落語「堪忍袋」の舞台を行く
   

 

 四代目三遊亭金馬の噺、「堪忍袋」(かんにんぶくろ)


 

 年がら年中喧嘩をしている大工夫婦がいた。長屋の中で大声で喧嘩をされては周りの者も気分が悪い。お店(たな)の旦那が通りかけ、「『笑う門には福来る』と言うじゃないか。喧嘩をしていてはカネもたまらない」と夫妻をなだめ、中国の故事を語って聞かせた。

 何を言われても怒らない男がいた。イヤなことが有ると家に帰ってきて、イヤなことを瓶に吹き込んで蓋を閉めていた。それを知らない仲間が彼を料理屋に呼び出し、恥をかかせてみるが、それでも男は怒らず、ニコニコと笑ったのち、「ちょっと用事があるので、これで失礼します」と言って家に帰って瓶に怒鳴り込んだ。仲間は「さては、家で奥様か奉公人に八つ当たりをしているな」と冷やかしに男の家に押しかけたが、男は客を奥に通し歓待した。それ以後、『大した男だ』、『あれは偉い人間だ』と評判になり、信用を付けて大金持ちになった。
 「二人に喧嘩はするなと言っても無理だから、たとえば袋をひとつ、おかみさんが縫って、それを『堪忍袋』としろ。その中にお互いの不満を怒鳴り込んで、ひもをしっかり締めておき、普段はニコニコしていれば夫婦円満になれる。まずは実行してみろ」。

 さっそく、かみさんに袋を作らせ、袋に口をつけて叫び込んだ。「今日は旦那が見えたから止めたんだ。亭主を亭主と思わない、スベタアマーッ」、「毎晩遅くまで飲んだくれて、女の尻を追いかけるこの助平野郎~ッ」、「笑って袋を返すんだ。夜の遅いのは男の働きだ。ヤキモチする前に鏡を見ろ。このオカメ、バカ、ヒョットコ、ドジ~。はは~」、「ヤキモチじゃないよ。家が可愛いからだ。博打も止まず、すってんてんで帰ってきて、このオケラ野郎~~」。
 これを表で聞いていた若い連中が、又喧嘩が始まったと思い、嫌々ながら仲裁に出掛けた。お茶でもどうぞとニコニコ顔でかみさんが言うので、こそこそと戻ってきた。何処にも喧嘩は無いと言っているそばから、「馬鹿野郎~~」と怒鳴る声がした。もう一度行ったが、喧嘩の様子は無い。訳を聞いたら、堪忍袋に怒鳴っていて、我々は喧嘩なんかしていないと言う。
 「怒鳴った後はスーッとして気分が良い」、「だったら、俺にも貸してくれないか」やり方を聞いて、自分のおかみさんの悪口をさんざん怒鳴り込んで行った。

 それから、近所の者が、これは便利だと借りに来た。袋は人々の「喧嘩」でいっぱいになってふくれ上がり、もう少しでも吹き込んだら堪忍袋の緒が切れそうになってしまった。夫婦揃って相談したが、解決法が出ないので、明日旦那に会うから、その時聞くことにした。誰が来ても貸さないように、戸を閉めて寝てしまうことにした。
 戸をたたきながら「開けろ~」と叫ぶ酔っ払いの声がする。仕方なく開けると、長屋仲間の辰が泥酔し転がり込んできた。「仕事の後輩が若いのに生意気で、俺の仕事にケチをつけやがるからポカポカ殴ったら、みんなが俺ばかりを止めて、逆に若いのに殴られ放題になった。我慢がならねえから、堪忍袋にぶちまけさせろ。オッカアに言ったらここに袋が有るというので貸してくれ」、「駄目だ、袋がいっぱいなんだよ」、「やかましい、貸せ」 辰が袋をひったくって乱暴に扱った拍子に袋の緒が切れ、中の「喧嘩」がいっぺんに飛び出し、
『馬鹿野郎~、何言ってんだ、オカメ、、この野郎、ベチャクチャ・・・●×△□●×△□●×△□~』。  

 



ことば

堪忍;怒りをこらえて許すこと。勘弁。 堪忍についての言葉も多く有ります。
堪忍袋;堪忍をする度量を袋にたとえていう語。こらえぶくろ。



堪忍袋の緒が切れる;ジッと我慢していたことが押さえきれなくなり、怒りが爆発すること。堪忍袋は心の広さを表す言葉。古川柳に「堪忍の袋大きな程がよし」。
堪忍蔵・堪忍庫;堪忍袋に同じ。堪忍蔵の戸があいた=堪忍袋の緒が切れた。
堪忍5両、思案10両;我慢することは5両の価値があり、熟慮することは10両の価値がある。古川柳に「堪忍の一字が2両2分につき」。
堪忍5両、負けて3両;堪忍すれば5両の価値があるが、たとえ堪忍がやや足りなくても3両の価値がある。
堪忍は一生の宝;堪忍は幸福をもたらす美徳であり、生涯守り通すべきである。

 堪忍袋だけではなく 「腹の立つ事なども当神社にお納め下さい」、親切なお宮さんです。新宿・花園神社にて

笑う門には福来る;いつもにこやかに笑っている人の家には、自然に幸福がやって来るということ。
 金馬はマクラで、財布が落ちていて、拾い上げたら向かいの家で笑い声がした。拾った男は「悪ふざけをして、俺を笑ったな」と思い、その財布を、笑った家に投げ込んで怒って行ってしまった。投げ込まれた家では別の話題でたまたま笑っただけで、投げ込まれた財布を見ると大金が入っていた。笑っているだけで大金が転がり込んできた。

長屋の喧嘩;長屋の壁は薄く左右の部屋には筒抜けで聞こえてしまいます。同じ喧嘩でも「殺せ~」、「殺してやる」等と物騒な会話が飛び出る喧嘩は黙っている訳にもいかず、仲裁に入らざる終えなくなります。ましてや、この噺の仲裁人は表で将棋を指している連中に聞こえ、将棋どころでは無くなって、嫌々仲裁に行きます。大きな声で怒鳴り合っていたのでしょうね。

オカメ;下ぶくれの鼻低、頬骨が出たお多福の面に似た顔の女。醜い女をあざけっていう語。お多福は平安期には美人の代名詞。福が多いといい、縁起物にはお多福が使われる。
右写真;江戸東京博物館、熊手の中にあしらわれたお多福。

ヒョットコ;(ヒヲトコ(火男)の転という。火を吹くときの顔つきからか) 片目が小さく口のとがった男の滑稽な仮面。潮吹面。また、その仮面をかぶって踊る滑稽な踊り。
 男子をののしっていう語。カミさんに言っている言葉ですが、男のようなカミさんなんでしょう。

オケラ野郎;無一文になることをオケラといい、そのような野郎を指して言う言葉。競馬場の帰り道、金が無い連中が歩くからおけら街道。虫のオケラを見ると前足がバンザイしているように見えるからと言う。

スベタアマ;スベタ=顔かたちのみにくい女。また、女を卑しめてののしる語。アマ(尼)=女をののしっていう語。あまっこ。あまっちょ。



                                                            2015年4月記

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