落語「小いな」の舞台を行く 落語「小いな」(こいな)より
■すたれた新作;明治の新作三代目柳家小さんの、明治45(1912)年の速記が残るだけで、現在はすたれた噺で誰もやり手は居ません。
代金は二銭で、絵看板のある小さな屋台で営業しました。眼鏡(直径約10cmのレンズ)をのぞくと、西洋画、風景写真などの様々な画面が次々と変わって現れます。
両側の男女が細い棒をたたきながら、独特の節回しで「解説」を付け、それに合わせて紐を引くと、画面が変わる仕掛けです。
サゲは、のぞきからくりの口上、特に先客を追い出す時の文句を取り込んだものですが、現在では事前の説明がいるでしょう。
小さんは、この噺のマクラとして、「権助提灯」を短縮して入れています。
■男の意気地;この旦那、まだ小いなを正式に囲ってはいません。
あるいは、何か金銭的な理由その他で妾宅を持たせてやれない代わりに、二、三日なりと本宅に入れて、実を見せたいというところ。いかにも明治の男らしい、筋の通し方です。
■幇間(ほうかん);太鼓持ち。男芸者。客の宴席に侍し、座を取り持つなどして遊興を助ける男。
幇間の第一人者としては悠玄亭玉介(ゆうげんてい_たますけ。本名、直井厳、1907年5月11日 - 1994年5月4日。右絵;山藤章二画)が挙げられる。
浅草寺の鎮護堂の幇間塚。
■芝居(しばい);歌舞伎。日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。
歌舞伎という名称の由来は、「傾く」(かたむく)の古語にあたる「傾く」(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」だといわれている。戦国時代の終わり頃から江戸時代の初頭にかけて京で流行した、派手な衣装や一風変わった異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。
左、三代目大谷鬼次(二代目中村仲蔵)の江戸兵衛、寛政六年五月、江戸河原崎座上演『恋女房染分手綱』〈1794年〉
特徴として、歌舞伎の演目には他の演劇の演目にはない特徴がいくつかある。 まず歌舞伎狂言は世界という類型に基づいて構成されている。「世界」とは物語が展開する上での時代・場所・背景・人物などの設定を、観客の誰もが知っているような伝説や物語あるいは歴史上の事件などの大枠に求めたもので、例えば「曾我物」「景清物」「隅田川物」「義経物(判官物)」「太平記物」「忠臣蔵物」などがあり、それぞれ特有の約束ごとが設定されている。当時の観客はこれらの約束事に精通していたので世界が設定されている事により芝居の内容が理解しやすいものになっていた。ただし世界はあくまで狂言を作る題材もしくは前提にすぎず、基本的な約束事を除けば原作の物語から大きく逸脱して自由に作られたものである事も多く、登場人物の基本設定すらも原作とかけ離れている事も珍しくない。
複数の世界を組み合わせて一つの演目を作る事もあり、これを綯交ぜ(ないまぜ)とよぶ。世界毎に描いている場所や時代が異なるはずであるが、前述のように世界はあくまで題材にすぎないので、無理やり複数の世界を結び付けて1つの演目を作りだす。
江戸時代に作られた演目のその他の特徴として「その長さが長大な事」、「本筋の話の展開の合間に数多くのサイドストーリーを挟んだり場面ごとに違った種類の演出(時代物と世話物)が行われたりする事」等があげられる。前者はこれは当時の歌舞伎が日の出から日没まで上演した事による。一方後者は興行の中に様々な場面を取り込む事で多種多様な観客を満足させる事を狙ったものである。
現在ではこのような長大な演目の全場面を上演する事(通し狂言)はまれになり、複数の演目の人気場面のみを順に演じる事(ミドリ/見取り)が多い。昭和のはじめごろまでは、演目を並べるときに「一番目」(時代物)、「中幕」(所作事または一幕物の時代物)、「二番目」(世話物)と呼ぶ習慣があったが、現在では行われていない。
また江戸時代には(当時における)現代の人物や事件やをそのまま演劇で用いる事が幕府により禁止されていたので、規制逃れのため登場人名を仮名にした上で無理やり過去の出来事として物語が描かれるという特徴もある。しかし仮名といっても羽柴秀吉の事を「真柴久吉」と呼ぶ程度のものなので、このように歪曲された演目の内容から真に描きたい事件を読み解くのは容易であった。
歌舞伎定式幕。国立劇場大劇場の幕間、市村座様式。銀座歌舞伎座の幕(森田座様式)とは色の配列が違います。
■柳橋(やなぎばし);かつて東京都台東区柳橋に存在した花街で、新橋の花街が明治にできたのに対し、柳橋は江戸中期からある古い花街です。
柳橋の芸者や幇間連中がワッと押しかけ、と言っていますが、柳橋までは、小伝馬町、馬喰町を抜けて行くと、約1.5kmで柳橋の入り口浅草橋に行けます。大店の旦那のご指名とあらば喜んで飛んでくるでしょう。
正面に見えるのが、神田川に掛かる柳橋。その袂のビルが亀清楼、略して”亀清”です。橋の手前が柳橋(街)。
■本町二丁目(ほんちょう2ちょうめ);現在の中央区日本橋室町二~三丁目、日本銀行の東側。当時の大店(おおだな)が集まっている商業の中心地。
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