落語「除夜の雪」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「除夜の雪」(じょやのゆき)より


 

 「寂しいものは?」と言う例えに「寺の正月」と言うのがございます。お寺によりますわな~、大阪の天王寺さんやとか金龍山浅草寺、成田山新勝寺やとか、あ~言うお寺はお正月はいっぱい参詣人が詰めかけますが、町中の小さいお寺なんか、ま~静かでしょ~なぁ~。やっぱりこの年の暮れ、除夜の鐘を撞かんならん晩になりますと活気が違いますわな。平生は庫裏なんてのはひっそりとして、夜が更けたら滅多に人も出入りしませんが、囲炉裏がありまして、そこにガッガッガッと炭をおこして、大勢寄って勇みだっています。

  「おい、珍念(ちんねん)ッ、炭もっと放り込めッ」、「せやけど、これ夜中まで持たさんならんけど、もう炭あらしません」、「かまへん。それぐらいやらしてもらおやないか。ここの住職ケチだからな~。景気よう放り込め、今日は『ボンパラ』やらんならんねや」、「ボンパラって何でんねん?」、「雪の大晦日ボ~ンと鐘撞くやろ、ほな鐘楼の上に綿帽子みたいになってる雪がパラッと落ちるねん。ボ~~ン、パラッ、で『ボンパラ』っちゅうねん。わしが名前付けたんや」、「悦念(えつねん)お前は一月の末頃に来たんやさかい、珍念(ちんねん)はまだ来てから三月(みつき)や。わしな~、この寺へ来てから十一年なんねやで、このところ毎年わしゃ一人や。ここの和尚がケチやろ、続かんねんみな。『こんな厳しい修行すんねやったら、ちゃんとした大寺で修行する』ちゅうて、みな行てまうねん」。
 「やっぱり百八つ撞きまんのか?」、「そうやがな、十(とうお)毎にな、藁すべでも木の小枝でも何でも並べていくねん、数取りしながらな」、「きっちり撞きますのか」、「この近所にまた暇なやつがおってな~、勘定しとんねん。正月寺へ来て『おっすぁん、夕(ゆん)べの鐘八十五より鳴りまへなんだでェ』言いやがるさかいにな~、もう手え抜くわけにもいかんねや。炭もっと放り込め。この安もんの炭は直ぐ無くなってしまう、もうチョットいい炭ないかな~」、「あのう、兄弟子さん。こっちの炭使いましょうか」、「堅炭やないか」、「住職が使っている炭櫃(すびつ)からいっぱい持ってきましたんや」、「よくやった。これなら除夜の鐘まで持つわ。悦念、しっかりした弟弟子が来たぞ」。
 「茶、一杯入れてくれ。これ茶かい、これ? 臭いも味も何もせぇへんがな、色だけだ。こんなもんで眠気は覚めんで。ケチな住職だが、檀家が金持ちばかりだから金はぎょうさん持っているんだ」、「あの~、兄弟子さん」、「何や珍念」、「このお茶やったら、どんなもんでっしゃろ。おっすぁんが使いはる上等の煎茶の・・・」、「煎茶どころか玉露やないか。悦念、もうじきこいつに追い越されるぞ。急須を持ってこい急須を。ほんでな、別の器にその熱いお湯を入れて冷ましとくねん。こんなもんじっくり入れなんだら玉露の値打ちも何もあらへんねや」。
 「菓子も何もあらへんやろ。ケチやさかいな~」、「あの~、兄弟子さん」、「わしゃもう恐わなってきたで、今度は何が出てくんねん」、「お菓子やないんですけどな、こんなもんどないかいな思て・・・。丸干しでんねん、これ。おっすぁんが寝酒呑むときにいっつも、これ火鉢であぶりながら酒の肴にしてはるやつ。三本だけ持ってきましてんけど・・・」、「恐ろしい弟子が来たな~、三月や、気が利くけど・・・。こんなもん火に放り込んだら臭いがバ~ッとなる。大晦日てなもんは夜が更けてからでも誰が入って来るや分かれへんねん、大晦日はちょいちょい人が来んねん、そんなことしたらあかん。寺の魚の焼き方っちゅうやつ、わしが教えたるさかいな・・・。あのお布施を包む紙があるやろ和紙の、なるべく分の厚そぉなやつを三枚持ってこい。丸干しでも目刺しでも、焼きようがあんねや。水の入ったバケツこっち持ってこい・・・、こっちかせ。あのな~、わしとおんなじようにしぃ。この紙へこの丸干しを乗せてな、きっちりと包むねん。おんなじようにやれ。これをこの水の中へ漬けて十分に湿らしといて、ギュッと絞って、火の上へ置くのや。こうやったら臭いが外へ漏れん。な、黒ずんできたやろ・・・。和紙が水吸い込んでるさかいメラメラッと燃え上がるようなことはないわい・・・。もうええやろ、急須へ湯入れ、で注げ。注ぎ足してまた、次入れとけ。もうええやろ・・・、アチチッ、こうやるとな、中で丸干しが蒸し焼きになってんねん、ホカ~ッと湯気立ってる。その黒ろうなった紙、火ん中放り込んだらなんにもならへんがな。臭い吸った紙だから別に捨てんねん。珍念、お前のお陰や、生き返ったわしゃ、えらいやっちゃなぁ、こいつわ・・・。これで人心地が付いたわい」。

 「あの~、今晩は・・・。おじゃまをいたします」、「こらまぁ、伏見屋の御寮人(ごりょん)さんだすかいな。お道の悪い中、また何ぞご用で?」、「えらい夜分におじゃまをして、すんまへん。前にお借りしとりました提灯を、お返しせないかんいかんと思て気になっとりました、年内にお返しできてやれやれ・・・」、「そんなもん、いつでもよろしかったのに。またこんなお道の悪い中を・・・、丁稚さんにでも・・・」、「これで気が片付きました、結構でございました。どうぞご住職によろしゅ~お伝えのほどを、皆さんどうぞ、えぇご越年を・・・」、「へ、住職に申し伝えます。気い付けて帰っとくれやっしゃ。どうぞよいお年をお取りくださいますように、ごめんやす・・・」。

 「御寮人さん、気の毒な人やねんで。やつれてたやろ・・・。今の旦那が見そめてな~、気に入って『どうでもあの人を嫁にもろてくれ』。お母はん、あの姑さん反対やがな。あんまりええ家やなかった、貧乏な家やったらしいわ、『そんなとっから嫁もらうわけにはいかん』ちゅうのを『どうしてもあの娘(こ)やなかったらいかん』ちゅうて頑張って、嫁入りしたんやけどな。親旦那が生きてる内はまだ良かったんやけどな、先代さんが死んでしもたらもう、あのお婆んすることあれへんがな、嫁いびりにかかりっきりや。近所でもえらい噂やったで、箸の上げ下ろしにまで『あぁえらいとっから嫁もろた。これやさかい貧乏人の娘は・・・』とか、『だいたいおまはんら家へ来られる身分やない』とか、もう言たいこと言って、あの近所の家行くとその噂で当座持ちきりやった。
 孫ができたらちょっと変わるやろと思たけど、孫は可愛いないこともないらしいけども、嫁はんには『あんたらいつ帰ってもろても構わんのじゃ、気に入らなんだら明日にでも出て行けッ』、ちゅうておんなじ調子。な、顔色悪いやろ、気の毒な人やであの人。そ~言う縁組むもんやないな~、『釣り合わぬは不縁の元』っちゅうけど、無理ないわいな。世間の人間は玉の輿に乗ったように言てるけどな、針のむしろやで。またあのお婆んのほうは達者やな~、気の毒なけど、まだしばらくは苦労やでな~」。

 「兄弟子さんッ!」、「大きな声で、何じゃい?」、「今、本堂で鉦(かね)がカ~ンちゅうて鳴りましたなッ」、「鳴ったな~」、「おっすぁん、お勤めでもしてはりまんねやろか」、「そんなことするかいな。奥の座敷で銭勘定してるんや」、「誰が・・・」。「檀家で誰か死んだなぁ・・・、正月早々葬式か」、「何でだんねん」、「誰れもおらん本堂の鉦が鳴ったり、木魚が鳴ったりするときは檀家に死人が出たときや。わしゃ、なんべんか聞いてるで。嘘やと思うんなら、外へ出て見てみい。うちの本堂は下駄履かな行かれへん、あの階段の上に履きもんが脱いであるかどうか見たら分かるやろ。何にもないやろ。そう言うことがあるんやて・・・。綺麗なな~、びっしり積もって、うちの境内とは思えんがな。晴れてきたやないか空、星が出てるやないか・・・」。
 「兄弟子さんッ」、「なッ、何ちゅう声出すねん」、「ふ、伏見屋の御寮人さんの足跡がない」、「どこ通って来るにしても、足跡がなかったらいかんねんやが・・・、ほたら今のは・・・。戸を閉めよ、あぁ~~ッ、もっと炭放り込め、炭放り込め・・・。珍念、お前真っ青な顔してるな。寺で修行してたら、いろんなことあるわい。いちいちビックリしてたらお前、坊主にはなれんぞ・・・。あぁ~、ほな最前来はったんは・・・」。

 「(コンコン、コンコン)今晩は、今晩は」、「ど、どなただんねん?伏見屋の藤助はん、何だんねん」、「えらいことが出来た・・・、うちの若い御寮人さんが死なはった。それもただの死にようやないで。首吊って死にはった」、「い、いつ頃のことだんねん?」、「分からん。見つけたんが一時間半ぐらい前のこっちゃが・・・、もう大騒ぎやがな。じきに医者呼んできて診てもろたけど『もう手のほどこしよぉない』ちゅうねや・・・。こらなぁ、うちの姑はんがいびり殺したんだっせ。もうこのところまたひどかったさかいな。わてら奉公人や、女衆(おなごし)も丁稚もみな『糞ッ、この婆ァ、どついたろか』と思うぐらい、ムカムカするぐらいのいびりようやったさかいな、思い切ったことしはった・・・。お医者はんが『こら変死やさかい、お上に届けないかん』言うのを、旦那が頼み込んで『まぁ、何とか普通の死に際にしといてくれ』ちゅうて、内々にっちゅうことになったらしいけど・・・」。
 「最前、御寮人さん、ここへ来はりましたんや。つい最前、この提灯を『年内にお返しせないかん』ちゅうて持ってきはった」、「あッ、頼まれてたんや『これお寺へ返しといて』っちゅうて。忘れてたもんやさかい・・・、持って来はった? お別れに来はったんだっせ。このお寺へ来るんだけが、あの人楽しみやったんや・・・。あのえげつないお婆んもな、寺参りだけは止めなんだ。月に一遍か二遍、ここへ来て、それが息抜きやったんや・・・。腹が立つことが何遍も有った。今日も死人の枕元で『恥さらしな事してくれた。家の暖簾にドロを塗った。こんな嫁もらうんじゃ無かった』とか、散々に言いますのや。『死んでくれて良かった。息子には今度良いところから嫁をもらいます』、どうです、この言い方。あの婆が生きている間、誰が来ますかいな。そしたら、布団がムクッと動いたんです。さすがの婆さんも顔色が変わった。仏さんがまた動いたので、あの婆さんが目を回して倒れた。布団をはいでみると一つ半の子供が親の死が分からず、添い寝をしているんです。わしゃな~、娘なんかないけれども娘があっても、えぇとこだけは嫁にやりたいことはないな。おっすぁんによろしくお伝えください。正月に葬儀は出来ないでしょうから・・・、改めて参ります」。
 「除夜の鐘が鳴りだしましたな」、「えぇ、悦念と珍念が走って行きましたんや」、「そうですか。ここに提灯、あすこに釣鐘。釣り合わぬのが不縁の基だんな~」。

 



ことば

提灯に釣り鐘(ちょうちんにつりがね);提灯と釣鐘は、どちらも同じような形でつり下げて使うものだが重さや大きさなどがまったく異なることから、外見は似ていてもまったくつり合わず、比較にならないこと。
 かつては縁談などで身分が不釣合いなことに多く使われたが、今は身分だけでなく、不釣合いな物事全般に使われることば。
 Can a mouse fall in love with a cat? (ハツカネズミと猫が恋仲になることなんてあるかい?)

除夜の鐘(じょやのかね);日本仏教にて年末年始に行われる年中行事の一つ。12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞(つ)くこと。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。
 百八つ撞く:百八煩悩=諸説あるがその内のひとつ、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根にそれぞれ六つの煩悩があって三六、これらをそれぞれ過去・未来・現在に配して計一〇八とする。一般には、おびただしい人間の心の迷いのこと。
 他には、四苦八苦(4×9+8×9)という俗説が有りましたが、まさに諸説紛々です。具体的に108つの煩悩を挙げるよりも、百八という数は、「いわゆる沢山という意味」だと理解すればよいでしょう。

 「除夜」とは、「除日(じょじつ)の夜(大晦日の夜)」を指します。 「除」という言葉は、古いものを捨てて、新しいものやことを出迎えするという意味があります。 その年の最後、そして新しい年を迎える日となる大晦日は「除」の日となるので、「除日」 とされています。 この事から、「除夜」とは大晦日の夜の事を言います。

 上野寛永寺の鐘撞き堂。1月2日では除夜の鐘の喧噪はありません。

大阪の天王寺(てんのうじ);大阪府大阪市天王寺区南部と阿倍野区北部の地域名称。特に近隣するミナミの難波とは大阪市街の南玄関としての機能を二分する。繁華街の他にも天王寺公園や大阪市天王寺動物園、四天王寺といった観光地としての表情も併せ持っており、老若男女を問わず賑わいを見せている他、周辺には学校も多く文教地区としての側面もある。
 四天王寺(してんのうじ=大阪市天王寺区四天王寺1-11-18)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音(ぐぜかんのん)である。『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。
 四天王寺については落語「天王寺詣り」に詳しい。

 

 左、天王寺、境内。 右、鐘撞き堂。

金龍山浅草寺(せんそうじ);東京都台東区浅草二丁目3番1号にある東京都内最古の寺である。山号は金龍山。本尊は聖観世音菩薩。元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950)に独立し、聖観音宗の本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている。

 東都金龍山浅草寺図 (魚屋北渓画、文政3年(1820))

成田山新勝寺(しんしょうじ);千葉県成田市成田にある真言宗智山派の仏教寺院であり、同派の大本山の一つである。山号は成田山。山号を付して「成田山新勝寺」、あるいは山号のみで「成田山」と呼ばれることが多い。本尊は不動明王で、当寺は不動明王信仰の一大中心地である。そのため、成田不動、お不動さまなどといった通称でも広く親しまれてきた。開山は平安時代中期の天慶3年(940)と伝えられる。寺紋は葉牡丹。 江戸時代を通じて12回の出開帳が行われた記録がある。歌舞伎役者の初代市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなどもあいまって、成田不動は庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んとなる。
 参詣者数において関東地方屈指の寺である。初詣の参拝客数は、2006年に約275万人、2007年に約290万人を数えており、社寺としては、明治神宮に次ぐ全国第2位(千葉県内第1位)、寺院に限れば全国第1位の参拝客数である。今も昔も加持祈祷のために訪れる人が多いことでも知られる。成田国際空港に近いことから、外国人観光客にも人気がある。
 落語「寝床」で、成田山を歩いていますので、境内の写真が有ります。

  

  成田山案内所で配布している紹介パンフレットより

庫裏(くり);寺の台所。庫院。転じて、住職や家族の居間。

囲炉裏(いろり);地方の民家などで、床(ユカ)を四角に切り抜いてつくった炉。地炉。
 右図、広辞苑から囲炉裏。

藁すべ(わらすべ);わらしべ。稲わらの芯。また、わらのくず。わらみご。

おっすぁん;『大阪ことば事典』には、坊さん。和尚さんの約訛とあります。

堅炭(かたずみ);堅くて、火力の強い炭。ナラ・カシ・クリなどを原料とする。荒炭。

丸干(まるぼし);魚などを開いたりせず、そのまま天日干しや機械乾燥などで乾燥させた乾物を指す。 イワシやサンマおよびそれらの稚魚、イカ、小アジ、カレイ、カマス、タラなど、比較的小型の魚が適し、乾燥によって保存性や食味を増減する為に多く行われている加工法でもある。生干し(一夜干しなど十分に干さない状態の魚介類など)と比べて、魚の脂の味が強く感じられるため、好みが別れやすい。

玉露(ぎょくろ);製造法上の分類としては煎茶の一種であるが、栽培方法に特徴がある。茶でテアニンは根で生成され、幹を経由して葉に蓄えられる。テアニンに日光があたるとカテキンに変化する。すなわち、玉露の原料となる茶葉は、収穫の前(最低二週間程度)日光を遮る被覆を施される。これにより、煎茶の旨味の原因とされるテアニンなどのアミノ酸が増加し、逆に渋みの原因とされるカテキン類(いわゆるタンニン)が減少する。また、被覆により特徴的な香り(覆い香)が生ずる。このような栽培方法は碾茶と同様であるが、すでに安土桃山時代に行われていたとの記録がある。
 「玉露」の名前は、製茶業者山本山の商品名に由来。天保6年(1835)に山本山の六代目山本嘉兵衛(徳翁)が、宇治郷小倉の木下家において茶葉を露のように丸く焙り、これが「玉露」の原型となった。現在は棒状に焙っているが、これは明治初期に製茶業者の辻利右衛門(辻利)によって完成された。 宇治・八女・岡部が有名。

お布施を包む紙(おふせをつつむかみ);僧に施し与える金銭または品物で、裸では渡せないので包み紙に包む。その紙。

鉦や木魚(かねや もくぎょ);は下に伏せて置き、撞木 (しゅもく) で打ち鳴らす金属性の仏具。たたきがね。ふせがね。鐘(かね)は、釣鐘(つりがね)、撞鐘(つきがね)の総称。時刻を知らせるために打ち鳴らす。梵鐘 (ぼんしょう) ・半鐘や教会などの釣鐘にもいう。「鐘をつく」「除夜の鐘を聞く」。
 木魚:読経をするときに打ち鳴らすことで、リズムを整える。また、眠気覚ましの意味もあり、木魚が魚を模しているのは、眠るときも目を閉じない魚がかつて眠らないものだと信じられていたことに由来する。 禅宗や天台宗、浄土宗などで用いられる。小さな座布団状の台の上に置かれ、先端を布で巻いたバチで叩くと、「ぽくぽく」という感じの音が鳴る。

左、鉦(伏せ鉦)と撞木。 右、座布団に乗った木魚とバチ。自性院本堂にて

御寮人さん(ごりょんさん);商家など中流家庭の若奥様や娘の称。

丁稚(でっち);商家の雑用を主にこなす新人男社員。上方では丁稚と呼び、江戸では小僧と呼んだ。

姑さん(しゅうとめさん。しゅうとさん);夫の母。しゅうとめ。「姑舅(こきゅう)/舅姑(きゅうこ)」。
 嫁いびり:結婚すると女性が男性の家に嫁ぐことが当たり前だった時代に「お嫁さんが嫁ぎ先の母を指す言葉」として定着したという経緯から、「お嫁さんと対立する怖い存在」としてのニュアンスが今でも残っています。 「姑の気にいる嫁は世が早い」(姑に合わせると嫁は早死にする)、「姑の涙汁」(《姑は嫁に対して同情の涙をめったに流さない意》から非常に少ないもののたとえ)などのことわざからも、嫁に厳しく苦労を強いる存在としての姑のイメージが昔から定着していたことが分かります。今でも既婚女性とその夫の母との対立を「嫁姑論争」と言ったりします。
 「小姑一人は鬼千匹に向かう」など、「姑」と同じような意味で「嫁と対立する怖い存在」としてことわざで使われることの方が多いようです。

女衆(おなごし);女たち。女中。下女。

原作:永滝五郎(ながたき ごろう);1920(大正9)年2月8日~1990(平成2)年。 放送・構成作家。演芸(新作落語)作家。小説家。元日本放送作家協会幹事。 長男は行政書士・税理士・不動産鑑定士の永滝憲治氏。次男はフランス音楽・映画評論家、翻訳家の永瀧達治氏。外人タレントの先駆けフランソワーズ・モレシャンは次男の妻。 本名 永瀧尭憲(ながたきぎょうけん)。 大阪市出身。 山梨県祖谷学院(現身延山大学)卒。 生家は日蓮宗寺院。 1946(昭和21)年 大蔵省財務局、国税庁人事課、税務大学校教育官などを歴任。 1950(昭和25)年 「簿記講座」(NHK)台本を数人で執筆したことをきっかけに文筆・作家活動に入る。
 上方で「新作落語研究会」の中心となった落語作家で、桂米朝が演じる「除夜の雪」は有名です。大阪市港区磯路に音明寺というお寺があるのですが、彼はこの音明寺の十八世住職。昭和23年に退職し、昭和32年より執筆活動に。
 落語の「まめだ」。 これも昭和生まれの新作で、傑作中の傑作です。三田純市が桂米朝の為に書いた噺。 

 


                                                            2019年12月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system