿舎へと向かった。このとき、玄関を開放したことで建物内に風が吹き込み、延焼に拍車を掛けた。結局、新館のみならず木造2階建ての客室、社長宅など5棟、2,640平方mが全焼。さらに隣接するホテル白雲閣の木造3階建ての建物2棟、1,650平方mが全焼した。
 この火災で菊富士ホテルに宿泊していた219人のうち、30人が死亡、12人が重軽傷を負った。茨城県東茨城郡御前山村(現・常陸大宮市)の葉タバコ耕作組合の団体客が犠牲となった。宿泊客のほとんどは酒を飲んで熟睡中で、炎や煙、臭いで目を覚まし、火事に気付いた。火災報知機は作動していたが、非常ベルの音の大きさは、宿泊客らに火災の発生を知らせるには不十分なものであった。非常口の扉は内側から鍵が掛けられており、避難しようとした宿泊客のみならず、駆けつけた消防士らの行く手をも阻んだ。死者のうち半数の15人は火の手が及ばなかった客室に居たが、煙による一酸化炭素中毒で命を落とした。
 現在、この住所にはリゾートマンションの「サニックス水上壱番館」が建つ。
 同じ年にも大きな事故があった。同年2月8日、東京湾の東京国際空港(羽田空港沖)で起きた全日空のボーイング727-100型機の墜落事故。合計133人全員が死亡し、単独機としては当時世界最悪の事故となった。原因は機体の不具合との意見も有ったが、操縦のミスと言うことで、。原因不明とされた。

宿屋(やどや);旅館という語は中国から伝来した言葉であるが、明治時代になってそれまでの宿泊施設よりもより高級な施設を意味する言葉として使われ始めた。ただし、この語が広く用いられるようになったのは昭和になってからで、明治における宿泊施設の一般的呼称は〈宿屋〉であり、法律上の用語としても宿屋が用いられた。明治時代には警察令による〈宿屋営業取締規則〉があり、同規則によれば、宿屋は、旅人宿、下宿、木賃宿の3種に分類されていた。この噺では、温泉地にある宿屋。温泉を引いている宿屋、を指しています。通常は和式の構造及び設備を主とする宿泊施設のことを指す。日本旅館ともいいます。
 旅館業法(昭和23年7月12日法律第138号)にいう「旅館業」とは「ホテル営業」、「旅館営業」、「簡易宿所営業」、「下宿営業」の4種の営業の総称をいう(旅館業法2条1項)。そして、通常、単に「旅館」と言う場合には、このうちの「旅館営業」すなわち「和式の構造及び設備を主とする施設を設け、宿泊料を受けて、人を宿泊させる営業で、簡易宿所営業及び下宿営業以外のもの」を行う施設のことを指す(旅館業法2条3項)。

政府登録国際観光ホテル・旅館(せいふとうろく こくさいかんこう りょかん)とは、1949年(昭和24年)12月24日に施行された国際観光ホテル整備法(昭和24年12月24日法律第279号)に基づき、観光庁長官が登録を行った旅館やホテルのこと。全国に旅館が1996、ホテルが1127ある。(平成16年度 総合政策局観光地域振興課調べ) 下記の要件を満たしたものが承認される。
 机、いす、クローゼットまたはその代替品を備え、椅子式の生活とベッドでの睡眠に適していること。
  浴室は自由にシャワーの温度を変えられること。
 トイレは水洗式かつ洋式便器であること。
 シリンダー錠(または同等の錠前)、電話機を備えていること。
 ロビーが指定面積以上であること。
 食堂では洋朝食が提供でき、椅子と机があること。
 外国語(主に英語)表記が準備されていること。 外国語(主に英語)が話せるスタッフを雇うこと。 

山師の玄関(やましのげんかん);山師(詐欺師)が玄関の構えを立派にすることから、実質がなくて外観ばかりを立派に飾ることをいう。

旅行の心得(りょこうの こころえ);旅をすることでトラブルや持ち物についての注意書き帳。最近は国内旅行でなく、海外旅行についての注意書きが多くなりました。
 海外旅行では、まずパスポート、ビザについて、そして手荷物やバックについて、飛行機には持ち込めないもの、スーツケースの取り扱い、事故や事件に会ったとき、クレジットカード、海外旅行保険、両替、常備薬、電気器具、洗面道具、お土産等の注意があります。また、その国によっての注意事もあります。
 右、現代旅行の心得。その9が良いですね。

 江戸時代では、『旅行用心集』の中で蘆菴先生が提唱する旅の心得は、実に61ヶ条にもおよぶ。まずは榎並紀行氏 (えなみのりゆき)の旅日記をクリックしてご覧下さい。
 江戸時代の1810年に出版された書籍で八隅蘆菴(やすみろあん)著作『旅行用心集』という旅のバイブルがあります。1.旅行用心集とは/2.東海道、木曽路Ⅰ/3.東海道、木曽路Ⅱ/4.旅の前日/5.持ち物について 6.宿の確認事項/7.毒虫にはご用心/8.馬、駕籠などの手配/9.夏の食べ物/10.ソリの種類 11.雪かきの道具/12.頭巾や帽子/13.履き物その1/14.履き物その2/15.白澤の図/16.旧国名・日本地図 17.足のツボ/18.旅行用バッグ/19.旅行の持ち物/20.日記の書き方/21.天気予報 が書かれています。
 その中に、
一、宿に着いたら、まず第一にそこの東西南北の方向を確かめ、次に家の作りや便所、表や裏の出入り口などを見覚えておくことが必要だというのは、昔からの教えである。これは近くで火事があったり、強盗に入られたり、あるいは宿の中で喧嘩があったりしたときの為である。
一、旅の道連れはせいぜい五、六人程度が良い。大勢で行くのは良くない。人はそれぞれ考えることが違うから、大勢で長旅をすると、きっとうまくいかない者が出てくるものだ。
一、宿にいるとき近くで火事が出たら、早く身支度を整え、身の回りの大切なものを持ち、それから風向きを考えて荷物などを取り出しなさい。(中略)。この様なときは、宿の者の案内を頼りにしないことである。

 

 左、現代版「旅行用心集」八隅蘆菴著 桜井正信・監訳 八坂書房。右、原本と書き出し。

履き物を見る(はきものをみる);旅館だけで無く、客商売でしたら足元の履き物を見ます。『足元を見る』というのはここから来ているのじゃないかと思う程です。この噺のように、新品の靴を見せたり、革靴でビニールは使ってない本革だとか言っています。上衣とちぐはぐな靴を履いていたり、くたびれた靴を履いていたりすると、信用を落とします。
 友人で、デパートで高級品を見せて貰うときロレックスの時計をしていくと途端にサービスが良くなると言います。また、私事ですが過日、車を買い換えたいときに長靴とジャンパー姿で行ったら、けんもほろろにカタログすら貰えなかったことがあります。二度とそのデーラーには行きません。

込み込み(こみこみ);税・サービス料込みの値段。税金でも消費税、入浴税、飲食税が賦課されたり、サービス料として10%乗せられたりしますが、それらの全てを含んだ料金。買い物をして予算内に収まったな、と思ったら消費税が加算されて慌てることがあります。そんなことが無いように・・・。

貴重品袋(きちょうひんぶくろ);昔はそのような袋に入れてフロントの金庫に預けたんですね。自動車の中に忘れ物があって、車のカギも預けて仕舞ったのでフロントまで頭を下げに行ったことも有ります。現在は各部屋に金庫が有ってそこに仕舞うようになっています。

宿帳(やどちょう);これも旅館業法で決まっていて、住所氏名同伴者、どこから来て何泊して何処に行くのかを書き込む帳票。ホテルではフロントで書いてOKが出ると部屋を紹介してくれますが、日本旅館では各部屋に宿帳を持って来ます。

非常口(ひじょうぐち);火災・事故など、非常の場合に避難するために設けた出入口。上層階で有れば非常階段が付いていますので、それを使って地上まで降ります。消防法によって細かい仕様が決まっていて、出入り口の上には『非常口』の照明サイン看板が着いています。下図。

避難訓練(ひなんくんれん);これも消防法で決まっていて、 自衛消防隊を組織して責任者を置いて定期的に訓練を実施しなければなりません。また、その報告書を消防署に提出しなければなりません。

麻雀(まーじゃん);私の若い頃は旅館も観光ホテルでも、貸し出し用に麻雀卓や将棋、碁板は貸し出してくれました。当たり前のサービスでした。また、チョットしたスペースには卓球台が置いて有ったものです。

非常階段(ひなんかいだん);避難階段または特別避難階段の設置義務については、建築基準法施行令第122条に規定されています。非常階段は屋外に露出しているものと、耐火壁に囲まれた屋内階段が有ります。どちらも、屋内から階段に通ずる出入り口には、防火戸を設置し、戸の部分は避難方向に開くことができること。また、階段は耐火構造とし、地上まで直通すること。となっています。
 右写真:屋外の非常階段。

将棋倒し(しょうぎだおし);雑踏の中で一人または数人がバランスを崩して倒れたことによって、周辺の者が連鎖的に転倒する事故。次々と連鎖的に人が倒れる様が遊びの「将棋倒し」に似ていることから、上記の事故に対する慣用的な呼称となった。多くの人が係わることによって発生・被害が拡大する群集事故の一種。階段等の段差部で発生しやすく、段差のある場所で発生した場合、死者が出る大事故になる危険性が高い。転落による衝撃が大きいこと、高低差により下にいる場合は上方の転落者の体重を累積的に受けること、段差の角に体をぶつけること等が原因。

支配人(しはいにん);法律上定められた商業使用人の一。営業主に代り、その営業に関する一切の裁判上または裁判外の行為をなす権限を有する者。マネージャー。番頭。

調理場(ちょうりば);厨房。料理を作るところ。割烹(カツポウ)。



                                                            2019年9月記

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