落語「権助提灯」の舞台を行く
   

 

 立川談志の噺、「権助提灯」(ごんすけじょうちん)


 

 「悋気は女の慎むところ、疝気は男の苦しむところ」、と昔は言われた。ヤキモチは男も焼くし、当然女も焼きます。焼きすぎるのも困りますが、焼かないのもいけません。
 お妾さんは別邸に住まわせておくだけではなく、本宅の奥さん公認で、盆暮れ年2回挨拶に来なくてはいけない。本妻とお妾さんでは焼き方が違う。お妾さんは白髪はイヤだと膝枕で白髪を抜き、本妻は、白髪があるのは商いに信用がつくと言うことで、黒髪を抜いて、旦那一人を坊主にしてしまった。

 お妾さんを本妻に紹介したら、「良いわよ」と言うことでOKが出た。
 遅くまで帳合いをしていたが、外は風が強くて火事が心配であった。「あの子(妾)の家は婆やとチンだけで心配だから、今晩はあちらに泊まってくださいな」、「そうか。お前が言うなら」。と言うことで権助を提灯持ちに出掛けた。権助は手鼻はかむし、煮染めた手ぬぐいでほっかむりするが破れた穴から髪の毛が出てボウボウとしている。尻っ端折りをしても汚い褌が見えて恥ずかしいのに、ツバは吐く、立小便はするで困った奴で、渋々同行させたが今宵も提灯持ちが後ろから来るので小言を言った。「こないだの立小便でこりて、使わないと思ったら、今晩もお供だ。店の者を起こして、『提灯持って妾の所に行く』と言えば怒るよな」、「黙って歩け」。「奥さんもいるのに女を囲って」、「男は欲の深いものだ」、「今晩は余計に小遣いくれっか」、「欲の深い奴だ」、「今、『男は欲の深いものだ』と言っただろ」。

 お妾さんの所に着いた。「嬉し~わ。いつも奥様から着物だ、お芝居の券だとかいただいて、果報者です。でもそれに甘えてはいけないと思うの。今晩はあちらにお泊まりになって」、「お前が言うのなら仕方が無い。そうするよ、火の用心して戸締まりもしっかりしてな。権助、提灯に火を入れろ」、「自分の女なのに泊まれないのか。だったら俺と一緒に繰り込むか?そんな元気もあるまい。足元に気を付けろや」。しょぼしょぼと帰ってきた。

 「開けろや~ぃ。旦那無駄足こいて帰ってきたぞ~」。「どうしたんですか」、「向では『お前に何時も大事にしてもらっている。でも、甘えていたら、駄目な女になってしまう』、と言うので、こちらに帰ってきた」、「立派ですね。でもこちらに泊めると示しが付きませんから、今晩はあちらに泊まってください」。
 「権助、提灯に火を入れろ」、「消さないで待っていたワ」、「馬鹿野郎。何で無駄なことをするんだ。1本で済むところを2本使うんだ。それを無駄だと言うんだ」、「自分で言ってて気が付かないのか。二つ有る無駄が分からないか」、「皮肉な奴だな」。

 「向がダメでこっちがダメ、行くところが無くなっちゃったな。おれの国に来るか」。「早く起こしな」、「開けろ~~、無駄足こいて返ってきたぞ。寝たふりするな~」、「どうしたの?イヤよ、あちらに泊まって」、「権助、提灯に火を入れろ」。暗い中戻ってきた。
 「何遍言わせるんですか。向に泊まってください」、「権助、提灯に火を入れろ」。
 「ダメよ。あちらに泊まって」、「権助、提灯に火を入れろ」、「それには及ばない」、「どうして」、
「夜が明けたぁい~」。

 



ことば

提灯(ちょうちん);伸縮自在な構造で細い割竹等でできた枠に紙を貼り底に蝋燭を立てて光源とするもの。 内部に明かりを灯し、紙などの風防を通して周囲を照らす。「提」は手にさげるという意味で、携行できる灯りを意味する。いわば昔の懐中電灯で、中に蝋燭を点して持ち歩いたが、現在では祭礼の際を除くと、日常の場でこのように使われることはほとんどない。 近年は、竹ひごや紙の代わりにプラスチックのシートを使い、蝋燭の代わりに電球を使って、主に祭りなどのイベントや看板として使用されることが多い。インテリアや土産物などとしても販売されている。落語「提灯屋」に詳しい。

 

提灯持ち;江戸の街は街灯が有るわけで無く、家々では雨戸を立てて暗い蝋燭の明かりが外まで漏れることも無く、真っ暗であった。満月の夜ぐらいは、ある程度の明かりは有ったが、暗いので提灯は必需品であった。大店の旦那は提灯持ちとして小僧や釜焚き男の権助に提灯を持たせた。
右図;「かよひ小まち」豊国画 ぶら提灯を下げた女。

 日本文化で特筆しなければいけない物に、使わないときには小さくしまえると言う便利さです。例えば、『夜具』はたためば小さくなって押し入れにしまうことが出来ます。西洋文明ではベットがありますが、一つ部屋を占領して、寝室としか利用できません。この噺の『提灯』も使うときは必要な大きさになりますが、使わないときはたたんで小さくなって場所を取りません。終戦後まであった『ちゃぶ台』も食事をするときだけ出して、食卓としました。『屏風』もしかり、使うときは広げて目隠しや背景としますが、使わないときはたたんで、部屋の隅に立てかけておけば場所ふさぎにはなりません。着物でも折りたたんであれば、折り紙のように平らな一枚になりますが、着れば立体的なフォルムになります。小さな部屋を多目的な利用方法が出来るのも日本家屋の特徴で、部屋の間仕切りの襖を開ければ、または取り外せば広いワンルームとして活用できます。
 これらの事に日本人が気づいたのでは無く、アメリカからやって来たモースが見つけて文章に残しています。
エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse、1838年6月18日 - 1925年12月20日)は、アメリカの動物学者。標本採集に来日し、請われて東京大学の教授を務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した。大森貝塚を発見発掘し、日本に初めて、ダーウィンの進化論を体系的に紹介した。多くの民芸品や生活必需品、陶磁器を収集し、帰国後日本の文化を伝える博物館を建て、現在の日本にも現存していないものが数多く保存されています。

お妾さん;関西では「お手掛さん」、関東では「お目掛さん」、どちらも同じ事ですが、手を掛けるのと目を掛けるのでは、ちょっとニアンスが違います。どちらがイイのでしょうか。
 また、「二号さん」、関西では「こなからさん」という呼称があった。こなからさんとは、半と書いて「なから」と読みます。その半分「こなから」で、一升の半分の半分、つまり二合半、二号はんです。

 桂庵というシステムがあって、色々な奉公先を世話していた。
桂庵;(けいあん=口入屋=私設職業紹介所) 当時の求人には、武家の下級武士や下働き、商家、職人の下働きと男女の差も無く、多くの求人があった。また季節労働者として農閑期を利用して信濃方面からの出稼ぎを”椋鳥(ムクドリ)”と称した。通常の就職先はコネや紹介があって初めて成り立ったが、それらの無い者は口入屋で寝泊まりして求人先を待った。そのため口入屋のことを人宿(ひとやど)と呼んだ。口入屋では奉公人の身元保証人になって斡旋し、その代償として最初の給金の1割程度、主人と奉公人の両方から受け取った。期間も1年、半年、月、日雇いなど、いろいろあった。
 女性求職者では武家への求職が特に人気があった。町方の娘は武家に入って給金をもらうのは当然として、それより行儀見習いを習得し、良縁を期待して親たちが特に勧めた。このため武家側が強気になって、三味線、小唄、踊りなどの歌舞音曲が出来る娘を優先した。そのため親たちはこぞって7~8歳になると娘を手習いに出した。その結果江戸の街には遊芸を教える師匠が沢山出来た。良縁願望→武家奉公希望者増大→歌舞音曲師匠の増大→江戸の邦楽の発展に大いに寄与した。
 出稼ぎや、奉公、武家への求職は当然であったが、その他にも大名行列の行列要員、妾等の求人もあった。
落語「悋気の独楽」より

婆やとチン(犬);お妾さんを一人で住まわせるようなことは、金持ちはさせなかった。婆やさんは家の細々とした事やお妾さんの世話をした。お妾さんは座敷犬のチンを愛玩していた。
 チン(狆);小型ながらも活発で、体高と体長がほぼ一緒の体型をしています。頭がよく、知的な表情をしており、どこか東洋的で高貴な雰囲気を漂わせています。目の端に白い被毛があり、少し驚いたような表情をしているのも特徴的です。優雅に軽やかな足取りで歩き、東洋的な気品を持ち合わせています。五代将軍綱吉の治世下(1680 - 1709年)では、江戸城で座敷犬、抱き犬として飼育された。また、吉原の遊女や花柳界でも好んで狆を愛玩したという。大正時代に数が激減、第二次世界大戦によって壊滅状態になった。
セパードやブルドッグでは女性が引き立ちません。やはり小型犬のチンでしょう。

悋気は女の慎むところ、疝気は男の苦しむところ;悋気(りんき)=ヤキモチは女性が慎まなくてはいけないこと。疝気(せんき)=下腹部の痛みで男が苦しむこと。落語「疝気の虫」に詳しい。

火事(かじ);江戸の街は火事によく見舞われた。特に冬場の火事は北風に煽られて大火になることが多く、江戸っ子は火事には大変気を使った。江戸の名物に「武士鰹大名小路広小路、茶店紫火消錦絵、火事に喧嘩に中っ腹 」と言う言葉があり、火事が入っていた。落語「二番煎じ」に詳しい。

権助(ごんすけ);キャラクターが出来上がっている与太郎さんや甚兵衛さんと同じように、落語国では権助と言えば地方から出てきた、釜焚き男の代名詞で、キャラクターが決まっています。山出しの不粋で融通が利かない男ですが、力持ちで正義感も持ち合わせています。落語「木乃伊取り」にも出てきます。
 一晩中連れ回されても給金は同じ。江戸時代には労働基準法なんて有りませんでしたから、オーバータイムの手当も無く、休日も年二回しか有りませんでした。



                                                            2015年4月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system