落語「香典返し」の舞台を行く
   

 

 二代目三遊亭円歌の噺、「香典返し」(こうでんがえし)より


 

 洒落の分かる方と分からない方では、多いに違います。飲み屋の女性も地方出の方が多く洒落の分からない方も多々あります。間男の噺でそのレベルを計ります。

 地方の縁端には節穴があります。間男と楽しみたいが、亭主がいつ帰ってくるか分からない。大きめの節穴を見つけ間男に言った。「お前さんは、縁の下に潜ってあの穴から出したら、私が上から・・・」、素直な間男は、「そうか」、と言って、縁の下へ。女房はその上にしゃがんで、ラジオ体操を始めた。そこに亭主が帰ってきた。「お前何してるんだッ」と言って肩をポンと叩いた。女房殿、心棒が入っているから、グルグルと回った。
 普通はこれでお笑いになるのですが、飲み屋の女も分からない顔をしているので、続きの噺をした。「かみさんが、キャ~ッと言って逃げた」、すると親父が、「この野郎、マラみたいなクソタレた」、ここまで言ったら相手も笑いました。洒落のレベルの違いです。

 昔、『お茶の水事件』と言うのが有りました。おしゃべりだという理由で奥様を殺し、殺し方が残酷で、青蛙みたいに皮をはいで、お茶の水の橋の上から死骸を投げ捨てた。奥様幽霊となって上州の母親の元に帰って、一杯の水を所望した。お母さん、土瓶の中から冷めたお茶を出してあげた。「お母さん、私飲むのよしますワ」、「どうしてだぃ」、「お茶の水ではこりごりです」。

 父親は脇目も振らず金を残し、息子にも遊ぶなと言っても無理です。金は使わず、置きっ放しで死ぬんですから、残った金は息子の自由、矛盾してますな。
 「南無阿弥陀仏、なむあみだぶ、ナムアミダブ・・・、お父さん、私は遊びも止めて堅くなりました。安心してください。伊勢屋の身代を継いだが、孝行したいが供物だけで勘弁してください」、『せがれ』、「お父っつあんの声ですね」、『彦兵衛だよ』、「仏壇から話が出来ますか」、『お前の信心のお陰で、話が出来るようになった。生きていたときは堅すぎた。彦太郎、頼みがあるんだ』、「何なりとおっしゃて下さい」、『小遣いが欲しい』、「向こうでは、三途の川の渡し賃以外居るんですか」、『遊びをしたことがなかったんだが、若い娘が出来たんだ。その子が親切にしてくれる。それで50両ここに置いてくれないか』、「何処に乗せるんですか」、『仏壇の上に載せれば良いんだ』、「女と言いますが、お母さんが5年前に亡くなったのでは・・・」、『あいつは、若い男を拵えて、俺なんかに見向きもしないよ』、「お母さんが・・・、器量も良かったからな~、向こうでは許されるんですね」、『50両乗っけてくれ』、「分かりました」、50両乗っけて、チ~ンとすると無くなっていた。
 十日ばかりすると、また、お金の催促。20両、またまた20両。最近は激しいな。

 ある日のこと、「お前さん、話が有るんだッ」、「何だ?」、「お前さん、ちょいちょい金が無くなるじゃないか。女遊びが始まったのかい。250両ぐらい穴が空いているんだよ」、「やらなくては成らないところが有るんだ」、「若い子が出来たんだろう。幾つなんだぃ。私より若いんだろう」、「お前よりずっと上だ」、「姉さん女房だね」、「俺より、ズ~ッと上だ」、「趣味が悪くなったね。名前はなんていうだぃ」、「彦兵衛」、「・・・彦兵衛、芸者かぃ」、「家の親父だぃ。向こうで若い女の子が出来たんだって。イチャイチャするのに金が要るんだって」、「不思議だね~」。

 その晩、『彦太郎、彦太郎、今度は50両どうしても必要なんだ』、「お父っつあん、本当にいい加減にして貰いたいな。そう持って行かれたら、暖簾に傷が付きますよ。このままだと親を勘当します」、『その意味は何だッ』、「勘当したら、線香も上げなければお経も上げない。お墓参りもしません。この仏壇だって叩き壊します」、『おぉッ、待てッ、そんなことされたら無縁仏になってしまう。お前が今言った『伊勢屋の暖簾に傷が付く』は心に響いた。彦太郎、香典として5両だけ貰う。皆さんからは貰ったが、彦太郎、お前からは貰っていない』、「当たり前でしょう」、『これが最後だ。香典として5両出せッ』、「これっきりですよ」。5両の金はなくなった。

 それっきり、お父っつあんは出てこなかった。親子ですから心配して、自殺などしなければ良いが、と思っています。そんなある日、小判が2枚、仏壇の上にありました。
 「お前さん、お父っつあんにせびられているのかぃ」、「それ以来お父っつあんは出て来やしない」、「仏壇に2両有るよ」。
 「小判が2両有りますよ」、『彦太郎、それは俺が置いたんだ。お前に言われた意見が身にしみて、貰った5両は女との手切れ金に渡したんだ。ピッタリと手は切れたんだ。働かなくてはいけないと、浄玻璃の鏡が曇っていたので磨く内職をした2両だ。お前にやるよ』、「私に小遣いにくれるんですか」、『小遣いでは無い。5両貰った香典の香典返し』。 

 



ことば

大野桂(おおの かつら);( 1931 - 2008年07月19日) 演芸作家 東京都生まれ。この噺は大野桂原作。原題は『息子の脛』(むすこのすね)、三笑亭夢楽が演じています。 マクラの艶笑噺は『縁の下の間男』。

香典返し(こうでんがえし);香典(こうでん。香奠とも)とは、仏式等の葬儀で、死者の霊前等に供える金品をいう。香料ともいう。「香」の字が用いられるのは、香・線香の代わりに供えるという意味であり、「奠」とは霊前に供える金品の意味である。通例、香典は、香典袋(不祝儀袋)に入れて葬儀(通夜あるいは告別式)の際に遺族に対して手渡される。
 その香典を受けた返礼に物を贈ること。また、その物を、香典返しという。

南無阿弥陀仏(なむ‐あみだぶつ);阿弥陀仏に帰命するの意。これを唱えるのを念仏といい、それによって極楽に往生できるという。六字の名号。

洒落(しゃれ);座興にいう気のきいた文句。ことばの同音をいかしていう地口(ジグチ)。

間男(まおとこ);夫のある女が他の男と密通すること。また、その男。情夫を持つこと。男女が私通すること。間男を発見された場合、二つに重ねて四つに切っても良かった。ただ、10両の命であったから(10両盗めば首が飛ぶ)、10両払えば示談が成立したが、助命のための示談金は享保年間以後、ずっと七両二分と相場が決まっていました。高い買い物ですが、どちらも止められない。
 落語「円生・艶笑噺」をご覧下さい。

   

 左:慌てて逃げ出す間男。右:文藝春秋デラックス11月号より旅から帰った亭主に驚き、裏から逃げ出す間男。

お茶の水事件;まず断っておきますが、落語に出てくるような事件は実在の事件として、検索出来ませんでした。以下のような事件はありましたが、噺に中に出てくるような事件とは違います。
 文京区幼女殺人事件(ぶんきょうくようじょさつじんじけん)とは1999年11月22日、東京都文京区音羽で2歳の幼女が殺害され遺棄された殺人・死体遺棄事件である。 被疑者の逮捕直後、「お受験」と呼ばれる幼稚園・小学校への入学試験にまつわる受験戦争が犯行動機とされ、「お受験」が大きくクローズアップされたことから、「お受験殺人事件」「音羽お受験殺人事件」とも呼ばれる。単に発生地名から付けただけの「音羽事件」といった呼称が用いられる場合もある。

供物(くもつ);神仏に供える物。そなえもの。

三途の川の渡し賃(さんずのかわの わたしちん);仏教に由来して、仏教では三途の川は此岸(しがん・現世)と彼岸(ひがん・あの世)の境目となっている川。人が死んで7日目に渡るという、冥土への途中にある川。川中に三つの瀬があって、緩急を異にし、生前の業(ゴウ)の如何によって渡る所を異にする。川のほとりに奪衣婆(だつえば=しょうずかのばば)と懸衣翁(けんえおう)との2鬼がいて、死者の衣を奪うという。偽経「十王経」に説く。みつせがわ。渡り川。葬頭川(ソウズガワ)。
 そこを渡る船賃が、すべての人が渡し船に六文の料金を払って渡るというようになっています。このような言い伝えからお金さえあれば地獄での判決でさえ有利に働くという意味の「地獄の沙汰も金次第」ということわざが生まれた。下写真、三途の川の渡し賃6文です。
 

 

暖簾に傷(のれんに きず);店先あるいは部屋の境界に日よけや目隠しなどのために吊り下げる布。通常、複数の布(縁起を担いで奇数枚が多い)の上部を縫い合わせ、下部はそのまま垂れとし、上端に乳(ち)という輪状の布をつけて竹竿を通し出入口などに掛ける。商店の入り口などに営業中を示すため掲げられ、屋号・商号や家紋などが染め抜かれ(印染:しるしぞめ)ていることも多い。
 暖簾はしだいに商店の営業の目印とされるようになり、開店とともにこれを掲げ、閉店になると先ずは暖簾を仕舞う(片付ける)ことでそれを示した。この意味が転じて屋号を暖簾名(または単にのれん)と象徴的に呼び、商店の信用・格式をも表すようになった。
 派生的な意味で、スキャンダル等が原因で信用・名声等(店の信用・格式)を損なう事を「暖簾に傷が付く」といい、さらに廃業するに至っては「暖簾をたたむ」あるいは「暖簾を下ろす」ともいった。奉公人や家人に同じ屋号の店を出させる(出すことを許可する)ことを「暖簾分け」と言う。

浄玻璃の鏡(じょうはり‐の‐かがみ);地獄の閻魔王庁で亡者の生前における善悪の所業を映し出すという鏡。浄玻璃。
 閻魔王庁に置かれており、この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるため、いかなる隠し事もできない。おもに亡者が生前に犯した罪の様子がはっきりと映し出される。もしこれで嘘をついていることが判明した場合、舌を抜かれてしまうという。また、これで映し出されるのは亡者自身の人生のみならず、その人生が他人にどんな影響を及ぼしたか、またその者のことを他人がどんな風に考えていたか、といったことまでがわかるともいう。「業鏡」という呼称は、人間の生前の業をすべて(実際に行動したことから、心のなかできざしたことまで)映し出すことが出来る鏡であるという意味である。

親を勘当(おやを かんどう);親が子との縁を切ること。親族・主従・師弟などの間柄を上位者側から断絶する行為。 親が子を勘当すると、子の債務、犯罪の連帯責任を免がれ、子は家督・財産相続権を失う法律的効力をもった。中世以来武家社会で行われ、近世では庶民間にも行われた。
 勘当された者が素行を改めた場合、先に勘当を願い出た者は代官役所(または奉行所)に帳消し(帳付けの取消し)を願い出ることができた。
 経済的な実権者(親)が息子にするもので、その逆はあり得ない。で、父親は驚いた。

無縁仏(むえんぼとけ);祀ってくれる者(供養してくれる者)のいない仏のこと。手厚い供養を通して祖霊になっていくという民俗信仰においては供養してくれる者がいないために祖霊になることができない状態と捉えられる。無縁仏には人知れず非業の死を遂げた者や行き倒れのままになってしまった者などがある。
 災害(震災、大火、洪水、飢饉、疫病等)や行き倒れなどの理由で氏名や住所などが判明しない身元不明の死者や身元が分かっていても遺体の引き取り手がいない死者を供養するために建立される塚を無縁塚という。

手切れ金(てぎれきん);男女が今までの愛情関係を絶つ代償として相手に支払う金。手切り金。手切れ。慰謝料。



                                                            2021年2月記

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