価値の尺度
貨幣は、計量可能なモノ(財)の交換価値を客観的に表す尺度となる。これによって異なるモノの価値を、同一の貨幣において比較ないし計算できる。例えば、本20冊と牛1頭といった比較が可能になり、価格を計算できる。
支払
計量可能なモノを渡し、責務を決済する。初期社会では特に示談金、損害賠償、租税などの制度と関連して生じた。
価値の蓄蔵
計量可能なモノを貨幣に交換することで、モノの価値を蓄蔵することができる。例えば、モノとしての大根1本は腐敗すれば消滅するが、貨幣に換えておけば将来大根1本が入手可能となる。あるいは「大根1本の価値」を蓄蔵できる。ただし、自由な取引の元では通貨価値ないし物価変動により貨幣で入手できるモノの量は増減することがある。
交換の媒介
貨幣を介する社会では、計量可能なモノと貨幣を相互に交換することで、共通に認められた価値である貨幣を介することで取引をスムーズに行える。これに対し、貨幣を介さない等価交換においては、取引が成立する条件として、相手が自分の欲しいモノを持っていることと同時に、自分が相手の欲しいモノを持っていることが必要となる。
■雑炊(ぞうすい);日本料理で、醤油や味噌などの調味料で味を付け、他の食品(肉類、魚介類、キノコ類や野菜)などとともに飯を煮たり、粥のように米から柔らかく炊き上げた料理。おじや・こながきとも呼ばれ、冬の季語。
米飯の保温や再加熱が容易でなかった時代には、冷や飯の再利用方法のひとつとして味噌汁等を混ぜたりして家庭でも頻繁に作られていた。現在では鍋料理の残り汁を利用した締めや、体調不良時の栄養補給として粥と同じように用いられることが多い。
でも、赤土やワラを入れるような、雑炊は落語の噺以外ではありません。ご安心を・・・。
雑炊2品。
■網を打って(あみをうって);地引き網(じびきあみ)は、沿岸漁業の漁法のひとつ。またそれに用いる漁網。
陸岸を拠点にして海の沖合に網を張り廻し、網の両端につけた引き綱を引き浜辺に引き揚げて漁獲するもので、魚群を船に引き寄せて捕獲する船引網とともに、引網類を代表する漁法である。1艘の網船による片手廻しのほか、2艘の網船で両側に投網する両手廻しの大地引網がある。当初行われていた漁撈は、網綱の片方を浜辺に残し1艘の網船で沖に向かいながら投網し、半円状にかけ回し浜辺に戻って引綱を引く、片手廻しといわれる小地引網であり、また日本全国各地で行われる一般的な地引き網は、網船1艘に水主数人、引き子30人程度の片手廻しの地引き網である。
大地引網は九十九里浜が有名である。九十九里浜の地引き網の歴史は、弘治元年(1555年)に紀州の漁師西之宮久助が剃金村(現在の千葉県白子町)に漂着し、紀州漁法である地引き網を伝えたことに始まるとされる。伝えられた地引き網は片手廻しの小地引網であるが、遠浅で海底に岩が隠れていない九十九里浜は、網を引いても破れるおそれがないので、大規模な地引き網に適していた。2艘の網船が沖合いで袋網を中央にして網を連結し、左右に別れ両側に投網する両手廻しの大地引網は、寛永年間(1624年-1658年)に一宮本郷村(現在の千葉県一宮町)の片岡源右衛門が工夫したもので、その規模は網の長さ片側300間(540m)、中央部に30~40間(54~90m)の大袋網が付き、水主60~70人、岡者200人とされる。
右写真。
大規模な地引き網は多くの資金と労働力を必要とし、豊漁であれば一攫千金も夢ではないが常に漁があるわけではないので、背後に穀倉地帯である九十九里平野がひかえ豊富な資金力と必要時のみ動員できる労働力などの社会的条件が背景にある九十九里浜で特に発展した。近世の大地引網漁はほとんどこの方法によって行われ、九十九里浜のほか肥後天草などが名高い。
観光地引き網漁
日本の全国各地で体験観光の地引き網漁が行われている。観光客が料金を払って引き子となり、とれた魚を持ち帰れる。
■鯛(たい);日本では一般的に高級魚として認知されているが、日本人以外の民族で、この魚を「魚の王」とみなしている例はほぼ皆無である。
タイ科にはマダイの他に、クロダイ、キダイ、チダイ、ヒレコダイ、タイワンダイ、アカレンコなどが含まれる。さらに広義には、タイ科以外の魚でも、扁平・大型・赤っぽい体色・白身などの特徴を持つ魚には「○○ダイ」と和名がついていることが多く、この場合、タイ科とは分類上遠い魚もいる。アマダイ、キントキダイ、イシダイなどはタイ科と同じスズキ亜目だが、エボシダイなどはスズキ目の別亜目、キンメダイ、アコウダイ、マトウダイなどは目のレベルでちがう魚である。このように和名にタイと名のついた魚は200種以上もある。
極端な場合には淡水魚のティラピアを、その学名ティラピア・ニロチカから「チカ鯛」などと命名したり、「イズミダイ」と称して販売されていたこともあった。こうしたものは「あやかりタイ」などと揶揄される。
刺身、昆布締め、塩焼き、煮付け、蒸し焼き、干物、混ぜご飯など様々に調理される。食通の間では、唇の肉や頬肉、カマ(胸びれのつけ根)などが特にもてはやされる。表面が非常に頑丈な鱗で覆われており、ひれのトゲが固く危険であることから、さばくのに苦労する。
■ヒラメ10尾(ひらめ);鯛一匹に対して高級魚のヒラメ10尾のサービスをするという。
太平洋西部(千島列島、樺太、日本、朝鮮半島などの沿岸から南シナ海まで)に分布。最大で全長1m、体重10kgほどになる。他のカレイ目の魚と同じように左右に扁平な体型をしていてカレイと区別が付きにくいが、俗に「左ヒラメに右カレイ」と言われるように、ヒラメの目は両目とも頭部の左側半分に偏って付いているのが大きな特徴である。また、ヒラメはカレイと比べて肉食のため口が大きく、歯も大きく鋭い。
ヒラメは海底で両目のある体の左側を上に向けて生活しているため、その両目は常に上の方を向いている。
右写真(上)、ヒラメの大きな口と、カレイのおちょぼ口。(下)
ヒラメという名が現れたのは14世紀ごろだが、日本では19世紀以前にはカレイとヒラメは区別されておらず、大きいものをヒラメ、小さいものをカレイと呼んでいた。はっきりと別種として扱った文献は小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(1803年)が初出である。
卵から孵った稚魚は通常の魚と同じように細長く、目も両側に付いている。全長1cmぐらいに成長する頃から右の目の移動が始まり、2.5cmぐらいになると親と同じ形になる。3年ほどで成魚になる。カレイ類には数十年生きる種もいるが、ヒラメの寿命は短く、せいぜい数年程度と言われる。その分、ヒラメはカレイよりも成長が早く、養殖もしやすいとされている。
■マグロ10匹(まぐろ);鯛一匹に対して高級魚のヒラメ10尾とマグロ10匹のサービスをするという。
英語名 Tuna は「マグロ」と日本語訳されがちであるが、実際は上位分類群のマグロ族 (Thunnini) 全般を指し、マグロだけでなくカツオ、ソウダガツオ(マルソウダ、ヒラソウダ)、スマなどを含む魚類。
全長は60cmほどのものから3mに達するものまで種類によって異なる。最大種タイセイヨウクロマグロは全長4.5m・体重680kgを超える。
水中生物としてはかなり高速で遊泳することができる。体型は紡錘形で、体の横断面はほぼ楕円形、鱗は胸鰭周辺を除けばごく小さいかほとんど無く、高速遊泳に適した体型である。尾鰭は体高と同じくらいの大きな三日月形だが、それ以外の各鰭は小さい。第二背鰭と尻鰭の後ろにはいくつかの小離鰭(しょうりき)がある。ただし、種類や成長段階によっては胸鰭・第二背鰭・尻鰭などが鎌状に細長く伸びるものもいる。
筋肉内の血管は動脈と静脈が近接する、奇網(きもう : Rete mirabile)という構造を持つ。これで体内の熱が逃げるのを防ぎ、体温を海水温より高く保って運動能力の低下を抑える。
全世界の熱帯・温帯海域に広く分布するが、種類によって分布域や生息水深が異なる。海中では口と鰓蓋を開けて遊泳し、ここを通り抜ける海水で呼吸する。泳ぎを止めると窒息するため、たとえ睡眠時でも止まらない。
江戸の世相を記した随筆『慶長見聞集』ではこれを「”しび”と呼ぶ音の響、死日と聞えて不吉なり」とするなど、その扱いはいいものとはいえなかった。これは鮮度を保つ方法が無く、腐敗しやすいことが原因である。かつては魚介類の鮮度を保つには、水槽で生かしたまま流通させる方法があったが、マグロの大きさではそれが不可能であった。また干魚として乾燥させる方法もあるが、マグロの場合は食べるに困るほど身が固くなる(カツオの場合は、乾燥させた上で熟成させ、鰹節として利用したが、マグロはその大きさから、そういった目的では使われなかった)。唯一の方法は塩漬にする事だが、マグロの場合は食味がかなり落ちたため、下魚とされ、最下層の庶民の食べ物だった。
江戸時代中期から調味料として醤油が普及した。これにより、マグロの身を醤油漬けにするという新たな保存方法が生まれ、「ヅケ」と呼ばれ、握り寿司のネタとして使われ出した。
近代以降は冷蔵技術が進歩した事から、赤身の部分の生食が普及したが、第二次世界大戦前までは大衆魚であった。北大路魯山人は「マグロそのものが下手物であって、一流の食通を満足させるものではない」と評していた。脂身の部分である「トロ」は特に腐敗しやすいことから、(魚を好んで食べると思われがちな)猫もまたいで通る「猫またぎ」とも揶揄されるほどの不人気で、もっぱら缶詰などの加工用だった。しかし、江戸ではトロと長ネギの汁を「ネギマ」と言って珍重された。冷凍保存技術の進歩と生活の洋風化に伴う味覚の濃厚化で、1960年代以降は生食用に珍重される部位となった。なお、マグロの品質が低下しない冷凍温度帯は-30℃以下であり、実際の流通上では-50℃の超低温冷蔵庫に保管する。
■クジラ(くじら);鯛とヒラメとマグロ、それにクジラまで付けるというサービスより貨幣価値の違い。
水生動物の総称であり、その形態からハクジラとヒゲクジラに大別される。
ハクジラの中でも比較的小型(成体の体長が4m前後以下)の種類をイルカと呼ぶことが多い。
摂食から出産・育児まで全て水中で行う完全な水生動物である。睡眠も水中で取るが、研究結果によれば、右脳と左脳を同時に睡眠状態にせず交互に休ませているので、睡眠しながら溺れることなく泳ぎ続けることができる。なお、このような右脳と左脳を交互に休ませる睡眠は、鳥類や多くのほ乳類には一般的なものであることが知られている。
海に住むクジラは水に囲まれているので水を飲む必要がないように思われがちだが、海水と体液の浸透圧の差により少しずつ水分が体外へ失われて、水分を何らかの形で取り込まないと死んでしまう。クジラは、魚のように海水から塩分を直接濾過して水分を取り込む器官を持たないため、水分のほぼすべてを餌から得ることになる。すなわち、餌の脂肪、糖類、タンパク質などが体内の代謝によって燃焼したときにできる水である。これは、乾燥地帯に住むカンガルーネズミが一生涯水を飲まず、水分を餌だけに頼っているのと似ている。なお、クジラは一般の哺乳類と比べて濃い尿を濾過できるように腎臓を進化させ、水分の消失を極力抑えながら余分な塩分などを効率良く排泄している。
哺乳類としての特徴
陸生哺乳類と同じく鼻孔(噴気孔)を有し、肺で空気呼吸をする。
体温はほとんどの魚類のように外海の温度に左右されることなく一定で温血である(種類により違うが概ね35度-36度)。
普通は一子が母体子宮内で成長(魚と違って卵は産まない)し、出生後は一定期間母乳で保育される。
浮世絵のクジラ。歌川国芳画、宮本武蔵と大鯨と鯨涛。
■船が5~6杯(ふねが5~6ぱい);まずは船の数え方の単位は、
隻(せき):比較的大きな船。大型船、タンカー、艦船など
艘(そう):比較的小型の船。はしけ、帆掛け舟など
艇(てい):小型/競漕用ボート、ヨットなど
杯(はい):特殊な船/かつお船、伝馬船など
難しいですね。日本語の単位の使い方。今回は小さな漁船ですから”杯”でしょう。その小型船ですが、船体だけと、漁具一式が付いている物や、その上にレーダーや魚群探知機が着いたりすると、漁船でも相当な単価になるでしょう。それが5~6杯も買えるなんて・・・、私でも、そこに永住したいですね。
■孫子の代まで(まごこのだいまで);自分の代だけではなく、子の代、孫の代までも・・・。子々孫々。
■5円の金貨が飾ってある(5えんのきんかが かざってある);明治の初期でしたら、5~6万円の価値があります。特に農漁村でしたら、毎年の収入はほぼ決まっているでしょうから、貨幣価値の低いこの村では、千両箱が置いてあるようなものです。私も拝みに行きたい。
明治3年~明治30年にかけて発行された五円金貨。
■夢(ゆめ);睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念や心像のこと。睡眠中にもつ幻覚のこと。
また、将来実現させたいと思っていること。願望。願い。
寝ているとき視覚像として現れることが多いものの、聴覚・触覚・味覚・運動感覚などを伴うこともある。通常、睡眠中はそれが夢だとは意識しておらず、目覚めた後に自分が感じていたことが夢だったと意識されるようになる。しかし、稀にではあるが自分が今見ているものが、夢であることを自覚することが出来る場合もある。
夢とは何なのかということについては、古代からある信仰者の理解、20世紀の心理学者の理解、現代の神経生理学者の理解、それぞれ大きく異なっている。
メカニズムについては不明確な部分が多く、研究対象となっている。 例えば、夢は浅い眠りに陥るレム睡眠中に見るとされ、一般的にはノンレム睡眠時は発現されないと考えられていた。しかし、ノンレム睡眠時にも夢を見ると考える研究者も多く、そうした研究も続けられている。
夢を見る理由については現在のところ不明である。
落語の中に出てくる夢の噺、
「芝浜」、河岸(かし)に行って拾った革財布、夢の世界で拾ったと言われ酒も止めて働き始める勝五郎。
「元犬」、蔵前神社で遊んでいた白犬、人間になりたいと思って裸足詣り、願いが叶って人間になった。
「夢金」、欲張り船頭”熊蔵”が娘を助け、身祝いだと50両二包み、両手で握って100両~。痛さで目が覚めた。
「水屋の富」、水屋さんが千両富に当たった。金が心配で仕事も出来ず、寝れば悪夢にうなされる。
「ネズミ穴」、兄に金を借りて成功。深川で蔵を持つまでになった。兄に礼をし、その晩兄と寝たが深川で火事。
「夢の酒」、若旦那が向島で雨宿り、女主人はいい女で酒を勧められ・・・。好いとこで女房に起こされて・・・。
「天狗裁き」、亭主を起こすと夢は見ていないという。女房が聞きたがり、隣家の男が聞きたがり、家主が聞きたがり、奉行が聞きたがった夢の話。天狗だけには聞かせろ。
「江戸の夢」、藤七は流れ着いたところで嫁を貰い回りの信用も付いた。義父母が江戸に立つというので、
「疝気の虫」、夢に出て来た疝気の虫は蕎麦が大好き、でも唐辛子が大嫌い。で、治す方法を考えついた。
「羽団扇」、お宝の護符を枕に敷いて寝てしまった。七福神の夢を見て、女房に話すと・・・。
「成田小僧」、おしゃまで、口から先に生まれたおしゃべり小僧のお陰で深川の平精に入ると・・・。
「夢八」、つりの番だと言われてやって来たが、つりはつりでも首吊りの番だった。眠ってはいけないので・・・。
「茄子娘」、村祭りの晩茄子が夜伽に現れた。夢であっても修行が足りないと旅に出てしまった。が、
「肝潰し」、義理の弟が夢の中の娘に恋煩いをしてしまった。治すには年月の揃った生き肝を飲ませたら・・・。
「宇治の芝船」、骨董屋の店先に下がっていた掛け軸の美人画に惚れて、寝込んだ若旦那を連れて宇治へ。
「夢の焼きもち」、小遣いを貰ったが、その金で飲みに行ったが酔わない。夢だったんだ。
「特効薬」、夜が寝られない。医者に行ったら薬をくれた。でもその先生と思っていたらそこの患者だった。
「鼓ヶ滝」、西行が滝の歌を詠んだ。山奥で爺と婆に歌を直され、子供にも直された。夢の中で歌の神が・・・。
「饅頭恐い・上方版」、親ッさんの言うには、助けるというのに橋の上から飛び込んだ娘が居る。その娘が、
「雉子政談」、寝ている女房の所に親父が出て来て、近いうちに恐ろしいことがある。その時は助けてくれと、
「宮戸川・下」、お花半七は一緒になれた。お花は浅草寺の帰り殺されたが・・・。半七は悲しみの中・・・、
2020年12月記
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