落語「喧嘩長屋」の舞台を行く
   
 

 桃月庵白酒の噺、「喧嘩長屋」(けんかながや)より


 

 「オイッ・・・。あれッ?、ねえ~・・・」、「ひょとして私ッ。私の名前は”おみつ”と言うの。名前があるのッ」、「いつもは、それで返事していたから、それで良いと思ったんだ」、「で、何なのッ」、「『何なの』と言うほどではないんだけれど」、「だったら、呼ばないでッ」、「機嫌悪いの」、「悪くはないわよ」、「最近寒いね」、「私のせいッ。で、何なのよ」、「いいんだ。話が繋がると思って・・・。フー(溜息が出ちゃう)。新国立競技場どうなるかな?」、「知らないわよ。そんな事。他の人に聞きなさいよ。何で私に聞くのッ」、「悪かったよ俺が・・・。(くしゃみが出そうで・・・苦しそう)ハクション、ショラ、ショラショラ」、「何なのそれは、くしゃみだったらそれだけすれば良いでしょ。ショラショラって何よ」、「くしゃみの余韻を楽しんでいたんだ」、「気持ちいいのはあんただけで、私は気持ち悪いの。やめて頂戴ッ」、「くしゃみでそこまで言うのか」、「(また、くしゃみが出そうで、一生懸命我慢をしている)ウッ」、「何よそれッ」、「くしゃみしたらダメだと思って我慢したんだ」、「我慢するならしっかり我慢しなさいよッ」。
 「八つ当たりするなよ」、「してないわよ。ムカムカしているだけよ」、「たまの休みだ、ゆっくりさせろよ。誰のお陰で飯食らっていると思ってんだ」、「私のお陰だろ。私が家を護っているからだろ。私が外で働いたら、もっと稼げるんだからッ」、「それ言っちゃダメだろう。それ言ったら、はっ倒すぞッ」、「口で適わなかったら力かい。殴れるものなら殴ってごらん」、「うるさい、コンチキショウ(パチン)」、「本当に殴りやがった。女に手を上げるなんて最低(パチン)」、「俺より強く叩くな。歯が折れただろ。この野郎ッ」。

 「チョット待ちな。おみつさんもお止め」、「訳を話せ。・・・、そうか。お前達はバカかッ。男が謝れば済むことだ、あやまんな」、「悪~ござんした。何かと言えば女の肩を持ちやがって、スケベ大家」、「スケベ大家だと」、「何かと言えば家の女房に色目を使いやがって」、「何ッ、こんな女に色目を使うかい」、「こんなもんで悪かったですね(パチン)」、「おみつさん、私はあんたの味方ダ」、「味方だなんて(パチン)」、「大家に向かって何だよ」、「クソ大家(パチン)」、「何だよ(パチン)」、「この~(パチン)」、(パチン)、(パチン)。

 「ハチ公、止めろ。大家さんもおみつさんも止めろ」、「狭い長屋で喧嘩して」、「狭くて悪かったな(パチン)」、「大家さん、私は仲人(ちゅうにん)ですよ」、「気に入らなかったら出ていけッ」、「こ汚い長屋で銭を取りやがって(パチン)」、「こん畜生(パチン)」、(パチン)、(パチン)・・・。

 「チョットマッテ ケンカハ ヤメテクダサイ」、「何だおめーは」、「トーリカカッタ センキョウシデス」、「お前が出てくるとややっこしくなるんだ、帰(けー)れ」、「ミナサン テニテヲトッテ・・・」、「うるせーぃ(パチン)」、「キガスムノナラタタキナサイ シュイワク ミギノホホヲウタレタラ」、「左だろう(パチン)」、「オーマイガット(パチン)」、益々喧嘩が激しくなってあっちでもこっちでも(パチン)、(パチン)、(パチン)。
 近郷近在の喧嘩好きが集まってきます。狭い長屋にこれだけの人が・・・。隣の男が戸を開けると、『満員御礼』と言う札が下がっていました。

 



ことば

仲人(ちゅうにん);仲裁人。争いの間に入り、双方を和解させること。仲直りの取持ち。
 「仲裁は時の氏神」=仲裁は時の氏神の「仲裁」は、対立するものたちの間に入って和解させること、「氏神」は共同体や地域の守り神をいい、「時の氏神」とはちょうどよい時に現れる守り神のような存在を意味する。したがって「仲裁は時の氏神」とは、仲裁に入ってくれる人はタイミングよく現れた神様のような存在であるから、言うことに素直に従って和解しなさいという教え。戦争したり、けんかしたりしている者同士というのは、たいていの場合、常に鉾先をおさめる機会を探っているものであって、仲裁人はそのきっかけとなりやすく、「時の氏神」とは適切な例えである。とはいえ、そんな仲裁人にも権力とブランド力、公平性、対立する者双方との良好な関係性などが必要なのであって、いくら権力とブランド力十分なアメリカの大統領が仲裁に入るなどといっても、狙いがみえみえで公平性に疑問があったりするとたいして役にたたず、逆に、酔っぱらいのオヤジ同士のけんかに、やはり酔っぱらいの見ず知らずのオヤジが入ったりすると、みんな酔っぱらっているという共通性で仲直りが成立したりする。

新国立競技場(しんこくりつきょうぎじょう);またはオリンピックスタジアム(英: Olympic Stadium)は、国立霞ヶ丘陸上競技場の全面建替工事によって建設される競技場。東京都の新宿区と渋谷区にまたがり、明治神宮外苑に隣接する。2016年12月に着工し、2019年12月に竣工予定。 本競技場は文部科学省所管の独立行政法人、日本スポーツ振興センター(JSC)が運営主体で、施設所有権も持つ。2020年に開催される2020年東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる予定である。 本競技場は、2019年12月21日に施設の開場式(オープニングイベント)を開催すると共に、日本スポーツ振興センターより2019年7月3日に開場後の名称が『国立競技場』となることが発表された。

  

長屋(ながや);一番小さなサイズの住まいで有名な「九尺二間の長屋」は、町人達が住んでいた裏長屋です。九尺二間(くしゃくにけん)とは入り口(間口)が9尺(畳の短い辺X3、=2.7m)と奥行き2間(畳の長い辺X2、=3.6m)の住まいです。入り口は奥行き3尺の土間になっており、そこに今で言う玄関と台所がありました。台所にはへっつい(かまど)と簡単な木の台と水瓶又は桶が置かれていました。柱には火防(ひぶせ)のお札が貼ってあります。
 奥(?)の部屋は残りの9X9尺ですから、四畳半になります。押入は有りませんから、衣類は葛籠(つづら)や風呂敷に包んで夜具と共に奥のマクラ屏風の影にしまわれていました。棚があり、並んで大神宮様の神棚が飾られています。その奥は障子で濡れ縁と続き、裏に出られます。洗濯物はここに干します。
 この様な造りが左右に数軒繋がって、一つの長屋が形成されていました。

 ”棟(むね)割り長屋”となると部屋の奥は裏側の長屋と背中合わせになっており、入り口以外三方の壁はお隣と繋がっています。
    「裏店(うらだな)の壁には耳も口も有り
    「隣の子おらがうちでも鰯だよ

  九尺二間より一回り大きな部屋もありました。間口9尺(1.5間)ではなく12尺(2間)有りましたので、部屋の大きさは6畳取れました。当時は家具類が少なかったので、広く使えました。落語の中にも「『さきちゃん、お家に遊びにおいでよ』、『健ちゃん家、狭いからいやだぃ』、『大丈夫、箪笥無くなって広くなったよ』」(名前は仮名で事実とはことなります)。
 2階付きの長屋も有れば、落語にも出てくる”三軒長屋”も有りました。

 江戸時代の借家は、家具一式はもちろん、畳や建具を付けずに貸すのが一般的だった。畳、家具、障子・襖などの建具は自分で揃えなければならなかった。それでも引越しが大変になることはなかった。道具屋や損料屋があって、引越す前に近所の道具屋に道具を売り、引越した先の道具屋から必要な道具を買えば、荷物は少なくて済む。また、損料屋に必要なものを必要な期間だけ借りるというスタイルが定着していたので、自分の持ち物は少なく、収納場所もあまり必要ではなかった。自分の物でも、季節によって使わない物は質屋に預ければ収納スペースも最低限で済みます。また、江戸は火事が多かったので、所帯道具は最低限にし、部屋を広く使いました。 

   長屋の風景
「九尺二間の長屋」(手前)と「二間二間の長屋」(右奥)です。
左側の中央には広場があり、井戸や共同便所が有ります。お稲荷さんの幡が見えます。

江東区深川江戸資料館、資料より

 

 長屋が建ち並ぶ中央にちょっとした広場があり、そこに共同の井戸が作られています。隣に塵芥捨て場の箱があり、また総後架(そうこうか。共同便所)も有ります。片隅には定番の”お稲荷さん”も建っています。
 長屋の入り口には木戸があり、門限(明け六つから五つ)が来ると閉められていました。その後は、脇の潜り戸から入りました。
 総後架には近隣の農家の百姓が汲みに来て、肥料として使いました。汲み取り賃は大家の大切な収入源でもありました。大家とケンカした店子が「テやんでぇ~。こんどっから、ここの雪隠は使ってやんねぇ~ぞ!」、と威勢のイイ啖呵を切った。そのぐらい大切であった。
作物が出来ると野菜などを大家に手土産として置いていった。そのかわり大家は暮れには店子に餅を振る舞った。
    「肥え取りへ尻が増えたと大家言い
    「店(たな)中の尻で大家は餅をつき

 

長屋入口風景。(浮世床) 

長屋の共同井戸
(江東区深川江戸資料館にて)

 
台所が狭いので魚や野菜の下ごしらえ、また洗い物等は長屋の井戸端で行いました。ここは女房達の社交場、井戸端会議は毎日開催されました。井戸端会議とはここからでた言葉です。
  
「井戸端へ人の噂を汲みに行き」
 また、七月七日の七夕の日は年に一度の井戸浚い(いどさらい)、長屋の連中総出で井戸の底に溜まった土砂などをきれいにしました。水道井戸ですから、綺麗にしておかなければ大変。

以上、落後「水屋の富」より孫引き

大家(おおや);町人地に住む者たちは大きく分けて、三つの階層に別れていました。地主、地借(じしゃく)家持ち、店子(たなご)です。
 地主とは、表通りに土地を持ち、家や店を構えている大商人や、御用達職人の棟梁といった旦那、親方衆です。
 地借家持ちは、大通りに土地を借りて、自分の家や店を持つ、中堅の商人や職人層です。
 店子は、土地はもとより家も持たない借家人で、表通りに面していない裏通りの住まい(裏店)、主として長屋の住人です。
 「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」の台詞にある、大家さんとは、長屋の持ち主(オーナー)ではないのです。土地、家屋の所有者である地主から、長屋の管理を任されている使用人で、家守(やもり)、家主とも呼ばれていました。豊かな地主は多くの長屋を持ち、それぞれに大家を置きました。
  『四,五人の大家を叱るいい暮らし』の川柳も残っています。
 大家の仕事は貸借の手続き、家賃の徴収、家の修理などの長屋の管理から、店子と奉行所の間に立って、出産、死亡、婚姻の届け出、隠居、勘当、離縁などの民事関係の処理、関所手形(旅行証明書)の申請交付まで行政の業務までこなしていました。それだけに店子ににらみを利かせ、気に入らない店子には一存で店立て(強制撤去)を命じることも出来ました。
 大家の住まいは管理している長屋の木戸脇に住んで、店子達の生活と接して居たので、情も移りうるさがられる反面、頼りになる人情大家が多かったようです。
(この項  農文協「大江戸万華鏡」より)

 大家・家守は通称で、公式の書類には家主と記録されています。ですから大家さんは使用人であって、所有者ではありません。また大家さんになるには、大家の株を買わなければなれませんでした。

 大家の力、江戸時代は、士農工商の身分制度がありましたが。 その身分制度に含まれる人は、年貢や運上金・冥加金等 今で言う税を負担していた者たちを指していました。 で 江戸の町の長屋の住人たちはどうだったかというと、 直接そういったものは負担していませんでしたので (家賃という形で間接的には負担していましたが) この身分制度から除外された存在でした。 町人とは、地主・家持階級にあたる人たちで、公役銀や町入用などの、税的負担の義務があり、裁判などの訴訟権を持った人たちをいいました。 ということは、長屋の住人たちには行政上の権利がないわけで、 当然、民事・刑事の訴訟権もないわけです。 当時の町奉行所は、警察兼裁判所という風にとらえられがちですが、福祉も含めた行政監視機関でもあったのです。 実際には、町年寄が町奉行所より委託され、幕府の政策の伝達と実行を担っていました。 町年寄は法令の伝達、町奉行所からの調査依頼、市中の土地の分割、地代・運上銀の徴収と上納、各町の名主の任免、株仲間の統制、資金の貸付、水道、刻の鐘などの都市施設の維持管理までもする いわば今の都庁のような役割をしていました。 そして、町年寄と各町の間にあって、町の自治活動を実行するのが、名主でした。 この名主の配下に家主がいて、五人組を結成して、月番に実務を処理していたのです。 この五人組は、農民の五人組が相互監視の役割をしていたのとは違い、自治管理組織という面で異なります。 さて、そうなると地借・店借・長屋の住人たちは生活に何の保証もなかったかというと、そうではありません。
 大家は、家賃の取立て・長屋の維持管理だけでなく、店子の身元引受人として 店子の揉め事の仲裁・相談・旅行の際の手形申請・訴訟関係の申請から仲人などなど店子の面倒をみていました。 その分、店子に関する権限は強いものがあり、大家なくして長屋の住人は江戸には住めなかったのです。

満員御礼(まんいん おんれい);相撲、演劇、寄席などの興行界では、一定以上の来客があると、ご祝儀として大入り袋が配られます。また、興行の小屋に、看板に大きく「満員御礼」の立て札が出されます。
 ハチ公の家の喧嘩に大勢の者達が仲人として詰めかけ、入りきれないほどになってしまい、この様な札を出したのでしょう。喧嘩なのに、まるで喧嘩が興行のようになってしまいました。

江戸の名物(えどのめいぶつ);「武士鰹大名小路広小路、茶店紫火消錦絵、火事に喧嘩に中っ腹」。
 喧嘩が名物になるように、大きなグループ同士で対立して喧嘩になったり、個人間でも気が短いので、直ぐに喧嘩になったりします。口より拳固が先になります。



                                                            2020年1月記

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