落語「堀川」の舞台を行く 三代目林家染丸の噺、「堀川」(ほりかわ)より
■三代目林家染丸(はやしや そめまる);明治39(1906)年~昭和43(1968)年 享年63。
昭和7年、二代目染丸に弟子入りして染五郎(後に染語楼)となる。当時は上方落語の低迷期だったため若手が定席に出ることは難しく、消防署職員と落語家の二足のわらじを履きながら修行を続けた。昭和27年、師匠が没したのを機に落語家として芸に専心することを決意、翌年8月、寄席・戎橋松竹にて三代目染丸を襲名した。昭和32年の上方落語協会設立にあたっては初代会長に就任、後進育成にも尽力し、弟子には故・四代目小染、四代目染丸らがいる。満面笑みを浮かべた「えびす顔」で人気を得て、毎日放送「素人名人会」の審査員としても親しまれた。出囃子は、「たぬき」。得意ネタは「景清」「猿後家」「ちりとてちん」など。
■「堀川」は、人形浄瑠璃「近頃河原の達引 ~堀川猿廻しの段~」のパロディ。浄瑠璃。世話物。3巻。為川宗輔,奈河七五三助 (ながわ しめすけ) らの合作。天明2(1782) 年春,江戸外記座初演といわれる。元禄16(1703) 年に起きた,おしゅん庄兵衛 (劇中ではおしゅん伝兵衛) の心中事件に,元文3 (38) 年に四条河原で起きた公家侍と所司代家来のけんかと,親孝行な猿廻しが表彰を受けた話題をからませ脚色。猿廻し与次郎の家の悲劇を描く「堀河猿廻し」の段は,世話浄瑠璃の代表曲の一つとされ,今日でもしばしば上演される。
あらすじ
○
この猿回しの段には悪人が一人も出てこない。みな善人だ。しかしそれが運命のいたずらで、思わぬ悲劇に巻き込まれてゆく。お俊の有名なクドキ、「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん・・・」。このあとに泣かせる文句がある。「人の落目を見捨てるを、廓(さと)の恥辱とするわいなあ・・・」。とかく色里という所は、金の切れ目が縁の切れ目と言われるように、誠の恋などある訳がないと考えがち。しかしここでは誠実な“恋の理論”が語られている。だからこそ、死ぬことは判っていながら、母と兄はお俊を送り出してやるのだった。
○ 痛快!猿廻しの三味線テク
段切りを飾るのはタイトルにもある与次郎の猿廻し。一見、華やかな場面だが目を転じると、うつむき加減の二人、お俊と伝兵衛が並んでいる。「二人はこのあと心中するのか・・・」と思うと、哀れでならない。
猿回しの演奏は、ツレ弾きが入って三味線が二人になる。ここは十分間ほどを、ほぼ三味線のみで聞かせる。太夫の語りが無い分、三味線の音を存分に楽しむことができ、そこでは義太夫節・太棹三味線の様々なテクニックが駆使される。
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。三巻。作者不詳。1782年(天明2)春、江戸・外記座(げきざ)初演。元禄(げんろく)期(1688~1704)に京で起きたお俊伝兵衛(おしゅんでんべえ)の心中に、四条河原の刃傷(にんじょう)事件、親孝行の猿回しが表彰された話などを取り混ぜて脚色。85年5月、為川宗輔(そうすけ)・筒井半二・奈河七五三助(ながわしめすけ)の合作で歌舞伎(かぶき)化されたが、その後、人形浄瑠璃でも歌舞伎でも中の巻「堀川猿回しの段」だけが人気演目になり今日に至った。
■酒癖の悪さ;マクラでこんな事を言っています。
★四代目林家小染(はやしや こそめ);1947年6月11日~1984年1月31日。37歳。本名・山田昇。大阪府出身。酔って店を飛び出し、車にひかれて死亡。
★花月の出番(かげつのでばん);うめだ花月(うめだかげつ)は、大阪府大阪市北区曾根崎の扇町通に面する複合ビル「スイング梅田ビル」地階にあった演芸場。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(2007年9月までは吉本興業)直営。2008年(平成20年)10月31日閉館。改築のため1990年一旦閉鎖され、1992年現在の劇場竣工。
★横山やすし(よこやま やすし);1944年3月18日~1996年1月21日。本名・木村雄二。横山きよしを相方にした吉本漫才の巨匠。両ボケ突っ込みのスタイルで一世を風靡。1989年飲酒運転で人身事故を起こし吉本解雇、その後も飲み過ぎで体調をくずし入退院を繰り返すも、1996年自宅にてアルコール性肝硬変で死亡。
■九尺二間の棟割長屋(9しゃく2けんの むねわりながや);間口9尺(2.7m)、奥行き2間(3.6m)の長屋。間口1間半、奥行き2間ですから、6畳の部屋が取れますが、入り口の3尺は玄関の土間と台所で流し、へっつい(コンロ)がしつらえてありますので、実質4.5畳の部屋だけがあります。ここにはトイレ、押し入れは有りません。
■三道楽(さんどうらく);通常、「酒道楽」、「女道楽」、「ばくち道楽」の『飲む・打つ・買う』で、本人の品位を損ね、自堕落になったり、他人に迷惑をかけたり、家庭環境を破綻させたりするものを言う。
■ド頭(どたま)胴体ん中へにゅ~ッとニエ込まして、へその穴から世間覗かすぞ;頭を胴体に埋め込んで、臍の穴から外を見さす、と言う喧嘩の時の常套句。江戸でも「どてっ腹に風穴あけてやろうか」という啖呵があります。そこから派生した「まごまごしやぁがると、どてっ腹け破って、トンネルこしらえて汽車ぁたたき込むぞ」(小言幸兵衛)も有ります。
■頭と足と持ってクソ結びに結ぶ;むちゃくちゃな結び方。
■店の間(みせのま);通りに面した一番目の部屋のことで、奥の住まいに対して「見せの間=店の間」と呼ばれています。
■二十四孝の横蔵(24こうのよこぞう);中国の二十四孝があるように、日本でも浄瑠璃狂言「本朝二十四孝」が有り、その中の一場。武将同士が雪の竹林の中で喧嘩をする。「筍堀の場」と言い、落語「二十四孝」でも真冬に筍が食べたいと言い出す母親の為に雪の竹藪に行くシーンがあります。筍を掘る事を俗に横蔵と言い、暴れ者の事も横蔵と言い、暴れ者の武将の事も指していった。
三段目(桔梗(ききょう)ヶ原・勘助住家)で、慈悲蔵がわが子を捨てるところに「二十四孝」の郭巨(かっきょ)の話、母のため雪中から筍を掘ろうとするところに同じく孟宗(もうそう)の話を当て込んでいる。無法者の横蔵が実は軍師山本勘助という趣向が奇抜で、俗に「筍の場」ともよばれる。もっとも有名なのは、四段目「謙信館」で通称「十種香」、次の「奥庭」(通称「狐火」)とともに、八重垣姫の情熱的な恋を描いた名場面で、姫は歌舞伎で「三姫」の一つという大役になっている。
■坐摩(ざま);坐摩神社、大阪市中央区久太郎町4-3。大阪市中心部の船場にある古い神社で、同地の守護神的存在である。南御堂の西隣に位置し、境内は東向きで、入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい「三ツ鳥居」が迎える。 住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰されている。正式な読み方は「いかすりじんじゃ」だが、一般には「ざまじんじゃ」と読まれる。
■生節(なまぶし);なまりぶし。三枚におろして蒸した鰹(カツオ)の肉を半乾しにした食品。そのまま辛子を付けたり、醤油で煮付けた生節は旨い。
■温飯(ぬくまま);炊きたての温かい飯。
■『杖の下から回す児が可愛』;折檻(セツカン)しようにも、振り上げた杖の下に反抗しないですがる児は愛らしくて打つに忍びない。お母はんは、「わしのは、児で無く親じゃ」、とツッコミを入れています。
■川口(かわぐち);1868年から1899年まで現在の大阪府大阪市西区川口1丁目北部・同2丁目北部に設けられていた川口外国人居留地の跡地があった地。1899年に居留地制度は廃止されたが、大正時代末まで周辺一帯は大阪の行政の中心であり大阪初の電信局、洋食店、中華料理店、カフェが出来、様々な工業製品や嗜好品がここから大阪市内に広まるなど、文明開化・近代化の象徴であった。
■玉造(たまつくり);昔から交通の要所であり、大坂から東へ向かう古道(街道)のいくつかがここを経由し、奈良、八尾、信貴山方面へつながっていた。 現在、玉造と付く町名は中央区玉造、天王寺区玉造元町・玉造本町がある。玉造駅は、JR大阪環状線、Osaka Metro長堀鶴見緑地線の駅がある。これらに隣接する中央区森ノ宮中央の南部・法円坂の南東部・上町の東部、天王寺区真田山町の南東部は東成郡玉造町の旧町域を含んでおり、他に玉造駅周辺の天王寺区空堀町・清水谷町・餌差町、東成区中道・東小橋なども地域名称として玉造と呼ばれることがある。
■道具箱(どうぐばこ);大工道具一式が入った道具入れ。
■雪平(ゆきひら);(在原行平が海女に潮を汲ませて塩を焼いた故事に因み、塩を焼く器から起った名)
厚手で薄褐色の陶製の鍋。把手(トツテ)・注口(ツギグチ)・蓋のあるもの。主に粥などを煮るのに用いる平鍋。ゆきひら。
■猿回し(さるまわし);猿に種々の芸をさせ、見物客から金銭を貰い受けるもの。縁起物として多く正月に回った。さるつかい。さるひき。(猿は馬の病気を防ぐという俗信から、大名屋敷では厩で舞わせた)。
■背中の太夫さん(せなかのたゆうさん);猿回しの猿。
■太棹(ふとざお);細棹・中棹に比して、棹が太く胴も大きい三味線。また、その棹。義太夫節のほか津軽三味線などに用いる。義太夫節で太夫に合わせて伴奏される曲をこの太棹で演奏される。
■俥屋(くるまや);人力車を取り扱う店。1台の人力車を所持する車夫さんは、現代の個人タクシーと同じです。
■関東煮(かんとだき);おでん。大阪でオデンと言えば豆腐田楽のことで、味噌を付けて食べます。東京でいう煮込みのオデンを関西では関東煮という。
■ノホンホヨ~の節回し;『戯場訓蒙図彙(しばいきんもうずい)』式亭 三馬 (著) 勝川 春英 (編集)の「猿」の項に、猿回しの絵とともに次の一文が掲載されている。『日本の猿よりは形大きし。一種、御幣を担ぎて踊る猿はいたって上猿なり。有田唄「湯豆腐じゃに湯豆腐じゃに ノホンホ ヨホヨホ あろかいな、酒がまだあろかいな、ソリャついでにチロリを見てたもれ」。アァ意地の汚い文句だ、おおかた式亭三馬が常に言う台詞だろう』。
■チョンナ;手斧(ちょうな・ておの)の訛。(テヲノがテウノと転じ、さらに訛ったもの)
大工道具の一。平鑿(ヒラノミ)を大きくしたような身に、直角に柄をつけた鍬形の斧。斧で削った後を平らにするのに用いる。ちょんな。
■手水(ちょ~ず);手や顔を洗うための水。「手水を使う」洗顔、歯磨きなどをすること。厠(カワヤ)。また、厠に行くこと。
■母じゃ人が顔真っ赤にして気をもんでいさんすわいな;猿に「お初徳兵衛が祝言の寿」を舞わせるときの台詞に「あんまりこなさんが来ようが遅いによって、お初さんは顔真赤にして、腹立てていやんすわいなあ」が見られる。
■トラんなりよる;俗に、酔っぱらい。「大トラ」。ひどく酔っぱらう。
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