落語「姫初め」の舞台を行く 二代目三遊亭円歌「姫初め」(ひめはじめ)より 別名「わしがかか」
■露の五郎兵衛が、同じ噺を「わしがかか」と言う題でやっています。上方の噺家と江戸の噺家さんの違いは無く、艶笑噺は高齢でいやらしさが抜けてくると、聞いていても楽しいものです。ただ、これの概略をどう書くかが難しいところです。
■東海道の袋井(とうかいどう ふくろい);東海道は、江戸の日本橋から小田原宿、駿府宿、浜松宿、宮宿(熱田宿)を経て、七里の渡しで伊勢湾を渡り、桑名宿、草津宿を経て京都の三条大橋まで五十三次ある。距離は約490kmあり、山間部の経路をとる中山道よりも約40kmほど短いが、東海道には行く手を阻む大きな河川が何本もあり、六郷川(多摩川)、馬入川、富士川、天竜川は船渡しによる渡河が行われたが、大井川をはじめ、安倍川、酒匂川では江戸幕府により渡し船が許されず、川越人足(歩行渡し)による渡河をする必要があった。
東海道五十三次には、旅籠が全部で3000軒近くあったといわれ、宿場ごとによってその数は著しい差があった。人口の多い江戸や京都周辺や、箱根峠や七里の渡しなど、交通難所を控えた宿場も多かった。特に旅籠の数が多かった宿場は、七里の渡しの港があった宮宿(熱田宿)が247軒とその数は群を抜き、その対岸の桑名宿も120軒あった。宮宿は旅籠の数では、東海道はもとより日本一大きな宿場町であった。他に100軒を超えたのは、岡崎宿の112軒である。箱根八里の東麓に位置する小田原宿は95軒、西麓の三島宿にも74軒の旅籠があり、その手前の大磯宿(66軒)、平塚宿(54軒)、藤沢宿(45軒)と比べると多かった。このほか旅籠の多い宿場は、品川宿(93軒)、川崎宿(72軒)、戸塚宿(75軒)、浜松宿(94軒)、四日市宿(98軒)、草津宿(72軒)、大津宿(71軒)があった。
袋井宿(ふくろいしゅく、ふくろいじゅく) は旧東海道の宿場で、東海道五十三次の宿場の数では江戸から数えても京から数えても27番目で中間点にあたる。他の宿場より少し遅れて元和2年(1616)までに整備された。
現在の静岡県袋井市中心部にあたる。周辺に遠州三山をはじめ歴史ある寺や神社が点在し、それらのいわば門前町の形で栄えた。
東海道五十三次「袋井」広重画。 右側に見えるのが袋井宿、その手前の茶屋で一息。
遠州三山:以下の三寺。
■帳合い(ちょうあい);現金または商品の勘定と帳簿面とを照合して、計算の正否を取り調べること。
■卵酒(たまござけ);熱くした日本酒を砂糖・生卵を撹拌した中に入れ、一体化した状態で飲む。体を温め滋養が付く。戦後まで卵は貴重品で高価であり、それで作る卵酒は贅沢品だったので、風邪などで体調を壊した時でないと飲めなかった。私の子供時代、風邪の時のバナナと同じか。
■行灯(あんどん);木などの框(ワク)に紙を貼り、中に油皿を入れて灯火をともす具。室内に置くもの、柱に掛けるもの、さげ歩くものなどがある。あんどう。紙灯。
広重画『東海道五十三次之内(行書東海道)関 旅籠屋見世の図』。 入り口の板の間に大きな看板を置いています。箱看板の文字に「えさき屋 諸国商人衆定宿」と入っています。
■女の一人旅(おんなのひとりたび);女の一人旅は危険なのでしないものとされていた。宿も敬遠した。やむなく一人で旅をするときは、道々信頼できそうな人を見つけて同行を頼んだという。
■天竜川(てんりゅうがわ);長野県・諏訪から愛知県、静岡県を経て太平洋へ注ぐ天竜川水系の本流で、一級河川のひとつ。流路延長は213km(日本全国9位)、流域面積は5090km2(日本全国12位)。「天竜」はもともと、天から降った雨が諏訪湖へ流れ出て天竜川の流れとなることから、「あめのながれ(天流)」と読まれたが、のちに音読みとなったという説がある。
東海道五十三次「見附」広重画。 小さな袋井宿を抜けると、西に1里半で見附宿に入ります。その宿場を抜けると天竜川の渡しが待ち受けています。中州がある巨大な河口です。
■飯盛女(めしもりおんな);飯売女(めしうりおんな)。近世(主に江戸時代を中心とする)日本の宿場に存在した私娼である。宿場女郎(しゅくばじょろう)ともいう。
江戸時代、娼婦は江戸の吉原遊廓ほか、為政者が定めた遊廓の中のみで営業が許されていたが、飯盛り女に限っては「宿場の奉公人」という名目で半ば黙認されていた。飯盛女はその名の通り給仕を行う現在の仲居と同じ内容の仕事に従事している者も指しており、一概に「売春婦」のみを指すわけではない。
また「飯盛女」の名は俗称であり、1718年以降の幕府法令(触書)では「食売女(めしうりおんな)」と表記されている。
飯盛女達の客引き風景。木曾街道「深谷宿」 渓斎 英泉(けいさい えいせん)画。
■1両(1りょう);1両=4分 1分=4朱 4進法です。1両=4貫文(江戸前期)、中後期で5貫文。1貫文は1000文です。現在の換算で1両=8万円(~10万円)=5000文、80000円÷5000=16円、1文=16円です。1両10万円とすると1文=20円です。
「飯盛女は普段だったら2~3分(ぶ)なんだが・・・」と2階の男は言っていますが・・・、吉原価格でしょう。
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