落語「ついたて娘」の舞台を行く
   

 

 柳家喬太郎の噺、「ついたて娘」(ついたてむすめ)より


 

 茶屋に遊びに来た若旦那。ひと遊びをしたあと、馴染みで将来の約束を交わした芸者と二人だけで話をしたいと人払いをします。 若旦那は、何も描かれていない真っ白な衝立を見て、「茶屋だからもう少し色気のあるものを置けばよいのに」と言いますと、芸者は「この衝立は、あるいわれのある物」だと言い、話し始めます。

 「遊びも知らない朴念仁の若い学者特恵(とっけい)が、たまたま通りかかった骨董屋で衝立てに描かれた少女に魂をうばわれてしまったんです。彼は『この少女をどうしても欲しいッ』と言うので、店主に聞くと『絵の主は花魁でもなく普通の娘さんです。落款もなければ描かれた時代も分かりません。お気に召したらお譲りしますよ』、『で、いかほど?』、『千両』、『高いッ』、『では、この辺で・・・』と求めて来た。
 その日から学者はその絵を眺めて暮らすのが日課となり、学業も手につかない。 思いつめたあげくに食事も喉を通らなくなり、やせ細っていくのを長屋の衆が心配して、寺の住職を呼んで特恵に話をしてもらうことにします。
  住職は『長屋の衆に頼まれて来ました。画家は昔に亡くなっていても、絵の中で魂はまだ生きている』と言います。『その少女に名前をつけ、毎日名前を呼び、上等の酒を少しでも買ってきて絵の前に盃を置いて飲み交わしなさい』と教えます。『名は永遠(とわ)に添い遂げたいという思いで名前を”おとわ”と付けました』、『それは良い、毎日名前を呼び、盃を交わしなさい』。
 和尚の話を聞いて床から離れ、酒を買い、盃を交わすようになった。『おとわ、今日は・・・だったよ』とか『今日見た夢は・・・だったよ』と語りかけています。ある晩、『おとわ、私は寝るよ』、『お早いんですね』、『え、えッ?』、『お休みになるの』、『私は何も言っていない』、『先生。あなた、毎日私を愛おしく思ってくださりありがとうございます』。『とうとう気が触れたか。それとも夢か?お前は、とわ、かいッ』、『貴方の思いで衝立から出ることが出来ました』、『夢なら醒めないでくれ』、『永久に一緒にいてくれますね』、『絵では無く、血の通った娘だ』、『先生、ずっと優しくしてくれないと、また、衝立に戻ってしまいますよ』。
 と、言うことが有ったんですって若旦那」。

 「へ~、そうかい」、「だから真っ新(さら)な衝立なんですって」、「その娘の絵に会いたかったね。その先生、他に目移りしなかったのかね」、「そんなことは無かったんです。その証拠にはこの衝立が真っ新でしょ。若旦那、私いつまでも座敷に出ているのが疲れてきたの。言って下さったわよね、引いて下さるって。私をおかみさんにして下さるって」、「そうだとも」、「ズ~ット可愛がってくれますね」、「当たり前だッ。チョットはばかりに行ってくる」。
 「可愛いことを言うな。よ~元気かッ」、「あら、姐さんのとこに来ているの」、「そうなんだけれども、アイツは焼きもち焼で困ったもんだ」、「所帯を持つんでしょ」、「所帯を持つんだけれど、ちょいと重いかな。あんなんじゃ、これから苦労するかも知れないな」、「じゃ~、止すの」、「そしたら一緒になるかぃ」、「ヤダ~、姐さんに怒られるわ」、「分かりゃ~しないよ」、「私その気になりますよ」、「言わなければ分からないんだから」。
 「ただいま、お~ぃ、・・・何処行っちまった・・・。あ~ッ、絵になってやがら」。

 



ことば

青木(白梅園)鷺水(あおきろすい); 1658-1733 江戸時代前期-中期の俳人、戯作(げさく)者。 万治(まんじ)元年生まれ。京都の人。伊藤信徳(しんとく)にまなび、俳諧(はいかい)、雑俳の点者になり、おおくの俳書を刊行した。元禄(げんろく)後期からは浮世草子作者として活躍。享保(きょうほう)18年3月26日死去。76歳。名は五省。通称は次右衛門。別号に白梅園、歌仙堂、三省軒。著作に「誹諧指南大全」、作品に「御伽(おとぎ)百物語」など。

『衝立の娘』は、小泉八雲が江戸時代の作家 白梅園鷺水が伝えた話を小説としたもので、喬太郎が落語に仕上げています。 主役を若旦那と馴染みの芸者として話をはじめ、芸者が語る物語を劇中劇として、最後にもう一度主役を登場させる演出は、映画を見ているような秀逸さです。

ギリシャ神話にもこんな話があります。 女性嫌いの彫刻家のピグマリオンは「結婚はしない」と決意していましたが、若さの情熱と欲求から、大理石で美しい乙女の像ガラテアを彫ります。 生きているようなガラテアの像にピグマリオンは恋に落ち、頬をさすり、抱きしめてこの像を愛します。

  

  『ピグマリオンとガラテア』  ジャン=レオン・ジェローム  メトロポリタン美術館蔵。
血の通い始めたガラテアと喜び溢れてキスをするピグマリオン。

 耳飾りや指輪、真珠の首飾りを像につけ、ドレスを着せるとますます人間のよう。 ピグマリオンは、この像をベッドに寝かせ、枕にそっと頭をのせ、いつしか妻と呼ぶようになっていきます。 キュプロス島で行われる女神 アフロディーテの祭の日。 ピグマリオンは祭礼の後、祭壇の前でアフロディーテに「あの像に似た乙女を授けてください」とお願いします。 アフロディーテは、ピグマリオンの心を知り、ガラテアの像に命を与えます。

  

 「ジョゼフ・デニス・オデバイア作 1882年」彫刻の乙女を妻にしたいと強く願い、期待通りとなったピュグマリオン。

  ピグマリオンとガラテアはアフロディーテの祝福のもと結婚し、子供をパポスと名付けます。パポスの子キニュラスは王となって、アプロディーテ生誕の地を父の名「パポス」と名付けてアフロディーテに捧げ、立派なアフロディーテの神殿を築いてキュプロス島を繁栄させたと言われます。
 余談ながら、バーナード・ショウはこの話をもとに戯曲『ピグマリオン』を書き、後にブロードウェイミュージカル『マイ・フェアレディ』が生まれます。 

日本の話にも有ります。
 落語の中に、衝立の中に描いた雀が朝雨戸を開けると飛び出していきました。しばらくすると、戻ってきて衝立の中に収まり、毎日続くので有名になります。落語「抜け雀」。
また、竹を素材に水仙を彫り、水をあげると、その水仙が花開きます。落語「竹の水仙」。
又々、名人と言われた、左甚五郎が彫ったネズミが動いて驚かせることも有りました。落語「ネズミ」。
 日本でも名人が描いたり彫ったりすれば、魂が籠もっていて動き出すのです。

 落語だけでは無く、上野寛永寺に有ったという、鐘撞き堂の柱に彫られた龍が夜ごと隣の不忍池に水を飲みに行っていたと言います。夜遊びが過ぎるので、後ろ足を釘で留めたら、その後飛び立たなくなった。これも左甚五郎の作で、残念ながら明治の初年に戊辰戦争で焼けてしまいました。
 右図、焼ける前の寛永寺鐘楼。

 また、浅草寺周辺の田畑を荒らす馬がいました。百姓が困って、夜番をすると、その馬は浅草寺に入って行って姿が見えなくなってしまいました。翌日探しに行くと、その馬は絵馬の中に描かれた馬で、手綱を書き加えると、それ以後、田畑を荒らすことはなくなりました。『江戸砂子』より

   

 上絵;谷文晁(1763-1840)の絵馬「神馬」  金箔押し地に葦毛(あしげ)の駿馬を繋馬として描いた大絵馬。上記の左甚五郎の伝説を継ぐと言われる秀作。なお、伝説の絵馬は現存しない。天保2年(1831)奉納。 

ついたて(衝立);奥が見えないように腰高で足の付いた移動式目隠し。
 衝立障子(障子)の略。支脚台の上に襖(ふすま)障子や板障子などを立てて目隠しや間仕切に使うもの。古くから使われていたようだが、平安時代に住宅用家具として発達した。当時の衝立障子は布、絹、紙などを張り、周囲に唐錦の縁取りをし、框(かまち)と支脚台は木製漆塗で金銅金具が打ってある。布の場合は墨絵、絹と紙には彩色絵が描かれる。また通(ず)障子(透(すかし)障子)といって錦張りの障子の中に四角い窓をあけ、ここに御簾(みす)をかけたものもあった。
 和室向きだけでは無く、洋間や食堂、事務室にパーティーションとして多用されている。

  

 上、大型の衝立。これなら『おとわさん』がかがまなくても入れます。

茶屋(ちゃや);徳川幕府は茶屋や茶屋女を取り締まり、延宝(1673‐81)以後おもに数量規制で対処したが、実効は薄かった。料理茶屋の多くは貸席的性格をもっていたが、その中から貸席専業の待合茶屋、席貸(せきがし)が現れ、さらに男女の密会を専門とする出合茶屋(または大阪では盆屋(ぼんや))が分岐した。遊郭には編笠茶屋、引手茶屋があり、茶屋と略称されることがあった。
 引き手茶屋=遊廓(ゆうかく)で遊女屋へ客を案内する茶屋。江戸中期に揚屋(あげや)が衰滅した江戸吉原でとくに発達した。引手茶屋では、遊女屋へ案内する前に、芸者らを招いて酒食を供するなど揚屋遊興の一部を代行した形であった。そこへ指名の遊女が迎えにきて遊女屋へ同道した。引手茶屋の利用は上級妓(ぎ)の場合に限られたから、遊廓文化の中心的意義をもった。全盛期には仲ノ町の両側に並び尽くしたが、明治中期ごろから急速に衰退した。

朴念仁(ぼくねんじん);言葉少なく無愛想な人。また、道理のわからない者。わからずや。浮世風呂4「ぶしつけながらこの朴念仁につかまつてみじめヱ見るぜ」。

特恵(とっけい)さん;架空の名前で、私が勝手に漢字表記した名前です。
 とっけいで有名なものに、”とっけい”と鳴くヤモリ。トッケイヤモリ(Gekko gecko)は、爬虫綱有鱗目ヤモリ科ヤモリ属に分類されるトカゲ。ヤモリ属の模式種。別名トッケイ、オオヤモリ。
 全長18~35cm。頭部は、三角形で大型。背面は細かい鱗で被われるが、やや大型の鱗が混じる。体色は淡青色で橙色の斑点が入る個体が多いが、個体変異や地域変異がある。斑点は、尾では帯状になる。名前は、鳴き声に由来する。性質は乱暴で直ぐにかみつき、かみついたら放しません。
 右写真、トッケイヤモリ

花魁(おいらん);(妹分の女郎や禿(カブロ)などが姉女郎をさして「おいら(己等)が」といって呼んだのに基づくという) 江戸吉原の遊郭で、姉女郎の称。転じて一般に、上位の遊女の称。

落款(らっかん);(落成の款識の意) 書画に筆者が自筆で署名し、または印をおすこと。また、その署名や印。
作者のサイン。書画には落款が押されたが、彫刻には最近まで押されなかった。

引いて下さる;その職業(芸者)から止めさせ自分の元に来させる。進むのに合せてひき寄せながらある区域を経過する。力を加えて、自分の進むのに合せてついて来させる。



                                                            2020年8月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system