落語「新助市」の舞台を行く
   

 

 八代目林家正蔵(彦六)の噺、「新助市」(しんすけいち)より


 

 根津の七軒町に医者の山木秀永がいて、たいそう繁盛していた。
 「新助、こちらに入りなさい」、「奥様、ご主人の部屋に飯炊きが入らせていただきます」、「悋気で言うので無いが、ご主人が家に居ない方が多いので、お前が知っているなら女の家を教えて欲しい。また、ご主人のお伴に付いて行って、その家を教えて欲しい」。

 「お帰りなさい」、「飯炊きを部屋に入れるな。これから木場の大宮さんに急用が有って行ってくる。遅くなったら泊まってくる、先に寝るように」、「お伴は?、何かあったら困りますので、連れて行って下さい」、「新助か。しょうが無い、一緒に来い」、「早いもんだ、上野山下だ。茶屋で一息入れていこう。お姉さん、桜湯を下さい」。
 「信州の山奥から来たもんですが、山の中には医者がいません、風邪ぐらいの病なら薬を調合してやりたいと思い、お医者様に奉公に上がりました」、「それは偉い、教えてあげよう」、「薬味箪笥に錠の掛かった引き出しがありますが、あれは何ですか」、「あれは山木に伝わる蒼白譽石(そうはくよせき)という毒薬だ。耳かき一杯飲めば七穴(しちけつ)から血を吐いて死ぬという恐ろしいものだ。どんなことが有っても盛ってはいけない。ところで紙を忘れてきた、買ってきて欲しい」、「紙かね、分かった」、「早く行ってこい。お姉さん、ここに茶代を置くよ」、「木の陰に潜んでいるのも分からず・・・駆け出したよ。ここは何処かな、一つ目の弁天様だ」。

 「旦那、どうしました、急いで・・・」、「お伴は飯炊きの新助だが、小才の利く奴で、巻いてきたが茶を一杯。急いで来たので暑い、障子を開けなさい。・・・、旨い茶だ」。
 ここで塀越しに覗く新助に見つかってしまった。「新助、こっちに入れ」、「お前さんが囲い者か」、「”おすわ”と言う女御だ。決して家内には言うでないぞ」、「わしにもお茶を一杯。口外はしません。やや子も出来て幸せ一杯だ。これで帰ります。木場の大宮さんに送り届けて参りましたと・・・」、「ご主人には一朱貰ったのにおすわさんには1分も貰って・・・。これで帰ります」。

 「ま、お帰り。どうしたね」、「一つ目の弁天様の脇にお囲い者を囲っています。裏で聞いたら、婿に入ったから追い出すわけにはいかない。毒薬蒼白譽石を少しずつ盛って殺すから、そしたら家に入れるからと恐い話をしていました。炭焼きをして、奥様を大事にしますから、一緒に逃げましょう。おらがの在所に行きましょう」、「ありがとう。一つ目に連れて行って下さい。言いたいことを言ってお暇を貰いましょう」、「毒薬蒼白譽石という恐い物が有るからいけないダ。行く道で隅田川に放って仕舞うから出しなさい」。

  悋気の炎(ほむら)で気の立っている奥方を連れて、根津七軒町から佐竹の三味線堀に差し掛かりますと、もう、真っ暗になっています。「新助、道が違わないかぃ」、「ここは本所にも日本橋にも出られるところだ。おかみさん、そんなに急がなくてもイイじゃございませんか。(♪三味線が入る)旦那様はおっ殺すと言いますが、私は炭焼きでおかみさんを養っていきます。たった一晩のお情けを下さいませ」、「嫌らしいことを言うとタダでは済みませんよ」、「かんざしを抜いて目を突こうとするか」、「その話し言葉からすると信州と違いますね」、「新助市五郎という泥棒だ」、「アレ~」、「静かにしろぃ」。持っていた匕首で悪事を重ねる新助市五郎であった。

 



ことば

緑林門松竹(みどりのはやし かどのまつたけ)の噺の一部。圓朝初期の作品。別名「忍岡義賊の隠家」。芝居噺として演じられたという。後にやまと新聞に連載。年齢や年代などの記述はなく、地名についても明確でない。悪党の痛快な活躍を楽しむ大活劇。それにしても次々と登場人物が死んでいく。剣術師天城殺しまでが面白い。彦六の正蔵らにより、新助市殺し、またかのお関など数席が演じられている。

【あらすじ】
 新助市 譽石を奪う(この噺)  新助、七軒町の医者、秀永のお伴。毒薬の在りかを聞き出す。秀永の妻に一つ目の妾宅のことを話し、毒薬譽石を出させる。
 妾のおすわと茶店を開く  本所へ向かった新助、おすわの家の戸を叩いて秀永を呼びます。 七軒町の家に裏から入ると家の中の目ぼしいものが持ち出されて御新造様もいない。 自分の考えではご新造様に男でもいたのじゃないかと思う。一度七軒町のお宅まで戻ってほしいと言います。 秀永は驚き、新助と一緒に家に帰って新助に門を開けさせますと屋内は新助の言った通り散らかったまま。 急いで来たので水を一杯ほしいという秀永に新助が水を飲ませますと、秀永はにわかに苦しみだし、口から血を吐いて亡くなります。
  新助は、秀永の着物を剥いで自分が着て頭巾もかぶって本所へ向かいます。 おすわの家に来た新助。おすわは秀永が来たものと思って中へ入れ、新助は座敷でおすわと酒を飲み、やがて枕を交わします。 新助が布団の上にあぐらをかいて煙草を吸っていると、赤子が泣き出し、目を覚ましたおすわが子に乳をやり、秀永は布団の上で煙草を吸うようなことはしないはずと見ると、秀永ではなく昼間に来た新助。 俺は泥棒だ。旦那を殺してこっちへ来た。枕を交わせば女房同然、俺と一緒に江戸を離れないか、嫌だと言ったら赤ん坊を殺すと迫ります。 おすわは子供を助けてくれるなら、お前の言うことを聞きますと承知をします。
 二人は夜が明けるのを待って江戸を出て、八丁畷(はっちょうなわて)原之郷(神奈川県川崎市)で茶店を開いて新助も真面目に働き、日々の生活に困らないほどに繁盛していました。 ある日、年寄りと若い娘の二人連れが店に来て、駕籠屋が酒手をせびって仕方がないと聞いた新助が駕籠屋を追い返します。 店に入った二人に茶を勧め、江戸から来た鳥越で手習いの師匠をしていたと聞くと、自分は安倍川町の魚屋の息子の新助で、先生に習ったと言って逗留を勧め、蒼白譽石の毒を盛って年寄りを殺します。
 茶店からの逃亡  おすわは、子供に本当の父親は医者で今のは本当の父親を殺した仇だと教え、二人が脇差しを持って突き刺そうとしたところ、新助が寝返りをうって脇差しは畳を通して根田まで刺さってしまいます。 起きた新助、よくも俺の寝首を掻こうとしたなと言い、子供に何でも買ってやろからと言って刀を持ってこさせ、子供とおすわを斬り殺します。
 そこへ戸を叩いて源次が飛び込んできます。行灯に火を入れて二人の死骸を見つけて驚きますが、新助は俺を仇と狙ってきたので斬ったが気にすることはないと言い、お前の慌てているのは何だと聞きます。 源次は本所からの捕り方が二十人ばかり集まって新助を捕まえにきたから早く逃げろと言います。 源次にむすびを作らせ、旅支度を済ませた新助は、赤城山に逃げるからはぐれたら荒神の入り口で待っていろと言って源次を裏口から出します。 雨戸を開けて出ようとした源次を捕り方が囲みますが、源次は道中差しを抜いて振り回して逃げ、新助も表から出て捕り方を振り切って闇にまぎれて逃げてしまいます。
 回り回って江戸へ帰った新助、悪仲間の按摩幸治のところへ世話になり、流しの按摩として暮らしだします。
  またかのお関  剣術使いの天城豪右衛門、遊女常磐木に振られ通し、腹いせに身請けを計画。まぶの惣次郎と心中まで計画。平吉、見かねて250両の証文を渡す。惣次郎、下谷の女占い者、実はまたかのお関の二つ名の悪女を尋ねる。まんまと美人局にあい証文取られる。平吉、証文を取り返しに行く。旧知のお関といい仲に。按摩に化けた元夫の新助が訪ねてくる。お関、毒薬を奪い、酒に入れて新助を毒殺。60両(円生は75両)奪う。
 落語「またかのお関」に詳しい。
  按摩幸治 次回公開) 清三郎、伯父甚蔵におなつと縁談の取り持ちを頼む。おなつの兄の花蔭、承知。
 お島、女中のおさきと湯に。おさき、お島がなくしたカンザシをおなつの衣類から見つけ、泥棒呼ばわり。これは、おなつに懸想した質屋の番頭藤七が、おさきに頼んで仕組んだこと。按摩幸治が、それを見破り金の無心。

蒼白譽石(そうはくよせき);三酸化二ヒ素(さんさんかにひそ)、または三酸化ヒ素は化学式 As2O3 で表されるヒ素の酸化物である。無味無臭。常温常圧では粉末状の白色固体。毒性が強く、かつて害虫やネズミの駆除などに使われた。水溶液は虫歯や白血病治療薬にも用いられる。両性酸化物である(酸とも塩基とも反応する)が、水に溶かすと水和して亜ヒ酸 (As(OH)3) となり、弱酸性を示す。また、単に三酸化二ヒ素のことを亜ヒ酸と呼ぶこともある。毒殺の手段としても利用された。

 16世紀頃からヨーロッパでも毒殺に利用された。無味無臭で水溶性が高く、検出する手段がなかったため、ワインやビールに混入して飲ませることで、当時としては完全犯罪に近い犯行を可能にした。 フランスなどでは、遺産相続に絡む係争でしばしば用いられたため「遺産相続毒」などとも呼ばれた。ナポレオンも亜ヒ酸によるヒ素中毒で死亡したと言われている。
 同じヒ素系で「石見銀山」も猫いらずのねずみ取りとして有名でしたが日本語として「譽石」(よせき)のほうが怖い気がしますが、中身は同じです。落語「心中時雨傘」にも出てくる、猛毒です。

 石見銀山ネズミ取り;(いわみぎんざん-)江戸時代、石見国笹ヶ谷鉱山で銅などと共に採掘された砒石(ひせき)すなわち硫砒鉄鉱(砒素などを含む)を焼成して作られた殺鼠剤(ねずみ捕り)であり主成分は亜ヒ酸。単に「石見銀山」や「猫いらず」とも呼ばれ、広く使われた。実際の「石見銀山」では産出されなかったが、その知名度の高さにあやかるため「笹ヶ谷」とは呼ばなかった。毒薬として落語・歌舞伎・怪談などにも登場する。
  砒素化合物は一般に猛毒であり、毒物及び劇物取締法により厳しく取り締まられ、幼児・愛玩動物・家畜などが誤食すると危険なため現在では殺鼠剤としては使われていない。また笹ヶ谷鉱山は既に廃鉱となっている。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
  ヒ素の化合物(As4O6)はいずれも有毒で、致死量は0.1g(1円アルミ貨の1/10)と言われる。
 落語「心中時雨傘」より孫引き

風眼(ふうがん);新助が失明したというくだりがありますが、淋菌性結膜炎のことで淋病の菌が眼に入って起こり、膿が止まらず角膜が侵されて失明に至る性病の一種として、当時は梅毒と並んで恐れられていた。東海道中膝栗毛3にも、「十年ばかしもあとに風眼とやらを患ひおりまして」。

飯炊き(めしたき);台所で飯を炊いたり、薪割りしたり、力仕事を主な仕事とする地方出の雇われ男。

根津の七軒町(ねずのしちけんちょう);池之端七軒町。上野不忍池西側の町。現・台東区池之端二丁目あたり、落語の舞台として登場する。
 落語「阿武松」では、阿武松は根津七軒町の親方、錣(しころ)山喜平次の部屋に改めて入門した。
 落語「猫怪談」では、上総屋という質屋の土蔵の釘にかかった仏様があった。
 落語「穴釣り三次」、三次は植木屋九兵衞(くへえ)という者だから直ぐ分かると、誘い出す。
 落語「真景累ヶ淵」、五十六七になる鍼医(はりい)・皆川宗悦が住んでいた。真景累ヶ淵の発端。
 落語「心中時雨傘」、根津神社から下谷まで帰ってくるお初さんが通る道筋。

上野山下(うえのやました);上野公園下(JR上野駅南側=当時は寛永寺山下)を言った、里俗で言われた町名。

桜湯(さくらゆ);塩漬にした桜の花に熱湯を注いだ飲物。「茶を濁す」意から茶を忌む婚礼の席などで用いる。

薬味箪笥(やくみだんす);漢方医が種々の薬を入れておく箪笥。小さい引き出しがたくさんある。百味箪笥。

 

「医者」三谷一馬画 先生のところに薬をもらいに来た人が並んでいます。部屋の奥には薬棚が並んでいます。 

七穴(しちけつ);人間に空いている七つの穴。目、鼻、口、耳、臍、生殖器、肛門の七つ。

一つ目の弁天様(ひとつめ べんてんさま);一つ目は隅田川東側の本所・竪川に架かる最初の橋。以下東側に六の橋まである。その橋を渡る道を一つ目通り、二つ目通りと呼ぴ、以下六つ目通りと言います。
 その一つ目橋の南側に惣録屋敷に弁天社があります。江戸時代、江戸にあって関八州とその周辺の座頭を支配した、検校の座順の最古参の者。執行機関として惣録役所が置かれた。関東総録(惣録)と言いその屋敷。将軍の病を治したことから「何か褒美を取らせる」と言ったところ「ひとつ、目が欲しい」と言ったところ、元禄5年(1692)本所一つ目に土地を拝領、杉山和一検校が取り仕切った。敷地には江ノ島の弁天様を勧請して祀られています。現在も有ります。下図;明治東京名所図会より

 

囲い者(かこいもの);別宅に住まわせておく妾。かこい女。

在所(ざいしょ);生れ故郷のいなか。郷里。村里。いなか。ざい。

佐竹の三味線堀(さたけの しゃみせんぼり);現在の台東区小島1~2丁目西側にあった堀。三味線の形をしていたのでこう呼ばれた。その西側には佐竹左京太夫の屋敷があった。現在、佐竹商店街になっている。不忍池から流れ出た忍川が三味線堀に落ち込み、その後鳥越川となって隅田川に流れ出た。

匕首(あいくち);鍔(ツバ)がなく、柄口(ツカグチ)と鞘口(サヤグチ)とがよく合うように造った短刀。九寸五分(クスンゴブ)。合口・相口とも書く。

 右写真;星梅鉢紋散合口拵(ほしうめばちもんちらしあいくちこしらえ)、中身:短刀 銘備州長船住清光 江戸末期 江戸東京博物館蔵。


                                                            2019年12月記

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