落語「産湯狐」の舞台を行く
原作:小佐田定雄
■産湯稲荷の舞台は、桂米朝の噺、「稲荷俥」(いなりぐるま)でも出て来ます。小さな神社なのですが大阪では有名な神社なのでしょう。
■小佐田 定雄(おさだ さだお);(1952年2月26日 - )演芸研究家、演芸作家、落語作家、狂言作家。関西演芸作家協会会員。本名、中平定雄。大阪府大阪市生まれ。1974年に関西学院大学法学部卒業。妻は、弟子のくまざわあかね。
■産湯稲荷(うぶゆ いなり);大阪市天王寺区小橋(おばせ)町3丁目3(小橋公園内、大阪城真田丸跡まで北に約500m)。東成区東小橋の式内社「比売許曽(ひめこそ)神社」は元々この地に鎮座していたと言われています。(下の写真の稲荷)
■眷属・眷族(けんぞく);血のつながる一族、従者。家来、仏や菩薩に従うもので、薬師仏の十二神将、不動明王の八大童子の類で、お稲荷さんは狐。天神さんは牛。大黒さんはネズミ。弁天さんは蛇。谷中天王寺毘沙門天は百足。等が有ります。
■狐(キツネ);哺乳綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ亜科の一部。
狭義にはキツネ属のことである。広義には、明確な定義はないがイヌ亜科の数属を総称するが、これは互いに近縁でない属からなる多系統である。
最も狭義にはキツネ属の1種アカギツネのことである。古来、日本で「狐」といえば、アカギツネの亜種ホンドギツネのことだったが、蝦夷地進出後は、北海道の別亜種キタキツネも含むようになった。
キツネを精霊・妖怪とみなす民族はいくつかあるが、特に日本(大和民族)においては文化・信仰と言えるほどキツネに対して親密である。キツネは人を化かすいたずら好きの動物と考えられたり、それとは逆に、宇迦之御魂神の神使(眷属)として信仰されたりしている。アイヌの間でもチロンヌプ(キタキツネ)は人間に災難などの予兆を伝える神獣、あるいは人間に化けて悪戯をする者とされていた。キツネが化けた人間にサッチポロ(乾しイクラ)を食べさせれば、歯に粘り付いたイクラの粒を取ろうと口に手を入れているうちに正体を表すという。 キツネは特に油揚げを好むという伝承にちなみ、稲荷神を祭る神社では、油揚げや稲荷寿司などが供え物とされることがある。ここから、嘗ての江戸表を中心とした東国一般においての「きつねうどん」「きつねそば」などの「きつね」という言葉は、その食品に油揚げが入っていることを示す。(畿内を中心とした西国では蕎麦に関してはたぬきと呼ばれる場合がある)。
鳥獣戯画に見る擬人化されたキツネ
■狐・狸は人を化かす;野山に棲息している狸(たぬき)狐たちが人間を化かしたり不思議な行動を起こしたりすることは、史料・物語または昔話・世間話・伝説に見られ、文献にも古くから変化(へんげ)をする能力をもつ怪しい動物・妖怪の正体であると捉えられていた一面が記されている。
落語の中にも色々取り上げられています。「まめだ」、「七度狐」、「狐芝居」、「狸の賽」、「狸の札」、「たぬき」、「狸の化け寺」、「田能久」、「天神山」、「吉野狐」、「乙女饅頭」、「霜夜狸」、「猫忠」、「紀州飛脚」、「王子の狐」、「化け物使い」等。結構有りますね。
■心丈夫(こころじょうぶ);頼りになる物や人があって安心できるさま。心強いさま。
■陰膳(かげぜん);長期の旅行や異境にある家族の者が飢えないようにと祈って供える食膳。家族の無事を願う習俗の一つで、全国各地にみられる。家族と同じ物、本人の好物、珍しい物を供える。その飯や汁の器のふたに露がついていれば、本人が無事だと喜んだり、ないと不吉の相として悲しむ俗信がある。地方によって膳を供える期間や回数はまちまちである。鹿児島県奄美群島では、陰膳の台に写真を飾りその前に茶を供え、さらに小刀を無事を祈る印として置く。
■葬礼(そぉれん);死体の処理に伴う儀礼で、葬式、葬儀などともいう。霊魂信仰を基調としてきた日本人の伝統的な考え方では、死体に含まれる霊魂の処理を完了するまでの全期間、つまり死の前後から死者の供養をしなくなる弔い上げまでを葬礼と呼ぶべきであったが、仏教が死の儀礼を専管するようになってから、埋葬または火葬以後の諸儀式を仏教式に供養と呼ぶことになったため、一般には息を引取ってから埋葬または火葬までの諸式を、葬礼と呼ぶことが多くなり、さらには遺体を葬家から墓地へ運ぶまでの諸式に限って、葬礼と呼ぶようにもなった。この狭い意味での葬礼は、家葬礼、庭葬礼、墓葬礼に分けることができる。家葬礼は出棺までの家屋内での諸式で、近親者が死者に別れを告げ、座敷から縁側を通って出棺するが、そのとき仮門といって、割竹などでつくった門形をくぐって出す (→死霊 ) 。庭では葬列を整え、左回りに3回まわったりする。墓では僧に引導を渡してもらい、近親者が少しずつ土を掛けてから埋葬し、土饅頭を築いて上に霊屋 (たまや) を載せ、供物や灯明や線香を上げたりする。
■願掛け(がんがけ);神仏などに願い事をする呪的行為をいう。個人祈願と共同祈願がある。一般に前者が多く、病気の治癒、商売繁盛、厄払い、縁結び、合格祈願などがその内容としてあげられる。後者は、村全体の生活がうまくいくようにと祈願するもので、雨乞い、虫送り、風祭などがある。願掛けは、神仏の霊験にすがるものであり、願いがかなった場合には、神仏詣でをし、旗や幟などを奉納して願果しを行うのが普通である。
■代参(だいさん);本人の代わりに神社・仏閣へ参詣すること。また、その人。
お伊勢参りで、代参の犬(シロ)は無事人間に換わって代参を勤めた。
■手水(ちょうず);1.神社や寺院で、参拝前に手を清める水。通常は手水舎(ちょうずや、てみずや)で用いる。手水舎、神道#簡易な参拝を参照。
江戸時代においては、農村部で大小便(し尿)を農作物を栽培する際の肥料としても使うようになり、高価で取引されるようになった。そこで江戸、京都、大坂など人口集積地の共同住宅である長屋などでは、共同便所が作られ収集し商売するものがあらわれた。農村部や都市の長屋では、居住空間である母屋とは別に、独立して便所が建てられる(母屋には便所はないので、一度外へ出ないと便所に行けない)形態が戦後まで行われていた。そのため、子供達は恐くて夜便所(厠)に行くことが出来なかった。
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