落語「狸の化け寺」の舞台を行く 桂米朝の噺、「狸の化け寺」(たぬきのばけでら)より
■狐・狸は人を化かす;化け狸(ばけだぬき)は、日本に伝わる狸の妖怪である。人間をたぶらかしたり、人間の姿に化けたりすると考えられている。
左図、河鍋暁斎画『狂斎百図』より「佐渡国同三狸」。人間の商人を相手に金貸しを営む団三郎狸(左上)。
佐渡の団三郎狸、徳島県の金長狸・六右衛門狸、香川県の太三郎狸、愛媛県松山市のお袖狸などのように、大きな能力や神通力を特にもつと考えられた狸は寺社や祠などが造営され、民間からの祭祀や信仰の対象にもなっている。現在確認されるその多くは江戸時代末期から昭和初期にかけて整備されたもので、霊験などが話題となり「流行神」といえるかたちで民間に大きな人気を得たものもある。それでは、下記に紹介します。
●団三郎狸(だんざぶろうだぬき)は、新潟県佐渡郡相川町(現・佐渡市)に伝わる化け狸。佐渡ではタヌキを狢と呼んでいたことから、団三郎狢(だんざぶろうむじな)ともいう。錦絵では同三狸とも表記される。淡路島の芝右衛門狸、香川県の太三郎狸と並び、日本三名狸に数えられている。
佐渡にキツネがいない理由として、団三郎が佐渡からキツネを追い払ったためといった伝説があり、ここに2つほど紹介すると。
●阿波狸合戦(あわたぬきがっせん)は、江戸時代末期に阿波国(後の徳島県)で起きたというタヌキたちの大戦争の伝説。
●太三郎狸(たさぶろうたぬき、たさぶろうだぬき)は、香川県高松市屋島に伝わる化け狸。山上の四国八十八箇所霊場第八十四番札所、屋島寺の「蓑山大明神由来」の説明板は、「屋島太三郎狸」である。伝説や民俗学に関する文献類では、「屋島の禿狸(やしまのはげだぬき)」と表記され、太三郎狸の通称とされている。
●八股榎お袖大明神(やつまたえのきおそでだいみょうじん)は、愛媛県松山市にある神仏習合の祠。
●芝右衛門狸、柴右衛門狸(しばえもんたぬき、しばえもんだぬき)は、兵庫県淡路島に伝わる化け狸。佐渡島の団三郎狸、香川県の太三郎狸と並び、日本三名狸に数えられている。江戸時代の奇談集『絵本百物語』にも記述がある。人間に化けて芝居見物をしている最中、犬に襲われて命を落としたといわれる。
●文福茶釜(ぶんぶくちゃがま);
狸が化けた茶釜が寺の持ち物となる昔話。群馬県館林市茂林寺の伝説では、狸が守鶴(しゅかく)という僧に化けて七代寺を守り、汲んでも尽きない茶を沸かしたとされている。
●狸囃子(たぬきばやし);
発生源をはっきりつかむことも確かめることも出来ない不思議な太鼓やお囃子の音。江戸(東京都)では、本所七不思議や番町七不思議のひとつなどにも数え挙げられており、深夜にどこからともなく太鼓の音が聞こえてくるものを「狸囃子」といった。童謡『証城寺の狸囃子』は證誠寺に伝わる伝説を元に作られた。
●宗固狸(そうこだぬき);
茨城県飯沼弘教寺に墓がある。寺の僧に化けていたが、ある日昼寝をして正体を現した。しかし、長く仕えたというのでその後も給仕をさせていたと伝えられている。
以上、この項、ウイキペディアより
■狸の金玉八畳敷き;何であんなこと言ぃ出したかといぅと、金を金箔にする場合に一匁(もんめ=3.75g)の金を狸の皮の間へ挟んで、それをトントン、トントンと叩くんですなぁ。で、段々だんだん広がって、これぐらい広がったやつを四つに切りまして、四分の一をまた真ん中に当てごぉてトントン、トントン叩いてまた広げる。 またその四分の一をまた・・・、とこぉいぅ風にドンドンドンドン広げていきますと、一匁の金がタタミ八畳に広がると、そぉいぅとっから、
■畔鍬組(くろくわぐみ);畦鍬(くろくわ)といぅものがございます。これはこの畦鍬組といぅのは、ものの本で読みますと戦国時代からあったそぉでございまして、クロは畦(あぜ)クワは鍬(くわ)でございまして、そぉいぅ農事に急に人手が要るときに手伝いに行くといぅよぉな、はじめはそんなもんやったんやそぉでして。で、戦国時代にはこのいわゆる雑兵(ぞ~ひょ~)ですなぁ、急に人足が要るとか、食料やら弾薬やら運ばないかんちゅうときに増員される。そのうちにこれが土木事業に従事するよぉになりまして、江戸時代に入ると畦鍬組といぅたら、まぁ土木・建築の足ごしらえ下場といぅ、いわば何々組の元祖みたいなもんで。こぉ屈強な若い男がぎょ~さん集まってやるんでっさかいね、かなり力仕事でもテキパキと片付けていくといぅので、こらもぉズッと幕末頃まであったよぉでございます。戦国時代、築城や道路づくりなどに従った人夫。黒鍬、久六鍬(きゅうろくぐわ)ともいう。
■狐の嫁入り(きつねのよめいり);日本の本州・四国・九州に伝わる怪異。「狐の嫁入り」といわれるものには、昭和中期頃までの嫁入り行列の提灯の群れを思わせる夜間の無数の怪火。俗にいう天気雨、古典の怪談、随筆、伝説などに見られる異様な嫁入り行列などがある。いずれも伝承上で人間を化かすといわれたキツネと密接な関連があり、平成以降の現代においても、それらにちなんだ神事や祭事が日本各地で開催されている。
「王子道狐の嫁入り(飛鳥山の図)」 広重画
■庄屋(しょうや);10万石以上の大名よりも裕福であった大庄屋もいたと伝えられている。有力家による世襲が多く、庄屋の呼称は関西、北陸に多く、関東では名主というが、肝煎というところもある。 城下町などの町にも町名主(まちなぬし)がおり、町奉行、また町年寄(まちどしより)のもとで町政を担当した。身分は町人。町名主の職名は地方・城下町によってさまざまである。
■二百十日(にひゃくとおか);
立春 (2月4日か5日) から数えて210日目の日。9月1日頃にあたるが、この頃はちょうどイネの結実時期であるうえに、台風の来襲する季節とも一致するので、昔から農家には厄日として警戒されている。10日過ぎた頃も台風の来襲することが多いので、二百二十日として警戒されている。雑節の一つ。
■幽霊の正体見たり枯尾花(ゆうれいのしょうたいみたりかれおばな);「尾花」はススキの穂のことで、幽霊だと思って恐れていたものが、よく見たら枯れたススキの穂だったという意味から。
疑心暗鬼で物事を見ると、悪いほうに想像が膨らんで、有りもしない事に恐れるようになるということ。
横井也有(よこいやゆう)の俳文集『鶉衣(うずらころも)』にある「化物の正体見たり枯れ尾花」が変化した句といわれる。
■山門(さんもん);
禅宗寺院の七堂伽藍(がらん)の一つで、寺院の正式な入口。古くは寺の南と東西に面して三つ、あるいは中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門としたもので三門と書かれた。また一つの門でも、空(くう)、無相(むそう)、無作(むさ)の三解脱門(さんげだつもん)の意味で三門とされた。三門が山門と書かれるのは、寺の多くが山に建立されたことによる。一般に二階造りの楼門で、入口の左右に金剛力士(こんごうりきし)の像、あるいは四天王像を祀(まつ)り、楼上には十六羅漢(らかん)像を祀る。なお、山門は寺院の総称ともなり、天台宗では園城寺(おんじょうじ)流を寺門(じもん)(派)とよぶのに対し、延暦寺(えんりゃくじ)流を山門(派)という。
■狸(たぬき);体長50~80cm。体重2~8.4kg。秋季には体重8~10kgに達することもある。冬場に向けてのタヌキは長短の密生した体毛でずんぐりとした体つきに見えるが、体毛に隠れて実は足も尾も長い。体色はふつう灰褐色で、目の周りや足は黒っぽくなっている。幼獣は肩から前足にかけて焦げ茶の体毛で覆われており、有効な保護色となっているが、成熟すると目立たなくなる。オスの精巣は、俗に「狸の金玉八畳敷き」と言われるが、それほど大きいわけではない。人を化かすと言うことも無い。
食肉目の共通の先祖は森林で樹上生活を送っていたが、その中から獲物を求めて森林から草原へ活動の場を移し、追跡型の形態と生態を身につけていったのが、イヌ科のグループである。タヌキは湿地・森林での生活に適応したイヌの仲間であり、追跡形の肉食獣に較べて水辺の生活にも適した体型である。胴長短足の体形など、原始的なイヌ科動物の特徴をよく残している。
民間伝承では、タヌキの化けるという能力はキツネほどではないとされている。ただ、一説には「狐の七化け狸の八化け」といって化ける能力はキツネよりも一枚上手とされることもある。実際伝承の中でキツネは人間の女性に化けることがほとんどだが、タヌキは人間のほかにも物や建物、妖怪、他の動物等に化けることが多い。また、キツネと勝負して勝ったタヌキの話もあり、佐渡島の団三郎狸などは自身の領地にキツネを寄せ付けなかったともされている。また、犬が天敵であり人は騙せても犬は騙せないという。
■狐(きつね);日本では、本州・九州・四国の各本島と淡路島にホンドギツネが、北海道本島と北方領土にキタキツネが生息している。佐渡島にも人為的な移入がなされたが、定着は確認されていない。
イヌ科には珍しく、群れず、小さな家族単位で生活する。イヌのような社会性はあまりないとされるが、宮城県白石市の狐のように、大きなグループで生活していた例も知られる。
生後1年も満たないで捕獲訓練をマスターし、獲物を捕らえるようになる。食性は肉食に近い雑食性。鳥、ウサギ、齧歯類などの小動物や昆虫を食べる。餌が少ないと雑食性となり人間の生活圏で残飯やニワトリを食べたりする。夜行性で非常に用心深い反面、賢い動物で好奇心が強い。そのため大丈夫と判断すると大胆な行動をとりはじめる。人に慣れることで、白昼に観光客に餌をねだるようになる事が問題になっている。
夜行性で、瞳孔はネコと同じく縦長である。野生のキツネは10年程度の寿命とされるが、ほとんどの場合、狩猟・事故・病気によって、2~3年しか生きられない。
■狢(むじな);アナグマの異名。また、毛色がアナグマに似ていることから、タヌキのことも混同して言う。
■大戸(おおど);家の表口にある大きな戸。
■阿弥陀はん(あみだはん);阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の中心をなす如来の一つ。
■二八(にはち);2X8で十六歳。そう、小娘です。
■姉さん被り(あねさんかぶり);女性の手ぬぐいのかぶり方の一。手ぬぐいの中央を額に当て左右の端を後頭部へ回し、その一端を上に折り返すか、その角を額のところへ挟むかする。あねさまかぶり。
北斎画 「潮干狩り図 部分」より 姉さんかぶり。
■紺絣(こんがすり);紺地に白を主体にして絣模様を織り出したもので、普通は綿織物。本来は染料にアイ(藍)を用いたが、近年は化学染料によるものが多い。耐久性があるので仕事着や普段着に用いられた。久留米絣、伊予絣、備後(びんご)絣などが代表的。
■手甲(てっこう);手の甲を覆うもの。武具は多く革製、旅行・労働用には多く紺の木綿が用いられた。てこう。
■脚絆(きゃはん);旅や作業をするとき、足を保護し、動きやすくするために臑(すね)にまとう布。ひもで結ぶ大津脚絆、こはぜでとめる江戸脚絆などがある。脛巾(はばき)。
■甲掛(こうがけ);労働や旅行のとき、日差しやほこりをさえぎるために手足の甲にかける布。特に、足の甲をおおうものをいう。
■忍(シノブ)売り;京都の大原女(おはらめ)は冬に焚き木を売り、夏にはシノブを売り歩いた。シノブは「釣り忍(シノブ)」として観賞用に用いる。
上、京都市時代祭で、大原女に扮した女性。
シノブ(Davallia mariesii Moore ex Baker)は、シダ植物門シノブ科に属するシダである。樹木の樹皮上に生育する着生植物である。
葉は三~四回羽状複葉っぽく裂け、全体としては卵形になる。小葉は先がやや細い楕円形。やや厚みがある革状の葉質をしている。小葉の裏面には、小葉全体より一回り小さいだけの胞子のう群がある。胞子のう群は包膜に包まれて、全体としてはコップ形で、先端の方に口が開いている。葉は冬に落ちる落葉性。ただし、南西諸島のものは常緑である。
茎は太くて長く伸び、表面には褐色の鱗片が一面にはえる。茎は樹皮に根で張りつき、枝分かれしながら樹皮の上をはい回る。よく育てば、木の幹の回り一面に広がって葉をつける。
■道中差し(どうちゅうざし);江戸時代、町人などが旅に出る時、携帯した護身用の刀。通常の刀よりもやや短い。道中差しは、
■燭台(しょくだい);寺院でろうそくを立てるための台。蝋燭(ろうそく)立て、蝋燭台、火立て、キャンドルスティック、キャンドルスタンドとも称される。
■欄間(らんま);部屋と部屋との境目や、部屋と廊下や縁側との境目に設けられ、採光、換気、装飾等を目的として、障子、格子、透かし彫り等の彫刻を施した板を嵌め込む。欄間に嵌め込まれる障子は欄間障子、格子は欄間格子と呼ばれる。
奈良時代から寺社建築において採光を確保するために用いられたと考えられ、後に貴族の住宅建築にも用いられるようになり、江戸時代以降には一般住宅にも採り入れられた。
■天人の彫り物(てんにんのほりもの);一般には虚空を飛ぶ天人のこと。ことに仏教において、仏(如来)の浄土の空中を飛びながら天の花を散らし、あるいは天の音楽を奏し、あるいは香を薫じて仏を讃える天人を意味する。天人のほかに菩薩も仏の徳を讃嘆して虚空に舞うが、日本ではそれを区別せず、いずれも飛天の名で呼び、多く女性像で表されるため天女とも呼ばれる。仏教の初期から表現されており、作例が見いだせる地域は仏教が普及した全域に及ぶ。インド地方では、サーンチー大塔東門の浮彫をはじめとして、ガンダーラ、マトゥラーなどに作例がある。
上、欄間の天女。
■横目つこてる(よこめ つこてる);流し目で見る。
■六尺棒(ろくしゃくぼう);樫材で作った、六尺(約180cm)の棒で泥棒退治に使った。
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