落語「地獄巡り」の舞台を行く
   

 

 四代目三遊亭円遊の噺、「地獄巡り」(じごくめぐり)より


 

 冥土にも極楽と地獄があるそうです。地獄と極楽はこの世に有るとも言いますが・・・。

 「先生こんにちは」、「世界中を回っていたのですが、ドイツでは医学を教えていただき、100歳までは引き受けます」、「その前に死んだら?」、「寿命と諦めて下さい」、「他では、大人国に行きました。チョット大きい人は雲の間に頭をツッコミ、頭が見えなくなります。小人国は全てが小さい。自在国には通貨がない、酒もビールも汁粉も自然とわき出している」、「本当ですか」、「全て冗談だよ」。
 「この薬を飲むと地獄極楽に行けるんだ」、「では、下さい」、「呑んだかね。我が家の庭を見ていると行けるよ」。

 「ここが安達ヶ原か、暗いところだな」、「わしはここの役人だ。暗いと言うのは何か悪いことをしていたな、懺悔(ざんげ)をしなさい」、「泥棒です」、「友達の家から、時計や座布団などを黙って持って来た。悪いことに交番の前で目覚ましが鳴って、捕まった。無期時計(徒刑)かと思ったら、もらいいサゲが来て無罪になった」。「連れの男は何をした」、「間男なんです」、「相手は誰だ」、「連れの男のかみさんです」。
 「冥土は明るいね」、「冥土の方が娑婆より進んでいるかも知れないよ」、「立派なお屋敷がありますね」、「乃木さんの屋敷だ」、「乃木さんの屋敷は質素だと言いますが、寄付で建てたのですか」、「いや、自腹を切ったんだ」、「向こうに川が見えるが」、「三途の川だ。そこに家が見えるが編み笠茶屋と言ってショウヅカの婆さんの娘がやっている」、「綺麗な女だ。池内淳子のようだ」、「わしはここで分かれる。川向こうは別の役人が来る」。
 「茶屋に寄っていこう」、「いらっしゃいませ。すぐ末期の水を出しますから」、「変な物が出るね」、「お茶菓子に枕団子が・・・」、「やな物が出るね。婆さんはいるのかぃ」、「隠居して孫の世話しています」、「船賃は」、「鬼の船頭がいまして、死んだ病気によって船賃が違います」、「おい、赤鬼が来たよ」、「お前は何で死んだ」、「車が増えすぎて・・・、その心配で死にました」、「81円だ。苦労したので、苦・苦の81だぁ」、「そこの女は」、「産後の肥立ちが悪くて・・・」、「さんし(産死)の12円だ」、「お前は?」、「大腸カタルで・・・」、「ビチビチ36円だ」、「汚いな」、「お前は」、「脚気で・・・」、「脚気(はっけ)ヨイで、タダだ」。
 「ちゃんと乗れ。船がひっくり返ると生き返っちゃうぞ」、「生き返ったら、金持ちの坊ちゃんになりたいな」、「お前達は四つ足だな、それもネズミだな」。

 「着いたから上がれ」、「極楽劇場が有るよ。隣には寄席があるよ。三木助、可楽、円遊の看板が有るよ。円遊は未だ生きているはずだ」、「それは先代だろう」。
 「極楽裁判所の鉄扉だ。正面に閻魔大王だ、見る目嗅ぐ鼻もいるよ。鬼が出て何か言ってるよ」、「新亡者ども入りましょう。お前達は人呑鬼に食われることになる」、「大きいな。ビルに手足を付けた様だ」、「もしもし、私は歯科医で薬を持って来ました。最初に呑まれて、歯に薬を塗ると歯が抜けてしまい、鵜呑みにされれば、腹の中は広いですから、どうにかなります」、「私は内科医ですから腹の中は任せなさい」。
 「人呑鬼呑みなさい」、「今の男が悪さして歯が抜けてしまいました」、「では、鵜呑みにしなさい」。

 「これが腹の中かよ。先生音が聞こえますが・・・」、「心臓の音です。明るいと思ったらヘソが明かり取りになっているんだ。上の方に喉仏が有るんだ。引っ張るとくしゃみが出る」、「鳶ですからアバラを上っていきます」、「下にあるのが腸で、揺すぶると癪が起こります」、「ひもが横に張ってますが、手のスジで、皆で引っ張れば人呑鬼がカッポレ、ステテコを踊ります。細い紐を引っ張るとオナラが出ます。部署に着いたら始めますよ」。
 「ハ、ハッ、ハクション。痛タタッ、腹が痛い。身体が動いて・・・、オナラがブ~。ハクション、痛たた、ブ~。たまらん、亡者どもが腹の中でサーカスを始めた」、「人呑鬼、わしを呑んでくれ」、「青鬼、亡者どもを鎮めてくれるか」、「いや~、腹に入ってサーカスを見物いたします」。 

 



ことば

四代目 三遊亭 圓遊(さんゆうてい えんゆう);(明治35年(1902)2月12日 - 昭和59年(1984)1月9日)、東京都中央区京橋越前堀出身。生前は落語芸術協会所属。本名は加藤 勇(かとう いさむ)。出囃子は『さつまさ』。
 日本橋箱崎の尋常小学校を卒業後、浅草の下駄屋に奉公に出た。その後下駄の行商、陸軍糧秣本廠の臨時工などを経て、大正11年(1922)11月に六代目雷門助六に入門し音助となる。大正13年(1924)春ころに二つ目に昇進し、おこしと改名。大正15年(1926)5月、六代目都家歌六を襲名し真打に昇進。
 その後昭和金融恐慌による経済不況もあって、昭和5年(1930)ころに柳家三太郎として品川区西小山で幇間に出る。その後戦争により花柳界が禁止されたため、昭和18年(1943)に二代目桂小文治の門下で初代桂伸治として落語界に復帰。戦後、昭和21年(1946)に四代目三遊亭圓遊を襲名。落語芸術協会の大看板として、またTBSの専属落語家として活躍した。
 芸風はあくまでも本寸法でありながら、聴衆に大御所風の威圧感を与えない軽快な語り口と独特の艶を帯びたフラで人気を博した。楽屋では同輩、後輩の誰かれとなく語りかけ、賑やかに笑わせていた。笑わされ過ぎて高座に上がれなくなった者もいたという。古き良き江戸の「粋」の精神を体現するかのような存在であった。 得意ネタは『野ざらし』『堀の内』『たいこ腹』『味噌蔵』など。 昭和55年(1980)10月5日に愛弟子の四代目三遊亭小圓遊に先立たれるという不幸に見舞われ高座からも遠のき、引退同然のまま昭和59年(1984)1月9日に亡くなった。81歳没。
 落語「抜け裏」より孫引き

地獄巡り;上方で演じられる落語「地獄八景亡者の戯れ」は1時間以上かかる大作ですが、これを東京風に直した物がこの噺です。持って来たのが初代三遊亭円遊で、代々円遊門下のお家芸です。
 「地獄八景亡者の戯れ」は、天保時代(1830年~1844年)に刊行された小話が原点。旅ネタの代表作のひとつで、三味線や笛などの鳴り物が終始入る上方落語屈指の大ネタ。滅びかけていたのを三代目桂米朝が復活させたもの。桂米朝の名演で、録音が残っています。

乃木希典の自刀;(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 1912年(大正元年)9月13日)は、長府藩士、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く、「乃木神社」や「乃木坂」に名前を残している。
 乃木は、1912年(大正元年)9月13日午後7時40分ころ、東京市赤坂区新坂町(現・東京都港区赤坂八丁目)の自邸居室において、明治天皇の御真影の下に正座し、日本軍刀によって、まず、十文字に割腹し、妻・静子が自害する様子を見た後、軍刀の柄を膝下に立て、剣先を前頸部に当てて、気道、食道、総頸動静脈、迷走神経および第三頸椎左横突起を刺したままうつ伏せになり、即時に絶命した。
 将軍(乃木)はあらかじめ自刃を覚悟し、12日の夜に『遺言条々』を、13日に他の遺書や辞世などを作成し、心静かに自刃を断行した。
 夫人(静子)は、将軍が割腹するのとほとんど同時に、護身用の懐剣によって心臓を突き刺してそのままうつ伏せとなり、将軍にやや遅れて絶命した。



 乃木は、いくつかの遺書を残した。そのうちでも『遺言条々』と題する遺書において、乃木の自刃は西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死である旨を述べ、その他乃木の遺産の取扱に関しても述べていた。

 

 庭から左上に見上げる黒い建物が自宅で、明治天皇を追ってここで夫婦が自刀した。

冥土(めいど);死者の霊魂が迷い行く道。また、行きついた暗黒の世界。冥界(ミヨウカイ)。黄泉路(ヨミジ)。黄泉。

極楽(ごくらく);阿弥陀仏の居所である浄土。西方十万億土を経た所にあり、全く苦患(クゲン)のない安楽な世界で、阿弥陀仏が常に説法している。念仏行者は死後ここに生れるという。極楽浄土・安養浄土・西方浄土・安楽世界・浄土など、多くの異称がある。日本霊異記下「庶(ネガ)はくは、地を掃(ハラ)ひて共に西方の極楽に生れ」。
キリスト教では天国という。

極楽に関した言葉もあります。
○極楽願うより地獄作るな=極楽に往生することを願うよりも、この世で悪因を作って地獄におちるようなことをするな。
○ごくらく‐の‐あまりかぜ【極楽の余風】=気持のよい涼風。「極楽の西風」ともいう。
○ごくらく‐の‐うてな【極楽の台】=極楽にある蓮華(レンゲ)の台。
○ごくらく‐の‐とうもん【極楽の東門】=極楽の東の門。極楽は西方にあり、その東方にある人間世界に対して開いているという。
○ごくらく‐の‐ねがい【極楽の願い】=極楽に往生したいという願い。
○ごくらく‐の‐むかえ【極楽の迎え】=極楽往生を願って念仏をとなえる者の臨終に、極楽から阿弥陀仏が来迎(ライゴウ)するということ。
○ごくらく‐まんだら【極楽曼荼羅】=極楽を絵に表したもの。浄土曼荼羅。阿弥陀浄土図。

地獄(じごく);(梵語 naraka 奈落、niraya 泥梨の訳) 六道の一。現世に悪業(アクゴウ)をなした者がその報いとして死後に苦果を受ける所。贍部洲(センブシユウ)の地下にあり、閻魔(エンマ)が主宰し、鬼類が罪人を呵責(カシヤク)するという。八大地獄・八寒地獄など、多くの種類がある。 反対語、極楽。

地獄に関したことわざにも色々あります。
○地獄極楽はこの世にあり=善悪の行いの応報は、あの世を待つまでもなく、この世でもはっきりとあらわれる。
○地獄で仏=危難の時に思わぬ助けにあったたとえ。
○地獄にも鬼ばかりではない=地獄のような辛い世にも慈悲深い人は居る。
○地獄にも知る人=地獄のような所にも知己はできる。地獄にも知るべ。
○地獄の一丁目=破滅や困難に向かう第一歩。
○地獄の上の一足飛び=極めて危険なこと。
○地獄の馬は顔ばかりが人=心のきたない人をののしっていう。人面獣心の意。
○地獄の釜の蓋もあく=正月と盆との16日は閻魔にお参りする日で、鬼さえもこの日は罪人を呵責(カシヤク)しないの意。殺生の戒めに用い、またこの日を藪入りとして、住込みの雇人にも休養を与えた。
○地獄の沙汰も金次第=地獄の裁判でも金で自由にできるという、金力万能をいう諺。
○地獄の地蔵=「地獄で仏」に同じ。
○地獄は壁一重=一歩道を踏みあやまれば、すぐに罪悪を犯すに至る。

寿命100歳まで;当時昭和47年当時、日本人の平均寿命は、男性70.50歳、女性75.94歳、であったので、ジョークとして、寿命は100歳まで請け負うよと言ったのですが、聞いている方もジョークだと分かっていたので笑っています。しかし令和の時代に入ってくると100歳越えの老人が楽に4万人(平成21年)を越えています。で、ジョークではないのです。そして2017年9月発表で6万7824人。

100歳まで生きられる『条件』は?
  2008年12月18日の日刊ゲンダイの小さな記事で、 100歳まで生きるのに有利な条件とはどういうものかという情報が掲載されていました。
 『米シカゴ大学の調査では、母が25歳以下の若い時に生まれた人は、そうでない人より100歳まで生きる確率が2倍も高い』。 生物学的には、ありうる話だと思います。 というのも、「馬」についての話ですが、 競走馬で「初子は走る」という言葉があるように、 母親が若い時に産んだ子どもが活躍するという傾向があるからです。
 なお、当該長生き要因には続きがあり、『血管を柔軟に保つ働きがあるカテキンを含む緑茶、紅茶の常用者も長生きするが、ペットボトルの茶ではダメらしい』 『1日30分歩く人は、たとえ太っていても長生きする』 『毎日コーラなどソーダ飲料を飲む人はメタボになるリスクが高く、心臓病、糖尿病のリスクが高く、長生きには不利。血圧、コレステロール、糖尿病を抑え、禁煙できれば6~9.5年長生きできる』 など、誰にでも取り組める手法も紹介している。
 100歳長寿の60%は人助けでストレスを発散。また、こちらも日刊ゲンダイ(2010年2月10日)から100歳長寿の傾向に関する話題です。
  『米国の大衆医学雑誌に掲載された研究によると、100歳以上の長寿者の60%以上が、人助けが好きだといっている。それは、人助けが老人にとって、いいストレス解消法だからではないかという。100歳以上の老人と大学上級生を比較したが、大学生で人助けに積極的なのは44%にどまり。 大半は「とにかく大事なのは自分」で「人のことはひとごと」というのが主義であり、長寿者とは対照的だった。長生きしたければ人助け、ということか』。

安達ヶ原(あだちがはら);福島県安達郡の安達太良(アダタラ)山東麓の原野。鬼がこもったと伝えた。(歌枕)拾遺和歌集雑「陸奥の安達の原の黒づかに鬼こもれりと聞くはまことか」。
 また、能のひとつ。安達ヶ原黒塚の鬼女の家に宿泊した山伏が、禁じられた寝室を覗いて害されようとしたが、遂に祈り伏せる。黒塚。
 冥土にある原ではなく、上記にあるようなおそろしい原を指していった。

懺悔(ざんげ);梵語kama  「懺」はその音写、「悔」はその意訳。ザンギサンゲ(慚愧懺悔)と熟して用いることが多かったために、ザンギの影響で濁音化して江戸時代にザンゲとなったかという。 過去に犯した罪を神仏や人々の前で告白して許しを請うこと。日葡辞書「ザイシャウ(罪障)ヲサンゲスル」。
 キリスト教で、罪悪を自覚し、これを告白し悔い改めること。

徒刑(とけい);旧刑法で重罪に科した刑。男は島に送って女は内地で、強制労働につかせた。有期と無期がある。懲役(チヨウエキ)に同じ。

人呑鬼(じんどんき);人を食べてしまう鬼

(おに);想像上の怪物。仏教の影響で、餓鬼、地獄の青鬼・赤鬼があり、美男・美女に化け、音楽・双六・詩歌などにすぐれたものとして人間世界に現れる。後に陰陽道の影響で、人身に、牛の角や虎の牙を持ち、裸で虎の皮のふんどしをしめた形をとる。怪力で性質は荒い。

 

三途の川(さんずのかわ);人が死んで7日目に渡るという、冥土への途中にある川。川中に三つの瀬があって、緩急を異にし、生前の業(ゴウ)の如何によって渡る所を異にする。川のほとりに奪衣婆と懸衣翁との2鬼がいて、渡銭を持たない亡者の衣を奪うという。偽経「十王経」に説く。みつせがわ。渡り川。葬頭川(ソウズガワ)。

池内淳子(いけうち じゅんこ);(1933年(昭和8年)11月4日 - 2010年(平成22年)9月26日)、女優。
  東京市本所区東両国(現:墨田区両国)の塩物問屋の長女として生まれる。1952年(昭和27年)、十文字高等学校卒業後、日本橋三越へ入社。配属された呉服売り場に後の女優・前田通子もおり、そこで2人の美貌が評判となる。1年余り勤めたのちに退社し、花嫁修業のため和裁と料理の学校(日本女子割烹専修学校(現:池袋調理師専門学校))へ通うさなか、「サンケイグラフ」のカバーガールに応募して合格。関係者の目に留まりスカウトされ、新東宝へ入社。偶然にも前田と再会した。清水宏監督の『次郎物語』で姉役を演じ注目される。以来、池部良、宇津井健の相手役として多くの作品に出演する。新東宝倒産後、TVに進出。
 お嫁さんにしたい女優でも上位にランクインし、人気・演技力ともテレビ女優ナンバー1の地位を確立。
 2010年(平成22年)9月26日午後4時21分、肺腺癌のため東京都内の病院で死去。76歳だった。
 右、似顔絵イラスト『池内淳子』。山藤章二画

三木助、可楽、円遊(みきすけ からく えんゆう);冥土にも知る人=どこにでも知人はいるということのたとえ。
 三代目桂三木助;(1902年3月28日〈戸籍上は1903年2月17日〉 - 1961年1月16日)、落語家。本名小林 七郎(こばやし しちろう)。出囃子は「つくま」。NHKとんち教室落第生。日本芸術協会所属だったが最晩年に脱退し、フリーを経て落語協会に移籍。当時まではとりわけて注目もされていなかった、円朝作と云われる落語「芝浜」を独自に練り上げ得意にした。以降、芝浜は夫婦の情愛を美しく描いた名作落語として認識されるようになり、多くの落語家が口演するようになった。
 現在でも三代目三木助のものが傑作と云われることから通称「芝浜の三木助」他にも通称は「田端の三木助」、「隼の七」。
 右、似顔絵イラスト『三木助』。山藤章二画
 八代目三笑亭可楽;江戸時代よりその名が続く。名の由来は「山椒は小粒でひりりと辛い」から「山生亭花楽」としたが後に松戸の贔屓客から「虎渓三笑」の故事に因んで「三笑亭可楽」とした。
 (1897年〈明治30年〉1月5日 - 1964年〈昭和39年〉8月23日)、東京府東京市下谷区(現:東京都台東区)出身の落語家。本名、麹池 元吉(きくち もときち)。出囃子は『勧進帳』。所属は日本芸術協会。文化放送専属。精選落語会レギュラー。『らくだ』、『今戸焼』が絶品。
 右、似顔絵イラスト『可楽』。山藤章二画
 先代三遊亭圓遊;三代目 三遊亭 圓遊(明治11年(1878年)8月18日 - 昭和20年(1945年)3月17日)。本名は伊藤 金三(いとう きんぞう)。得意ネタは『成田小僧』『野ざらし』『明烏』『転宅』『紙屑屋』などが有るが、人気が出ず、幇間として柳橋で活動していた。 疎開先で死去、66歳没。

閻魔大王(えんまだいおう);インドから中国に伝わると、冥界の王であるとされ、閻羅王として地獄の主とされるようになった。 やがて、晩唐代に撰述された偽経である『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)により十王信仰と結び付けられ、地獄の裁判官の一人であり、その中心的存在として、泰山王とともに、「人が死ぬと裁く」という役割を担い、信仰の対象となった。現在よく知られる唐の官人風の衣(道服)を纏った姿は、ここで成立した。 また、中国的な発想では、冥界の主宰者である閻魔王や、十王であっても、常住の存在とは考えられていない。それらの尊格も、生者が選ばれて任命され、任期が過ぎれば、新たな閻魔と交替するのが当然と考えられていた。 よって、唐代や明代に流布した説話にも、冥界に召喚されて、閻魔となった人間の話が見られる。清廉潔白で国家を支えた優秀な官吏が、死後閻魔になったという説話も出来、北宋の政治家・包拯は閻魔大王になったと信じられていた。  落語の中でも、四人を除く全員を極楽に送るということは、優しすぎると言うが、「選挙が近いから」と言う台詞があります。
右写真:深川閻魔堂(法乗院)(ふかがわ えんまどう) の閻魔。落語「地獄八景亡者戯」より孫引き

見る目嗅ぐ鼻(みるめ かぐはな);閻魔の庁にあるという、男女の人頭を幢(ハタホコ)の上にのせたもの。よく亡者の善悪を判別するという。
 右図:地獄絵図の閻魔大王の左右の台上に乗った頭が見る目と嗅ぐ鼻。

喉仏(のどぼとけ);喉の中間にある甲状軟骨の突起した所。のどぼね。喉頭隆起。西洋では「アダムのりんご」という。
 喉頭は思春期の間に、女性よりも男性においてより顕著に成長し、そのため典型的な喉仏は、女性や思春期前の少年少女より成人男性の方がさらに隆起している。この咽頭の成長はまた、十代の少年らの声変わりの原因でもある。甲状軟骨の上縁全体は、甲状舌骨膜によって舌骨とつながっている。 甲状軟骨は、そのすぐ後方に位置する喉頭を保護するのに役立つばかりでなく、喉頭の筋肉の付着する場所としても役立っている。

(しゃく);種々の病気によって胸部・腹部に起る激痛の通俗的総称。さしこみ。
 落語家さんは、「男の疝気(せんき)に女性の癪は持病だ」と言っています。そうそう、落語「花見小僧」で、ここ向島にお嬢さんと徳さんがお花見に来ていて、小僧が買い物から帰るとお嬢様は癪の持病が出て離れで休んでいた。その看病に徳さんが同室していたが、お嬢さんの合い薬は徳さんが一番。落語「やかんなめ」(癪の合い薬)にもあります。



                                                            2019年10月記

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