落語「三で賽」の舞台を行く
   

 

 三代目柳家小さんの速記の噺、「三で賽」(さんでさい)より


 

 髪結いの亭主で、自分は細々と人に小金を貸したりして暮らしている甚兵衛という男。 死んだ親父は「チョボ一の亀」と異名を取った名代のバクチ打ちだが、親父の遺言で、決して手慰みはしてくれるなと言われているので、身持ちは至って固い。
  しかし、甚兵衛がその実欲深でおめでたく、かなりの金を貯め込んでいることを聞き込んだのが、町内の札付きの遊び人、熊五郎と源兵衛。 ここは一つ、野郎をペテンにかけて、金を洗いざらい巻き上げようと悪だみを練る。

  二人は甚兵衛に、金持ちの旦那方が道楽にバクチを開帳するので、テラ銭ははずむから、奥座敷を貸してほしいと持ちかける。 つい欲に目がくらんだ甚兵衛、承知してしまい、臨月のかみさんをうまく言いくるめて実家に帰す。
  熊と源は、仲間を旦那衆に化けさせて当日甚兵衛宅に乗り込み「人数が足りないから、すまねえがおまえさん、胴を取ってくれ」と持ちかけた。 親父がバクチ打ちなので、胴元がもうかることくらいは百も承知の甚兵衛、またもう一つ欲が出て、これも二つ返事で引き受ける。
  ところが、二人が用意したのは、三の目しか出ないイカサマ采。おかげで、たちまち甚兵衛はスッテンテン。 その上、なれ合いげんかを仕組み、そのすきに親父の形見の霊験あらたかな「ウニコーロの采」と全財産をかっつぁらって、熊と源はドロン。

 だまされたことに気づいた甚兵衛だが、もう後の祭り。 泣いていると、大家がやってくる。 「大家さん、三で采を取られました」、 「なに、産で妻を取られた?」、 「親父が遺言で、女房をもらっても決してしちゃあいけないと言いましたが、ついつい、熊さんの強飯にかかったんで・・・」、 「なに、もう強飯の支度にかかった?そいつは手回しがいい。して、寺はどうした?」、
「テラは源さんが持っていきました」。

 



ことば

廃れた噺;明治29年(1896)の三代目柳家小さんの速記がありますが、この噺自体は、小さん以後、ほとんど演じ手がありません。 本来この噺には、マクラとして現在「看板のピン」と題する小咄がつきます。四代目小さんが「看板のピン」の部分を独立させ、一席噺に改作したもので、こちらは五代目小さんが継承、得意にしていました。 本体であるはずの「三で采」がすたれたのは、ダジャレオチでくだらないのと、ストーリーがややこしくて、すっきりしないところがあるからなのでしょう。

オチ; 「居残り佐平次」のそれと同じく、「だまされた」の意味の「おこわにかかる」を、大家が葬式の強飯(おこわ)と勘違いしたもの。

チョボ一;私はやったことが無いので、ウイキペディアから引きます。
 サイコロ1個(若干大きめ)、1~6までの数(六等分に区切る)を表す紙(ないしは布)、サイコロを振る物(壺ザルや茶碗、丼など)を用意します。
 ルールとして、
1.六等分された紙には1から6までの数字を表記しておく。
2.親をサイコロの目の大小などで決める。
3.親が決まったら子は1から6までの数字が書かれた部分にチップを置く。
4.全員がチップを置いたら親がサイコロを振る。出た目に賭けた者を勝者とし、その出目の数字に賭けたチップ
  の4倍を受け取ることが出来る。それ以外の人は賭けたチップをすべて没収される。
5.自分のチップの持ち具合によって、親を廻す(交代する)。
 落語「狸賽」(たぬさい)、「しじみ売り」、「看板のピン」等でもこの賭博が出て来ます。

ウニコーロ; 「ウニコーロ」とはポルトガル語で、北洋産のイルカに似た海獣とされます。雄の門歯が一本に長く突き出しているので、一角獣とも呼ばれます。その牙で作ったのが、ウニコーロ(ウニコール)の采です。現在は根付けとして、象牙細工のように使われています。
 落語「お玉牛」から孫引き。下左、一角獣、その牙の拡大図。

髪結いの亭主(かみゆいの ていしゅ);女房に働かせて、亭主は仕事をせずに遊んでいる夫。江戸時代には女性が働ける職場は少なかったのですが、女髪結いはその中でも貴重で、女性に働かせて亭主は昼から酒を飲んで遊んでいました。
 落語「厩火事」に髪結いの亭主のことが出ています。お先さんの言うことも一理あります。

ペテンにかける;《中国語からか》うそをついて人をだますこと。また、その手段。巧妙な手段で人をだます。巧みな手段にうまくだまされる。「―・けて金をまきあげる」。

テラ銭(てらせん);ばくちや花札などで、その場所の借賃として、出来高の幾分を貸元または席主に支払うもの。てら。寺金。昔、寺で博打を開帳しその場所代として寺に支払った銭貨。

臨月(りんげつ);出産する予定の月。うみづき。

胴を取る(どうをとる);ばくちなどの親。賭場を主催している者。采(サイ)の筒を振る意から起ったという。どうおや。貸元。

(さい);双六・博奕(バクチ)などに用いる具。角(ツノ)・象牙・木などの小形の立方体で、その6面に、1・2・3・4・5・6の点を記したもの。さいころ。「骰」「賽」「」とも書く。「サイの目」。

強飯に掛ける;「居残り佐平次」のオチについて。元来のオチは「ひとをおこわにかけやがって」と主人が怒ると、若い者が「旦那の頭がごま塩だから」と落とす。
  この「おこわ」は赤飯(せきはん)のことで、「おこわにかかる」は人をだます。一杯くわせることで、赤飯のごま塩と御主人の白髪混じりの頭とをかけたものだが、現代では分からないオチの一つになってしまった。(私も分からず、国語辞典を引いてしまった)
 立川談志はこのオチを、主人が表から返すというので、「あんなやつ裏から返したらどうなんです」と若い者が言うと、主人は「あんなやつに裏を返されたらあとが怖い」と変えた。上のオチより数段あか抜けして分かりやすい良いオチになった。
 ここでも解説、水商売で遊ぶとき、初めての時は「初会」、二度目に行くことを「裏を返す」、三度目からが初めて「なじみ」となって、常連さんとなる。この事にかけて二度もこられたら大変だという旦那の気持ちが伝わってくる。このオチも昭和33年3月に吉原が無くなって40年以上経つ今、若者には通じづらくなってきた。
  郭の世界で使われる言葉、事象がますます遠いものになってきた。残念。
 落語「居残り佐平次」より孫引き。



                                                            2020年5月記

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