落語「香典返し」の舞台を行く 二代目三遊亭円歌の噺、「香典返し」(こうでんがえし)より
■大野桂(おおの かつら);(
1931 - 2008年07月19日)
演芸作家 東京都生まれ。この噺は大野桂原作。原題は『息子の脛』(むすこのすね)、三笑亭夢楽が演じています。
マクラの艶笑噺は『縁の下の間男』。
■香典返し(こうでんがえし);香典(こうでん。香奠とも)とは、仏式等の葬儀で、死者の霊前等に供える金品をいう。香料ともいう。「香」の字が用いられるのは、香・線香の代わりに供えるという意味であり、「奠」とは霊前に供える金品の意味である。通例、香典は、香典袋(不祝儀袋)に入れて葬儀(通夜あるいは告別式)の際に遺族に対して手渡される。
■南無阿弥陀仏(なむ‐あみだぶつ);阿弥陀仏に帰命するの意。これを唱えるのを念仏といい、それによって極楽に往生できるという。六字の名号。
■洒落(しゃれ);座興にいう気のきいた文句。ことばの同音をいかしていう地口(ジグチ)。
■間男(まおとこ);夫のある女が他の男と密通すること。また、その男。情夫を持つこと。男女が私通すること。間男を発見された場合、二つに重ねて四つに切っても良かった。ただ、10両の命であったから(10両盗めば首が飛ぶ)、10両払えば示談が成立したが、助命のための示談金は享保年間以後、ずっと七両二分と相場が決まっていました。高い買い物ですが、どちらも止められない。
左:慌てて逃げ出す間男。右:文藝春秋デラックス11月号より旅から帰った亭主に驚き、裏から逃げ出す間男。
■お茶の水事件;まず断っておきますが、落語に出てくるような事件は実在の事件として、検索出来ませんでした。以下のような事件はありましたが、噺に中に出てくるような事件とは違います。
■供物(くもつ);神仏に供える物。そなえもの。
■三途の川の渡し賃(さんずのかわの わたしちん);仏教に由来して、仏教では三途の川は此岸(しがん・現世)と彼岸(ひがん・あの世)の境目となっている川。人が死んで7日目に渡るという、冥土への途中にある川。川中に三つの瀬があって、緩急を異にし、生前の業(ゴウ)の如何によって渡る所を異にする。川のほとりに奪衣婆(だつえば=しょうずかのばば)と懸衣翁(けんえおう)との2鬼がいて、死者の衣を奪うという。偽経「十王経」に説く。みつせがわ。渡り川。葬頭川(ソウズガワ)。
■暖簾に傷(のれんに きず);店先あるいは部屋の境界に日よけや目隠しなどのために吊り下げる布。通常、複数の布(縁起を担いで奇数枚が多い)の上部を縫い合わせ、下部はそのまま垂れとし、上端に乳(ち)という輪状の布をつけて竹竿を通し出入口などに掛ける。商店の入り口などに営業中を示すため掲げられ、屋号・商号や家紋などが染め抜かれ(印染:しるしぞめ)ていることも多い。
■浄玻璃の鏡(じょうはり‐の‐かがみ);地獄の閻魔王庁で亡者の生前における善悪の所業を映し出すという鏡。浄玻璃。
■親を勘当(おやを かんどう);親が子との縁を切ること。親族・主従・師弟などの間柄を上位者側から断絶する行為。
親が子を勘当すると、子の債務、犯罪の連帯責任を免がれ、子は家督・財産相続権を失う法律的効力をもった。中世以来武家社会で行われ、近世では庶民間にも行われた。
■無縁仏(むえんぼとけ);祀ってくれる者(供養してくれる者)のいない仏のこと。手厚い供養を通して祖霊になっていくという民俗信仰においては供養してくれる者がいないために祖霊になることができない状態と捉えられる。無縁仏には人知れず非業の死を遂げた者や行き倒れのままになってしまった者などがある。
■手切れ金(てぎれきん);男女が今までの愛情関係を絶つ代償として相手に支払う金。手切り金。手切れ。慰謝料。
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