落語「亀佐」の舞台を行く 桂米朝の噺、「亀佐」(かめさ)より
■お説教(おせっきょう);宗教の教義・趣旨を説き聞かせること。教理を説いて人を導くこと。
■節談説教(ふしだん せっきょう);仏教の教典や教義を七五調の平易な文句で、節回しをつけて説く話芸性豊かな説教。中世の安居院(アグイ)流などが源流となり、特に浄土真宗で昭和初期まで盛んだった。
■祖父江省念(そふえ しょうねん)さん;1905-1996 昭和-平成時代の僧。
明治38年9月18日生まれ。幼時から浄土真宗の節談(ふしだん)説教僧としての修業をつむ。独特の節回しで親鸞(しんらん)の一代記などをかたり、自坊の名古屋市有隣寺のほか全国各地で、最盛期には年間400回におよぶ説教の会をひらいた。平成8年1月2日死去。90歳。岐阜県出身。本名は省一。自伝に「節談説教七十年」。お孫さんが後を継いで節談説教をしています。
節談説教をする祖父江省念師
■砂川捨丸・中村春代(すながわすてまる なかむらはるよ);明治後期の「萬歳(まんざい)」の型を残しつつ、新たな要素も取り入れ演じ続けた、パイオニア的な存在。ボケとツッコミの2人が演じる、いわゆる「漫才」の形が一般的になってきた頃にも、ハリセンで春代が捨丸を叩くと言う、太夫・才蔵で成り立つ『萬歳』の形を伝えていた。その他にも串本節も取り入れ、全国に広めた功績がある。
「え~、漫才の骨董品でございましてぇ」のやり取りで始まる。捨丸は大正時代から紋付袴姿で鼓を持った愛嬌ととぼけたいでたちで高座を勤め、最後まで通し続けた。
また捨丸が一人で舞台立つこともあった、その時は録音した三味線と詩吟のテープで改良剣舞の「忠臣蔵」を踊ったこともあった。
■南無妙法蓮華経(なむ みょうほうれんげきょう);日蓮宗三大秘法の一。妙法蓮華経に帰依する意。これを唱えれば、真理に帰入して成仏するという。題目。本門の題目。七字の題目。御題目。髭文字で書かれる。
■日蓮さん(にちれんさん);(1222~1282) 日蓮上人。鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。初め蓮長。安房国小湊の人。初め天台宗を学び高野山・南都等で修行、仏法の真髄を法華経に見出し、1253年(建長5)清澄山で日蓮宗を開いた。辻説法を行なって他宗を攻撃し、「立正安国論」の筆禍により伊豆に流された。赦免後も言動を改めず、佐渡に流される。74年(文永11)赦されて鎌倉に帰り、身延山を開く。武蔵国池上に寂。著「観心本尊抄」「開目抄」など。
著作:『立正安国論』=旅客来(キタ)つて嘆いて曰く、「近年より近日に至るまで、天変・地夭(チヨウ)・飢饉・疫癘、遍く天下(テンガ)に満ち、広く地上に迸(ハビコ)る。牛馬巷(チマタ)に斃(タオ)れ、骸骨路(ミチ)に充てり。死を招くの輩(トモガラ)、既に大半を超え、之を悲しまざるの族(ヤカラ)、敢て一人(イチニン)もなし。然る間、或は「利剣即是」の文(モン)を専らにして、西土教主(サイドキヨウシユ)の名を唱へ、或は「衆病悉除」の願(ガン)を恃(タノ)んで、東方如来の経を誦(ジユ)し、或は「病即消滅、不老不死」の詞(コトバ)を仰いで、法華真実の妙文(ミヨウモン)を崇め、或は「七難即滅、七福即生」の句を信じて、百座百講の儀を調へ、有(アルイ)は秘密真言の教(キヨウ)に因つて、五瓶(ゴビヨウ)の水を灑(ソソ)ぎ、有(アルイ)は坐禅入定の儀を全うして、空観(クウガン)の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書して、千門に押し、若しくは五大力の形を図して、万戸に懸け、若しくは天神地祇を拝して、四角四堺の祭祀を企て、若しくは万民百姓を哀れみて、国主国宰の徳政を行ふ。然りと雖も、唯肝胆を摧(クダ)くのみにして、弥(イヨイヨ)飢疫(ケヤク)逼(セマ)る。乞客(コツカク)目に溢れ、死人眼(マナコ)に満てり。
著作:『開目抄』=夫(ソレ)、一切衆生(シユジヨウ)の尊敬(ソンキヨウ)すべき者三(ミツ)あり。所謂(イワユル)、主(シユ)・師
日蓮宗=日本仏教十三宗の一。日蓮を祖とする。法華経を所依とし、教義は教・機・時・国・序の五綱教判と本尊・題目・戒壇の三大秘法とを立て、即身成仏・立正安国を期す。日蓮宗・法華宗(本門流・陣門流・真門流)・日蓮正宗・顕本法華宗・不受不施派などに分れる。特に、山梨の身延山久遠(クオン)寺を本山とする日蓮宗をいう。
■東海道(とうかいどう);米朝さん、珍しく間違っています。下記亀佐が有るのは、琵琶湖の北から離れた最初の宿、東海道では無く、木曽海街道(中山道)六拾九次の柏原宿に有りました。ただし、現在の東海道本線の柏原です。米朝さんは鉄道の地名として語っているのでしょう。
■亀屋佐京(かめやさきょう);伊吹もぐさ亀屋佐京商店は、伊吹山の麓でお灸やもぐさを製造・販売する会社です。 創業は寛文元年(1661年)。中山道六拾九次・六拾番目の宿場町に今も江戸期の風情を残す店構えでお客様をお待ちしています。また木曽海街道六拾九次之内柏原の版画絵の中で歌川広重が亀屋の店頭風景を描いており、その絵の中には裃を付けて扇子を手に持ち大きな頭に大きな耳たぶという福々しい姿で街道を往来する旅人を見守る福助人形の様子も描き込まれています。福助人形の起源には諸説あるものの福助人形発祥の店としても多くの方に親しまれています。
駕籠舁きが二組、前後にひかえていて、もぐさを買いに行ったであろう客を待っている。番頭には大きな福助の人形と伊吹山の模型がすえられていて、客はいずれも旅人である。番頭が一人、小僧が一人、対応している。店舗は二つにわかれていて、むかって左が販売用の店構えでなく、七兵衛独創したところの休憩所になっている。茶庭の待合に似た風雅な構造で、ふつううの待合よりも広い。長い床几が三台おかれていて、むかって右の店頭の客より身分のよさそうな客が二人、たばこをのんでいる。
■艾(モグサ);ヨモギの葉を乾かして製した綿のようなもの。これに火を点じて灸治(キユウジ)に用いる。焼草(ヤキクサ)。ヨモギの葉の裏にある繊毛を精製したもの。主に灸に使用される。西洋語にもmoxaとして取り入れられている。
もぐさは、夏(5 - 8月)に、よく生育したヨモギの葉を採集し、臼で搗(つ)き、篩にかけ、陰干しする工程を繰り返して作られる。点灸用に使用される不純物(夾雑物)のない繊毛だけの艾を作るには、多くの手間暇がかかるため、大変高価である。高級品ほど、点火しやすく、火力が穏やかで、半米粒大のもぐさでは、皮膚の上で直接点火しても、心地よい熱さを感じるほどである。
■灸(やいと、きゅう);経穴(つぼ)と呼ばれる特定の部位に対し温熱刺激を与えることによって生理状態を変化させ、疾病を治癒すると考えられている。同じツボを使用する鍼が急性の疼痛病変に施術されてきたのに対し灸は慢性的な疾患に対して選択されてきた。
セルフケアとして自己施灸もなされ、かつては艾を撚り皮膚上に直に据えるのが主流であったが、今は既に成形された各種の灸製品(例として「せんねん灸」や棒灸など)を用いることが多くなりつつある。これら既製品は、艾の部位と皮膚との間に間隙が作成されており、輻射熱による刺激を行なうため、火傷のあとが付きにくい。現在では美容上の観点から多用されるが、効力としては、古来の直接灸に及ばないとされる。
日本では医師以外の者が灸を業として行う場合は灸師免許が必要である。治療としては、毎日または数日おきに反復して皮膚に微細な火傷を更新していく形となる。きゆう師が施灸ポイントを指示(点灸という)し、患者自身が自分で施灸を行う形が歴史的にも一般的な方法である。
■伊吹山(いぶきやま);能郷白山(1617m)を主峰とする美濃越前山地の稜線は、はぼ東西方向に走って岐阜県と福井県とを分け、その西端部で強く屈曲して南に張り出し伊吹山地を形成する。ふつう伊吹山地と称されるものは、滋賀・福井・岐阜の3県に跨がる三国岳(1100m)から南下して土倉岳(1002m)・金糞岳(1314m)・新穂山(1067m)・胡桃山(1183m)と続き、最南端の伊吹山(1377m、日本百名山)に達する一連の山地帯を包括するもので、その稜線は南北方向に走って滋賀・岐阜両県の県境を形成している。伊吹山地はその南縁部で関ヶ原峡部によっていったん途絶えるが、それより南下するとふたたび高度を増して、霊仙山(1084m)を起点として1000m級の山地となって鈴鹿山脈を形成する。伊吹山は伊吹山地の最高峰であり、同時に滋賀県内の最高峰でもある。その頂上三角点は県境から少し西に偏より、行政的には伊吹町(現:米原市)に包括される。
米原市「伊吹山ライブカメラ」より左奥に伊吹山。 山東庁舎 地域振興部 山東伊吹地域協働課発表
■鍼(はり);身体の特定の点を刺激するために専用の鍼を生体に刺入または接触する治療法である。中国医学等の古典的な理論に基づいており、中国・日本・韓国でそれぞれ発達した。このうち韓国が特に鍼を重視し、「一鍼二灸三薬」と言われている。中国医学では、経穴を刺激することで経絡として知られる道を通る「気」の流れの異常を正すとされる。科学的調査では「気」、「経絡」、「経穴」、といった中国医学の概念に組織学的あるいは生理学的相互関係は見出されておらず、一部の現代の施術者は中国医学的手法に基づかない鍼療法を使用している。
■南天さん(なんてんさん);初代桂南天。本名、竹中重春(明治22~昭和47/09/12)大阪出身、桂仁左衛門の弟子、米朝一門に伝わる「錦影絵」は南天師から引き継いだもの。
錦影絵、現在は連続する絵を順番に見せて、それに説明をつける小演芸あるいは視聴覚教育材をいう。江戸時代後期にオランダから幻灯が渡来するが、その映写機とスライドを使って映像が動いて見えるようにくふうした写絵、大阪では錦影絵が紙芝居の原型である。やがて寄席芸になったが、明治中期に写絵を寄席や隅田川の納涼船でやっていた。
■同行(どうぎょう);心を同じくして仏道を行じる伴侶の意。禅宗では「どうあん」という。浄土真宗ではその信徒をいう。
■南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ);名号のひとつで「六字名号」のこと。阿弥陀仏への帰依を表明する定型句。
■定業(じょうごう);〔仏〕苦楽の果報を受けることが決定している業。また、果報を受ける時期が決定している業。決定業(ケツジヨウゴウ)。この業によってもたらされた果報についてもいう。「定業が尽きる」寿命を全うする。
■冥土(めいど);〔仏〕死者の霊魂が迷い行く道。また、行きついた暗黒の世界。冥界(ミヨウカイ)。黄泉。黄泉路(ヨミジ)。六道のうち、地獄・餓鬼・畜生の三悪道。冥土。冥道。特に、地獄をいう。
■閻魔大王(えんまだいおう);〔仏〕(梵語Yama)
地獄に堕ちる人間の生前の善悪を審判・懲罰するという地獄の主神、冥界の総司。閻魔王が亡者の生前の罪悪を取り調べる所。地蔵菩薩の化身ともいう。像容は、冠・道服を着けて忿怒の相をなす。もとインドのヴェーダ神話に見える神で、最初の死者として天上の楽土に住して祖霊を支配し、後に下界を支配する死の神、地獄の王となった。地蔵信仰などと共に中国に伝わって道教と習合し、十王の一となる。焔摩。閻羅。閻魔王。閻魔大王。閻魔法王。閻魔羅闍(エンマラジヤ)。
閻魔大王(法乗院、江東区深川二丁目16)
■篩(トォシ);ふるい。粉または粒状のものをその大きさによって選り分ける道具。普通、曲物(マゲモノ)の枠の底に、馬尾・銅線・絹・竹などを細かく格子状に編んで作った網を張ったもの。とおし。
■今わの際(いまわのきわ);死にぎわ。最期。臨終。
■講中(こぉじゅ~);講を結んで神仏に詣でる連中。頼母子講(タノモシコウ)の連中。
■おっすぁん;和尚さん。
■功徳(くどく);よい果報を得られるような善行。普通、供養・布施の類をいう。以前によいことをしたために、実現したよい報い。神仏が与えるよい報い。
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