落語「煙草好き」の舞台を行く
柳家喜多八の噺、「煙草好き」(たばこずき)より
■佐倉炭(さくらずみ);炭は古くから日本人の貴重な燃料として親しまれてきました。炭は燃焼ガスが少なくて火持ちが良く、しかも遠赤外線を発生させて素材の旨味を逃さず焼くため、炭は現代に於いても一級の味を求める料理店では欠かせない燃料として愛用されています。
■黒門町の煙草コレクション;マクラで語られた八代目文楽のコレクション
八代目・桂文楽
『蔵出し! コレクションあれこれ』(たばこと塩の博物館)より
八代目・桂文楽(1892〜1971年)は、落語界で初の紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受賞するなど、数々の栄誉を受けた昭和を代表する噺家でした。『悋気(りんき)の火の玉』は彼の十八番でしたが、その華やかで艶のある芸風は没後も根強い人気を誇っています。
籐編菖蒲革(とうあみしょうぶがわ)縁取り腰差したばこ入れ
文楽が師匠である五代目・柳亭左楽(りゅうてい・さらく)に譲って
金唐革(きんからかわ)腰差したばこ入れ
金唐革とは、ヨーロッパで壁紙などに使われていた革のことで、
革に金属箔が貼られていたことから、この名がある。江戸時代に
オランダから輸入され、珍しかった洋風の柄が人気を博した。
このたばこ入れの筒と前金具には、ともに蛙があしらわれている。
菖蒲革(しょうぶがわ)腰差したばこ入れ
菖蒲革とは、藍色や茶色に染めた生地の上に、菖蒲や馬などのモチーフ
を、白い模様として染めた鹿のなめし革のこと。菖蒲と“尚武”“勝負”の
音が通じることから、武士が好んで武具に用いた。筒と前金具には、
ともに牡丹があしらわれている。
古渡縞木綿(こわたりしまもめん)腰差したばこ入れ
グロテスクな前金具は海鼠(なまこ)をかたどったもの。海鼠は、
その形が米俵に似ていることから豊作を意味する吉祥(きっしょう)
の意匠だったが、これは見た目の意外性を狙ったのかもしれない。
印伝革(いんでんがわ)腰差したばこ入れ
印伝革とは、原産国のインドが変じて“印伝”と呼ばれるようになった
羊や鹿のなめし革のこと。筒と前金具にある鶉(うずら)は、その鳴
き声が“御吉兆(ごきっちょう)”と聞こえることから縁起のいい鳥と
されていた。
古渡白地鶏頭更紗(しろじけいとうさらさ)腰差したばこ入れ
更紗とは、インドや東南アジアから伝来した、型紙などを用いて染めた
綿布のこと。この更紗にある柄は夏から秋にかけて咲く鶏頭(けいとう)
の花。その季節に合わせるように流水模様の団扇(うちわ)の形をした
前金具が付く。こうした取り合わせも文楽によるものかもしれない。
上下銀胴鍍金刀豆形有職文(じょうげぎんどうときんなたまめがたゆうそくもん)きせる
刀豆(なたまめ)形キセルとは、懐中に入れて持ち運びしやすいように扁平な形にしたキセル。刀豆に似ていることからこの名がある。
四分一四所銀石州形(しぶいちししょぎんせきしゅうがた)月に河童図きせる
雁首に月、吸口に河童の絵柄が施されている。
四所銀胴魚々子地銀(ししょぎんどうななこじぎん)・赤銅削継石州形牡丹文(しゃくどうそぎつぎせきしゅうがたぼたんもん)
カラクリ箪笥
文楽が特別注文で作らせた箪笥。この中にコレクションのたばこ入れ
を収納した。一番上と下の引き出しを抜いて、内側の閂(かんぬき)
を上げないと、残りの引き出しが引き出せない仕掛けになっている。
黒漆の上に朱漆を重ねて磨きだした木目の化粧面が美しい。
■煙草の葉の耕作は、”薩摩たばこは天候で作り、秦野たばこは技術で作る。水府たばこは肥料で作り、野州たばこは丹精で作る”、といわれる。
■甲州の”生坂(いくさか)”;甲斐国=山梨県の生坂地方産の煙草。
■野州の”野口(ノグチ)”;野州=栃木県野口で生産された煙草。
■上州の”館(タテ)”;上州=群馬産の館煙草。
■長崎の”亀印”;長崎産の亀印煙草。
■国分の”車田(くるまだ)”;薩摩の国分(こくぶ=国府)産の煙草は江戸時代、最も高級な煙草として有名。
■煙草(たばこ);タバコの直接の語源は、スペイン語やポルトガル語の「tabaco」である。
タバコ自体は紀元前5000 - 3000年ごろ南米のアンデス山脈で栽培されたのが起源で、15世紀にアメリカ大陸からヨーロッパに伝えられたものであるが、それ以前からスペインでは薬草類を"tabaco"と呼んでいた。しばしばアメリカ・インディアンの言葉が語源であると言われるが、それは誤りである。
スペイン語の"tabaco"は、古いアラビア語で薬草の一種を示す"tabaq"という言葉が語源であるとみられている。
日本の煙草は、幕府や藩の専売とすることで次第に許可されていく。江戸中期には煙草の値下がりと共に庶民への喫煙習慣も広まって行くことになる。宝暦年間には、庶民用の煙草10匁(約38g)が8文程度であった記録が残されている。また、この時期に煙管、煙草盆、煙草入れなどの工芸品が発達した。
「国府煙草七種の評并(ならび)に讃」 春木南溟画 聞き煙草の図。
■六郷の渡し(ろくごうの わたし);東京と神奈川県の県境・多摩川を渡る旧東海道に有った渡し。
■キセル;刻み煙草を飲むための喫煙具。刻み煙草を詰める火皿(椀形の部分)に首のついた「雁首」(火皿の付け根から羅宇と接合する部分まで)、口にくわえる部分の「吸い口」、それらをつなぐ管の「羅宇」(らう/らお)にわけられる。また、羅宇の語源は、羅宇国(現在のラオス)の竹(黒斑竹)を使用していたことによるというのが定説です。なお、上記の様な区分けがなく全て繋ぎ目なく繋がっているものは「延べ(延べ煙管)」という。
左、茶人石州候が好んだ形で、最も一般的な形のひとつ
■参詣の帰り(さんぱいのかえり);参拝に行ったのは川崎大師です。
■2斤(2きん);日本では、通常は1斤=16両=160匁とされる。=
600g。 2斤では、1.2kgで、凄まじい目方になります。
■煙草入れ(たばこいれ);刻みたばこを入れるための袋物。江戸時代初期のころは、刻んだたばこは白い奉書の紙に包むのが上品とされたが、屋外で働く人は手製の巾着(きんちゃく)に入れてきせるに結び、腰に提げた。また鉄砲の弾丸を入れた胴乱(どうらん)を改造して用いる人もあり、しだいに庶民の間に広がって上流階級にも及んだが、武士は印籠(いんろう)を提げるため懐中用を使っていた。たばこ入れの形には、
きざみ煙草は以下のようにして吸います。
■お不動様(おふどうさま);不動明王(ふどうみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。大日如来、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、金剛愛染明王らと共に祀られる。
■刻みたばこ;
刻みと呼ばれているが、紙巻きたばこの中身のように細かく刻まれたものではなく、干した葉を重ねて包丁もしくはカンナで糸のように細く切ったもの。世界のたばこ製品の中で最も加工度が低いものの一つで、タバコ葉本来の味が楽しめるとして熱心なファンが多い。
江戸時代には、手間賃を取って葉タバコを刻む賃粉切りという職人がいた。専売制が実施される前は個人経営のたばこ店がそれぞれの刻みたばこを製造販売し、何千種類もあったが、専売制の下でマスプロ化が進んだことと、紙巻きたばこの消費増大で需要が減ったことで数銘柄からさらには1銘柄に減り、ついには国内での製造が打ち切られた。しかし日本の伝統文化として復活と存続を望む声が多かったため、たばこ農家に在来種の栽培再開を依頼し、『こいき(小粋)』という1銘柄ではあるが昔ながらの良質の刻みたばこが復活した。
■渡し船(わたしぶね);江戸時代、東海道の馬入川(現在の相模川)の例でいうと、人を20人まで乗せる小船、馬を乗せる馬船、大型で荷物を運べる平田船が常備されていた。
東海道が多摩川を渡る六郷大橋は度々洪水で流され、1688年(貞享5年)以後は再建を断念し、六郷の渡しが定着した。
上写真、矢切の渡し、(千葉県松戸市~東京都葛飾区)
江戸川左岸の松戸市矢切(やきり、やぎり)地区と右岸の東京都葛飾区柴又を結ぶ。民営(個人運営)。有料(大人200円、子供100円 平成24年10月より料金改正)。
かつて江戸幕府が江戸川の渡しとして指定し、農民の管理により運営されていた航路のうち最後の一つ。
■1朱~1両(1しゅ 1りょう);江戸時代の金貨の呼称単位は、小判一枚が金1両。その下は、分(ぶ)と言って、1両の1/4が1分と言われた。その下の単位は、朱(しゅ)と言って1分の1/4で、金貨ではこの単位が最小です。全て4進法で、逆から見たら、4朱で1分、4分で1両です。
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