落語「もらい風呂」の舞台を行く
   

 

 四代目 桂米丸の噺、「もらい風呂」(もらいぶろ)より


 

 銭湯では楽しい話題もありますが、自分の家の風呂釜が壊れて、もらい湯なんて事も有ります。

 「3号館というのはここだよ。3階の中村さん。ここだな。(トントントン)こんばんは」、「はい」、「中村さんですか。お風呂入れてもらいに来たもんですが・・・。突然ですいません。私1号館の杉山と申します。女房同士でお付き合いさせていただいてます。我が家の風呂釜が故障して1週間ほど使えなくなって、その愚痴をお宅の奥さんにしたら、『私の家のお風呂を使いなさい』と言っていただき、私だけ先に来ました」、「そうですか。近所付き合いが無いもんで・・・。沸かしたところですからどうぞ」。

 「あ~あ、親切な人だな~。しばらくぶりの風呂で気持ちイイ。同じ風呂でも綺麗になってるな~。一輪挿しまであるよ」。

 「ただいま~」、「人が来るなら来るで、先に言ってくれなくては困るよ」、「なにが・・・。私これから風呂に入るから・・・」、「ダメだよ。1号館の杉山さんが入っているんだ」、「知らないわよ。そんな人」、「えッ?」、「知らないわよ。団地の人ならまだイイが、泥棒だったらどうするのよ」、「では、扉を開けて話しかけるから、よく見て」、「男の人でしょ。私、女よ。でも、チョットだけなら良いわ」。
 「杉山さん、湯加減如何ですか。ぬるかったら沸かします」、「イイ湯加減です」。「おい、見たか」、「見ようかと思ったら閉めちゃったじゃないの」、「もう一度開けるからよく見なさい。杉山さん、そこにシャンプーが有りますから、お使い下さい」、「ありがとうございます」。
 「どうだった」、「見たわ。良い体。向こう見てたから顔は見えなかったわよ」、「杉山さん、曇っていたら、こちらの窓開けて下さい」、「ありがとうございます」。「どうだったッ」、「胸毛が有ったわ」、「ダメだよ。顔を見なければ」、「杉山さん、櫛が有りますから使って下さい」、「ご親切に・・・」。
 「どうだった?」、「見たわよ」、「チョットこっちおいで」、「解ったわよ。集会の時、意見言ってたわよ。そー言えば、2号館の中村さんの手紙、家に間違って来た事が有るじゃない」、「そうか。2号館に行くのに家に来てしまったのか、そそっかしい人だな」、「アンタだってそうじゃない。同じ団地の人でしょ。気分良く帰してあげましょうよ」、「イイ風呂でありがとうございました」。
 「私はそそっかしいので・・・」、「いえいえ」、「また、これをご縁によろしくお願いします」、「さようなら」、「人の親切に会うのは、好い気分だ~」。

 「ただいま」、「何処行ってたのよ~」、「3号館の中村さん」、「2号館と言ったでしょッ」、「えぇ、そうかッ」、「やだわ、知らない家で裸になっちゃって・・・。入れる方も入れる方よ」、「そうか、おかしいと思ったんだよ。ちょくちょく扉が開いて、そこの奥さんが覗くんだよ」、「裸見られてッ」、「そんな怒るなよ。家にだって知らない人が、もらい湯に来るかも知れないよ。その時は、お前にも覗かせてやるよ」。

 



ことば

四代目桂 米丸(かつら よねまる);(1925年4月6日 - )は、神奈川県横浜市出身の落語家。社団法人落語芸術協会最高顧問。本名は須川 勇(すがわ いさむ)。出囃子は『金比羅舟々』。2019年現在94才になる。
 1946年(昭和21年)4月、芝居関係の仕事をしていた兄の勧めで、九代目柳亭芝楽の紹介を介し、五代目古今亭今輔に入門。古今亭今児の名を貰うが、師匠・今輔の方針で寄席での前座修業は一切やらされなかった。
1947年(昭和22年)1月、二つ目付き出しで寄席の高座に上がる。 1949年(昭和24年)4月、師匠・今輔の前名桂米丸を襲名し、真打昇進。1976年(昭和51年)12月の師匠・今輔死去に伴い、翌1977年(昭和52年)、日本芸術協会(現:落語芸術協会=芸協)三代目会長就任。1999年(平成11年)、会長職を師匠・今輔の弟弟子十代目桂文治に譲り、顧問就任。2002年(平成14年)、最高顧問就任。



 「お婆さんの今輔」と呼ばれた新作落語派の師匠・今輔に入門し、現在までその流れを汲む新作落語一筋の落語家。前述のとおりデビュー以来の新作派のためか、弟子の芸にも同世代の噺家と比較すると寛容であったとされ、桂米助がヨネスケに改名したことや桂竹丸が前座時代からテレビ番組に出演するなど、当時としては型破りな言動に出ても許容している。一方では礼節や筋目には固執するところがあり、芸協会長時代、席亭との意見対立で上野鈴本演芸場から撤退したことなどは師匠譲りの頑固者故と囁かれた。
  2015年には落語家として四代目古今亭志ん好以来となる90歳を迎えており、この時点で東西落語界あわせて最高齢の噺家である。 2019年現在でも活動を継続している落語家としては最年長であり、現在も寄席を中心に活動を続けている。
 2006年の四代目柳家小せん没後は、東西落語界における最高齢の落語家となっている。かつて上方落語界の最高齢者であった二代目笑福亭松之助(2019年2月22日に93歳で没)は米丸と同学年ではあるものの、米丸が松之助より生まれが4か月早いためである。ただし入門順では、四代目三遊亭金馬(1929年生。1941年入門および初高座、1958年真打昇進)の方が早い。落語家のキャリアは金馬の方が長いが、実年齢や香盤(序列)は米丸の方が上である。
 ウイキペディアより

団地(だんち);団地とは、もともと一団の土地を指す言葉であり、住宅団地であれば「住宅の集合体」を意味します。したがって民間の大規模分譲マンションなどでも、定義上は団地に該当する場合があります。しかし、一般的に団地と言えば日本住宅公団(現・都市再生機構)による公団住宅、または都道府県や市町村による公営住宅を指すことが多いでしょう。
 戦後の復興期を経て経済成長期に入った日本では都市への人口集中が加速し、住宅不足が深刻な問題となっていました。そのため住宅の大量供給を担ったのが昭和30年に設立された日本住宅公団です。当時の公団住宅はダイニングキッチン、水洗トイレ、ベランダなどを取り入れた最先端のもので、入居するためには年収の下限が設定されるなど、比較的裕福な人を対象とした住宅だった。しかし、居住水準の向上よりも数の充足が優先されたため、間取りは3DKでも40平方メートル前後の狭い部屋が少なくありませんでした。
 最低居住水準として「住戸専用面積50平方メートル」が定められたのは、国による「住宅建設五箇年計画」の第3期にあたる昭和51年度のことです。日本住宅公団では昭和40年代からニュータウン開発が各地で進められたほか、昭和50年代には住宅の高層化や専有面積の拡大も多く見られるようになりました。日本住宅公団は昭和56年に住宅・都市整備公団(住都公団)へ、平成11年に都市基盤整備公団(都市公団)へ、さらに平成16年に都市再生機構(UR都市機構)へと変わっています。この間、国内の住宅が量的には充足されたことや民間マンションと競合する面が多くなったことなどを理由に、平成11年に分譲住宅の供給を停止しました。現在、住宅部門では賃貸住宅の供給のみが行われ、公団住宅の名称も「UR賃貸住宅」とされています。

風呂場(ふろば);公営住宅では風呂場のスペースは有っても、風呂桶やバーナーは無かったように聞いています。最近の公団では、風呂場はどうなっているのでしょうね。

 最近の風呂釜は、キッチンや洗面所にも給湯しています。当然、風呂場にも給湯していますが、昔のように浴槽の湯が上の方は熱くて、下の方は冷たいなんて事は有りません。昔、子供が「お風呂の湯が熱いからうめたよ」と言ってましたが、かき混ぜる前にうめたのでぬるい湯に成ってしまいました。また、時間を見計って止めないと、溢れてしまったり、熱すぎて入れない様なことが有りました。

 右写真、江戸東京博物館、公団住宅の初期の形式で作られたモデル。このモデルでは木桶の湯船になっています。

 最近は全自動で、過去の様なことは有りません。湯加減も温度設定していますので、温度が下がると自動で追い炊きをしてくれます。またボタンを押せば、強制的に追い炊きが始まります。扉を開けてわざわざ聞かなくても大丈夫です。

もらい湯;昔はどこの家にも風呂があるとは限らないので、自分の家に風呂がない時には、よその家の風呂に入らせてもらったりすることがありました。 風呂に入らせてもらう・・・もらい湯とは、そんな様子の言葉です。 別に、お湯をグラスにいただく・・・というわけではなくて、風呂に入らせてもらうというわけです。
 公営住宅では、風呂が置けるスペースがガランと有って、そこに風呂を設置したものです。昭和の30年代頃の話です。現在は、バスの改修工事だとか、落語に有るような修理の時は、近くの銭湯に行くのですが、銭湯が少なくなって、歩いて行くには遠すぎて我慢してしまいます。ご近所に懇意な人が居るときはもらい湯も出来たのでしょうが・・・、やはり近所に懇意なご家庭が必要でしょうね。公団でもマンションでも。

ベランダの洗濯機
 一所帯あたりの床面積が小さかったので、洗濯機の置き場所が取れませんでした。では、何処に置くか? 部屋の中には置けないので、ベランダに待避です。

右写真、江戸東京博物館、公団住宅のセットに置かれていた初期の洗濯機。上部に突き出たハンドルは、上下に付いたローラーの間に洗濯物を挟み入れて、濡れた洗濯物の水を絞るものです。今の様に、遠心脱水だとか、温風乾燥なんか無い時代のオール手動の洗濯機です。でも、有ると無いとでは大違いです。

一輪挿し(いちりんざし);手軽ながらお花そのものの美しさや生命力を感じられる一輪挿し。お花を引き立てる一輪挿し。

  

上、photo:Maya Kruchankova/Shutterstock.com  



                                                            2020年2月記

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