落語「蚊いくさ」の舞台を行く 六代目三遊亭円生の噺、「蚊いくさ」(かいくさ)より
■維新前後、不安定な世情の頃に作られた噺で、侍の権威も地に落ち、町人も自衛のために剣術の稽古をする者が多かったようです。落語「蔵前駕籠」にも維新前後の世相を反映した噺があります。また、上野戦争を舞台にした「お富の貞操」や「権十郎の芝居」も有ります。
■町人めらもヤットウ、ヤットウ 物騒な世情の中、百姓町人が自衛のため、武道を習うことが流行した幕末の作といわれます。
剣術は、町人の間では、気合声(ヤッ、トー)を模して「ヤットウ」と呼ばれました。
すでにサムライの権威は地に堕ち、治安も乱れるばかりで、刀もまともに扱えない腰抜け武士が増えていました。
町人が武士を見限って自衛に走った時点で、封建的身分制度はくずれ、幕府の命運も尽きていたといえます。徳川幕府の命運をかけて、十五代将軍徳川慶喜が京都二条城を訪ねたとき、連れて行った武士達が今日の話をどうするかという話題より、江戸への土産は何にするかと言うことが関心時だったように、武士は堕落していた。たわいない蚊退治の笑い話の裏にも、時代の流れは見えていました。
後半の久さんの蚊への名乗り上げは、明らかに軍記物の講釈(講談)を踏まえています。
■蚊(か);ハエ目(双翅目)糸角亜目蚊科(学名: Culicidae)に属する昆虫である。ナガハシ蚊属、イエ蚊属、ヤブ蚊属、ハマダラ蚊属など35属、約2,500種が存在する。ヒトなどから吸血し、種によっては各種の病気を媒介する衛生害虫である。
蚊の最も古い化石は、1億7,000万年前の中生代ジュラ紀の地層から発見されている。
蚊は人類にとって最も有害な害虫である。メスが人体の血液を吸い取って痒みを生じさせる以外に、伝染病の有力な媒介者ともなる。蚊によって媒介される病気による死者は1年間に75万人にもおよび、「地球上でもっとも人類を殺害する生物」となっている。マラリアなどの原生動物病原体、フィラリアなどの線虫病原体、黄熱病、デング熱、脳炎、ウエストナイル熱、チクングニア熱、リフトバレー熱などのウイルス病原体を媒介する。日本を含む東南アジアでは、主にコガタイエ蚊が日本脳炎を媒介する。地球温暖化の影響で範囲が広くなっている問題もある。蚊による病気の中で最も罹患者及び死者の多い病気はマラリアであり、2015年には2億1400万人が罹患して43万8000人が死亡した。こうした蚊による伝染病は蚊の多く生息する熱帯地方に発生するものが多く、マラリアをはじめ黄熱病やデング熱などはほぼ熱帯特有の病気となっている。また、蚊が媒介する伝染病は特定の種類の蚊によって媒介されることが多く、マラリアはハマダラ蚊、黄熱病やデング熱はネッタイシマ蚊やヒトスジシマ蚊、ウエストナイル熱はイエ蚊、ヤブ蚊、ハマダラ蚊によって媒介される。
注:「World’s Deadliest Animals(人間を死に至らしめる世界で最も危ない生物)」が発表しています。これは、ある生物が年間に何人の人間を死亡させたかをまとめたランキングで、例えばサメは年間10人、ライオンは年間100人と意外にも(?)少ない数字になっています。
3位はヘビで年間5万人が犠牲になっており、2位はなんと人間でした(年間47万5000人が人間によって殺されています。戦争や内乱、交通事故、殺人等)。そして1位は、蚊。年間72万5000人が亡くなっており、そのうち約60万人はマラリアが原因で死に至っています。
■蚊いぶし;
蚊遣りのことで、原料は榧(かや)の木の鉋屑です。
下町の低湿地帯の裏長屋に住む人々にとって、蚊とのバトルはまさに食うか食われるか、命がけでした。
五代目古今亭志ん生の自伝「なめくじ艦隊」に、長屋で蚊の「大軍」に襲われ、息を吸うと口の中まで黒い雲の塊が攻め寄せてきたことが語られています。昭和初期のことです。
ついでに、ジョチュウギクを用いた渦巻き型の蚊取り線香は、もう次第に姿を消しつつありますが、大正中期に製品化されたものです。
蚊遣り、『けむくとも 末は寝やすき 蚊遣りかな』
■蚊帳(かや);蚊の侵入を防ぎながら空気の通りを妨げない物として、窓に網戸、屋内で蚊帳がある。いずれも目が1mm程度の細かな網を蚊の侵入方向に張り巡らせて侵入を防ぐものであり、人間の寝所等の周りに吊るして防御するものが蚊帳、それを推し進めて窓に網を張り家全体への家の侵入を防ぐものが網戸である。
八百屋の久六さん家では、質屋に蚊帳を入れてしまい、金がなくて出すことが出来ない。江戸の街で暮らすには必需品であって質から出せないなんて父親失格です。
■落語の「蚊」対策;
二階の窓に焼酎を吹きかけ、蚊が二階に集まったらはしごを外すという、マクラで使う小噺があります。
これなぞは、頭の血を残らず蚊に吸い取られたとしか思えませんが、まあ、二階建ての長屋に住めるくらいだから富裕で栄養たっぷりなのでしょうから、蚊の餌食になるのも当然でしょう。
そのほか、「二十四孝」では、親不孝の熊五郎に大家が、呉猛という男が母親が蚊に食われないよう、自分の体に酒を塗り、裸になって寝たという教訓話をします。ですが、体に塗るのは勿体ないと全部飲んで寝てしまったが、翌朝蚊に食われていないので、その徳を母親に言うと「一晩中私が煽いでいたから・・・」。
男の逃げ口上で、バクチをすると蚊に食われないという俗信も、昔はあったといいます。
■八百屋(やおや);噺を聞いていると店を構えた八百屋では無く、棒手振りの行商の八百屋さんだったのでしょう。4~5日ぐらいの休みだったら雨降りもあれば、風邪を引いて休むこともあるでしょうが、2~3週間も休んではおかみさんも怒ります。剣道の稽古どころではありません。
行商の八百屋(ぎょうしょうの やおや);天秤棒を担ぎ両端に荷をさげた。棒手振り(ぼてふり)と呼ばれた。最も簡単に始められた商売が「棒手振り(ぼてふり)」だった。これで小金を貯め、屋台、小屋掛けの簡易食物・茶店なども夢ではない。そうすれば雨が降っても商売はやりやすい。
■八つ頭(やつがしら);八頭は他のサトイモほどぬめりがなく、比較的調理しやすいサトイモです。加熱するとホクホクとした食感が楽しめます。
縁起を担いで、おせち料理の煮しめが一般的。
こんな八つ頭の様な頭になったら、かゆいのを通り越して痛いでしょうね。
■北の方(きたのかた);《寝殿造りで、多く北の対 (たい) に住んだところから》公卿・大名など、身分の高い人の妻を敬っていう語。北の御方 (おんかた) 。北の台。
■御台所(みだいどころ);大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称。奥方様の意。
■公達(きんだち);本来は諸王のことを指したが、後代には臣籍にある諸王の子弟や、摂家・清華家などの子弟・子女に対する呼称として用いられた。公達家は清華家の異称。
平安時代中期以降、藤原北家忠平流や宇多天皇以降の賜姓源氏(宇多源氏・醍醐源氏・村上源氏など)などの近衛次将を経て公卿に昇進し得る上流貴族の家系出身者を「公達」と呼ぶようになり、これらの家は「公達」の家格とされた (当時の貴族社会では、「公達」・「諸大夫」・「侍」の家格に分類されていた)。
■大手(おおて);大手門。日本の城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる。
上写真、皇居大手門。門の上に櫓が乗っています。
■搦手(からめて);大手門に対して背面の門。有事の際には、領主などはここから城外や外郭へ逃げられるようになっていた。
建物自体は、小型で狭く目立たない仕様であることも少なくなく、櫓門、埋門ではなく小型の冠木門を建てるのみということもあったというが、きわめて厳重で大手門などの大きな虎口に比べて少人数で警備できるように設計してあった。橋は、木橋であることが多い。
■引き窓が櫓(やぐら);櫓門は門の上に櫓を設けた、特に城に構えられる門の総称。二階門とも。
長屋の台所になる部分の屋根に、明かり取りと煙出しのために引き窓が設置されています。それを櫓に見立てて言っています。
■落ち武者(おちむしゃ);戦乱の負け戦において敗者として生き延び、逃亡する武士。落人(おちうど、おちゅうど)とも。
農民の竹槍に討ち取られる明智光秀。
■臥所(ふしど);夜寝る所。寝所。寝床。ねや。ふしどころ。
■夜討ちの番(ようちのばん);夜中に戦を仕掛けること。その番をすること。
■縞の股引をはいた雑兵(しまのももひきをはいた ぞうひょう);縞柄の股引をはいた、下級戦士。蚊のことを大げさに表現しています。
■城を明け渡そう;蚊の落ち武者が多くて、寝ても居られないので、城を捨てて敵に明け渡そうと言います。落城です。
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